ブッククラブニュース
令和5年
11月号新聞一部閲覧 追加分

読み聞かせについて⑥ 2歳後半

 2歳後半になれば、かなり多様な本が入りますが、もう、じゅうぶんどれにも対応していけると思います。この時期では、これまでとは違い、ナンセンス絵本や字がない本も入ります。
 おはなしの絵本も入りますが、前半の「おおきなかぶ」のように基本は同じことが繰り返される本なので、楽しめると思いますよ。たとえば、「もりのなか」は散歩に行った子がいろんな動物と出会うストーリーです。転回があるようですが、「おでかけのまえに」は女の子」イタズラを繰り返す話です。いずれも最後は「よかったね」の結末。気持ちよく眠りに入れます。
 字のない本(かさ、木のうた、など)読み聞かせる親の力量が必要です。だまったまま、ページを進める人はいないでしょうが、ある意味、対話が引き出せる本でもあります。3歳になれば、いろんなお話、絵本ばかりになります。その準備として、ナンセンス絵本から初期の物語絵本(くり返し物)まで言葉をたくさん投げかけておきましょう。

Dr.Sawadaの🍓通信

新生児が身につけてゆくこと(1)前書き

 新生児は胎外で生きてゆくために、さまざまの体験をし、自力で胎内と全く違う環境に適応しなければなりません。その多くは、今後の人生を通じて必要な能力の種を蒔くことですから、いい加減では済まされません。食物を消化吸収する能力、胎外で待ち受けている危険な細菌に打ち勝つ能力、体温を調節する能力、こうやって挙げてゆくと、自然に育ってゆくように見える新生児の成長に伴う変化と進歩は驚異的です。
 例えば栄養摂取に関する新生児の成長を考えてみましょう。出生後最初に口にする栄養は母乳でしょう。胎児期末期から、腸内にラクターゼ(乳糖分解酵素)が準備され始めます。新生児に用意される最良の栄養は母乳です。最近では人工乳が与えられることも多いのですが、基本的には母乳が最適であることは言うまでもありません。
 6ヵ月くらいになると、離乳が始まりますから、アミラーゼ(澱粉分解酵素)が乳児の腸内に増えてきます。タンパク質を分解する酵素も分泌されます。このようなリレーがスムーズに進まないと、アレルギーの原因になる可能性も出てきます。小児期にとどまらず生涯に影響が及ぶことになります。今回から始まるシリーズでは、新生児から、一生モノの様々な問題を考えてゆきましょう。

学習論③

「成績」という「威力」のある言葉

 私が子どものころ「成績」というものはあまり重要視されていなかったので、けっこう学校は気楽に過ごせるところでした。ところがいつごろだったか「偏差値」という言葉が出はじめたころ、急に親たちが成績をあげさせるために気を入れるようになったのです。「偏差値」という用語はもともとは経済学で使われた統計上の用語らしいです。
 この結果、成績主義が出はじめ、かつては、できる子とできない子が自然の序列で並んだので、よりたやすく勉強ができるような(成績があげられるような)学習法が流行りはじめました。今は、まさにそれによって、上の学校へ進む時代になり、少数の子ども人口なのに、ひじょうに大変です。
 百年ちょっと前も「立身出世」という言葉で一部の人たちが社会の上層部に出ようとしたことがありましたが、でも、50年後には、あまり良い結果を産みませんでした。あまりどころか戦争というガチガチの思い込みの泥沼に落ちていったのです。つまり学歴が高くなると現場体験が抜けるので、頭の中で思いついたことしかやらないのです。究極は軍隊(陸軍大学・海軍大学卒が上層部になる)のようなファナティックな組織に何もかもがなっていくというということです。上の言うことをそのまま実行する体制ですね。
 こういうものの結果がどうなるかはわかるでしょう。現代・・・利益を追求するために企業も商業組織もシステムの効率化、合理化のために上からの命令を聞いて行動できるマニュアルが横行し始めました。これは、働く人間から柔軟性を失わせます。いまや中小企業もそういう感じになっていますね。いずれ全体として活力がなくなっていくことでしょう。  マニュアル化された労働システムでの1対1の対応は、柔軟性を認めないのです。ここはゆるやかにしていかないと人はストレスを起して動けなくなります。効率を求めた結果が逆に効率的でなくなるというわけです。(新聞一部閲覧)

問いと答えが1対1で生み出すもの

 「1対1対応」というのは、「この答えはこれ!」というもので、早い話、クイズとクイズの答えのようなものです。問題に対して、その答えを暗記して答えればいいわけですから、答の量を頭の中で増やしていけば成績は、上がるというわけです。
 では、この結果はどうなるのでしょう。最初、若い人と話すことができる機会がありましたが、仕事に対してもマニュアル通りにやってマニュアルのどこがおかしいかは、考えないで、それが絶対のように思っている感じを受けました。疑問も分析もまして批判もなくです。
 「こうした方がいいかも?」「人によって、場合によって、工夫したほうがいいかも?」という発想が見られません。マニュアルを守っていないとクビになるかも?という意識が強いのでしょう。「適切さ」は人によって違いますから回答の範囲も広がります。しかし、1回答以外は誤りと思い込み、突き詰めて無駄なことは考えたくないかのようで、分からない話は聞かない。最近の日本人の思考方法は、自分の頭の中のものと、流行の話題くらいしか考えが回っていない感じがします。
 答えとは、幅広い多様なものがあるのがふつう。辞書を開くと分かるように、その意味は一つだけという言葉、事柄は、ほとんどなく、①、②、③...というようにいくつも書いてあります。なかには、①の意味と④、⑤の意味がまったくちがうものさえあります。ここで人と話したり、本を読んで考える力がないと@の答=正解と思い込んでしまう悲しさが残りますね。
 これはテストやテレビがあるひとつのことを出して、それがひとつの正解だと思ってしまう影響は大きいと思います。いずれ、この「一つの答」だけで進んできた時代は、終わるでしょう。そんなキチキチとしたことの中にずっといられるほどヒトというのは、飼い慣らされた動物ではないからです。(新聞一部閲覧)



(2023年11月号ニュース・新聞本文一部閲覧) 追加分



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