ブッククラブニュース
令和5年
6月号新聞一部閲覧 追加分

読み聞かせについて ②
1歳前半

 ●すぐに聞ける子、なかなか読み聞かせにならない子など個人差が大きく出る時期ですが、「遅れているのではないか」「落ち着かないのは性格なのか」などと思わず、ひたすら何回も読んであげることがこの時期の必要なことです。
 ●生後8ケ月ごろまでにあまり物に触らなかった子は、本をまだ物として扱うこともあり、積み重ねたり、パラパラめくるのが楽しかったりします。多くは、ページを開いて読んでもらって次へ進む。どんなに注意力散漫な子でも落ち着かない子でも1歳半になれば、ほとんどの子が静かに聞けるようになります。
 ●とかく「読み聞かせは言葉を教え込むもの」と思っている親も多いのですが、そうではなく、人と人のつながりには言葉が必要であることを知らせることなのです。この時期は、アドリブを入れても、身振り手振りのパフォーマンスをしてもかまいません。ただ、本の中身は正確に伝えておくことを意識して読み聞かせをお願いします。
 ●読んでやると言っても1歳前半の本は、たいして言葉はありません。読み聞かせとはいえ、本を間にして、いろいろ語ってやることで「わかる言葉」の量が増えていくものです。この言葉の吸収はおどろくほど速いことが1歳後半になるとわかると思います。ですから、早い話、母(父でもよいができれば母)と子の安定したかかわりと時間をつくることが、この時期の読み聞かせだと思ってください。読み聞かせの時間は朝でも昼でも夜でもいつでもOKです。いずれ夜の就寝前にシフトしていくでしょう。

あせらずゆっくり楽しむこと

 ●中には、「もっと言葉がわかる!」と、どんどん文章語の本まで与える親もいますが、ここは言葉の数を増やす時期ではなく(自然にものすごい速さで聞き取って言葉は溜まっていきますのでご心配なく)、ゆったりと時間が共有することを目指せば、2歳以後の読み聞かせの良い土台になります。なかには聞いていてもすぐに他に目が移ったり、勝手に動き回ったりする子もいます。それも親と言葉を交わす時間が気持ちの安定になるとわかれば、どんなに遅くても1歳後半には落ち着いてきます。
 親と子の共有できる時間のおおもとが1歳前半の読み聞かせです。つまらぬ早期教育に走らず、体を接した安心感を生む読み聞かせをしてみてください。
 この時期の子どもに字や数を教える無意味さはふつうの人ならわかりすぎるほどわかりますが、なかには何かのメソッドの影響を受けてばかばかしいほどの早期教育を施す親もいます。そんなことより子どもとの時間を楽しく共有するのが一番です。だまされたと思って、1歳前半のこの時期を楽しんでください。すぐに子どもは読み聞かせが楽しいことがわかってきます。

配本は・・・

 配本はお子様の月齢に合わせて個別に組んであります。男女差もあり、生まれつきの違いで配本も異なってきます。これがものすごく多様なので、会員の数を増やせないのが実情です。初期ならさほど大きな違いはありませんが、いずれ弟妹ができれば、それに関する本を入れたり、南半球の人には季節逆転の本が入ったり、さまざまなので多くの会員を募れません。いたしかゆしですが、これを40年以上やってきているのでしかたなく(笑)やってます。
 同じ生後6ケ月でも夏と冬の違いがあれば、夏には夏の、冬には冬の本が入ります。日本は季節感に敏感な国、こどものころから季節には敏感になってもらいたいです。
 もちろん発達の度合いは最優先で、標準的な発達に沿った配本が組まれますが、状況によって3ケ月ごとにグレードを調整できるようにしてあります。
 「この本をこの時期に入れてほしい」という方は。ほとんどいらっしゃいませんが、お手持ちの本は当該時期に「ここで読み聞かせてください」という欄をつくって併記しています。

発達に応じた選書(2)

 生後十か月になると立てる、歩ける子が出てきます。生まれてたった十か月の、この成長にはほんと驚かされます。でも、十か月は標準であって、当然、個人差はあり、九か月で歩く子もいれば、一歳を過ぎてもなかなか歩かない子もいます。でも心配することはありません。まず99.9%の子は必ず歩けます。伝い歩き期間の短い子も長い子もいます。とかく親は遅いと心配して「発達遅れ?」なんて思いがちですが、そんな心配はまずないです。そういう見方は、偏差値教育で刷り込まれた「できる、できない」感が残り過ぎです。
 さて、歩きはじめる・・・人類の進化でいえば「直立猿人」状態ですね。直立猿人には世界を客観化できる力がなく、意識は世界と一体です。赤ちゃんは当然、世界の一部であるという意識しかなく、わずかながら対象になるのは周囲です。それでも母親も「自分」としか感じていません。でも、この時期が人類(直立猿人)が一番最初に文化を獲得し始めたときでもあります。ヒトの赤ちゃんも、ここから世界を自分から引き離して、さまざまなことを得ていく時期でもあります。だから読み聞かせ開始期なんです。

さあ、読んであげましょう!!

 言葉というものは自分が一体になっている世界から、さまざまなものを採りだして世界がわかるようにするもので、当然ながらそれぞれ独自の母語でわかっていくようになっています。ですから、それが生後十か月(標準)という時期。実際、読み聞かせを始めると、それまでは散漫だった子がページに集中しはじめます。もちろん、これも個人差がありますが、読み聞かせをしつづければ、99%は1歳半までにはきちんと聞けるようになります。まずは、一日のうち、いつでもかまわないので何回も開いて抱っこしたり、添い寝したりしながら読んであげてください。親の楽しみにもなります。 ・・・すべてがここから始まります。ヒトが「文化」を獲得していく最初の瞬間です。
 親と子が一冊の本(文化)を中に、おだやかで優しい雰囲気の中で接していく。これが小さな子ども=直立猿人にとって、もっとも幸福感に満ちた文化獲得の第一歩です。こういうことを考えれば早期教育のため、字や言葉を速く覚えさせるためなどという発想が愚劣なものであることはすぐわかると思います。
 なにより、1歳になった我が子にもっとも愛情が注げる時間でもあります。子どもはすぐ大きくなってしまいます。一日一日を大切にするためにも読み聞かせの時間を日常化していきませんか。

河童の赤ちゃんは進んでいた!

 小5のときに祖母が4冊セットの芥川龍之介全集を買ってきて「読め!」という。開いてみると旧仮名遣い、漢字は旧字体で、とても読めるものではなく「読めない!」というと「最近の学校はどういう教え方ををしているの? ながめていれば読めるようになるから読みなさい」と言われた。明治女はすごい。4冊で100話以上あり、長編もあれば短編もある。全部読み終えたのは十年後くらいだった。
 この中に「河童」という有名な話がある。信州の穂高に山登りに出かけた男が熊笹の生い茂った藪で穴に落ち、河童の世界で一時的に暮らす話だ。だから上高地では梓川にかかる橋が「河童橋」と呼ばれている。ここの河童はフランス語のような言葉を使っているが、その中にこんなエピソードがあった。おなかの大きくなった河童の妻のところに医者の河童が来ておなかに聴診器を当てて胎児に父親が呼びかける場面。「生まれたいか?生まれたくないか?」と尋ねると河童の胎児は「こんな世界に生まれたくない!!」と答える。すると医者は薬を注射。またたくまにおなかが小さくなってしまう、というものだ。河童の世界は胎児でもきちんと自己判断ができるという話である。小5ではまったくわからなかった内容だが、二十歳くらいになると、その意味がなんとなくわかる。天才の書いた物語は深すぎて、理解に時間がかかる(笑)。
 なんで急に、こんな話を書いたかというと、連載の澤田先生の解説の中に(芥川龍之介「河童」)というエピソードの元になる話があるからです。最近の若いお母さん方は芥川賞は知っていても芥川の作品はほとんど読んだことがないでしょう。かつては、日本人に説明抜きで引用できる知識事項がたくさんありましたが、いまや共通の知識はわずかになってしまいました。危機的といえます。まったくこの国の文部政策は売国的な偏りになってますね。
 澤田啓司先生には今年度は発達がテーマなので、誕生から幼児なるまでの流れを解説していただきます。

Dr.Sawadaの🍓通信

出産前後の母体と胎児の変化(1)

 妊娠末期になると、子宮の収縮が繰り返され、胎児を包む卵膜が破れ出血が見られます。いわゆる「おしるし」というものです。子宮の収縮が頻発。これが陣痛です。これから出産まで、河童のパパのように産道の入り口から、「生まれるか、生まれたくないか」と胎児に聞いている余裕はありません(芥川龍之介「河童」)。
 出産を取り仕切るのは胎児です。直前になると、胎児自身の副腎皮質ホルモンの分泌が急激に増加、このホルモンが母親の脳下垂体を刺激してオキシトシンというホルモンを分泌させ、子宮の収縮を起こすのです。胎児の出生まで約10-15時間かかりますが、陣痛時には胎盤を流れる血液が減少し、胎児は酸欠状態になり、心拍数も減少しますから、胎児にとってもつらい時間でしょう。そのためストレス時に分泌されるノルアドレナリンが大量に分泌されます。これほど大量にストレスホルモンが分泌されることは人生を通じて二度とないといえます。まさに生みの苦しみと生まれる苦しみという試練の時、しかし胎児は積極的に出産に挑み、長い戦いの末誕生するのです。客観的に見ればすごいドラマなんです。(つづく)

本とともに過ごしてきて 

 山梨県中央市 Yさん お子さん(高1男子・中1女子)
 ゆめやさん いつも、本に向かう気持ちを改めさせていただき、ありがとうございます。
 まずは娘の「配本表」の送付ありがとうございます。早速彼女と、家の本棚と相談して選書用紙へ書き込んでいきたいと思います。勉強と部活で忙しく過ごしていますが、時折、本を開いて過ごしている様子をこっそり眺めています。
 そしてもう一つ、息子の「ブッククラブ」からの卒業?のお礼です。息子も高校生となり、「もう」なのか「まだ」なのか、私の中に二つの感情があって、子として成長をみれば「もう」で、親としての育てでは「まだまだ」なのだと思います。受験生の間は、明らかに本を手に取る機会は減ったのですが、受験が終わると、本を開き始めました。特に、微笑ましく思えた出来事は、受験のあと、サッカー部の合宿があったのですが、その荷物の中に、ブッククラブの配本をしっかり忍ばせていたことです。もしかすると、スマホは持ち込めないので、その代わりだったかもしれませんが、まあ、本を読める人間には育ったのかなと思っております。
 このお礼を書くにあたり、ゆめやさんの配本で一番面白かったのは何?と聞いてみました。すると即座に「神秘の島」と答えました。確か、この本は「基本」ではなく「加える本」だったでしょうか。この本を選んだ理由は、物語の面白さは勿論(同世代の登場人物に共感でき、身近なものから必要なものを作り出す、地球上に未開の地が沢山残っている、など枚挙にいとまがありません)ですが、それに加えて(私の推測ですが)あの長編を読み切ったという達成感が、強烈に心に刻まれたと思います。
 思い起こせば、まだ絵本の頃は、添い寝で読み聞かせをしました。子どもが二人とも成長し、読み聞かせの機会はなくなりましたが、その影響か、いつしか私は寝転びながら本を読むのが癖となってしまいました。寝転んで読むなら、軽い文庫本が良いのですが、老眼が進んで、多少重くても文字の大きい四六判の魅力にはあらがえず、気が付けば右肩に痛みがあり、原因は寝転んだ時に右腕で本を支えているからだ、と自覚し、五十肩を気にかけるこの頃です。
 プログラムの変更で寝不足気味とのことですが、どうぞお体ご自愛下さい。今後とも、よろしくお願いします。

【ゆめやより】 いやはや長い間おつきあいをいただき感謝申し上げております。赤ちゃんの時から二人のお子さんは知っていますが、やはり成長の速さに驚きます。「いないいないばあ」からの子が「神秘の島」を読める子までという時間の短さはすごいことですね。
 私も小6のときに「海底二万哩」を読んでネモ艦長に惹きつけられ、いまでも彼の生き方の影響が残ってます。そして、そのあと「神秘の島」にも登場したのを知ってびっくり。記憶に残る物語となりました。古典は読んでおくべきだといまさらながら思います。
 左の写真はジュール・ベルヌの像とネモ艦長のオブジェが設置されたジブラルタルの港です。奏太くんにいつか行ってもらって感想を聞きたいと思います。

新聞の投書から・・・・


意見を言うことは良いことだが・・・

 先日、新聞投書欄に小学6年生と高校3年生の意見が載ったのが目に入った。子どもでも自分の意見を持ち、表現することはいいことだと思う。なにより文章を書くことは、自分の考えの再確認になるし、他の人の意見も考えながら書かねばならぬので、頭の訓練にもなる。最近は、LINEやツイッターのような短文で言いっぱなしの勝手な作文(?)もあるが、これが日本で特に流行るのは短歌や俳句のような文化があったからだろう。
 和歌や俳諧は想像力を引き出す言葉(自然や風景の言葉)を使う芸術だが、もし、そういう詩歌が自分の主張の言葉だけで作られたら味もそっけもないツイッター歌、LINE句になってしまう。作文・作歌の劣化も起こる。だから作文は必要不可欠な自己表現の基礎練習でもある。
 で、その「ある日の投書」が、ここに挙げた上(小6)と下(高3)の二人の意見である。

*  *  *  *  *  *  *  * 
 まず小6の投書は「図書館に漫画を置け!」というものだ。なぜ、「マンガを置け!」というのか理由が三つに分けて整然と書いてある。これは、作文の練習にはとてもいい訓練になっただろう。
 なるほど、「ドラえもんシリーズで楽しく知識が得られる」というのはおもしろい理由だ。
 「楽しみがないと読む気にならない」・・・これも当然の理屈だ。ふつうの絵本(本ではないの?)しかないと図書館の利用が減るので、マンガを置けば図書館利用が増える・・・・たしかにマンガが増えれば利用者も増えるかもしれない。的を射ている(笑)。これも意図の良し悪しはともかく、「提案」という点では積極的で◎である。
 「勉強マンガ(これは伝記とか歴史マンガ?)だけではなく、楽しいアニメ漫画も置け」というのも思い切った案だ!・・・・まんが図書館を子どものために千葉でつくった「立派な」市会議員の方がおられたことも書いてもらいたいものであるが、まだ小6には事件が事件だけに無理かな。そして、次には、マンガ以外の他の本のことも書いてほしいと思う。



 つぎは高3の投書・・・「テレビ離れ」についての論述だ。「テレビは見ない方がいい」という意見かと思ったら、なんと若者がスマホばかり見ていて、「テレビ離れが起きているのはよくない」というものだった。なぜなら、スマホのネット情報は不正確なものが多いので「信頼性が高いテレビを見ろ!」という主張である。すごい発想だ。
 なるほど、Z世代もスマホの情報は、信じていないらしい。「スマホよりテレビを信じたほうがいい」という見解もなかなかユニークだ(笑)。
 この高3の投書は、読んでいてなかなか面白い視点がありすぎ。ネット情報よりテレビ報道の方を信頼しているというのもビックリだし(新聞は?)、テレビが家族だんらんのためのものという古典的すぎる考えがあることにはタマげた。
 完全にテレビ・スマホで育ってきていて、他の情報源で思考する材料がないことが投書からはっきり見える。さすがは、デジタル・ネイティヴ。18歳といえば選挙権を持てる年齢。これからの日本を背負う世代の考え方は、われわれ老人をおどろかせてくれることがよくわかった作文である。12歳、18歳のあなた方・・・まだまだ伸びしろはあると思うよ。ここで停滞するな。(一部閲覧)



(2023年6月号ニュース・新聞本文一部閲覧) 追加分



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