ブッククラブニュース
令和7年
9月号(発達年齢ブッククラブ)

2025年・9月・10月の予定

定休日は日曜、月曜、祭日です。
9月は21(日曜)22日(月曜)23日お彼岸で3連休となります。
10月は12日・13日が連休となりますが、通常の連休日で問題なし。
休業日・時間外受け取りは事前にお電話ください。
外出していないかぎりOKです。当日の連絡ではなく事前連絡を!。
営業時間は午前10時30分〜午後6時30分(夏時間)
 受け取りの方で午後6時30分以降に来る方は電話かピンポンで呼び出してください
 なにしろゆめやは零細商店ですので「昭和」の感覚でお出かけください。
 たいてい在店していますので店を開けます。休業日は買い物に出かけているときもありますが・・・。

酷暑お見舞い申し上げます

 ものすごく蒸し暑い日々、夏が年々暑く、長くなります。どこか夏の行楽には行かれましたか。まず残暑お見舞い申し上げます。いやいや酷暑お見舞い申し上げますですね。この暑さでは、熱中症の危険で子どもを炎天下には出せず、遊びの夏なのになんだか子どもがかわいそうですね。この暑さ、電気やガソリンを湯水のごとく使った結果なんでしょうか? 水田が減ったので水田の水が空気を冷やせなくなりました。その代わりに太陽光パネルが増えました。このパネルは夏の日中には90度くらいになります。これが熱を放出したら気温は爆上がりになりますね。
 頭も体もおかしくなりそうな高温の連続が続きます。残暑お見舞いどころか、残暑注意報でも出さないと九月も大変なことになりそうです。楽で快適な生活を科学の力で実現しようとした動きへのしっぺ返しかもしれません。なんとか考えないとね。若い人たちにはがんばって、この世の中を変えて欲しいと思います。

続・三丁目の夕日

 ゆめやは甲府市屋形三丁目にある。東にも北にも西にも山があって、田舎というより山の中である。だから日の出・日の入りは山から山へだ。
 夏の終わりの甲府の午後は40度に達して、夕方でもまだ35度以上ある。この時期、三丁目の夕日は熱い!
 ただ、ゆめやがここで営業を開始したとき、この時間は買い物に出かけるおばちゃんたち、帰宅するおじちゃんたち、その合間を縫って遊ぶ子どもたち・・・と・・・にぎやかな時間だった。それほど暑くもなかった。
 今では通りには人影もない。ゆめやの駐車場にはバス停があるが乗る人も降りる人もいない。帰宅する人々の車が通るのはもっと暗くなってから。子どもの声は一日中まったく聞こえない。時代が変わっていく様子がハッキリわかるのもこの時間だ。人口減少がわかっていたのだから、小さい国に変えていくことをしなかったバチかもしれない。 山の中の絵本屋は夕方になるとお客が来なくなるので夕日の中を散歩に出ると曼珠沙華が真っ赤な花を付けていたりする。考えてみれば、この時期の色はほとんど「赤」だ。その赤にもいろいろな赤がある。子どものころに見た色や匂いや味と同じで、感受性は記憶の原型から育って、人格を形作る大切な要素なる。幼児期の環境は大切だと思う。

緋色の研究

 ところで、色と言えば・・・娘が小学校高学年のころコナンドイルの「緋色の研究」を読んでいて「緋色ってどんな色?」と言ったとき、愕然とした。すべて「赤は赤じゃん!」で「赤」という言葉でまとめてしまう時代。あるいは、すべて「かわいい」という形容詞でまとめてしまう言葉。まったく感受性も表現も貧困としかいいようがない。赤、朱、赤丹、緋、紅、茜・・・これらがさらに細分化された日本語の形容表現は国語の学習ではわからず、文学を読み、言葉を知り、そして実際に町や村を見なければ違いがわからないのである。
 深紅、紅朱、深朱・・・から薄紅まで・・・日本語の表現は深い。小さい時に見ていた色、匂い、音・・・それが言葉に触れたとき人の感性も人格もきちんと育つのではないか。
 もちろん体験だけではなく、言葉や絵での表現も大切なことだ。「とにかく伝達できればいい」というグローバリズムは、ひょっとすると人間をどんどん劣化させてしまうのではないか。不勉強で馬鹿な政治家の演説を聞いているとなおさらそういう気がしてくる。

言葉と感性

 夕日が照る時間は「夕方」だが「黄昏」という表現もある。「夕方」は単純に日没が近づき暮れていく状態。しかし、「黄昏」は、そんな物理的な経過ではなくて、さまざまな意味を含む表現だ。さみしさもあれば「これから終わっていく」状態も含む。これも夕方にものさびしい体験をしなくては感じ取ることができない言葉だ。原色のアニメビデオ、底の浅い語彙ばかり使うマンガ、これでは感性の幅が広がらない。
 「緋色」を知らなかった娘は、学校を出てから書くことを仕事にしてようやく多くの本を読み始めたが、親としては幼いころにもっといろいろな場所を体験させておけばよかったという後悔がある。私が過ごしてきた時代と娘が過ごしてきた時代は、あまりにも大きな環境変化があって、ゆるやかに子育てしたような気がするものの、実際には私の子ども時代よりはるかに何も体験できない時代を過ごさせてしまったのではないか。知識や情報を与えるのではない子育て・・・むずかしい時代だ。しかし、それを乗り越えないと子どもたちが大人になるころ、この国は大変なことになる。

世の中の流れに乗る?

 この国では、世の中の流れに乗ることが「安全に生きることだ」と思われている。ちがう考えをすると「変人」と思われる。つまり、「みんなと同じことをしていれば安心」という考え方である。だが、この国の行き方を見ていると行きつくとこまで行って、どうしようもなくなって終わり!がほとんどだ。
 90年前、「挙国一致」「鬼畜米英」という世の中の流れがあった。みんな、この流れに乗った。初めは調子よかったが、ご承知の通り後半は最悪。強引に続けて途中でやめず、最後は特攻隊である。
 バブルのときも「24時間戦えますか」「花金」「高級志向」をテレビが煽り、実際にそれを行う流れになった。途中でヤバくなったのがわかっても、方向転換しない。どうも、これがこの国の体質らしい。初めは景気のいいことを言って、明るい展望を見せるが、やがて状況が悪くなっても何も考えずに最後まで行く。

ネット社会もまた

 ネットも90年代は夢と希望のオンパレードだった。いまやSNSは負の要素の方が大きい。デマ、詐欺、言いたい放題、子どもたちの心への影響・・・数え切れない負の要素が出ている。これに未来があるはずはないのだが、変えない。
 この一、二年、私が危惧しているのはデジタル教育だ。この弊害が目に見えないので、まだイケイケドンドン。
 だが、世界の先進国の流れを見てみよう。デジタル導入の「教育先進国」で成績低下や心身の不調が出はじめたら、紙の教科書を復活する動きが出た。いまでも、見直しの動きが相次ぐ。反対に日本は、教科書を、紙からデジタルに置き換えようと突き進む。誰も何も言わない。

先進国では

 人口の少ないフィンランドは、教育に国の先行きをかけてきた。大学まで学校の授業料は無料、小学校以上の教員は修士号を持つ。教育現場へのデジタル導入は、90年代には行っていた。しかし、22年には、数・国・社3分野の順位がなんと10段階以上落ちた。「デジタル化に子どもの頭が対応できなかった」と教育相は言う。
 約10年前に中学生にノートPCが配られ、デジタル化教科書や教材となっていた。だが今年は、教室の風景は一変。「文法のページを開いてください」の言葉で生徒が手を伸ばしたのは、パソコンではなく紙の教科書だった。解説を読んだ後、鉛筆やペンで問題プリントに答えを書き込む。首都近郊の中学では英語や数学の授業で使う教科書が、デジタルから紙に戻った。
 「パソコンで見る教科書は、どこを読めばいいかわからない時があった。紙の方が理解できる」と生徒は言う。
 フィンランドではパソコン授業が週に20時間超の授業後、子どもの集中力が低下し、短気になったので、問題化した。ただ、ここが日本と違うところだが、23年末、学生と親、教職員計約2000人にアンケートを行った。保護者の7割が紙の教科書を望み、教員の8割が授業で紙を使いたいと答えた。今年九月から中学の物理や化学でも紙を復活させる。ドイツ、オーストラリアなども続く。
 つまり、教育先進国は、デジタルでの教育は良い成果を生まないと判断したようである。考えるまでもないことだが、デジタルの悪影響は日を追うごとに悪くなっているのである。

他山の石

 教育現場でのデジタル利用に慎重になる国は近年、目立つ。シンガポールは、小学生にはデジタル端末を配らないことを決めた。心身が未発達の子どもに悪影響が及ぶことを懸念したのだ
 韓国は今年から、政府がAIを搭載したデジタル教科書の配布を始めたが、導入するのは3割だけ。教育省の実施した調査では保護者の7割が「デジタル依存に陥る」と懸念し、5割が「教師と生徒のコミュニケーションが衰える」と否定的だった。導入に反対する教員組合は声明文で「未来の教育に必要なのは、AI技術より問題解決能力だ」と訴えている。
 日本では2月、デジタルを紙と同じ「正式な教科書」と公式に発表し、海外の状態を検討した様子は見えない。

暴君・暴政のつくりかた

 でも若いというのはすごいもので、炎天下でも蒸し暑い夜でも頭も体も動かせます。個人的な話で恐縮ですが、大学時代、真夏に帰省もせずに3つの部活動をしたことがありました。演劇系・武道系・社会学系の部活です。若いとあまり疲れも感じず、夜もかなり読書ができた記憶があります。
 私が、演劇系というと不審に思われる会員の方もいるでしょうが、「シェークスピア研究会」という部でした。もちろん、私のこの顔や暗記力では俳優ではなく、シナリオの書き換えや舞台装置デザインという裏方。でも、このおかげで、そのときシェークスピアの主な作品を読むことが出来た幸運な夏でした。
 といっても「リア王」「ロミオとジュエリット」「ハムレット」「テンペスト」のような代表的な有名作品くらいのものですが、悪人や善人のパターン、世の中のしくみや動きのようなものがわかってくるのです。古典は読んでおくべきだと思います。

五十年後の読書

 そして、月日が経ち、三年前に、S・グリーンブラット作「暴君・シェイクスピアの政治学」(岩波新書)という本を読みました。著者はハーバード大学教授なのですが、シェイクスピア劇の暴君や悪王が「どういうわけで出てくるのか」がきちんと書かれていたのです。「なぜ人は自分勝手な意見を繰り返し、同じような悪政をする人間(暴君)を何度も選んでしまうのか!?」がテーマでした。
 そこでは、「そういう暴君を生み出すのは、自分たちの利権を守りたいがゆえに、ひどい言葉や考えに耳をふさいでしまう人々なのだ」と教授は言います。「その利権も得られなくなり、暴政の犠牲者になる時はもう後の祭り」と結論してます。つまり暴君や暴政を生み出すのも国民なら、暴君たちの悪行を止めることができるのも国民であるということです。
 しかし、この国の人々は、基本が「世の中の流れに沿って生きるのが生き残れる最善の方法だ」と思っています。
 誰かが「働かないで儲けるためには移民を入れよう」という流れをつくると、それに乗ってしまいます。行きつく先は犯罪社会です。
 これはインターネットも同じで初めは大きな夢が語られ、理想的な未来がくると叫ばれました。ところが、いま、どうでしょう。半分以上が詐欺的な商法や身勝手な意見の公開場所です。それを仕切る暴君も見えてきました。
 シェークスピア作品の中で暴君の暴政や横暴を見過ごさず『人としての品位を守って』立ち上がった民は、「リア王」に出てくる名もない召使いだった!と教授は言うのです。
 そして「秩序、礼儀、品位というような人間にとって大切な価値が崩壊すると、戦争や混乱を生み出す暴君が出る道ができてしまう」と言ってます。たしかに安定した長い政治期間を持っていた江戸時代には、朱子学を使った社会倫理を徹底していました。この庶民まで染み渡ったモラルが、社会的安定をつくり、乱暴な力を持つ馬鹿な人間は世の中で力を持てないようになっていたのです。ところが、現代・・・・ろくに歴史も世の中の仕組みも学ばなかった亡八世代が、勝手気ままを言う暴君やヤンキー政治家を生み出そうとしています。

亡八ばかりの選挙民

 前回、大河「べらぼう」に出て来る言葉・「亡八(仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌を失った人)」の説明をしましたが、いまやこういう倫理感のない人が激増しています。これでは、暴政・暴君の時代になるのは時間の問題。
 七月の選挙は「品位」があったでしょうか。法を無視した演説をした人はいなかったか、エセ宗教に洗脳されたような意見を言う党はなかったでしょうか。嘘を平気で言う候補者はいなかったか、民主主義は人々の品位や第三者への敬意、弱者への思いやりがないと衰えていきます。岩波新書「暴君」は、経済ばかりを考えて品位や敬意、思いやりがなくなったアメリカのことを著者の教授は書いていたのですが、それをもっと読めば「我が国」のことでもあるでしょう。シェークスピアは、そういう悪政と人間性の対立を書きました。さて、これから子どもたちが大人になる時代に、倫理や品位は取りもどせるでしょうか。

発達対応絵本⑤

2歳後半

 2歳でおどろくことは、この時期の子どもの記憶力の増加です。日常、接していると変化に気がつかないこともありますが、とにかく1歳のころに比べてものすごい勢いで日常生活の知識を吸収しています。
 2歳半くらいになると大脳の旧皮質(情緒、自己肯定感、自己同一性=感性、愛されている充実感、自分は何に属しているか)が発達を終えようとしている時期で、ここでは大脳の新皮質(知識や情報の操作、思考の源を作る)が発達を始めますから、記憶力は急速に増します。
 これは、日頃接して見れば急速な変化を親は感じ取ることが出来ます。この様子が見られるのは親にとって、かなりインパクトの大きい体験でしょう。
 数回読み聞かせた本を、ページをめくるごとに一語も間違わずにスラスラしゃべっていく子が出現するのもこの時期ですからね。とにかく、ものすごい記憶です。

図鑑での大量記憶はやめる

 ところが男の子に多いのですが、自動車とか電車などひじょうに偏った分野で記憶力を発揮して、「○○博士」的な片鱗を見せ始めることがあります。車種から記号、車名までどんどん覚えて行く子がいますから、その力に驚いたジジババは、車のモデルから図鑑まで財布に糸目つけずにどんどん与えます。文字通り、拍車がかかって子どもは特定の分野でオタク的知識を持ちます。よく全国の駅の名前とか、電車の名をスラスラ言う3歳児がいるのをテレビなどで見たことがあるでしょう。親やジジババは喜ぶかもしれませんが、あまり意味のない記憶です。
 しかも、この記憶は5歳くらいまでしか持たないことが多いのです。時には自分がその分野に関心があったことさえ、忘れてしまっている子も出ます。パターン認識の技術のように頭に無意味な知識を埋め込むのは避けましょう。シャットアウトする必要もありませんが、過度な図鑑攻めは記憶の仕方の基礎をつくってしまうので、オタク的頭脳になるのを避けるためにも適当に流しておくのが賢明というものです。このことは、この時期の詰め込み教育が成長してからほとんど成果を出さないのを見てもはっきり言えますよね。あまり頭が偏ると物語絵本に入って行かれなくなることも・・・・。

x物語絵本に入る大切な読み聞かせの時期

 人間が成長して形成するあらゆるもののおおもとが2歳という時期にあることを忘れてはいけないと思います。ここでの親との関りはひじょうに面倒な(前回述べたように魔の2歳児なので)ことになりますが、子どもの成長に係わることで、親自身が「親になる過程」として2歳は重要な時期です。係わった分、子どもも安定していきますし、思春期での暴走や過度の反抗も避けられると言われています。それよりなにより2歳児は守ってやりたくなるかわいらしさを発揮します。この時期の配本は、男女それぞれかなりきちんと配置してありますので、段階を追って楽しんでいただけば3歳の物語絵本にスーと入れるはずです。
 配本では単純なストーリーものも入りますが、多くは場面が繰り返すものです。展開の激しいものやオチのあるものはまだ早いです。物語絵本を読むための土台は、繰り返される話を聞きながら最後にたどりつく力です。

性差

 2歳後半は、はっきりと男の子と女の子のちがいも出てきます。配本では、そのへんも充分考慮して月齢別に違いを考慮してあります。最近は「性差」ということを嫌う方もいます。この言葉は「差」という異様な字を使う差別用語で、困ったものですが、男の子と女の子の違いがあるのは自然なことで、これをなんとか同じにしようと言う方がおかしなことです。
 そういうことは、あまり考えずに、まずは配本を順に読んで行ってもらえれば3歳代の物語絵本へ入る力は出てきます。考えるべきことは、読み聞かせが楽しいということをどう伝えるかです。
 後半ではあまりパフォーマンスやインパクトのある読み方をしなくても、じゅうぶん聞く力はついていますから、一日、15分でも30分でもいいので、毎日読んであげてください。繰り返しと継続が力になります。私自身の個人的な体験を言うと、この時期の読み聞かせはほんとうに楽しいのです。よく、他の方の読み聞かせを見ていると記憶力の凄さに驚いて、むやみに教え込む人がいます
 が、これはやめたほうがいいです。前述のように、この時期の記憶は長く残らないのです。そんなことより、子どもの表情や思いもかけぬ動作や反応を見ている幸福のほうがはるかに楽しいことですよ。(ニュース一部閲覧)

夏休みは本が読めましたか?

 信じられないほどの暑い夏になりました。現在進行形です。甲府は毎日、気温でかなり上位に入ってましたが、名古屋も北海道も東北も、異常な暑さです。お子さんの体調は崩れませんでしたか。真夏より、一息ついた二学期の方が心配です。きちんと食べて寝る・・・いろいろ忙しい時代で子どもも息抜きができないでしょうから、よく観察しているのも親の役目かと思います。

夏休みの配本は・・・。

 さて、ほとんどの学年で夏休みには長い本が入ります。まあ、低学年では一人読みが大変な本もありますが、読み聞かせは可能なのでうまく読書力がつくようサポートしてください。
 一年生の「あらしのよるに」Sは子どもにはかなりインパクトがある本なのでシリーズで完結まで読んでほしいです。読み聞かせでいいですよ。
 二年生には古典名作が入ります。大作家アーサーミラーが書いた女の子向けの物語は、なるほど子どもの特徴をうまくとらえた本ですね。くすのきさんの七夕の本もコミカルなもので、両方、ブッククラブでは基本選書です。

中学年は長い本が入る

 三年生には男女とも長い本「ルドルフ」シリーズの最終巻(これで終わらないかも)の「のらねこブッチー」が入ります。なぜ三巻目を選書したかというと、これはゆめやの勝手な選書です(笑)。ブッチーは、東京から電車に乗って甲府にやってくるんです。甲府駅で降りて山梨大学の前を通り、武田神社の前の家まで。ゆめやの近くなのですが、本の中の地図には山梨大学近くの書店が載っています。ゆめやではありません。著者の斉藤洋先生とお会いした時に「先生!この地図にゆめやを載せてくださいよ。先生の本は白狐魔記シリーズまで、この書店よりはるかにたくさん売っているんですから!」と言うと苦笑いしてました。個人的に私は斉藤洋先生の作品のファンです。歴史的な下地があり、それでいて読者を笑わせる力を持っているし、奇想天外な展開もします。
 から利益や採算を考える組織ではうまくいかないのです。これを見抜けなかった国民の頭の悪さも、今の状態をつくった原因のひとつでしょうね。(ニュース一部閲覧)

続けて地元びいきの本も(笑)

 四年生男子にはタンタンシリーズの「黒い島の秘密」が入ります。これもじつは、甲府と関係があります。黒い島に住むおじいさんは、なんと甲州弁を話しているのです。「花子とアン」でひんぱんに使われた言葉なのでわかった方もいるかもですが・・・・。女子には古典的名作「だれも知らない小さい国」です。コロボックルが出てくる話ですが、最近東北地方でも縄文人の遺跡がたくさん発掘されています。「小さい人」はほんとうにいたかもしれませんね。
 五年生には、いまや名作になった「夏の庭・フレンズ」が入りました。老人問題、生と死の問題を含んだ傑作です。こういう本を読んでいれば、親殺し、老人殺しなどの事件は減るでしょうが、残念ながら事件は増え続けるでしょう。映画も老人役を三国連太郎さんが演じて傑作になっています。読んでからぜひ観てください。読む前でもいいですが・・・・。

やっと芥川が入れられた

 六年生には今年初めて芥川龍之介の子ども向き名作3点のうち長編の「杜子春」を入れました。これまで難しい旧字体の文章のものが多く、なかなか現代語的な本が出ませんでしたが、ようやく出ました。これは本来、ゆめやでは中学生の選書ですが、多くの会員が中学に入るとお勉強で追われて中学で本を読む子が少ないので、今年は六年生に下げてみました。読めなかったら、また後で中学で何回か読んでみてください。芥川の三部作のうち、「蜘蛛の糸」は中学年以降の副読本にしていますが、なかなか選ぶ会員がいません。ここで上げられたテーマはひじょうに生きる上で大切なものを表現しているのですが、いつか読んでくださいね。(新聞一部閲覧)

お願い・メール送信の際には

 ●LINEやスマホ電話の慣れから、送信者名が表示されると思われている方もいると思いますが、ゆめやのPCでは前のメールを検索しないとお名前が出てきません。手間がかかります。電話は古い家電ですので、まったく何も表示が出ません。電話ではお所とお名前を先にお願いします。
 ●メールではご面倒でもお名前を(できれば)フルネームで、どこかにお書き添えください。
 旧姓でアドレスネームが来てもわかりませんので、文尾に新姓で書いてくださるとわかります。よろしくお願い申し上げます。新聞・入金確認ハガキなど紙文書は必ず出してお渡ししますので、ご安心を。

発送会員の方へ

 ニュースを2ケ月まとめて送付ということがあります。
 封筒・文書用紙・印刷用紙など通信に必要なものの価格が約1.5倍に。さらにひどいのは郵便代の値上げ。ハガキ、封書を通信に使うゆめやにはたまらないものがありますが会費・通信費などの値上げはよほどの高騰がない限りしないつもりです。開店以来44年間、すべての経費を一度も値上げをしなかったので、かなりキツイのですが、ここはなんとか踏ん張ります。どこまでできるかですが・・・・。
 書籍の利益はひじょうに少ないので大変です。皆様にご迷惑がかからぬように工夫で乗り切るよりありません。このため2ケ月分ニュース・新聞をまとめて送ることや個別通信も同封することにしました。毎月、欲しい方はご連絡をお願いします
 振替・振り込みのお礼をハガキで行ってましたが、そのハガキは翌月のニュース・新聞に同封します。日本郵便が6月からまた何か値上げを考えているようです。
 ●ですから、配本代の振替・振込は、できるかぎりお届け1ケ月以内にお支払いください。そうしないと返信が遅くなります。これまでは請求督促をハガキで出していましたが、お支払いが遅くなった場合は督促代を加算します。ご注意ください。
 ●振り込みの方は、振り込んだことをメールでお知らせくだされば確認は返信で連絡します。
 すべてこれまでの政治の悪影響。国がすべきことをしないようにした郵政改革はしてはならないことでしたね。
 アメリカが郵政民営化をしろと圧力を受けて小泉劇場が民営化を行いました。郵政労組が小泉選挙を応援しなかった私怨のようなものですが、当のアメリカは郵便は国営です。こういう公共事業は採算ではなく国民への福祉ですから利益や採算を考える組織ではうまくいかないのです。これを見抜けなかった国民の頭の悪さも、今の状態をつくった原因のひとつでしょうね。(ニュース一部閲覧)



(2025年9月号ニュース・新聞本文一部閲覧)

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