ブッククラブニュース
令和3年
8月号新聞一部閲覧 追加分

読み聞かせいろいろ ④2歳—1

 2歳なると想像力が増し、それとともに絵本のスジを追う力が飛躍的に伸びる時期です。また1〜2歳には、「自分が愛されているんだ」という自己肯定感や家族などの集団の中にいるという「何かに属している」意識が育つので、落ち着いた雰囲気や環境の中で読み聞かせをしていきたいものです。
 この時期に心の形成がうまくいくかいかないかは、思春期、あるいは大人になってから影響が大きく出るらしいです。重要な時期なんでしょうね。親と子が安定した時間を一日の中でより長時間持つことが大切だということです。そうすれば、今、世の中で起こっているようなさまざまな思春期の問題や悲惨な精神上の問題は激減すると思うのですが・・・・。

この時期の発達特徴は

 読み聞かせにとっても重要なものです。いわば、将来、読書に入れるかどうかの大きな要で、分岐点でもあります。まずは3歳段階のしっかりした物語絵本が読んで行けるかどうかの下地作りですね。
 2歳になってどういう傾向があるかというと、まず想像力が高まるため、見えないものが見えてしまうという特異な年齢が2歳だということ。これをうまく育てないと想像力が必要な読書の力が落ちてしまうことになりかねません。大人とは違う見方、感じ方ですからついつい大人は大人の常識で見てしまいますが、それはちょっと違うということです。

見えないものが見える

 例えば、この時期の子が暗闇を怖がるようになります。大人にとって暗闇は「何も見えなくて危険だから怖い」のですが、2歳児には「闇の中に物が見えてしまうから怖い」のです。
 これを生かしてモノトーンの絵本を与えると大人が当たり前に見るものを別の見方をするのです。この特徴をとらえた「もりのなか」は想像力を発揮させるのに適切な本で、本格的な文章語ですから3歳以降の物語絵本にスムースに入れるかどうかのキーポイントになる本。地味でインパクトがないなどと言わずに読んであげてください。何度か読むうちに親しめ本になってきます。「もりのなか」はエッツの名作ですが配本では男の子にも女の子にも入ります。地味な本なので、アニメの原色に慣れた親にはパッとしない本に見えますが、まあ、我慢して数回読んでください。多くの子が気に入って何度も要求してくるはずです。

また、逆に、

 2歳後半になると色彩への関心と想像力の拡大が始まり、クレヨンを持たせると「描く」ことも始まります。このきっかけとして「ぼくのくれよん」や「ごちゃまぜカメレオン」などは時期に合わせて配本に入れてあるので色についての興味が出るように読み聞かせを楽しんでください。
 また、この時期には性差がはっきりしてくるので、それを考慮した選書もしなくてはなりません。例えば、就寝儀式(おやすみなさいの本)でも性差を考慮して加えいれてあります。 配本の順を信頼していただいて何度も読んでいただきたいものです。
 さて、2歳になって二つのアドバイスがあります。一つは会話語(しゃべり言葉)のみの絵本から文章語(書き言葉)の絵本に向うということ、もう一つは特定の分野への偏りや好き嫌いが出るので注意!という点。この二つの問題は、かなり重要なので詳しく次回で述べます。

絵本・いろいろ
③流行るもの すたれるもの

 何でも流行というのがあるのはしかたがないことで、いつの時代でも流行るものはある。絵本ばかりでなく音楽も歌も漫画も流行るものはあり、次々にすたれていく。
 絵本で最初に流行ったのは1963年発売の「ぐりとぐら」で爆発的に売れ、いまだにスタンダードな絵本として残っている十年くらい前までは親でこの本を知らない人は十人にひとりくらいだったが最近ではかなり知らない人がいる。その人たちの子どもころはもう別の人気絵本が市場に出回っていたということである。
 1963年といえば戦後16年、まだ子どもたちはまともなお菓子もなく、いつもおなかを減らしていたからカステラやパンケーキは夢のお菓子だった。食べ物で釣れば子どもは食いつく(笑)。これがヒットしないわけはない。いまの首相はパンケーキが好きらしいが、この本で好きになったのか、キリタンポしか食べられなかったから東京に出て知ったものなのかは知らない。

すたれるものは絶版になる

 それはともかく、30年前人気があっていまは配本にいれなくなったもの(絶版になったもの)もけっこうある。たとえば男の子に入れていた本だが「おとうさん」というのがある。これはじつにすぐれた本でおとうさんのおとうさんおとうさんのおとうさん・・・が毎ページに描かれ今の自分ににつながるというもの。最初のお父さんは原始人で狩りをしている。さらに自分がおとうさんになりおじいさんになりひいおじいさんになって行くと孫は宇宙ロケットに乗って別の惑星で狩りをしているという話。しかし、高度過ぎる内容は流行らず、絶版となった。
 数年前まで配本していたもので、「ある朝ジジジャンボウはおったまげた」という本があった。これは子どものおちんちんが長く伸びて町中くねくねと、というもので、読み聞かせるお母さんは赤面だったかもしれないが子どもは単純に喜んだ。それがいつもまにか絶版で、どうも圧力団体が動いたのかうごかなかったのか。
 再版されてはいるが、「ちびくろさんぼ」が黒人差別だという運動が起き、岩波書店が絶版にしたのは有名だ。これは、いわれのない圧力で、本の内容を読んでから差別と断定したのかどうか、「ちび」がダメなら「ちびっこ」もダメだろう。「くろ」がだめなら五輪の輪の色も変えなくてはならない。こういうつまらないことに血道をあげる連中がいるからこの社会は大変だ。そのくせ、政治家が差別発言をしたりイジメ容認をしても表立って反論しない。相手が出版社や個人だと平気でこきおろすが、そういう評論はいかがなものだろうか。

一世風靡した絵本

 配本にはまったく選ばなかったが、かなり流行ったもので最大のものはアンパンマンだろう。ノンタンもこの40年一度も選書をしなかったが、これも根強くまだ残っている。一世風靡した本といえるかもしれない。どこでも見かけ、どこでも飾り、子どもはグッズから着るもののキャラまで好んでいた。作者のやなせたかしさんが亡くなって急速に衰退しているが、まだ一部では根強い人気があるという。
 流行るもの、すたれるもの。軽佻浮薄だから、内容重厚だからというのではなく、おそらく雰囲気でいきなり流行り、すたれていくのかもしれない。
 なぜ選ばなかったかは何度も書いたが、アンパンマンは勧善懲悪、二極対立がすぎる話である。バイキンマンが悪、あんぱんまんが善。底の浅い設定で話に深みがない。あんぱんまんは、自分がイースト菌でできているのを知らないかのようである。しっかりした話はそういう疎漏があってはいけないのだ。
 ノンタンは、1歳児向けなのだろうが、あまりにもしつけに特化している。またこういうことをするとこうなるよという因果応報的な展開が多い。1歳児にそんなことを強制してどんな人間にしようというのか。

息の長いものを選びたいが

 なるべく標準のもので息の長いものを選書しているが、なかなか世の中の好みに合わせるのはむずかしい。アニメや漫画、ラノベで育った世代も親になってきている。当然、絵本を見る目も、自分が育った環境での影響を受けて好き嫌いが強く生まれている。
 どうしても自分が子どものころ与えられたものの影響は大きいのだ。好みはそれで決まっていく。だから流行りが生まれ、いくら内容がよくても見知らぬものはすたれていくということだろう。こういう世代が親になれば、基準は多様になるから自分の好みで選ぶ傾向は強くなる。これからは世間が決めた定番はなくなっていくと思う。内容がいいか悪いかですべては決まらないが、悪いものが好まれていく傾向は悲しい。どこまで通じるかわからないがすたれるものもなるべく選んで配本していこうと思っている。

自分で考える力??
③真似ることは大切、でも、みんなと同じは?

 最近、大学生や若い人がアイディアをどんどん出して、古臭い大人社会に風穴をあけようとしている。とてもいいことだと思う。おそらくプログラミングで多様な類似の例を見ているので、その真似(おさらい)が終わった段階で、独自の発想を出し始めたのだろう。
 どこかでみんなとは違うことを考えないとダメなのだが、個性的な生き方の教育を受けていないと、なかなか「違うこと」に踏み出せない。みんな一斉に同じことをするという状態では次の時代への変化に対応できないと思う。これは訓練や学習ですぐにできるものではない。違う感じ取り方の積み重ねが必要だからだ。これには考える訓練が必要である。オリンピック開会式や閉会式の演出のアイディアを見ていて思うのは統一性もなければ、筋書きもない、行き当たりばったりの思いつきを感じるだけのもので、寄せ集め、なんでもありなら子どもだってできるわけである。問題は思いついたら、それを具現化する手順なのだが、思い付きだけでそれを系統化してある意味ドラマチックに仕立て上げるには、やはり古今東西の文学などを把握しておかねばならないだろう。構成や展開は圧倒的に文学や演劇の中で光っているのだから。
 物事を実現するには当然ながら資金も必要となる。最近は、思い付きを具現化するのは金余りで比較的たやすいものがある。スポンサーはつきやすいし、クラウドファンディングも流行りで、多くが利用する。

クラウドファンディングというワンパターン

 例えば、何かをするときの資金集めだが、時流に乗れば、安直な「クラウドファンディング」でアイディアの実現を行う人が出てくる。たしかにすぐに資金が集めやすいが、維持していくとなると使えるものではない。金余りの時代だからだぶついたお金は集まるがアイディアを実行していくには時間がかかる。その持続化をどうするかは、真似ではなく自分の発想だろう。アイディア一発でクラウドファンディングは利用できるが、世の中は二度目三度目はなかなかきびしい。持続までやってもらえるというのはなかなかむずかしいものである。経済が厳しくなればこういうものはすぐなくなっていくだろう。実際、地元で農産物品の絵本づくりなどに協力したこともあるが、やはり第二弾、第三弾は出せないでいる。それを持続させるアイディアを出していくのが大切なのだが、ワンパターンのプログラミング教育で新しいアイディアが出るかどうか。

独自性の訓練

 独自のアイディアや実行法は何から習得すればいいか、なのだが、個人的には我田引水ではないが、前述のごとくすぐれた本を読めばいいと思っている。こういう本は読んだ人によって感じ取り方がさまざまで、テーマの理解も個人的な読解である。マニュアル本やライトノベルのような底の浅いものは、ワンパターンの答えしかないが、古典文学から現代文学、詩に至るまで、読み取り方はさまざま。だから答えは多様にある。つまり答えがはっきり出てこないもの(文学作品)を読みながら考えていけば、アイディアはいくらでも出るようになるだろう。それにおまけどころではない構成力やドラマツルギーの生み出し方も学べるだろう、無意識のうちに。
 そして、その本の中には技術アイディアだけではなく生活観や倫理観など多様な要素が盛りだくさんだから、読んでいるうちに良いことと悪いことが判別できるというという特典(笑)もある。
 自分内部のイジメ観を身に着けた人間がコンピューターソフトで音楽を作曲しても迎合型の曲しかできないし、差別をしてきた人間が何を立案してもチグハグになり、ろくなものはできないということはわかるだろう。早い話、アイディアや作品というのは人間性まで問われるもので、利便性や利益だけでは測れないものということだ。まあ、即席でできるものは底が浅く、たいしたものでないことは昔からわかっていることでもある。みんなと同じではなく、真似もしないためにもよく本を読んで、すぐれた映画や演劇を見ながらがんばりましょう。

考える方法
③選択肢が多い方がいい?

 いつも選書をするときに「どれがいいか」と考えるのですが、対象になる本が多すぎると選書などとても無理になります。以前、トーハンという大きな取次の新刊展示を見ましたが、本がありすぎて目が移りに移り、選べないことが多いのです。人間はたくさんのものをすべて見て分析して選ぶということはできないので、一定の選書レベルのものを十点程度見比べて、そのなかから自分の基準でベターなものを選ぶのが普通です。
 ネットのログ閲覧ではとてもそんなことができません。AIのおすすめなど利益優先の縛りがかかっていますからまったく参考にはしないのです。で、書評をまとめた児童文学雑誌の推薦本を選択肢にします。絵本でも紹介本の雑誌の書評を見ます。これで数点に絞れるので、それを読んで、よりベターなものを選ぶようにしています。なにごとも選択肢を減らす方法が重要だと思います。あれもこれもではなく、あれかこれかまでに持って行くことでしょうね。みんなそれをやっていますが、衝動で選んだり、分析もそこそこというのが多いでしょう。情報は多くない方が選択はしやすいのです。

例えば

 十五少年漂流記、この手の本はたくさんありますが、いくらなんでも文庫に大長編の十五少年と海底二万マイルは入るわけがない。パス、アニメの挿絵・・・読んだら端折りすぎ、パス、残る2冊を選んで、読める子は右から左端と右から二番目に・・・ここまで選べば「あれか、これか」となります。選択肢をうまく減らしていくことで適切な選択ができます。ただ十五少年漂流記は原作ではありません。原作は「二年間の休暇」です。これを最終的には読んでほしい。海底二万マイルも原作は「海底二万里」です。選書はグレードによっても選ぶものが異なります。以前は、この原作を小6に入れていましたが、外し、いまでは中学のブッククラブのメイン選書です。長いものを読む力がだんだん落ちてきているのは残念。

那須正幹さん ご冥福をお祈りします

 児童文学作家の那須正幹さんが7月22日に79歳で亡くなった。その1カ月ほど前の6月27日に出身地の広島市内で講演していたというからスゴイ。そこでは「ズッコケ三人組」シリーズの人気の秘訣を紹介し、今の子どもたちについて「人間関係に疲れている」と心配もしていたという。
 那須作品で、一番読まれたのは、1978年に始まった「ズッコケ三人組」シリーズだろう。だが、残念なことに1980年に開業したゆめやで、タイムリーな売れ筋本ではあったがこれはブッククラブの選書には入らなかった。
 「タイムスリップしたかと思うと、幽霊と会う。殺人事件を解決したり、児童会長に立候補したりと、何でもあり。子どもたちが非常に飽きずに読んでくれた」と那須さんは言う。しかし、当時、これを選書したら、まずその後の読書がどうなったか危ぶまれた。あまりにも子どもにフィット(迎合?)しすぎのネタだったからだ。選書刷る側から見たら、子どもに媚びた内容のような気がしたのである。
 那須さんは「あの頃、エンターテインメントの児童文学がなかった。それも読まれた理由と思う」と語っているが、私は子どもの遊びに直結しない、つまり主人公がやってくれることで満足してしまう傾向が強いものと感じたので入れなかったというわけ。
 那須さんによると、最近の三人組の読者は「三人組のような何でも話せる友だちがほしい」「けんかをしてもすぐに仲直りできるのがうらやましい」などという便りを紹介していたが、それだけ子どもの友人関係が乾いてきたのかと思う。時代は巡る。世の中は変わる・・・とくにこの十年は異常なほど子どもを取り巻く環境が変わった。那須さんは天国から次の時代をどう見るのだろう。「ズッコケ」を読んで育った世代は、もはや四十〜五十歳代だ。裕福な世代でもあるが、どこかで満たされないものもある世代とも言われている。それは育った社会が人間関係を硬化させてきた社会でもあるので影響はうけているだろう。お金第一の世代でもある。したいことはしたいし、贅沢も行いたいし、地位や名誉もほしい世代だと言われている。理想がスクリーンや物語の中で進行している世代なのかもしれない。

広島の原爆とぼくらの地図旅行

 那須さんの作品は、ブッククラブの選書では「ぼくらの地図旅行」小3「広島の原爆」小5の大判ものを選んである。両書とも長く人気が高い本である。
 「ぼくらの地図旅行」はスマホ全盛でも地図を読む力は関心が高いらしく、会員の子どもたちから「おもしろかった」「地図旅行をしたい」という声が届く。
 個人的には地図の読めない大人になってもらっては困るから当分はこれを入れていこうと思う。「広島の原爆」のほうは大人たちからの感想が多い。これをきっかけに広島へ旅行した人もかなりいるはずだ。この本は広島での被爆体験をもとに核の悲惨さを描いたものである。幽霊になった少年が案内する広島の街は悲惨だ。絵は「地図旅行」と同じ西村繁男さん・・・・ちょうどこれを描きに広島に行く直前に西村さんと話したことがある。「長期間、広島に滞在して、地元の人に話を聞きながら描こうと思う。」と言っていた。西村さんの入れ込みの熱さを感じた。西村さんは昭和22年1月18日生まれでもちろん広島の惨劇は知らない。しかし出来上がった本を見たとき、すごいと思った。昭和22年1月18日生まれは北野タケシもそうだ。才能のある人が生まれる日だったのかな。あれ、私も誕生日は昭和22年1月18日である(笑)。例外もあるか。

さほど怖くない怪談と怖すぎる怪談

 コロナストレス、猛暑疲れで、文を書くのもおっくうになる夏。そこで涼しくなるような怪談を来たお客さんたちにする。夏場は子どもも多い。
 だから小学生にも「怪談」をする。
 「青い血って話をしてあげるよ!」から始まる怪談。子どもは怖そうな顔をする。
 「森の中で子どもが迷ってしまって、あたり一面真っ暗闇の中を歩いていくとお城があったんだって。ドラキュラのお城なんだ。おなかが空いたので『何か食べさせてください』というと、ドラキュラは血を吸いたくてたまらなかったので、子どもの首にガブリ。すぐに血を吸われたんだって。で、噛みついたら子どもの首からシューっと真っ青な血が出たんだ。そうしたらね。ドラキュラは、その血をなめながら『あー、おいちぃ』って言ったんだって。」怖そうに聞いていた子どもは笑う。なんだ! 「こわくないじゃん! もっとして。」
 「じゃあ、もうひとつね。雨の降る真夜中に、藁(ワラ)人形が足の長いリカちゃん人形とかけっこをしたんだって。どっちが勝ったと思う。
 子どもは「リカちゃん!」、私は「あたり!なぜ、勝ったかわかる?」、「足が長いから。」、「ブーブー!! ワラ人形はノロイの!」こういう他愛のない怪談は百でも千でもできる。意外とこういう話の方が子どもは覚えていて、すでに大人になった会員が「昔、ゆめやさんに聞いた怪談、いまでも覚えてますよ!」と言われるのはとてもうれしい。

日本三大怨霊の怪談

 でも親たちとはそんな馬鹿怪談はできない。まじめな怖い怪談。
 「東京の千代田区大手町1丁目1番地にあるお墓知ってますか?」というと東京出身の人でもあまり知らない。「こういうお墓で回りは高層ビルで囲まれてます。」と写真を見せる。
 「これが日本三大怨霊の一人である平将門の首塚なんです。家康は頭がいいからこれを壊さずにていねいに祀って御神体は神田明神にしました。江戸の鎮守にしたので、祟(たた)らずに270年間江戸を守ってくれたのです。」
 「ところが明治になって天皇が東京に移ったら、将門は天皇家に反逆した謀反人(むほんにん)なので祀(まつ)るなんてとんでもない!ということになり、塚は放置し、神田明神は他の神さまをつれてきて祀るようになったのです。するとね、ね。いきなり清国やロシアと戦争になり、たくさんの日本人が命をおとすことになったのです。」

海音寺潮五郎「平将門」

 「きわめつけは関東大震災で、東京はガレキの山になったのです。1丁目1番地には大蔵省の官舎があったのですが、これが崩れたため立て直したのですが、その時、塚を壊してしまった。すると、大蔵大臣は急死するわ、大蔵官僚はバタバタ死んだり、大けがをするという祟りが起きたのです。あわてて塚を埋め戻したのです。でもまだ戦争は続いて、けっきょく東京大空襲で東京は焼け野原になりました。そして、アメリカ軍が入ってきて、この1丁目1番地を駐車場にしようとしたのです。ブルドーザーで塚の上に乗ったとたん運転手が転げ落ちて死ぬという事件まで起きました。明治から昭和59年までずっと将門を神田明神に祀っていなかったからです。怖いことをしてしまったんですね。
 ところがNHKの大河で海音寺潮五郎の「平将門」が原作である「風と雲と虹と」という将門のドラマがヒットし、それでみんな将門の存在に気が付いて神田明神に将門の霊を戻したのです。明治の時におろそかにせずに、ちゃんと祀っておけば、日本は日清・日露の戦争、関東大震災、東京大空襲もなかったのかもしれません。
 東京を守りたかったら将門の津かと神田明神をきちんと祀らねばいけないのです。
 1964年の東京オリンピックは町の大改造だったので、当時の都知事の東龍太郎さんは塚にお参りしたそうです。今度の五輪では前首相や現在の首相はお参りしたでしょうか。もしお参りをしていないと五輪後にとてつもない厄災が東京にふりかかるかもしれません。怖いですね。大きな祟りが起きねばいいのですが。」と話すと「ほんとなんですか?」と多くのお客さんがいいます。「ほんとです、祟りますよ!」と私は答えます。(一部閲覧)



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