ブロッター

ブログとツイッターを混ぜて、さらに異論、反論、オブジェクションで固めたものです。で、ブロッターというわけです。毎日書く暇も能力もないので、不定期のコメントです。

2011/夏 comment
ブロッター1  原発の安全神話が崩れて、いっせいにマスコミが原発を叩き始めた。そして、利権の頂点にある原発の擁護派と反原発、脱原発派がせめぎあう世の中となっている。この国はどこに向かうのか? いわば経済至上主義と自然生活主義のバトルが始まったわけである。原発を国策として進めてきた自民党の責任が追及されるわけでもなく、東電の富の蓄積が国策に乗ったものであるという批判もなく、せめぎあいだけが始まる不思議。しかし、我々は、その前に原発について何も知らされることがなかったのだ。原子の話は難しく、原子炉の仕組みはさらに秘密のヴェールに覆われていて、恥ずかしい話だが、核分裂の熱でお湯を沸かして、その蒸気でタービンを回して電気を作るということすら知らなかった。遠い未来の技術とジェームスワットの技術がくっついたものであることすら知らなかったのである。で、そういう頭でも分かる本はないか・・・探していると当然、教えてくれる母親がいた。さすが、子どもを持つ親は危険に対しては敏感だ。で、教えてもらったのが、この本。なるほど分かりやすい。相手を知らねば戦えないので熟読したが、これは小学生でも読める一冊。学校図書館は入れたほうがよい。
ブロッター2  春のブロッターで、たつみや章の「夜の神話」を取り上げたが、この「神の火」は、いわば大人版だ。これを読めば、いかに人間がどうしようもない存在かが分かる。最近のニュース解説に原子力学者が出なくなったが、あの猛烈に高給を取っている御用学者や電力会社幹部、そしてもちろん安全保安院の役人・・・こんな連中にプロメテウスの火を扱わせていいわけがないのである。プロメテウスはゼウスから永遠の刑罰を与えられるが、それにしても神の火の燃えたあとに希望など生まれるはずもない。もし希望が生まれるなら、それは過酷な状況でも生きなければならない過酷な「希望」だ。それにしても、たつみや章、高村薫、この二人が女性であることに敬意を表さなくてはならないだろう。わけのわからないエロ小説もどきを書くベストセラー作家がスペインで「3・11と反原発」を講演したが、起きた後では説得力が欠けるおしゃべりであった。女性といえば、最初に放射能を発見したのも鬱病経験のある女性だ。放射線の青い光を見た最初の人間が女性だったというのも偶然(必然?)である。偉人伝に入る女性だが、放射能の発見は偉業だったのかどうか。神の火の祟りは、彼女を再生不良性貧血で冥界に導いてもいる。
ブロッター3  最近の世の中の風潮や事件、文化の先行きをみながら「日本はどこで変わってしまったのだろう?」と考えた。当たり前の話だが、やはり、日本は明治で大きく変わったと思わざるを得ない。それも福沢諭吉の殖産興業と富国強兵で変わり、それはじつはいまでも続いている。彼が提唱した科学や功利主義は、けっきょく日本人から想像力を失わせ、金を追い求める人間と、その社会をつくっただけである。文化などほとんど何もつくらなかった。いま、日本を代表する文化は歌舞伎とか相撲、鮨や天ぷらなどだが、それらのほとんどは江戸時代の人々の想像力の賜物なのである。とにかく、江戸の文化、教養は世界レベル以上であったらしい。
 環境問題や防災問題のことを見ても江戸の意識は見直されなければならない時代になっているのだが、この国の教育者も学者たちも江戸の意識や想像力を見直す努力はしない。田中優子のようなかつてラジカルだった人間すら、江戸の力を認めている。現代日本が明治このかたの過ちを繰り返さないためにも、こういう力をかつての日本人が持っていたことをわれわれは再認識する必要があるだろうね。
   

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