ブロッター

ブログとツイッターを混ぜて、さらに異論、反論、オブジェクションで固めたものです。で、ブロッターというわけです。毎日書く暇も能力もないので、不定期のコメントです。

2014/秋 comment
ブロッター1  「永続敗戦論」というタイトルに惹かれて手にしたが、なんとなく漠然と思っていた日本という国の行き方が、ものすごく明確に飛び込んできた感じがした。
つまり、日本が独立国家というのは体裁だけで、じつは、ずっと負け続けている(植民地的に)状態にあり、政策はアメリカの顔色を窺い、忠実にかの国の政策を遂行するために「ああでもない」「こうでもない」と綱渡りをしながら自国の体現ができないでいるという状態に半永久的にさせられているのだ、というものである。
 私が小学校に入ったときサンフランシスコ講和条約で日本は占領された国から独立した国家になったという雰囲気を浴びていた。当然、子どもの私は、「ああ、日本は独立して『自国』として誇れる」と思ったのだが、その背後の暗部が見抜けなかった。それはじつは子どもだけでなく大人もみんなそうだったのだろう。
 米国が課した枷は、ずっと敗戦し続ける国という視点を国民には隠し、水面下でこの国を別の形で占領する狡猾な方法だったのである。いまでも気づかぬ人が多いことだろう。さて、これをどうしていくか。知ったことは実行しなければならないが・・・この巨大な課題を日本人は乗り越えられるだろうか。
ブロッター2   もちろん原作は吉野源三郎の同名小説だ。昔、若いころ読んだ。昭和の半ばのことで、背景に立ち込める戦後の匂いまで吸い込んだ一冊だった。大学に入ったときに学長講話で「コペルニクス的転回」ということを聞いた。いわゆる、すべての人が天動説を信じていた時に地動説を唱える・・・これは、かなり勇気のいることだが、この本では常識というものと思考した独自の考えとというものが、いかに個人の人格形成の方向を決めていくかが描かれている。青少年向きのすぐれた哲学書でもあった。
 時代は、それかた50年近くがたった。青少年にとっては哲学的物語も昭和の雰囲気も知らぬ・存ぜぬ・・・「それ、なあに?」だろう。しかし、私より12歳若い梨木果歩が、「それでも、吉野の考えは広めなければ大変だ!」と思ったのだろう。新作で同名小説を現代化した。読みやすいが、やはり難しい漢語もあって、どうかな?いまの青少年たちには。それでも読んでほしい。腐った政治家たちの頭は漢字も読めなくなっている。いま、青少年が、しっかりした考えを持たねば、危険思想の政治家たちにしてやられる・・・哲学ったって、字面ほどむずかしいものではない。「考える」ということだ。若者に一読を薦める。
ブロッター3  言わずと知れた芥川の児童向け三部作の中の二編だ。自慢すると、私は、これを小五のときに読んだ。親父の書棚に会った全集の中のもので、数年かけて全集4つと未定稿集まで読んだが、読み終わったのは二十歳過ぎていた。旧仮名遣い、旧漢字のものである。当然、子どもの私には一回や二回では読んだとは言えないものだった。それでも繰り返し読んだ。おもしろいというより、妙に心の底に根付き。いまだにこの影響を受けているともいえる。それだけ芥川の作品は人の根底に居座る力がある。
 多くの人はこれらの作品の筋は知っていることだろう。しかし、あえて薦めるのは、現代こそこの物語の問いかけが重要視されなくてはいけないと思うからだ。蜘蛛の糸は悪行の限りをつくしたカンダタが、せっかく地獄から抜け出せるはずだったのに、元の木阿弥になるのは、生来の悪性が抜けなかったからである。悪が噴出し始めた現代に、もしこの本を読んで成人したら、悪行はできなくなるのではないかという期待がある。杜子春も同じ。いくら金を持って人間関係を築こうとしても、最後は孤独になってしまうことを教えたい。そこで大切なことは何か・・・この本を読めば、そのヒントをつかむことができる。
   

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