ブロッター

ブログとツイッターを混ぜて、さらに異論、反論、オブジェクションで固めたものです。で、ブロッターというわけです。毎日書く暇も能力もないので、不定期のコメントです。

2025/新春 comment
ブロッター1  俳句と言えば、花鳥風月を語り、自然への人間の感覚を表すものだと思っていた。句会などに出ても、ほとんどその次元から離れた話はなく、選者クラスの高名な俳人の話もわかるようでわからない人間の感覚と自然の関係しか述べないことが多い。世俗的な意見を言うと、バカにされるのがオチというのが現代俳句の世界なのだろう。
 ところが、この長谷川櫂氏の論調は、そういうわけのわからない高次元の話ではなく「死生観」や命の問題まで身近な話に踏み込んで行く。だから、原発事故や医療問題など人の生死につながる事件やその背後にある政治のどうしようもなさまで話がつながっていくのである。そこに生まれる俳句。それが「人間」の描き出す事実を俳句表現したものらしい。現代ばかりではない。芭蕉の死直前のいくつかの俳句の吟味や解釈から人の死のあり様が紡ぎ出される。
 つまり表現された言葉ですべてが終わるのではなく、そこから始まる思惟や解釈が読み手、あるいは発句する側の世界を形作るものだということである。いまや言葉の世界は意味も力も失い始めている。
 民主主義は生ぬるい抽象語で語られて死滅しつつあり、人々はただ広告宣伝文句に踊らされるだけとなっている。つまり俳句だけでなく文学が復権しないと、人間は理想も思考もなく漂流するだけになるというわけだ。それを教えてくれる優れた一冊と言える
ブロッター2  吉野源三郎の「君たちはどう生きるか」に似ているが、まったくちがう内容である。タイトルの「君はどう生きるか」でわかるようにYOUは複数や集合名詞ではなく「個」の君(あなた個人)なのだ。
 かつての若者は集団としてほとんど同じような悩みや問題を抱えていたので「君たち」で良く、「コペルニクス展開」も同じ考えの若者に当てた発想の転換である。
 ところが、現代の若者は、まさにバラバラの個人であり、悩みも抱える問題も多種多様だ。十把一絡げで「お悩み」の解決とはいかない。しかし社会は、また学校はいつまで経っても過去の「君たち」世代への対応と同じことをやっている。これでは個々の悩み、問題をとうてい解決はできないだろう。
 ここで鴻上は現代の若者に共通する生きづらさに焦点をあて、多様な視点や価値観で問題に立ち向かっていこうという提案をしている。これなら若者にもわかりやすかろう。幼少時からパターン化されたゲームや答えがひとつしかない問題に浸ってきた若者にとって、鴻上の手助けがどのくらい理解できるかはわからないが、まずは読んで納得して行動していくよりないだろう。
ブロッター3  ある保育園の事務長さんが来て、「ゆめやさん!最近の保育士さんは昔話を知らないんですよ。」という。これだけアニメ・マンガが幼児に沁み込んでいれば、保育士の先生だからといって、子どもの頃はまともな本を読み聞かされたことはなかろう。さもありなんである。日本の昔話は、この国の生活史から生み出されたもので、やはり基本の「おはなし」くらいは知っていないと大人になってから話が合わなくて困るのだが・・・。
 しかし、そういう世代は「知ってる、知ってる! 天空の城ラピュタ!」「読んだ!読んだ!ワンピース!」だろう。「鬼滅の刃も読んだよん〜!」では、もう昔話もばからしくて読めないことだろう。 だが、十話も「むかしばなし」を読めば、根本的におかしい話、ありそうもないこわい話、なんだかホッとする話、哀しい話がいろいろあり、現代の視点で考え直す原点にもなりうるだろう。今の子どもたちにも楽しめる十三話を選びだしたのが、この本。
 いまや、昔言葉は、それだけで子どもは拒否反応がでる。しかたないので方言を使わずに再話した左のようなものを読み聞かせ、「昔話ってこういうもんだよ!」と基礎教養を植えていきたいものである。
   

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