ブッククラブニュース
令和6年
1月号新聞一部閲覧 追加分

あけましておめでとうと言いにくいお正月

 いつも年の初めの新聞は干支占いから始める。たいていは災害があるかどうか。で、地震は主な対象でもある。ゆめやはあの3・11もおおまかには当てたし(笑)・・・ブッククラブニュース 平成23年1月号(発達年齢ブッククラブ)。で、今年は「甲辰」、やはり資料を年末から調べていた。ところが予測どころではなく午後4時10分、緊急地震速報が鳴り、大きな横揺れ。甲府は震度3だったが、能登半島は何と震度7という速報。・・・活断層が150kmの長さでズレた。大津波警報まで出た。驚きの連続である。もはや今年を占うどころではない。
 速報画面に出る石川県が珠洲を頭にした怒れる龍にさえ見えてきた。まさに怒れる龍だ。
 ブッククラブには、穴水町というところに会員がいる。「これは危ない!」と思って、その方にまず第一番にメールを打った。もちろん、停電、電波状況が悪く、すぐには返事が来るわけがない。その作業の合間に、その会員の送信履歴を調べると場所が場所だけに何度か地震の安否確認を送っていて、直近の大きな地震では震度5(2020年9月)があるから、能登はずっと揺れていたのだろう。
 しかし、3・11のときと同じで、人は先行きの災害にはあまり関心を払わない。いずれのときも能登での大地震を警戒する論説は、どこからもまったく出ていなかった。起きてからいろいろ言うのはたやすいが・・・・。

アメリカひじき

 それにしても、救援活動がものすごく遅い! 7日経っても食料がほとんど届かない地区さえある。道路が寸断されていて食料が運べないというが、方法はいくらでもあるだろう。
 昔、終戦直後、飢えていた日本人にアメリカが食糧などの物資を詰めた箱やドラム缶をパラシュートで各地に投下した例がある。
 野坂昭如の「アメリカヒジキ」という小説には、ドラム缶を開けた日本人が「アメリカがヒジキを送ってくれた!」と喜んで、中のものを煮て食べる話がある。じつは、これはヒジキではなく紅茶だった(笑)が・・。異種食物の勘違いはともかく、パラシュートで投下すれば、ヘリポートも滑走路も要らないではないか。日本の食料を日本人が受け取るのだ。説明もいらない。紅茶をヒジキと間違えないようにするには説明書をつければすむだけの話だが・・・この国の為政者は、落下傘で投下する発想も浮かばないのだろう。食糧ばかりでなく救急用薬品もすぐ送れるはずなのに、やっていない。
 野坂昭如・著「アメリカひじき」くらい読んでおけよ!「火垂れの墓」といっしょの文庫本だよ。
 家の移動で使う重機も船で運べばいいではないか。救援が遅いのは、政府が腐っているとしか思えない。
 これは、上の指示と命令がないと何もできない公務員意識と行政の問題なのではないか。

揺れが見せてくれたもの

 たくさんの被害のニュースの中で、隠そうとしたが出てきてしまったものがある。志賀原発、刈羽原発では「モニタリングポストは異常がない」とすぐ報道したが、じつは十数か所測定できなかったことがまったく報道されなかった。
 さらに油漏れや使用済み燃料の入った燃料プールから溢水(あふれる)事故が起き、刈羽でも揺れが引き起こした溢水があったが、一般に報道されるレベルではなかった。原子炉関係の情報はどういうわけかマスコミも積極的な報道をしない。
 かなり前のことだが、震源の珠洲市に50年前あたりから原発をつくる計画を3つの電力会社が試みたが、反対運動が盛り上がり、市議会も20年前に建設計画を放棄したという話があったが、全く知らなかった。活断層の真上に原発をつくろうという発想が恐ろしいが、作って儲かればとりあえずは何でもいいのだろう。他の原発も、不都合なことは情報公開しないで、どんどん進めているのかもしれない。条件が悪すぎるところに利益最優先で原子炉やリニアを建設をする国の仕組みを、いま初めて、この地震の揺れは見せてくれたともいえる。

「震」は辰に雨 龍は知性を引き出す想像力

 さて、辰は十二支の中で唯一想像上の動物だ。龍は古代の恐竜が記憶として人類の頭に残ったものであるという説もある。このように目に見えないものを見て取るために必要な記憶はいくつもあるが、そのシンボルが龍なのかもしれない。
 龍は自然界では光とか風、空気や雲、水などが引き起こす威力の象徴でもあるし、立ち向かう強さや勇気、悪を退治する力でもある。震度7なのに悲劇的な大災害にはならない、二日の航空機事故も奇跡的な乗客全員生還・・・三日の火事も死者が出ない。不幸中の幸い?
 もしかすると今年は良いことがさらに良くなる昇り龍の年、つまり世間を見据えて行けば悪さえ退治できる昇り龍の年になる。これを降り龍(悪いことはさらに悪くなる)にするのは、われわれの無関心だと思う。今までは悪が暴れて来た。だが、龍が震えた後は雨が降って地が固まる(震)はず。そういう時代を、次世代に残す転換点が「甲辰」だと感じた新年だった。

あけまして・・・・

 とはいえ、まずはなにはともあれ新年あけましておめでとうございます。この一年が会員の皆様にとって何事もない平和な日々になることを心からお祈り申し上げます。これは災害列島に住む私どもとしては切実な年の初めの思いです。
 竜といえば、昨年、東京の立川でエルマーのぼうけん展というのがあり、子どもたちが大勢見に行きました。この話は就学前の読み聞かせで入れていますが、いつまでたっても色あせない物語展開にみんな惹きつけられるようです。
 物語の内容は、父母と暮らす家を出て、冒険の旅に出る少年エルマーの話です。 怖い動物、不思議な病気、そして、ヤバい大人の人たちに立ち向かうエルマーですが、なんと彼は対立することなく受け止めて、自分の手元の道具や知恵を使い、機転をきかせて乗り越えていくのです。地図がたくさん出てくる本ですが、ナビなどは使わず(笑)、自分の頭と体で冒険をつくっていく話です。この配本は40年続けてきました。長女が好きな本で、いま家に残る本は色鉛筆で彩色されたカラー版でもあります。
 もちろん、ここでは竜が出てきます。エルマーは主人公でもありますが、作者ガネット女史の父という立場でもあります。私は「彼女は40年前にお亡くなりになった」と思ってましたが、なんと1923年生まれで存命。今年100歳なんです。竜と同じくらい長生きです。
 事件、対立する人間、自然界の困難・・・これを男性のように戦って勝つというやり方ではなく、対立を避けて、うまく事を運んでいく知恵で行きますから女性ならではの物語でしょう。長く人気があるのがよくわかります。

今年考えたこと・・・・竜を友だちにする

 で、今年、元日から大変なことが起きていて、世の中もどんどん悪くなっているのも感じます。なにしろ無関係な人を刺すとか、儲かればなんでもやるとか・・・これがここ数十年の流行や社会の流れが生み出したものだと思うのです。
 ただ、これまでの私は男性冒険家の立場(エルマーのようにではなく)で、嫌な人間、突然の病気や事件、モラルのない人間と「戦う立場」を取ってきました。でも、ほとんどその戦いに勝てなかったのを実感しています。いくら言っても、そういう人たちにはわからないのですから・・・・。
 世の中の多くの人々は良い・悪いでは動かず、周囲の動き、流行に乗ることで生きています。だから、流れがどうにもならないものをつくり、最悪の状態になるまで気が付かないでしょう。最悪まで行っても気が付かないかもしれません。
 ということは、これまで「これはやめた方がいい!」「しないほうがいい!」と言ってきたことは効果がないので、言わない方がいいと考えました。ゲームをはじめとして、どんどん盛んになる流行・・・生活に入り込むデジタル化、情報としての芸能もスポーツの大騒ぎもね。まあ、流行するにまかせましょう!ということです。だって、多くの人は、そういうことが好きで、ダメだと言っても乗っかるわけで、もちろん世の中はそれで悪くなっていきます。テレビで宣伝するようなことは全部悪い状態のおおもとなんですけど、みんな気が付かない。

我が道を行く

 で、「時代遅れ」とは言われても「これがいい!」というものだけを主張して行こうと思いました。くだらないものと戦っても消耗するだけですから。
 だから、今後はyoutubeの見すぎがどうの、ゲームのやりすぎはいかん、テレビの見すぎは・・・などとは言わないで、見たい・やりたい人が巻き込まれるならしかたがない・・・その結果は、個人個人が受け入れなくてはいけないのだから・・・ということでお茶を濁すことにします。
 そういう話を、今年のお正月は、かつて知り合った16ぴきの竜を仲間にして、コタツでみかんをほうばりながら話し合いました。竜たちは、きっとモラルや正義を守ってくれるはずですから・・・。(新聞一部閲覧)

竜の目の涙

 竜という動物は怖くて悪いものではなく、人間とは「好ましい交流」をする存在のようだ。浜田広介の名作「りゅうのめのなみだ」はそんな竜が登場する。たしかに目がらんらんと光っていて、口は耳まで裂けている竜らしい威容を持つ動物だ。口からは炎のような息を吐き、うなり声はまるでかみなりのようである。うっかり人が近づこうものなら見つけしだいに呑んでしまう。 ところが、誰もが恐れ震え上がるこの竜をちっとも怖がらない子どもがいた。「かわいそうだよ、どうして誰もあのりゅうをかわいがってやらないの」とその子は涙を流す。ある日子どもは自分の誕生日にぜひ竜を招待したいと言いだし、ついには探しに出かるののだ。「ぼくは、ね、おまえさんをいじめはしない。まただれか、いじめようとしたってかばってあげる」。男の子はやさしい。山の奥深く、洞窟に住んでいた竜は、思いがけないこの子のことばに涙をながす。日頃、恐れられているからなおさらだ。竜は、子どものやさしい考えに打たれて、涙を流し始める。 やがて涙は川になり、竜は子どもを背に乗せ、その川の流れに船のように浮かぶ。そして、波をけたてて子どもの住む町へと向かう。それを見た・・・人々は・・・・・。
 という話だが、人の気持がわかる動物として描かれる貴重な存在でもある。
 一見見て恐ろしいものも扱い次第で、もともとのやさしさや大切さを引き出せるのではないか・・・というものである。
 地震を引き起こす竜、異常気象をもたらす竜・・・こういうものとうまく付き合うには、人が自然や歴史とうまく接すればいいということかもしれない。科学で何とかしようとすれば、さらに大きな厄災をもたらすのが竜なのかもしれない。原発が怒れる竜にならぬよう、温暖化によって農地が怒れる竜にならぬよう、人間が欲を抑えてやさしくならないと逆に人間の脅威になるのが竜なのだ。(新聞一部閲)



(2024年1月号ニュース・新聞本文一部閲覧) 追加分



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