ブッククラブニュース
令和4年
8月号新聞一部閲覧 追加分

配本の意味と読み聞かせ

④ 1歳後半

 読み聞かせグループの人や児童書関係の司書の方に聞くと「子どもの頭は柔らかいので、なんでも読み聞かせた方がいい」ということを言う。私は、「それはないだろう」と思う(笑)。
 ある読み聞かせ会で「モチモチの木」を読み聞かせていたが、1歳児もいれば2歳児もいる。この年齢の子どもたちは聞いていてもわからないから聞いていない。
 聞いていないならそれはそれでいいが、問題は3歳児、4歳児、5歳児だ・・・・この話を楽しめるだろうか。では、小学校低学年はどうだろう。
 たしかに悪い本ではない。優れた本だとは思う。読んでもらいたい本ではある。しかし、使われる言葉や絵のことを考えると年齢の違う子どもの前での読み聞かせとしては不適切な選書ではないかと思うのである。私はブッククラブの選書をするとき常に配本で実験して。もっとも受け入れる年齢月齢を想定する。感じ取れる力が育っていなければ猫に小判・豚に真珠だからである。

1歳後半の設定

 例えば、1歳半の定番「もこもこもこ」を私が30数年前に選んだ時、1歳、1歳半、2歳、2歳半のそれぞれに読み聞かせて一番反応が大きかった1歳半に決めたことがある。これで問題が30年間起きていないので、この年齢が一番妥当だと思う。ブッククラブの選書では適切な月齢・年齢を想定して反応が高いものは残し、低いものは外したり、ずらしたりしている。一部分の配本で皆さんは新刊選定の実験台でもある。ごめんなさい。でも、これは次に続く子どもたちへのひとつの貢献だと思って我慢してほしい。新刊を実験で入れるのは、お子さんの一年間の配本で1冊か2冊だからかんべんしてほしい。
 劣悪な絵本は論外だから初めから選書しないが、いくら優れた本でも読み聞かせたり、読んだりする適切な年齢範囲というものはあるのである。

1歳代は重要

 1歳後半は前半と違って飛躍的に絵本への集中が高まる時期だ。しかも、発達の度合いが大きいから、探し物絵本などで探すことができなかった1歳前半中期からわずか2,3ケ月でどこに何があるかすぐわかる観察力の増加がある。まったくすごいとしかいいようのない成長の速さ。ごっこあそびの初期のこともできるようになる。それを誘発させるような本も与えたい。この力の広がりは、とうてい大人に理解できないような絵本を楽しむ力にもなる。1歳半から2歳までは月齢刻みで順を追って、発達に合わせた絵本を読み聞かせる重要な時期でもあるわけだ。
 これまでの経験では、充実した1歳代の読み聞かせを受けた子の多くが、本が読める子になる傾向が見て取れる。でも、まだ人類の進化ではようやく言葉を獲得し始めた初期の段階と同じ時期で、文明を築くまでは至っていない状態。
 でも、「もこもこもこ」に見られるような「初めがあって終わりがある」という物事の基本はつかみ始めているから、もう物語を聞く力は出てきているわけだ。
 物語の初歩がわかってくるのは2歳・・・まったく進化の速度の速さにおどろかざるを得ない。2歳までは生活につながる絵本、探し物、動作や周囲にあるものの認識など幅を広げて、物語へ入る準備をしたいものである。

私の好きだった絵本

④ どうぶつ とり さかな・・・B・ワイルドスミス

 動物画を描かせたら大家のひとりであるブライアン・ワイルドスミスの傑作である。絶版になる以前は具体的な細密画(「どうぶつのおかあさん」薮内正幸)のような赤ちゃん絵本から一歩進んだ(絵として見る動物・・1歳後半で必要な)ものとして最適な絵本だった。以前配本していた方が子どもの頃の本として手持ちリストに入っていることが多い本で、そういう方はぜひお子さんに見せてやってほしいダイナミックな絵柄の本である。
 ここに挙げたのは、最初の「どうぶつ」だが「とり」や「さかな」もシリーズ本としてあり、すぐれた絵として子どもの前に迫ってくるものである。すべてがアニメ化しつつある現代で、やはり本格的な絵には触れさせたいものだが、なかなかそれができないもどかしさがある。
 ワイルドスミスの本が絶版になったのは、版元の「らくだ出版」が倒産したからだが、本格的な絵がすたれていくという時代背景も原因だったかもしれない。文ばかりではなく絵でも子どもには本物を見せたいと思う。どこかが再版してくれることを願うばかりである(ニュース一部閲覧)

自分で考える力??

④ 大学に行く意味 ある進学ルート・3

 春三月、春休みの最中に以前の会員の男の子・・・いやいやもう24歳の立派な大人の子(笑)が話に来た。2年前にそれなりの大学を出て大手の販売会社(名を出せばだれでも知っている)に就職したという。ところが話は新進気鋭の企業人の話ではなく、ちょっと悲しいものだった。会社を辞めて、新たな出発をするという。
 最近の若者はこらえ性がないと言われたり、入社3年での離職率が高いなどという風潮があるので、そのひとつかな?と聞いていると、そうではなかった。
 「上司の圧力がひどくてやってられない」という。いま流行りのパワハラかと思ったが、その販売会社は営業成績を上げるために販売責任者がすべてヘッド・ハンティングされた「優秀な」上司で、社内効率と販売実績を高めるために新入社員を叱咤するということだ。売り上げを上げるために、利益を大きくするためだけの仕事・・・「大学で勉強してきたことが生かせる場所がどこにもなく、下請けを叩き、各店舗の実績に気を遣うだけでは先の希望がない」「だからやめて、資格を取って自分一人でできる勉強をしたい」ということだった。そのために専門学校に行くという。
 つまり、もはやふつうの大学卒業者など企業にとっては、いくらでも代わりがいるということで、大卒という学歴の価値はひじょうに低くなったということである。
 私は、その子に「一人でやっていく仕事は大変だろうけど、成果が自分のものになるようにがんばって!」と言って励ました。欧米の大学は、中学、高校でやめて就職した人も仕事上で必要な学びのために大学に聴講に来たり、講座を受けたりすることが可能である。
 卒業証書や単位は取得できないが勉強はできる・・・つまり名より実を取る方法が一般的である。いつまでたっても立身出世でいくのは時代遅れだろう。小→中→高→大という直線型の教育ではなく、そろそろ自分の中身を充実させる勉強に舵を切る時代に来ているということだ。

「絵で読む広島の原爆」の思い出

 1991年の秋のはじめに「絵で読む広島の原爆」の絵を描いた西村繁男さんと信州の諏訪で会ったことがある。「広島の原爆」の絵を描く直前のことで「三年ほど広島に住んで、体験者の話を聞きながら絵を描こうと思っている」と言い、ハンパでない意気込みを感じたものだ。
 下諏訪の「かめや」という旅館の皇女和宮が泊った部屋で話し、風呂でよもやま話もしたが、しゃべりが多いのは私で、西村さんは実直を絵で描いたようなまじめで寡黙な人だった。
 「戦争はどんな理由があっても良くないものだから・・・」という言葉があったが、とても口先一つで世間を丸め込んだ坂本龍馬と同じ土佐・高知の生まれとは思えなかった。土地柄なんて当てにならない。
 西村さんは私と生年月日が同じ(じつは北野タケシも同じ)だ。この事実一つ見ても生年月日占いが信じられないことがわかるだろう(笑)。
 西村さんはいまや押しも押されもせぬ大作家、北野タケシは世界が知る人気者・・・・それに比べて、こちらは吹けば飛んでいくような小さな絵本屋である・・・・同じ日に生まれても雲と泥ほどちがう人生になる。姓名判断、生年月日占いなどはあてにはならない。
 さて、そんなこんなで翌年から西村さんは広島に行ったらしく、新作も出なかったが、福音館書店の月刊誌「母の友」の表紙絵は描いていたようだ。

これほど詳しく精密な本とは!

 それから数年、「広島の原爆」がいつ出るかいつ出るかと思っていたが、かなり時間が経ってから(1995)出版された。びっくりするような大きなサイズの絵本だった。とにかく絵が細かい。なるほど体験者に聞きまわったことが一目でわかる絵で、これこそ「記録画」と呼ぶにふさわしいものだと思った。
 出版が3月だったのでぎりぎり、その次の年度(その年)の夏(8月)の配本に組み入れた。以来、27年間配本している。
 戦争の記憶は一般の間で急速に薄れ、戦争特集を2010年の号まで続けていた「母の友」も第二次安倍政権成立からトーンダウンとなった。昨年、本の後半の克明な資料と文を書いた那須正幹さんが亡くなった。マスコミも若い記者やコメンテーターの世代になり、考えが変わりつつある。政治が悪徳宗教団体と結びついていてもテレビは何も言わない。権力にへつらって生きている学者やインフルエンサーが、その事実を隠そうと画策している。だが、私が若い親たちに言いたいのは、「戦争はどんな理由があっても良くない」という西村さんの言葉と同じものだが、カルト政治で憲法が改正されたら、「あなたの子どもも徴兵されるよ」ということ。
 西村さん、北野タケシ、私の3人は、生年月日が同じでもとんでもなく人文つでは大きな差があるが、この考えだけはきっと共通していると思う。(新聞一部閲覧)



(2022年8月号ニュース・新聞本文一部閲覧) 追加分



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