ブッククラブニュース
令和6年
6月号(発達年齢ブッククラブ)
2024年6,7月の予定
定休日は日曜、月曜です。
8月はお盆休みが11日〜14日まであります。ご注意ください。
休業日・時間外受け取りは事前にお電話ください。
外出していないかぎりOKです。また前日のご連絡なら在店します。
★通常日の営業時間は午前10時30分〜午後6時30分
受け取りの方で午後6時以降に来てしまった方は電話かピンポンで呼び出してください。たいてい在店していますので店を開けます。ご遠慮なく。たまに買いものに出かけているときもありますが・・・。まずは遠慮なく。
なにしろゆめやは企業(会社ではありません)ではなく零細商店ですので「昭和」の感覚でお出かけください。
原因があれば結果も
昨年の6月号夢新聞で書いた予想が、今年は現実になってしまった。もし、持っていたら昨年6月号を読んでみてください。
燃えるゴミに出した方は、ゆめやのHP(絵本専門店ゆめやブッククラブで検索)をクリック。MENUにある「ニュースの一部閲覧」をタップ、2023年の項の令和5年6月号をタップすると、トップにこの画像のある段落・「終わりの始まり?」から「変更の原因」まで読んでみてください。短文です。
そこには、低学年の読書状態について皆さんの感想があります。
「一人読みができない」「字が小さいものは読まない」「厚い本に手が出ない」「好みが偏ってきている」「流行っている漫画ものは読むが配本レベルのものはなかなか」「長文が読めない!」というコメントです。
読書挫折?
で、その状態の結果が悲しいことに今年の春には出てしまいました。けっきょく読めないので配本は打ち切りということ。2年生、3年生で多数出ました。ゆめやは引き留めることはしませんので、終了処理をしましたが、こういうことは、以前はなかったのです。
この原因が何かというと、幼児のころからの生活様式の変化あるようです。
もちろん高学年になるにつけ、学習やスポーツで読めなくなる「自然減」は昔からあります。でも、一人読みの段階で読書挫折が起こることはほとんどなかったのです。昨年は、これを「非読現象」という言葉で表現しましたが、今年は「読書挫折」という言葉に代えました。で、伝えてきた方々に原因を聞くと、「動画をいつまでも見ている」「ゲームをする時間が増えた」という理由でした。
0歳児からの長時間保育で
昨年6月号夢新聞の後半「親が忙しすぎ!」の項で保育園の事務長さんの話として「保育が変わった! 朝7時半に連れて来て夜7時過ぎまで0〜3歳児を預かる例も・・・。家に帰れば入浴・食事・就寝しかない。どういう子になるか!」「卒園した子を夜まで預かる学童もやっている。子どもと親との接点が減ってどうなることか。みんなゲームやスマホで時間を潰してます。」という言葉を引用しましたが、読めないのは、こういう家庭生活の変化が原因でしょうか?
これでは、読み聞かせも充分できないでしょう。だから字を早く覚えさせて一人で読ませれば親は楽。でも子どもが自由に好きなことをする、好きなものを読むという結果になりますね。・・・・この考えの限界がでてきたというわけです。とはいえ、この国全体の問題で、あきらかに親を労働力として欲しいがために子どもと切り離す政策が取られてきたと思うのです。
30年40年前の家庭
以前は、子どもが園に行かない低年齢期間があり、じゅうぶんに親が子に読み聞かせをする時間がありました。
3,40年前はゆめやも近郷近在の配達配本をしていましたので、昼間、お母さん方と会っていろいろな話ができました。そういう関係でゆめやとつながっている方が今でもかなりいるのです。幼少期の読み聞かせへの関心、楽しみとしての義務でない読み聞かせを、いまの30〜35歳くらいの人は受けていたのです。当時は山梨では一家に2台の車が持てない時代・・・つまり、母親が働きに行かないぶん、親と子の共有時間がたくさんあったのです。あまり豊かではない生活でも親と子のつながりは強く、読み聞かせもじゅうぶんにできたのに、現在は子どもと語り合う対話時間さえない。
十年くらい前から、子どもとの接触時間が激減しました。言うまでもなく女性がフルタイムで働き始めるのが常識になったのです。母親も働き、帰宅時間が遅くなり、そのぶん子どもは「こども園」に留め置かれることになったわけです。
準備は30年、40年前から
少子高齢化で労働力が不足してくる・・・・これがわかったとき、国はまず女性の地位向上という名の下の施策を始めたようです。まず教育の世界で女性の意識を高め、自立し、そのためには女性が経済力を確保する必要性を説きました。もちろん、これは下位にいた女性に受け、時流になる。まったく巧妙なものです。もちろん考え方だけではなく、市場経済も動員しました。節約とか買わないという考え方を削って、消費推奨をテレビやネットで煽ります。それはファッションから始まり、車、家、食べ物に至るまで女性の欲望を刺激していくわけです。すると、お金が欲しくなりますから、働きます。企業社会では学歴も必要なので学歴を高めさせる・・・これもお金が必要ですから、親は投資する。‥…こうした結果、核家族化が拡大して子どもができても預けて働いた方が良い生活が遅れるとなると「女性の権利」のもとに女性労働は一般化していくわけです。ところが問題が生じる・・・・労働の時間が増えれば子どもとの接触時間は短くなる・・・核家族だから親に子どもの世話を頼むわけにもいかない、頼めても昔の子育てでは困るということで現代的なこそだてをしたくなる・・・・で、0歳児保育、長時間保育が出てきたということである。
乳幼児期の親子の接点はどちらにも大切
30年、40年前、母親は小さな子どもを預けて働くことに躊躇も感じ、情けなさも口にしていたが、いまや0歳児でも平気で預け、出産直後から働くことを自慢げに吹聴する女性まで出てきている。世の中の流れが後押ししている強みである。当然、幼児期の読み聞かせ活動は衰えていき、やがて子どもは本が読めなくなるが・・・・それはどっちでもいいのだろう。
まあある意味、お国の施策は成功しているといえる。そして、逆に専業主婦は肩身が狭くなっている。日本人は世の中の流れに乗るのが安心で成功につながる秘訣と思っているから、この風潮は当分続く。しかし親から子どもを引き離した社会がどのようなものになるか、考えている学者、公務員、政治家はいるのだろうか。
しかし、読み聞かせもしつけも乳幼児期にしなければ、少年期になって本を読んだり、きちんとした行動ができるかどうか・・・・はなはだむずかしい。すでに起きているこの現象に対する対策は考えているのだろうか。
バカな対策!
そうしたら、少年期の読みに対する対策のひとつが新聞に載っていた。
山梨県の図書館のない町の子どもを対象(山梨市・早川町)にした「電子書籍をタブレットで読め!」というもの(写真)。スゴイことをお役所さまは考えるものだ。労働力が欲しいから、親が読んでやれとは言わない。通販が拡大しているのに「本を買ってやれ!」とは言わない。小学生にタブレットは無償で与えたのだからそれを使え!というわけだ。対策などこんな小手先のものなのだ。
それも、この電子書籍の提供者は粗製乱造の児童書版元(笑)で有名なP社。提供の「Yomokka・よもっか!」という図書群は見たこと読んだこともないが、おそらくは自社の本であろう。著作権があるから他社のものは使えないはずだ。いまは使えるのかな? となれば、これでは高度な本は読めませんよ。
新聞も新聞である。「読み放題」という見出しと「本に親しむ環境整備」という言葉で煽るが、これはろくに実態も調査せず、先行きの予想もなく、ただの行政への「ヨイショ記事」ではないだろうか。
低学年の皆さん! デジタル読書になど傾かず、きちんと本を読んでください。そして中学年で読めなくならないようにぜひがんばってください。長文が読めるということが、いかに自分の生き方に役立つかが10年後にわかると思いますよ。
発達対応絵本
②生後10ケ月から1歳半
1歳児といっても1歳1ケ月と1歳11ケ月ではとんでもなく違います。
育てたことのある人は、この一年間で子どもが赤ちゃんから幼児になる速さをわかっていますが、第一子だと世話に追われて時間が過ぎていくので、この変化がなかなか分からないことも多いのです。この成長速度はおどろきの連続です。言ってみれば人類が直立歩行して言語を獲得するまでの期間を、たった一年間で終えるのですから、ものすごい速さですよね。言葉だけではなく、ほとんどの生活行動の基本をマスターしていくのですから。一歳児の一年の子どもの脳の発達を研究したら、えーっ!と思うことになるでしょうね。
無表情から感情を表す顔へ
0歳児というのは、顔の表情もさほど豊かではありません。笑ったり泣いたりすることで親に要求をしますが、様々なものに関心を示して表情を変え始めるのは10ケ月ごろからです。
直立歩行の時期も本を与える目安(生後10ケ月〜1歳直後)ですが、物をつかんだり、つまんだりすることはそれ以前に始まります。さらに広告や写真を見て、指さしを始めます。個人差もありますが、早くても生後9ケ月。遅ければ1歳半です。配本は、10ケ月から始まりますので、指さしもふくめて、その変化や時間的な差を親がいろいろみることができます。まあ、配本を順に読んであげていってください。ブッククラブ配本は月齢に対応したプログラムでつくられていますから・・・・・。
与える本については、いろいろな考え方がありますが、たしかに子どもは何を見せても何を聞かせても喜びます。それは親が自分の相手をしてくれているという安心感が得られるからです。人によっては、わかってもわからなくても与えればいいという人もいますし、良い本と評価された本なら与えても構わないという人もいます。
親も家庭も変わってきているが
最近はスマホのyoutubeで絵本の読み聞かせ、タブレットで絵本を見せるという親さえ出てきています。でも、知らない声優が語り、子どもにこびた絵や色でひきつけようとするコンテンツを最初から与えたらどうなるんでしょうね。まあ、そういう親はそういう親で、「どうぞご勝手に!」としか言いようがありません。流行に弱い人はいつの時代もいるものです。
親としては「そういうものに幼児のうちから慣れておかないと成長してからついていかれない」と考える人もいるのでしょう。でもね。そんな心配は必要ないのです。そんなものは慣れていなくても使えるようになるし(だいたい親がそうでしょ。小さいときにスマホがありました?)、使えなくても、どうにでもなるんです。それより、もっと重要なものを、この時期に身に着けないと、ね。・・・・この時期、一番大切なことは、親の肉声や接触感、動作を子どもが感じ取ることです。
これは成長した段階(思春期・反抗期あるいは成人した段階で)に人格に大きな影響が出ます。絵本はやがて好きになるもので、1歳前後の、この時期は親にダッコされる感覚や親の声に快さから幸福感を感じるときです。「忙しくて、そんなことをする暇もない!」でしょうか。 この成長の変化を見られない親はかわいそうだなぁと思うばかりです。
教え込みではなく、絵本で子どもと遊ぶ
この時期は「読み聞かせ」ではなく、絵を見せてゆっくり話しかけるだけで十分なんです。
図書館から本をたくさん借りてきて、次から次へと読んでいる親もいます。「たくさん読み聞かせれば言葉を早く覚える」というどこかの教育メソッドに影響されたものですが、まったく意味がないと思われます。返却したら子どもにとって目の前から本がなくなる。中身も本もまったく頭の中で所有できないのです。通り過ぎていくだけのものになります。
「覚えさせる」という考えを持つのはやめましょう。そんなことをしなくても子どもは、語り掛けるだけでどんどん必要な言葉は覚えていきます。やがて困るほどにね。
話しかけるとき、いろいろな感覚的な言葉、「おいしいね。パクリ!」とか「お星さまキラキラ」という擬態語を混ぜると子どもは大きく反応します。1歳の絵本の読み聞かせは楽しい感覚がなにより一番、ごっこ遊びも含めて、やってみましょう。たとえば、「もこもこもこ」を読んだら、親がシーツをかぶって、もこもこもこ。そうするとすぐ子どもも真似ます。こぐまちゃん、イタイイタイ・・・痛かったね・・・。と、足や手をなでてあげる・・・すべて実体験をともなう真似から始まるのが、この時期の読み聞かせです。最初の一歩、がんばってください。親が楽しくなければ、子どもも楽しくないでしょう。義務で読み聞かせるのでははなく、読み聞かせるのが楽しいという感覚を持ちたいものです。(ニュース一部閲覧)
追悼・ばばばあちゃん
今年の3月、ばばばあちゃんシリーズで有名なさとうわきこさんが逝去された。ゆめやの配本では定番の絵本の有名作家が、最近次々にお亡くなりになっているが、これもまた「一時代の終わり」を示す流れだと思うと哀しくなる。
さとうわきこさんは、1990年、岡谷市に「小さな絵本美術館」をつくり、ゆめやは近いということもあって家族で出かけたのが最初(写真)。まだウチの年子の娘が10歳と9歳のころだ。それから30年経って、その娘たちも10歳以上の子を持つ親である。
その後、さとうわきこさんには、多くの絵本作家の方を紹介してもらったり、講演を引き受けてもらったり、長いおつきあいになった。年齢をおっしゃらなかったので、お歳がわからないままで来たが、御歳・89歳! とてもその年齢に見えない方である。この写真のときが還暦ですからね。
つながる人の輪
最初にお会いしたとき、ベッティーナ・ヒューリマンの言葉「おとなのくせに本気で、あるいは楽しみに子どもの本とつきあっている人々は、いつかどこかで知りあうものだ・・・」を印刷した美術館のパンフを見せてくれて、「以後、よろしく」となった。ヒューリマンは戦後、西欧の児童書を日本に紹介したドイツの絵本作家である。写真はベッティーナ・ヒューリマン作・「子どもの本の世界」。
それから30年、なるほど、ゆめやも「子どもの本の関係で知り合った方との付き合いは長くなるなあ!」と体験的に思っている。子どもの本が好きで、それを間に話をした人々・・・あるいは手紙や電話・メールで話した遠くの方々もいまだにつきあいが続いている。これから考えても、ヒューリマンの言葉は的を射ている。
さとうわきこさんの「小さな絵本美術館」を通じて知り合った方々は多いが、なかでも故・長谷川摂子さん(「めっきらもっきらどおんどん」や「おっきょちゃんとかっぱ」の作者)も、その一人だ。
長谷川さんの著作「子どもたちと絵本」はブッククラブ配本のバイブルのようなもので、何度かお話しして細かい部分を教えていただいた。もちろん、講演を2度もお願いした。そのときの雑談で聞いた「最近のお母さん方が、子どもの本を好きになる人が少ないのが心配」という言葉がいまだに耳に残っている。十数年前のことだ。それは人間関係のつきあいも利害関係だけでつながり、その場限りで終わっていく時代になったということなのだろうか・・・。短い人生、生きていくうえでは、なるべく心や考え方でつながる人の輪にしたいものだ。(ニュース一部閲覧)
きちんとつきあう
ふつう、人は一定の礼儀を持ちながら人と接する。借りたお金は返すとか、相手が嫌がることはしないとか、事実を確かめもせず相手を口撃しないとか、間違ったことをしても謝らないとか・・・・そういうことはしない。
なぜなら、子どもの本は、人が世界とどのようにつきあうかという原理みたいなもので書かれていて、損得勘定とか、どうすれば相手をだませるかなどということは書いてないからである。大変な困難も仲間と、あるいは自分一人でどう乗り越えるかというテーマで書かれる。
国語教科書の文章は忘れてしまっても、子どものころ読んだ物語の本質は大人になっても、老人になっても覚えている。それは、おそらくテーマが私たちの考え方の中にしっかりと沁み込んでいるからだろう。 それは生きる上での哲学ともなる。
その最大の効果は良い人と出会い、長く付き合えるということだ。良い物語のエッセンスは、悪辣な人間やズルい仲間をすぐに見抜き、その人とかかわりを持たないように読者の頭に作用するのだろう。
一度かぎりの人生・・・なるべく、良くない人を避け、良い人とつながる・・・そういう人脈で生きたいものだ。
追悼 R・S・ガネットさん
ブッククラブ始まって以来今年まで入れている配本「エルマーのぼうけん」・・・多くの子が続編まで読んでくれているロングセラーである。この作者ガネット女史が6月11日にお亡くなりになった、100歳。謹んでご冥福をお祈りいたします。
2018年に来日したときの言葉がすばらしかった。「周りに困っている人がいたら助けてあげてほしい」と語り、「エルマーのように自分で一生懸命考えて、勇気を持って生きてほしい」と、子どもたちに伝えた。
これは、何でもありの現代では大切な生き方の指針だと思う。
困っている人を助ける・・・何にも頼らず自分で考える・・・・困難な時代でも勇気をもって生きる・・・・大恐慌の時代にNYで生まれた作家の強い思いなのだろう。われわれの子どももわれわれもだが、この考えをアメリカ大統領や日本の首相にも持ってもらいたいと痛切に思う。
これから家庭はなにをするべきか
①自由や個性の主張の結果
これからは「個人的な意見」として、少し世間の価値観から外れた意見を書いていこうと思う。そんな意見はおかしい!世間一般の考えから外れていると思う方は読まずに飛ばしてください。
* * * *
最近モラルが感じられない事件・事故の犯人がとんでもなく多いと思う。
新聞・テレビ・ネットのニュースでおわかりと思うが、ここ数年、事件・事故が急拡大したように思える背後にこういうアンモラルな加害者の増加がある。ただの事件事故ではない。毎日、首をかしげるようなことばかりが起こっている。
いうなれば、狂気の結果とか限度を越えた不注意とか倫理や知性の崩壊の結果とか・・・いわば、人間性を外れたところで起こる事件事故と言っていいだろう。こういう風潮が強くなっていくのは世の中がひじょうに生きにくくなる傾向でもある。
人を刺して「誰でもよかった」とか、邪魔だから子どもを殺したとか、悪いことをしても責任を取らないとか・・・世の中最近ちょっと変すぎる。なにか大切なものが消えている。当然、消えたのはモラルだ。
まず、けっこうの年齢の人が、やらかしたことに責任も取らなければ、謝罪もしない。為政者の犯罪など、150年前なら切腹か打ち首なのだが、150年後の今は言い逃れと退場だけですむようだ。かなりの罪を犯しても退場どころか時間が経つとまた出てくる者もけっこういる。有名であるとか地位が高ければ事件・事故を起こしても見逃されたり、償いも謝罪もないことが多い。イジメ殺人など理性も罪悪感もないのがわかる。なぜ、こういうことになるのか。
自由とか個性とか・・・
「自由が大切」「個性は尊重」という世の中の流れがあって、これに何か言うと猛攻撃を食うことがある。だが、なんでもしていい自由などあるわけがない。自由と叫びながら言う人の多くは自由という名の勝手気ままをやりたいだけだ。しかし、やってはいけないことをする自由などはないのである。
個性と言っても、ひたすら目立ちたいがために人の目や気を引くことが個性的ということはないだろう。
選挙活動の大音響で妨害をしている奴らが「これは表現の自由だ!」と言い、選挙掲示板にヌード状態のポスターを貼るなど表現の自由でもなんでもない。「個性的なファッションで目立ちたいから・・・」と若者から老人までアニメファッションで歩く。こんなものは個性ではない。目立ちたいだけの話だ。
なぜ、こういうふうな人間が多くなったか? それは幼いころからダメなものはダメ、してはいけないことはいけないと躾(しつ)けられなかったからだ。あるいは、きちんと叱(しか)られるということなしに育ったからだろう。
昔は、コップの水をこぼしたり、小さい子を邪魔にしたり、いじめたりすると叱られたものだ。それで、人はやっていいことと悪いことの限度がわかっていく動物なのである。
ところが・・・・
近年は、「叱ってはいけない」という風潮が巻き起こった。子どもが委縮する、可能性がつぶれる、のびのびと育たない、というような理由で・・・。
だが、これでは、やっていいことと悪いことの区別もつかなくなるのではないか!?
こういうことが世の中の流れが主流になってきたため、学校の先生や保育士が子どもを叱れなくなった。頭でも叩いたら、大変なことで警察問題にもなりかねない。強くお説教しても「虐待」にとられることもある。
当然、こういう状態になると増長する子どもが出てくる。何をしても叱られないのだから当然だろう。そうなれば、やってはいけないこともやるだろうし、これをすればこうなってしまうということも考えられなくなるだろう。
これは世の中的には倫理感がなくなるということである。そうなったら生きづらい社会になる。さて、どうするか・・・・(つづく 新聞・一部閲覧)
(2024年6月号ニュース・新聞本文一部閲覧)

