ブッククラブニュース
令和7年
11月号(発達年齢ブッククラブ)

2025年11月、12月の予定

定休日は日曜、月曜、祭日です。
11月は臨時休業はありません。日曜・月曜・祭日のみが休業です。
11月は4日、24日が祭日ですが、月曜日なので休業です。
12月は29日から1月5日まで年末年始休業です。1月6日から営業。
休業日・時間外受け取りは事前にお電話ください。
外出していないかぎりOKです。また前日のご連絡なら在店するようにします。
営業時間は午前10時30分〜午後6時00分(冬時間)
 受け取りの方で午後6時以降に来た方は電話かピンポンで呼び出してください
 なにしろゆめやは零細商店ですので「昭和」の感覚でお出かけください。
 たいてい在店していますので店を開けます。ご遠慮なく。たまに買いものに出かけているときもありますが・・・。

ちょっとおどろいた紹介記事

 児童書では誰もが知っている大手の出版社で福音館書店という会社がある。ここのWEB記事に「とものま」というものが開設され、いろいろなものを紹介するコーナーが設置されている。そこの編集の方が児童書専門店の紹介欄に「ゆめや」を載せたいということで、急な取材があった。こどものともの編集長だった方、販売部でゆめやを担当している方、それにイラストレーターの御三方がゆめやを訪問してくださったというわけだ。
 で、出来上がったページをご案内させてもらいたいと思った。

とものま「えほんやさんぽ」第一号

 10月25日アップだから、もう閲覧できます。なかなか巧みにゆめやの周辺まで調べた詳細な紹介記事だ。だからゆめやを知らない遠方の会員の皆さんには、ぜひ見てもらいたいと思う。リンク先はこちら(ウェブでご覧の方)
 まず、「福音館書店とものま」を検索する。そこに「えほんやさんぽ」がトップで出てくる。これをクリックすると、ゆめやのすべてが細かいイラストで描かれている。案内地図から始まり、当店の詳細が緻密なイラストで紹介されているのです。もちろん、そのあとには詳細なブッククラブの内容説明も・・・。
 なんといってもうれしいのは、このWEBで初回の記事筆頭にウチが紹介されたということ。
 大きな児童書専門店は全国にたくさんある。クレヨンハウス、童話館など巨大な規模のブッククラブを持つ店というよりは企業がいくつもある。絵本専門店などは全国に100店舗以上あることだろう。その中で初回のトップを飾ってくれたというのは、まったく、ありがた山。
 ゆめやは、他のブッククラブと違い、「だれでもいつでもどうぞ!」という開かれた店でもブッククラブでもない(笑)。それを筆頭に置くというのはなぜだろう。実体をしらないのかも?という人がいると思うが、じつは、ゆめやと福音館書店のつながりは44年前までさかのぼる。長い長いお付き合いだから実体はわかっているはずである。
 理由はわからないが、この初回の紹介記事はまったくありがたいことである。

ゆめやは信玄家臣屋敷跡に

 ここでは、私が話した「ゆめやの周辺の寄ってみたいところ」もきちんと掲載されている。ゆめやは武田信玄の居館(信玄は城を持たず、攻撃を最大の防御にした)の領域内にある。信玄配下の武将・原氏・保坂氏の屋敷跡だ。信号機の北は山本勘助の屋敷跡。山の向こうには名所・昇仙峡がある。これも紹介してもらった。信玄といえば「ほうとう」だから甲府駅近くのほうとう屋「小作」も挙げた。
 あとは私が懇意にしている和菓子屋「澤田屋」さん。ここの「黒玉」という和菓子はウグイス餡を黒い羊羹で包んだ鉄砲玉のようなもので美味だと思う。個人的には長篠の戦いで織田軍の鉄砲隊で敗れた武田騎馬軍団の無念の思いを織田の鉄砲玉より大きな玉でやり返そうという気持ちの表れだと思っている。これで尾張の勢力を倒し、三河も倒し、関東一円の児童書専門店たちを倒せるかというシンボルにしたい。病に倒れてダメかな(笑)。
 なにはともあれ遠方の会員でゆめやを訪れる方にはぜひ訪れてもらいたいところである。(ニュース一部閲覧)

芸能歴の長い俳優のセリフ

 里見浩太朗という俳優は若いお母さんならともかく、年配の(笑)お母さんならほとんどの人が知っているだろう。私はもっと歳なので子どものころから知っている時代劇の有名な俳優だ。大きな時代劇ドラマや映画には必ず出ている人である。長七郎シリーズを見た人がいるかもしれないが、あの長七郎が里見さん。大河ドラマは常連だし、若いころはいまの若手のハンサム・スターに負けない美貌の持ち主だった。近年では、何代目かの「水戸黄門」になっているしね。まあ、90歳近くだが男前は変わっていない。

書を以って世を耕す

 当然ながらいい男は悪役にはならない。私が役者を目ざしても大部屋から出られないだろうし、生涯で5万回斬られる役もこなせない。まあ、エキストラで旗か槍を持って顔も映らず倒れている役くらいだ。
 ただ、そんな私も子どものころから映画が好きで、いまだに、これはと思った映画は必ず行く。だが、甲府は県庁所在地でありながら映画館がない。子どものころは生まれた町の隣町が映画館街で、そりゃあよく通ったものだった。一番最初に観たのは小1のとき、「鞍馬天狗 照る日曇る日」。嵐寛十郎の鞍馬天狗と美空ひばりの杉作少年の映画だった。それから、現在の「国宝」まで何本、いや何百本みたことか。(洋画は青年時代に大量に観た)色男の俳優も数多く、里見浩太朗もそのうちの一人だ。若いころは吉沢亮、横浜流星に劣らない美男俳優だった。(写真右)
 その里見浩太朗が、今年の大河「べらぼう」に出ている。蔦屋重三郎の話だから、里見も須原屋市兵衛という医学書や儒学書を扱う本屋で、蔦重のいい相談役でもある。その市兵衛が、いいセリフを吐いた。
「知らねぇっていうことはな、怖ぇことなんだよ。物事知らねぇとな、知ってるやつにいいようにされちまうんだ。本屋っていうのはな、正しい世の中のためにいい事を知らせてやるっていう務めがあるんだよ。
 平賀源内風に言えばな、書を以って世を耕す・・・・・これなんだよ」
(『べらぼう』での須原屋市兵衛のセリフ、10月26日放送の中で)
 この言葉を聞いて「そうなんだよなぁ。」とつくづく思う。金、金、金の世の中で、だれもが儲けに走り、楽して金をかき集めることだけに奔走しているような世の中。これは上の政治屋から末端の浮浪(youtuberやメディア利用者など職業とも言えないことをやっている連中)

負けを承知で世を耕す!

 だが、現実はどうだ。いまや、出版社は生き残るために売れれば何でもと・・・、しようもない本を山ほど出す。大型書店は粗悪な売れ筋本を店頭に並べる。それならまだいい方で、キャラクター本やキャラクター玩具までだから世も末だ。
 その背後には、この世の中がある。YoutubeやSNSで頭をやられた若者は、その背後で誰がそういうふうにしているのかを見抜くこともなく、流れに逆らわずゆらゆらと流れている。これでは、仕掛けられたら、その方向に流れるよりないだろう。つまりいいようにされるのだ。
 その先が米が食えない時代か、徴兵制となる時代かはわからないが、何も知らないで行くと何が起きてもわからない。しかたないからゆめやは平賀源内になって世の中を耕そうかなと思う。もう遅いような気もするが・・。なにしろ、もうからない仕事を45年もやってしまった。50年を越えることは少子化や本への関心低下の時代に期待するのは無理だろう。
 でもまあ、「書をもって世を耕す務め」は生きているうちに果たさねばなぁとつくづく思う。(新聞一部閲覧)

本とともに過ごしてきて

 【Mさん 甲府市】
 ゆめやさんとの出会いは上の娘が10カ月のときでした。幼少期の絵本体験が重要だと考える人は多いと思いますが、一般人が良書を選ぶことは難しいと感じます。私は特に、好みの絵柄やストーリー性、社会規範のようなものを知らず知らずのうちに絵本に求めてしまっていたと思います。
 会員になり、自分の好みとは違う配本が開始され、長新太の絵本が来たときは衝撃でした。「ごろごろ にゃーん」「ぼくのくれよん」、最大の衝撃は「なにをたべたかわかる?」でした。淡々と繰り広げられる反復、日常、無感情。私の規範や既成概念はふっとびました。
 しかも、子供は繰り返し持ってきます。そのとき、子供は大人には思いもよらない思考を巡らし、いずれ何らかの「型破り」が必要なときのために、その養分を蓄えているのかもしれません。私にはそんな本を与える力はなかった。やはり絵本のプロフェッショナルはすごいなと思います。
 ゆめやさんの配本リストを後世に残すには、(ゆめやさんが嫌いな)AIが必要なのでは、と考えたりもします。今までの膨大なデータを読み込ませて学習させるのです。でも、廃刊があり、新刊の判断はAIにはきっと無理でしょう。ゆめやさんの知見の伝承をつい勝手に考えてしまう一会員なのでした。

*御寄稿ありがとうございました

 ありがたいお言葉と御提案も恐縮以外の何物でもないです。ただ、おそらくは日本で一番小さい本屋ですからできることが限られています。原稿をいただいたあとのメールのやりとりもおもしろかったです。知りたい方もいらっしゃるのではないかと思い、下記に一部のやりとりを提示します。いかに大きな仕事ができないかと忸怩たる思いもありますが、ご教示いただいたことは頭の隅に残したいと思います。
 で、次のような返信が続きました。

発達対応絵本⑦

3歳-2

 3歳になると多くの子どもは周囲の人と自由に会話できます。つまり親子や家族とだった言語関係が、より広がったものになります。同時に表現する言葉がたくさん増えます。言語には表現言語(しゃべって伝えようとする言葉)と理解言語(話では使えないが、聞いてわかる言葉)があり、この時期では表現言語がおよそ1000〜1200語、理解言語は2500〜3500語と言われています。これだけあれば日常会話はふつうにできていきます。
 もっとも、これは0〜2歳の時期に親と子が安定した時間を共有した環境(言葉かけが豊富で、多様な人と交流がある)という条件が必要。閉鎖されたワンパターンの成育環境では言葉はなかなか増えません。
 上で述べた「表現する言葉」だけではなく「理解している言葉」もその背後で増えてきますから、3歳代ではストーリー性の高い絵本を楽しめるようになるわけです。配本でも急に物語の絵本になって、おどろくお母さんがいますが、きちんと1歳のころから単純でも初めがあって終わりまでスジでつながる絵本を読み聞かせで何度も聴いているのですから物語へは、入っていけます。しかも、この時期の絵本はすぐれた内容のものが充実していて豊富なので、うまく読めば、話の運びが激しいもの、オチのある話も聞くことはできるでしょう。

読み聞かせはできるかぎりふつうに

 ここでも、読み聞かせには特別な方法はなく、ふつうに読んでやればいいのです。1歳や2歳のときのように声色を変えたり、演出したり、パフォーマンスを加える必要はまったくありません。
 よく読み聞かせの会などで激しいパフォーマンスや声色を変えたりする人がいますが、それは演出効果を狙うもの。いずれ自分で字を読み、文章を理解するのが「読書」で、「読み聞かせ」はその第一歩なのですから、ふつうに読めばいいのです。聞いた言葉から想像ができなかったり、理解できなかったら意味がありませんからね。淡々と読むくらいでもいいでしょう。
 季節ものでは、「14ひき」シリーズや「ぐりとぐら」のシリーズなどから季節に合わせたものを選書してありますので、配本順に読み聞かせていただけば、季節感は問題なく楽しめると思います。理解力の段階に応じたもので楽しめるようにしているつもりです。「この子は何を読んでもわかる」と先走りしても、ただ聞いているだけで、内容を把握しないことが多いですから、あまりグレードの高いもの長いもの、さらにはお気に入りの分野のものだけに限定して次々に与えないほうがいいと思います。
 親の気持ちとしては、急激に認識力や理解力が増す3歳に、もっと与えればもっとわかるようになるという気持ちに陥りがちですが、その「わかる」様子は見かけのことです。何度も同じ本を読むことで内容の把握は決まってきます。そりゃあ、中には天才もいるでしょうが、多くは普通の子です。無理をしてもそれを受け取る力はまだありません。

読書感想文①課題作 「杜子春」

 「正直に生きる」6年 Kくん 甲府市  読み終えて本を閉じた時、ぼくは少しほっとした。主人公の杜子春の人生が急上昇して富豪になったり、急降下して貧乏になったり、地獄に落ちたりする展開にハラハラし、「人間として生きるには何が大切か」という生き方を考える旅に同行した気分だったからだ。
 杜子春は、一文無しで寝る場所にも困っていた時に、不思議な老人からたくさんのお金を授けられて大金持ちになった。親しげに集まってきた多くの人達は、杜子春が貧乏にもどると一人も近寄らない。自分の利益によって優しくしたり冷たくしたり、人間はとても薄情な生き物だと思わずにいられない。
 人間に嫌気がさした杜子春は、実は仙人でもある老人鉄冠子に弟子入りするが、何も教えてくれない。「どんなことがあっても決して声を出してはいけない」という鉄冠子との約束を守りながら、杜子春は一人で不思議で苦しい体験を乗りこえる。化け物におそわれ、神様に殺され、地獄に落ちて次から次へとのしかかってくる苦痛に声を出さずにこらえ続ける。自分だったらと想像するだけで苦しく読み進めるのがつらかった。
 夏休みに松本市立博物館の「地獄の入口」特別展に行ったが、そこで見たえんま大王の恐ろしい顔つきや、地獄の不気味さや恐ろしさが物語の中で杜子春が体験した地獄の苦しみや痛みと重なったリアルが頭の中で再現された。針の山や血の池、炎の谷に放り込まれ、舌を抜かれ、皮をはがされ…ぼくは死んでも絶対に地獄はごめんだと思った。それなのに杜子春はこらえ続ける。その我慢強さにはあきれるほどだ。
 仙人との約束守り、声を発しない杜子春だったが、最後に蓄生道に落ちて馬の姿になっている父母がむちで打たれ、苦しんでいるのを見せられて心がゆらいでしまう。
 読んでいる方も苦しくなる究極の選択だ。ぼくだったらたえられない。苦しみの中で息子を思いやり、「私達はどうなっても、お前さえ幸せになれるならいい。自分のしたいようにしなさい。」と言う優しい母の声には、さすがに杜子春も涙し、走りよって「お母さん!」と叫んでしまう。ぼくは、とうとう言ってしまったと思う反面、母親の愛情に心を動かされた杜子春に安心し、共感した。
 薄情な人間に失望していた杜子春は、地獄で母の純粋な愛情に触れ、「どう生きるべきか」の答えを見つけた。仙人への道はあきらめたが、「何になったとしても、人間らしい正直なくらしをするつもりです。」と言った最後の言葉には、前向きさと清々しさを感じた。そして、エールを送りたくなった。今までの失敗をふり返り、新しい生活を楽しみ、おだやかにすごしてほしいと心から思った。
 ぼく自身は、どうだろう。正直に生きているだろうか。いつも自分の気持ちに正直に生きたいと思っているが、うそやごまかしがないかというと自信がない。目に見えるものだけでなく、見えない部分も大切にしたい。そして、人を思いやる真心を忘れずに生きたい。

【講評】・・・

 募集してから二か月、じつはさびしいことに感想文応募は2点のみ。それも今回の「杜子春」と「人類やりなおし装置」の2点で、前者がお兄ちゃん作、後者が弟さん作(来月掲載)なんです。弟さんは負けずに書きたかったのか、いっしょに書くようにお母さんかお兄ちゃんに言われたのかわかりませんが、なにはともあれ、親御さんの姿勢や家庭のが想像できる応募で、個人的には興味深い寄稿でした。たいした賞品ではありませんが出します。  さて、この「杜子春」、これまでは中学生向けに設定した本であった。長いうえに漢語熟語が多く、言い回しも言文一致期とはいえ、天才・芥川の大正期独特の言い回しだから、現代の子どもには拒否反応がでる本である。選定したのは、読みやすく変えたものだが、それでも難しく長い話だ。よく読んでくれたと思う。それだけでも喝采である。
 だが、そこからまっとうな感想が浮かび上がっているのだから、こういう言い方はまずいかもしれないが、「読める子は読めるようになり、読めない子はとどまってしまう」傾向がはっきり読み取れる。物事に触れて自分なりに感じたり、考えたりすることは大切なのだ。自分に置き換えて考えていくことは読書の基本、それができない人間は他人や社会が決めた人生を生きてしまうからである。
 それでは、上の人の言い分や人工知能の言いなりになってしまい、それだけで人生が終わるかもしれない。いま、国を挙げて、そういう方向に子どもや大人を導こうとしている時代だからこそ、独自の感覚や考えは大切になっているというわけだ。この感想文からは、感じようとする心や考える力をはっきりと感じ取ることができる。きっと交友関係と金の問題や時代の行く末までわかっていくことだろう。(新聞一部閲覧)



(2025年11月号ニュース・新聞本文一部閲覧)

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