ブロッター
ブログとツイッターを混ぜて、さらに異論、反論、オブジェクションで固めたものです。で、ブロッターというわけです。毎日書く暇も能力もないので、不定期のコメントです。
| 2025/秋 | comment |
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べつに茶色っぽい朝が来たわけではない。茶色はナチス突撃隊の制服の色である。突撃隊の隊員が町にあふれたある朝ということだ。このナチスの兵隊は知性・人間性が欠けた乱暴な意見と行動をする集団である。このことから、ナチスは世界史の大きな汚点となったが、じつは非合法に出現した集団ではなかった。 当時のドイツの憲法はワイマール憲法という先進的で優れた憲法だったが、そのなかに緊急事態にどう対処するかという条文があった。ナチスはこれを利用して出現したのである。緊急事態なら何をしてもいいということだ。「今が緊急事態です!」といえば緊急事態となる。すぐれた憲法にも落とし穴があったのだ。いま国家主義を優先する集団が増えつつある。歴史も国の構造も知らない若者や一般人を外国人排外主義で煽っているのは、第一次大戦で不況に落ち入ったドイツでユダヤ人を排外対象にしたのと同じだ。民衆の不満を特定層の排除に向けるやり方は、ナチスと同じなのである。困って無制限に外国人を入れるのも大問題だが、国を小さくすることをなぜ考えないのだろうか。150年前の日本は人口が5000万人だったのだ。変な若者受けの「橙色の朝」が来ないようにするためにもっと国民が知性的に生きる必要性がある。 |
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詩人・長田弘が亡くなって十年・・・「猫に未来はない」から読み始めた私には、いつも横にいる知を教えてくれる人だった。没後十年で出た本が、この「世界で一冊の本」・・・すぐれた一冊の本ではない。人の人生はあたかも一冊の本だということだ。しかし、中身は一個人の人生を語るものではない。 たとえば中に「ファーブルさん」という詩らしき一節(二節かな?)がある。 ・・・ファーブルさんは勲章や肩書を嫌った、権威もペコペコしたり無理を我慢したりは真っ平だった・・・目立たない虫、目には見えないような虫、とるにたらない虫、つまらない虫、みにくい虫、いやしい虫、くだらない虫、ファーブルさんは小さな虫たちを愛した・・・・・。 このような詩なのか感じたことそのものなのか判別できない、しかし、心の奥底に響く言葉が並ぶ・・・・なるほど、人の一生はたいしたことはない。権力者の一生も求道者の一生も、何も考えずに生きている人々の一生もたいしたものではないが、それでも知るに値するものばかりだということか。 生きる口実だけが取り柄の時代、不可能なものはなく、危険なものはないと全能ぶってみても、その日暮らしのわれわれの時代。ねえ、世界って何なの? くだらんことで縁までいっぱいのとても大きなものだよ・・・・なるほど世界は一冊の本でであるなぁ。 |
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最近、新聞やテレビ、そのたネットのニュースなどを見ていて感じるのは、新聞記者、テレビ番組制作者、ネットニュース報道者の姿勢や方向性が、なんか違うなあ、という感じである。世の中の流れに乗っているというか、商業主義に堕しているというか、報道への思いがないというか・・・そういう感じがしてしまうのである。 この「一郎くんの写真」は、報道記者(新聞の)どういう報道をするべきかという視点を描く絵本(絵本とはいえ、どう考えても小学校高学年以上が対象の絵本)だ。そのことが直接的に本の帯に書いてある。「新聞記者の使命はもう二度と戦争をさせない社会にすることだ」と・・・・。 戦後に残された一枚の古い日章旗の過去を掘り下げる作業が、新聞記者の仕事で描かれていく。いまや学校も戦争の話は避け、人はこうあるべきという姿勢も見せず、だんだん戦争が風化されていく。この作者が女性記者であることに驚いたが、もう現代の日本では男性のマスコミ関係者がそういうことも考えられなくなったか!という思いすら感じる。しかし、日章旗のことを追求していく過程で。作者の思いが見事に展開されるのを読むと子どもが読んでも大きな何かを感じ取れるのではないかと思うのである。 |


