ブッククラブニュース
令和4年
10月号(発達年齢ブッククラブ)

2022年11月の予定

11月の定休日は日曜、月曜、祝祭日です。
 祝祭日のお休みは11/3日(文化の日)と11/23日(勤労感謝の日)です。
冬時間の営業となります。時間の午前10時30分〜午後6時まで
 受け取りの方で午後6時以降に来てしまった方は電話かピンポンで呼び出してください。在店していますので店を開けます・・・・ご遠慮なく。
 【コロナ対応について】
 10月はひじょうに感染者が減り始め、たいしたことのない風邪状態になっていますので、マスクの着用は強制しません。軽症・無発症が多く、弱毒化は進んでいます。ワクチンの成果ではなくウイルス自体が終息に向かっているのだと思います。今回は7波ですから終息は目に見えてきているのかもしれません。お子様のマスクはまったく強制しません。定期的に換気はしますが、寒くなってきていますので暖房もかけます。通常日は飲み物のサービスしていますが、込み合ってきたらお出しできないことも・・・・土曜日は特に。
発送会員の方に

 郵便振替の際に ATM でお支払いをお願いしていますが、手数料こちら持ちにも かかわらず、日本郵便は振り替え手数料を振り替えるお客様からも取ります。ちょっとひどい。
 で、手数料軽減 の方法として「ゆうちょ銀行」の口座をお持ちの方は、ゆうちょ銀行から振替口座「絵本 専門店ゆめや」00400-6-7649 に直接振り替えると手数料が軽減されます。通信はできませんが、ご連絡やお便りはメールでお願いします。
 振り込んだことをメールでお知らせいただけば、お礼の返信はします。ご面倒をかけて申し訳ありませんが、銀行振り込みやゆうちょ銀行の方法も試してみてください。
 ゆめや店主 10月30日

秋の田の刈穂の・・・

 まったくコロナはふしぎですね。夏は来店客のかなり多くの方が一家で感染!という話ばかりでした。ところが急に感染者激減。スペイン風邪もそうでしたが、だいたい5〜6波くらいから終息に向かうのでしょう。罹っても風邪かインフルエンザ程度、ワクチンはあまり効かないこともわかってきました。
 3回目、4回目を打ってもすぐにかかっちゃうんですからね。在庫処分もあの手この手で大変です(笑)。
 未知のものには人は恐れを感じます。人って混乱するといろいろなことを言ったりやったりします。デマ、嘘、言いたい放題・・・あまり耳を傾けないことでしょうか。脅しにも載らないことですね。まあ、気をつけて罹(かか)らないようにしていれば、いずれ終息がやってきます。
 身近な空気のいい場所で、深呼吸をしてみましょう。写真はゆめや周辺の田んぼの稲の刈入れ。10/3に山本勘助屋敷跡の方向から撮影しました。とても空気がよく、人っ気がないのでマスクなしの散歩でした。 

気をつけよう!

 昔から、疫病の後は治安が乱れます。実際、おかしな事件、事故、狂気の沙汰、残虐なことが起こっています。母親を殺す練習のために他人を刺すとか、死刑になりたいから殺すとか、狂気の煽り運転による事故とか、他人の命に関心を払わない「無敵の人」が増えてきました。世界レベルでも同じこと(タイの乱射事件など)が起き始めています。命への無関心は残酷なことを引き起こします。ウクライナの戦争も疫病のストレスがもたらした結果なのではないでしょうか。変な事件と思わぬ事故には注意しないとまずい時代です。
 思わず涙してしまったのは園バスに閉じ込められて熱中死した少女でした。服まで脱いで暑さをこらえ、指までけがをしながらどんなに必死に窓を開けようとしたことか、人に対する無関心が広がった結果の事件で言葉もありません。その姿を想像するだけで涙が出ます。園長の、まるで他人事のような無責任極まる言葉を聞いていると、さらに怒りがこみ上げてきました。こういう人が、政界でも企業でも「偉い人」の中に増えてますよね。
 そして、お決まりの、マスコミは「閉じ込めを知らせる警報機とか車内カメラの設置、開発?!」・・・そうじゃないだろ! 最後に目視で人数確認ですよ・・・何十人も乗っているわけじゃないのですから。事件事故が多くなっているのに人がどんどん鈍感になっています。われわれは、もう少し怒りや憤りを表していいのではないかと思います。そして、こういう時代では、ますます子どもに目を向けなければならないのです。あっという間にキックスケーターで1km向こうの河川敷まで行って溺死ではたまらないです。子どもは危険察知の力が弱いのでやはり見守っていないと危ない場所にも平気で行きます。それにしても一人でいる少女に誰か注意を向けなかったのでしょうか。土手を登り、河川敷まで行って誰も気が付かなかったとしたら不運としか言えませんが・・・・。子どもから目を離さないようにしないと。

配本の意味と読み聞かせ⑥2歳後半

 2歳になると子どもはよく遊ぶようになります。かなり自律的に遊びます。
 配本でも前半から「繰り返しもの」の単純なストーリーながら「おはなし」になっているものが入ります。
 かなり発達が急激なので、いろいろな分野が楽しめるようになりますから、さまざまなパターンのものを用意していきます。
 この時期は自律は自立なので何かというと「自分で!」「ぼくが!」「あたしが!」と言ってわからないなりに自分で読み始め、親の手を振り払うこともありますが、あまり制止しないでまかせましょう。きちんと読み聞かせることは必要ですが、自立の芽はつぶしたくないですからね。2歳前半では繰り返しの物語絵本が多いですが後半になると色彩関係の本が入ります。

本、文字なし絵本

 後半になると字のない本も入ります。これは、読み聞かせる側の力が問われます。まあ、絵を題材におはなしをつくってもよし、お子さんと対話に使ってもよし、自由です。何度か開いたあとに、展開と流れがわかればいいのが文字無しの本。
 聞く力は十分についていますから、かなり長いおはなし絵本も入ります。じっくりと何回も読み聞かせましょう。いろいろなものを楽しむ基本的な力が育つ時期でもあります。このため配本は単純な繰り返しストーリーの本、文字なし絵本、生活関連絵本、色彩や物の本、ナンセンス絵本を月齢別に発達に合わせて多様に組み込んでいます。もちろん個別に季節対応させながら。配本されたら、その月のものを何回も読んであげてください。まだまだ飽きずに同じ本の繰り返しを喜ぶ年齢です。ここがすべての基礎。高度な物語絵本の把握や一人読みになったときのきちんとした本の読書が可能になるのは、2歳代が決定すると言われています。天才を発揮する、この時期、親も張り合いですから頑張って読み聞かせましょう。

おじょらぽん絶版

 「おじょらぽん」が絶版になってしまいました。個別に入れ替えのお知らせをしていますが、ご了承ください。
 「おじょらぽん」・・・私は素敵な本だと思い、ハードカバーになったときすぐに配本に入れました。ふしぎな響きの言葉ですね。おじょらぽん、ねんねんねん・・・子どもが眠りに入っていくときの魔法の言葉のような気がします。いわば「おまじない」の言葉ですね。
 作者は故・長谷川摂子さん。出雲の出身で、それはもう博識の方で何度かお会いして話をして、講演会やお話会をしてもらいました。
 男の子には「めっきらもっきらどんどん」、女の子には「おっきょちゃんとかっぱ」や「まゆとおに」などが入りますが、こういう音感のおまじないのような言葉が作品の中に登場します。長谷川さんは出雲の出身、「出雲には変わった民話がたくさんある」と教えてくれました。
 松本清張の「砂の器」で出てくる地名・亀嵩(奥出雲地方・東北弁が残っている地域)は推理もののキーポイントになりましたが、古代出雲は古志=越=新潟県との交流があったところで多様な言葉が混合された地域だったのでしょう。なにしろ出雲の勾玉は糸魚川付近の黒姫渓谷で出る翡翠をつかってますからね。幅広い交流が大和朝廷以前にあったのです。
 長谷川さんが育った出雲はそういう古い歴史(おそらくは古事記・日本書紀が書かれた歴史以前の)文化を持っていたわけで、北はロシア沿岸部、西は朝鮮半島まで交流域があったと思われます。出雲の文化・言葉はその交流の多様性の中から生まれたのではないでしょうか。
 出雲國風土記の冒頭には有名な国引きがありますが、その引いてきた国が北はロシア沿岸部、西は朝鮮半島、越なのですからこれはもう周囲とうまくやることでつくった文化国家だったのでしょう。

お呪い言葉

 「おまじない」を漢字で書くと「お呪い」です。「呪い」というと・・・怖いですが、出雲の神さまのオオクニヌシはアマテラスの軍勢に負けて殺され、祟り神になったのですから、出雲地方にはいろいろな民話や「おまじない言葉」が残っているのでしょう。
 そんな話をたくさん長谷川さんから聞いて、「おじょらぽん」絶版で思い出していたら、なんだか懐かしくなりました。左の写真は最初にお会いしたときのものですから、もう30年も前です。写真の日付を見たら91年8月11日でした。
 このとき聞いた言葉はしっかり記憶しています。「子どもって教え込もうとすると嫌がるのよ。ふつうに育てばそれだけで御の字、楽しく言葉をかけて行けば、それなりに豊かな人格になるんじゃないかしら」というようなお話。2011年の早逝はまったく残念無念でしたが、虎は死んでも皮しか残しませんが、有能な方は「考え」を残します。著作「子どもたちと絵本」は、絵本と子どもたちを結びつける、すぐれた著作ですからね。
 おかあさんの横で「おじょらぽんねんねん」の言葉を聞きながら眠ってしまう子が「めっきらもっきらどーんどん」の呪文で自分の世界を切り開いていく。お国言葉に込められた「強い奴にやられても負けないぞ!」という出雲の心意気が感じられました。早逝は残念でしたが、残していただいたものはたくさんありますね。
 そういえば9月29日に「ぐりとぐら」の山脇百合子さんも逝去。なんとなく一時代が終わりつつあるのを感じます。

Dr.Sawadaの🍓通信 ① ヘアーターニケット

 昨年の十月、会員のみなさんのご協力をいただいて、小児科医の澤田啓司先生の乳児期に購入した不要なものアンケートを行いました。たくさんのご回答をありがとうございました。その澤田先生が小児科関係のおもしろい記事を連載されておりますので、お願いして一部転載させていただきます。
 初回はヘアーターニケット。ヘアーは毛髪,ターニケットは止血帯です。
 赤ちゃんの指などに、ママの毛髪が巻き付いて血液の流れを止めてしまい、赤ちゃんの指先などの充血や、時には壊死をひき起こすことを、ヘアターニケットといいます。
 女性の髪一本で象がつなげると古い仏典にありますが、女性が男性を引き付ける力の強さの比喩で、ヘアーターニケットではありません。
 京都・東本願寺には、女性の髪と麻糸をより合わせた毛綱が一巻き展示されているのはご存じですか?この毛綱は、東本願寺再建の時に重い木材などを曳くのに使われたもの。女性の髪を寄進してもらって縒り合わせたのだとか。
 ヘアーターニケットは、毛綱のように強い女性の髪の毛が赤ちゃんの指その他突き出た部分に巻き付くのが原因です。赤ちゃんが急に激しく泣くようなときは、この状態を思い出してくださいね。
 巻き付いた髪の毛はきつく食い込んでいますから、外そうと思っても取れません。髪を解かす薬で処置するか、外科的にとるかせねばなりません。掃除機が巻き込んだ髪を思い出してください。髪の毛はとても強いのです。
 この症状は1832年に医学誌に報告が掲載されているそうで、古くから気づかれていたんです。そのわりに知られていないですが・・・。2021年11月4日付け朝日新聞夕刊にかなりのスペースをとって掲載されました。
 元アイドルの紺野あさ美さんのご次男がこの状態になったとブログに投稿され、話題になりました。生れたばかりのベビーの足の指2本に毛が絡まり指先が腫れあがっていたとご自身のブログに投稿されたとか。赤ちゃんの手のひら、足の裏で物を握るようになる(把握反射)時期は特に要注意です。
 ママが長髪で抜け毛が多かったら、これも要注意。めったに起こらないアクシデントですが、いつ起こっても不思議じゃないヘアーターニケット、ぜひ頭の片隅に記憶しておいてください(ニュース一部閲覧)

読書の秋というものはなかった・・・?

 今年の十月初旬は雨が続き、何となく静かで落ち着いた秋の始まりでした。個人的には読書の季節でした。
 「読書の秋ですねぇ」と言いたいところですが、この「読書の秋」という言葉はいつ生まれたのかというとじつはよくわからないのです。ただ、「読書週間(当時は図書週間)」というものが設置されたのは、およそ百年前(1933)ですから、百年前から「読書は秋」という感覚があったのかもしれません。
 なぜ「読書週間」が出来たかはよくわかりませんが、おそらく本を読む人が少なく、国民の教養を高めるには読書がいいと考えたのでしょう。一方では鴎外や漱石、龍之介や熊楠のような天才も出てましたが、多くの人々は演芸や落語・講談の類(現在で言えばバラエティ番組)で知識を得ていたようです。これでは近代国家としてはまずいと考えた人がいて、読書を取り上げたのでしょう。
 でも戦争で中止となり、読書週間の再開は昭和22年(新憲法の施行年)でした。平和国家のために読書をしていこうという考えからでした。読書=知性・教養=平和は大きな関連があるのでしょう。「読書週間」が復活して75年になりますが、最近は全体的に読書ができなくなってきたように思います。デジタル化で長文が読めなくなっているのです。
 本が読まれないから「読書週間」のようなキャンペーンをするわけですが、以前でも「読書が生活に根付いた」という話はあまり聞きません。最近は受験勉強さえしていれば、漫画ばかり読んでいても大学へ入り、そのまま出ることも可能です。いまや、読まないから、「せめて秋の一週間を読書週間に!」状態です。
 昔の大学生は専門の勉強は当然ですが、いろんな本を読んで、考えや知識が固められていないと馬鹿にされたました。だから読書週間どころか一年中、本を手放さない人も多かったようです。考えがないと流されるばかりですからね。

上流家庭のもの?

 日本人の多くはきちんとした本を読まず、識字率だけが目標の教育をうけた結果、批判力や分析力がなくなって、上が「これ!」と言ったものを受け入れて答えや常識にしてしまいます。当然、思考力は育たず、量的に知識があるほうが優位に立つという異様な現象が起きてしまっています。教科書にある物語や伝記、一般的に認知された知識はほんとうに妥当なものかを考える力さえなくなっているので、多角的に考えてみる訓練ができません。
 いまや子どもに本を与えて、読む力を育てたいと考える家庭は一握りの上流家庭だけになってしまったように思います。新聞でも読書キャンペーンが減り、古典文学や基本的な本より流行ものに走るようになっています。平和が崩れる時には知性と教養がなくなる、これは最近の政治家やインフルエンサーの言葉を聞いているとわかりますね。読書をしていないからです。そうならないようがんばりましょう。

時間を取りもどす

⑥学校は十年後には変わる!

 これだけ格差や子ども(親や家庭)の多様化が起きれば、一般の(とくに公立の)学校の内部はどんどん変質していき、先生方の努力や粘りではどうにもならない事態が来ることは目に見える。先生の成り手が激減して、退職した先生が再雇用されている状態は、世の中の変化を良い方向に持って行くことができるようになるとは思えない。授業内容の変化や教室運営にさらに負担を与えるのではないかと思う。目玉のプログラミング教育がうまくいくとも思えないし、勉強は塾に丸投げも起こりえる。これでは時間は取り戻せない!! 学童での指導も質の低下も免れないだろう(もう、そういう状態が起きているところが多数ある)し、これからの学校の変わり方をしっかりと見ておかないと十年後、「こんなはずでは!」ということになる。学校の在り方について親が何も言い出せない状態が、この国にはあるので、嫌なことだが受け身にならざるを得なければベターな方向を探すしかないというのが現実である。

気を付け!例!直れ!②楽で便利な結果は?

 たとえばスマホ情報機器としてはかなり優れた武器で、たやすく知りたいことを手にできる。映画やテレビを観ていて俳優の名やスポーツ選手の経歴などを瞬時に検索できる。もちろん他の情報も同じようにわかるわけだが、じつは辞書のように引いてわかってもすぐ忘れてしまう傾向が強い。
 私は人が悪いので、ある検索をした友人に半月後か一ケ月後に引いた事項を覚えているかどうか確かめることがある。若い人でも場に応じて検索した項目を覚えている人は少ない。老人になれば「まったくいない」といっていい。かんたんに引くがすぐ忘れる・覚えていられないという状態がひんぱんに起きるのだ。
 なぜ起きるか考えてみる。パソコンの検索機能ではさほどではないが、スマホは、ある情報を引くとその横や下に「関連があるかのような別情報」が潜んでいて、そのタイトルが目に入ると次々に引きたくなるため、やっているうちに初め何を引いたかすら忘れてしまう。つまり「紐付け検索の迷路にハマる現象」が起きてしまうのである。延々とスマホを見て検索している人は、この罠にはまっていると言っていい。
 問題は、それを覚えることができるか、あるいはある考えに従って引いているかどうかということだ。まずほとんどを覚えられないし(一時的に知ったという感覚)、理屈でまとめることなどとてもできない。また覚えたところで情報は使えない情報に過ぎず「見た」という淡い満足感しか得られないわけだ。けっきょく、不要な事柄を得る技術に習熟する意識しか残らない。
 次に無意識でハマってしまうのは、情報のつながりが次々に引いている人の「好み」の方に引っ張っていくことである。アルゴリスムという「知りたい」「快いことを知りたい」「満足したい」という人間の欲望を刺激してヒット件数を稼ごうとする動きである。
 たとえば「ジェンダー」と引くと無数に情報が出るが、いつのまにか引いている本人の好みに合った情報検索に誘導していく仕組みになっている。最初と最後ではまったく無関連な結果に誘導されてしまうことさえある。これを越えて、うまく使うことができるかどうか・・・多くは中毒化、依存化して終わりである。さて、これを与えられた子どもはどう使いこなしていくのだろう。

多様な本を読まないとわからないこと

 前述の「上流家庭のもの?」という段落でちょっと述べたことだが、単一の知識で自分の常識をつくってしまう単純さがこの国を覆っていると思われる。例えばブッククラブでは伝記の配本をほとんど入れない。書籍では伊能忠敬(天と地を測った男)、絵本ではエルゼアール・ブヒエ(木を植えた男)だけである。多くの伝記は伝記作者によって、その人物が立派で高潔で高邁な考え方の人物として描かれることが多い。果たしてそうなのか?
 日本で多くの人が手にした伝記に「野口英世」があるが、果たして彼は立派な人だったのかというと、伝記だけでは「立派な人物」としか読み取れない。
 しかし、井出孫六の「アトラス伝説・非英雄伝」を読むと真逆の人物として描かれる。酒におぼれ、借金を踏み倒してアメリカまで逃げ、とうとう日本へは賞をもらうために一度しか戻れなかった男・・・・が描かれる。どっちが本当なんだろう。歴史上の人物は、描く側の見方によってどんどん歪曲されることが多い。例えば太宰治はファンにとっては「繊細で内面を見極める能力が高く女性にやさしい」という印象があるが、批判的に見る側では「女々しく、くだらないことにこだわり、名誉欲が強く、女性を生きる道具に使う」と取る人もいる。どっちが本当か、それを知るのが多面的読書だと思うのだが、どうなんだろう。それでなければ、批判も分析も鑑賞もできないではないか。人間は一様であるわけはないのだから。

長い長い会員の話⑥

 長いおつきあいといえば、この方を外すわけにはいきません。山梨県の子どもの本の関係者なら知らない人はいない浅川玲子さんです。御年93歳。
 もう三十数年前からお付き合いさせていただいてますが、最初は会員ではなく子どもの本の専門家として教えを乞うということでした。浅川さんのお子さんたちはすでにもう大人でしたから。
 その後、三ケ所の公立図書館長をお勤めになり、野間図書推進賞や総理大臣賞などをいくつも受賞した子どもの読書活動の専門家です。
 もう何十年も文庫活動をされていて、そのころ声をかけていただいたので、おつきあいは長くなりました。その後、お孫さんが生まれて配本をし始め、今ではそのお孫さんの子ども(つまり曾孫)への配本もしていますから(孫配本会員は増えてますが、曾孫は初めて)、長い長い会員でもあります。
 2005年にNPO法人「山梨子ども図書館」を立ち上げて「子どもの本の専門家」を育てる活動も始められましたので、立ち上げのときはお手伝いもさせていただきました。

この国の先は険しいが・・・・

 浅川さんの顔の広さには小顔の引きこもり絵本屋(笑)の私などまったくかなわず、松岡享子さんや斎藤惇夫さん、斉藤洋さんなどいろいろな方と引き合わせていただいたのはまったくありがたいことです。
 ゆめやのすぐ近くにお住まいなので、よく伺って話をするのですが、本の話や当地の人脈や歴史の話になると時間が過ぎるのを忘れて熱談になってしまいます。とにかく、子どもの本関係では生き字引のような方なので、これからもおつきあいと御支援をたまわることとなります。
 子どもの本の現況はかんばしいものではありません。近未来は子どもの読書がなくなる可能性もあります。国が零落していくときは、必ずダメになる要素が民の方にも迫ってきます。デジタル化ばかりではなく、芸能・スポーツ志向、お笑い志向はもっと子どもに入り込むでしょう。いわゆるローマ帝国の滅亡の要素が「サーカスとパン」であったように。議員の先生も首相もギボンの「ローマ帝国衰亡史」など読んでいませんから欲で突っ走ります。もちろん国民も同じです。前面に欲が出ます。それが食い物とスポーツと芸能とお笑いです。
 本の関係者はやがて、矢折れ・刀尽きる状態がやってくると思います。でも、国民全体が本を読まないで、読書家が皆無になることはないのです。
 浅川さんが文庫を始めた60年前も今のゆめやのブッククラブでも読む子は読み、読まない子、読めない子はいましたので、気持ちが暗くなることなくきちんと良い本を手渡していきたいと思います。負け惜しみではありません。本をきちんと読んでいた人は明治以降10人に一人もいないのです。こんなに識字率が高い国なのに。(新聞一部閲覧)



(2022年10月号ニュース・新聞本文一部閲覧)

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