ブッククラブニュース
令和5年
12月号(発達年齢ブッククラブ)

2023年12月と24年1月の予定

定休日は日曜、月曜、祝祭日です。
 12月、1月の定休・臨時休業のスケジュール
12/29〜1/5まで年末年始休業させていただきます。
24日は日曜ですが、営業します。
 時間外受け取りは事前にお電話ください。
 外出していないかぎりOKです。また前日のご連絡なら在店します。
通常日の営業時間は午前10時30分〜午後6時
 受け取りの方で午後6時以降に来てしまった方は電話かピンポンで呼び出してください。たいてい在店していますので店を開けます。ご遠慮なく。たまに買い物に出かけているときもありますが・・・。

今年もありがとうございました

 また今年も一年が暮れていきます。今年も、ブッククラブをご利用くださいまして、まことにありがとうございました。心よりお礼申し上げます。
 この時代、この国は見かけは平和で、TVやネットでは毎日、毎日、お笑い芸人のしようもないアホ・トークや、名前も記憶できないようなタレントが踊りながら歌を歌うコンサートが流れています。あとは食い物の映像・・・そういうものに狂う若者や大人もテレビは映し、さらには何もかも忘れようとするかのような騒ぎまくりのスポーツ観戦の様子も・・・。これも大入り満員でいかにも楽しい感じで映っています。ネットとテレビ画像の世界も見かけだけは楽しく平和です。テレビ、ネットを見ていると日本中が豊かに浮かれているかのような錯覚に陥りますね。
 子どもたちが、そういう熱狂青年、バカギャルにならないように祈るばかりですが、ま、読み聞かせをして安定した幼少期を過ごすことのできた子どもが「おかしな人間」になることはあんまりないと信じたいです。
 世の中の見かけの安定は閉塞を意味しますから破壊的になる人も出てきます。こういう状態では、サブカルチャーに汚染された少年少女が、発作的な事件をよく起こしたり、巻き込まれたりします。とにかく、子どもが(もちろん私たち親も)被害者にならないことを願うよりありません。年の瀬であわただしくなりますが、まずはみなさまのご家庭が良いクリスマス、そして佳い新年をお迎えくださることをお祈り申し上げます。

サンタクロースのお祭り

 どこのお宅もそうでしょうが、クリスマスは、我が家ではサンタクロースの日でした。敬虔なキリスト教信者ではないのでイエス・キリストの誕生日として祝ったことがありません。日本では、多くの方々がそうでしょうね。この日をサンタクロースの日として定着させた人はとてもすごいと思ってます。サンタクロースは子どもが好きな存在ですし、われわれ親を良い意味でのプレゼンターにしてくれますからね。
 当然、日本では、この日はたいていどこの家庭も信仰の話など出しません。お正月、ひな祭り、お盆・・・と同じように年中行事としてのサンタクロースの日となります。
 個人的な考えですが、宗教は、ときに「この神を信じるか! 信じないか?」になりますので、戦争まで引き起こすことが多いです。宗教戦争はかなり多く、十字軍の話もありましたし、太平洋戦争の日本も国家神道を広げて行きました。いまのパレスチナ戦争も背後には宗教の違いがありますよね。宗教は口では愛とか平和を唱えますが、とかく争いを引き起こすことのほうが多いと思っています。

ありがたい教えか? プレゼントか?

 こんなことを言うと、キリスト教や神道に熱心な信者の方は怒るかもしれません。でも、私は、子どものころから宗教に関してはいい加減で、何でも手を合わせてしまうのです。日本人の多くはそういう人が多いでしょう。生まれたらお宮参りをして、チャペルで結婚式、お葬式はお寺・・・どこかの国で、そんなことをしたら宗教裁判にかけられますよね。
 でも、ありがたい教義より、私は小5のときのクリスマスのプレゼントだったプラチナの万年筆が大人になっても忘れない贈り物でした。親がそうなら子どもも同じで、娘たちはクリスチャンの大学に行って、神道の古事記を勉強し、ミッション系大学でアイルランド紛争の勉強をしたようで、まったく一貫性がない。結婚式も神社で挙げたり、重要文化財の施設で行ったりしたようで、節操のなさは親譲り(笑)です。(ニュース一部閲覧)

サンタクロースは来そうもない?

 福祉事業を長年やってきた友人が、やってきて「こういう仕事はうらやましい!」と言います。この友人のやってきた仕事は、いわゆる社会の底辺にいる悲惨な境遇の親子のサポートで、気が滅入ることも多いのです。
 「こんなに豊かで便利な世の中になったというのに、子どもの生活が守られないというのは何だか社会が後退しはじめたようだよねぇ。」と私。
 「政治家も競争だとか成長だとか、お金のことばっかりで、一部の人は儲かっていいのだろうけれど・・・なんだか、この国には人情とか思いやりがなくなって人の気持ちは冷たくなってきているような気がするよね。」と友人は言う。『幸せな人たちだけを相手にしている』私には皮肉に聞こえる言葉だが、たしかに「この国はおかしくなった。それもこの十数年で急に・・・!」と思わざるを得ない。格差は、たしかに実感しますし、以前のようにそのことを考える人たちが少なくなったようにも思うのです。景気さえよければ危ない法律が通ろうと通るまいと関係ない状態にもなってしまっているようですし、上の人たちも「お金」と「便利」だけ求めているのかもしれません。友人はいいます。「同情も手助けも不要な世の中だからな。」

「絵のない絵本」を読んだころ

 アンデルセンの「絵のない絵本」は少年時代に読んだ印象的な作品だったのですが、最近、新聞に載る少年少女の事件を読むにつけ思います。「マッチ売りの少女」もそうですが、二百年前のデンマークは貧しく、パンにバターも十分につけられない生活でした。
 こういう時代の方が、人が人に思いをかけていたように思いますが、それから100年経つて豊かな酪農王国になると、個人主義の時代になってモラルも低くなったように思うのです。
 飽食の時代に育って、クリスマスの食卓は豪華なものと疑わない私たちが、いくら『絵のない絵本』や『マッチ売りの少女』を読んでも、きっと、その印象や感想は薄いものになっているちがいありません。この意味では、現代では絵本や童話の効力は弱いものです。とくにZ世代の多くは生まれたときから飽食の時代・・・楽で便利があたりまえの生活で育ってきました。楽で便利があたえられないと、それを得るために何でもするようになるのかもしれません。

同情できない人たち

 貧しい時代の方が思いやる心が育ち、豊かな時代は逆に心が冷たくなるというのも悲しいことですが、これが人間というものだとしたら、人間などすぐに見かけにダマくらかされて生きる動物としかいいようがありませんね。
 アンデルセンが、マッチ売りの少女を死なせたのは、死なせることによって読者の思いを引き寄せ、豊かさにしか目が行かない人の心から『同情』という気持ちを引き出そうとしたのでしょう。でも、日本の現代では、それさえできないのかもしれません。
 たとえば、家庭の破綻があり、同情に値する子どもがいたとします。ところが,その子が高級ブランドの服を着て、高価な自転車に乗り、レストランの食事を食べていたら、なかなか同情する気にはならないでしょう。
 「不幸が続いてかわいそうだな」と思える家庭があったとしても、同情する側よりいい生活をしていたら、同情は薄らいでいきますよね。これも豊かな時代の悲劇です。
 人間には「同情したい」という気持ちがあります。自分より低い者がいることで安心する「他人の不幸は蜜の味」と裏腹なので、あまり良い思いではないのですが、世の中のバランスを保つうえでは、けっこう役に立つ気持ちであることはまちがいないのです。
 しかし、それさえ、この時代では希薄になっているように思います。したいことをしている人たちの自由を見ると、勝手にしやがれ!で同情も援助もしたくなくなります。なんとかしたいものです。(新聞一部閲覧)



(2023年12月号ニュース・新聞本文一部閲覧)

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