ブロッター

ブログとツイッターを混ぜて、さらに異論、反論、オブジェクションで固めたものです。で、ブロッターというわけです。毎日書く暇も能力もないので、不定期のコメントです。

2017/春 comment
ブロッター1  「人間はみな薄情です。私が大金持ちになった時には、世辭も追従もしますけれど、一旦貧乏になってごらんなさい。柔しい顔さへもして見せません。そんなことを考えると。たとひもう一度大金持になった所で、どうにもならないやうな氣になるのです。」

 この場面は、老仙人に二度も大金を与えてもらった杜子春が、三度目に人の無情を語るシーン。
 若いころ、いい生活を夢見るのは人間の常。一攫千金を夢見る人もいる。でも、貧乏ながらも人を大切にしてくると、薄情な人には囲まれなかったこともわかる。最近は、「人生、お金じゃないなぁ!」とつくづく思う。
ブロッター2  「飯沼が女連れで来たのですか」
 「しかとわかりませぬが、どうもその人のような」
 「それはいつのことです」
 「それを今考えてゐたのでございますが、何でも二十年前に来たことがあるような氣がします」

 このあと「二十年前に、飯沼が女連れで。」と検事が言ったので、傍聴席には失笑が起こる。
 昭和神風連事件を起こした十九歳の少年の裁判で、軍人下宿を営む老人が「将校の部屋へ来た少年かどうか」を尋問される場面。十九歳の少年が二十年前に女と逢引きをするはずがない。みんながボケ老人のたわごとと嘲笑う。しかし、第一話の死んだ主人公から「逢引きの場所」を聞いていた弁護人は戦慄する。老人の耄碌した脳が、生まれ変わりを見抜いた! 輪廻転生という不思議な現象を垣間見た瞬間である。
ブロッター3  孝明天皇が亡くなったんは疱瘡だとゆうんですけどね、ほんまは、あれは毒殺です。いいお茶をネ、上等のお茶をいれる。その葉っぱを残して残して腐らせますとネ、鴆毒(ちんどく)ちゅうもんになる。で、それをネ、ちょっとずつお茶に入れて差し上げますとネ、全身があんな疱瘡みたいになって亡くなるんです。
 聞いた話、した話がはてしなく綴られていくが、どれもこれも面白い。伊丹映画のおおもとは、みなこのように現実のネタをコミカルに仕立てたのではないか。見てきたような嘘とホントに見てきた事実。ここは「天皇日常」と題した猪熊兼繁先生なる宮中人の雑談の一節だ。読むほどに、われわれの知らぬ世界の秘密がおもしろおかしく瞼に浮かんでくる。
   

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