ブッククラブニュース
令和3年
7月号(発達年齢ブッククラブ)

暑中お見舞い申し上げます

 明けると暑くなります。日射病に気を付けてくださいね。疫病が流行っているとき、流行った後は治安が悪くなると言います。もうなってるかな。やはり、頭の中を楽しくないコロナがチラチラ動き回っていると、ストレスが溜まって精神がおかしくなりますからね。異常なことには、とくに気を付けましょう。夏はただでさえ子どもを巻き込む事件・事故が増えます。要注意。
 さて、そうは言うものの、夏の暑さ、湿度の高さの鬱陶しさは毎度のことですが、今年はやはりコロナがあります。なかなか気軽に出かけることもできません。でも、発散をしないとこちらまでやられますから、海に山になんとか楽しむ方法を見つけたいものです。まずは暑中お見舞い申し上げます。

体験は人生の原動力

 私のモットーは「おもしろくなき世をいかにおもしろく」で、けっこう夏も冬も(秋も春も)楽しむほうです。もちろん、いつも仕事がありますが、出かけるときは出かけます。
 若いころはバックパッカーが流行った時代で、夏はリュックをしょって、オール鈍行列車でいろいろなところに行きました。いまでは考えられない悠長な旅です。常磐本線全線踏破(日暮里から岩沼まで三日がかり)をやろうと思ったのは、始発駅が上野とばかり思い込んでいたのに何と日暮里だったことからです。そこで日暮里から乗りました。水戸で一泊、相馬で一泊、岩沼まで行って、また一泊。観たいところがあれば電車を降り、旅館がなければ駅の待合室で寝るなんてこともしました。富岡も取ったのですが海がきれいでした。後で知りましたが、そのころ福島原発1号機が建設されていたようです。あのきれいな海と丘陵と畑が放射能で汚れるなんて想像もできませんでしたね。
 いまでも車窓や歩きながら見た風景は記憶に鮮明です。いきあたりばったりというのは新鮮さがあります。あの頃は、世の中ものんびりしていて、夏はとくに「時間など気にしない旅行」が多かったです。

祖父母、親戚でのお泊り

 私の子どものころはキャンプなどというシャレたことはない時代だったので、夏は祖父母の家に半月くらい預けられました。テントを張ってのキャンプは高山に登るときだけ環境が変わるとすべて目新しいものになるので、いまでもその風景や体験は鮮やかな感覚で残っています。
 祖父は長野県の宮田村というとんでもない山奥の出身でしたが、その家の生活で見た風景はいまだに目の奥に残っています。
 庭の向こうにあるポッタントイレ、薪で炊くお風呂、縁側の向こうの南アルプスの連なり、そのとき以来一度も見ていないオニヤンマの飛ぶ姿、桑の実の味、乾草の匂い。見知らぬものや人に囲まれての、こういう体験は子どもには必要なことかもしれません。
 忙しい合間に時間を見つけて時間に追われまがらもスケジュール通りに慌てて行って帰る・・・子どもも何がないやらわからないまま、連れ回される感じ。そして、行った!行った! 見た! 観た!だけの記憶はさびしいものがあります。

想像力の源泉にもなる旅

 さてさて、子どもたちにも多様な人や風景と接してみることを薦めたいです。
 人間には善い人もいれば悪い人もいる・・・酷い国もあれば平和な国もある。不安を感じることもあるが、美しいものも見られる。やがて、そういう考えなければならない問題の最初の経験です。こういう体験を重ねていけば、表には裏があり、見かけには実体があり、ほんとうのうしろには嘘がある・・・・こういうことが体験からわかれば、嘘くさい答えばかり書いてある教科書では見ることができない生きる喜びや自然の大切さもわかってくるのではないでしょうか。
 夏・・・オートキャンプ、テーマパークめぐりもいいのですが、子どもたちには人生を旅するための第一歩である不便な「キャンプ」や不安な「お泊り」や年齢に応じた「旅」を経験させたいですね。

たしかに危険はつきまとうが

 政治の劣化から、何をしても危険、子どもが危ないという意識が出てしまっている日本ですが、小さな子であっても、してもらうだけではなく、人になにかする、あるいは自分から何かしなければならないことを学ぶ。これらで、一つ大きくなるチャンスにもなるのです。人や世界と出会うための最初の一歩。
 体験して感じること、じつは理解とか納得などというものは「論理」でやるものではなく一瞬で直感するものでもあります。つまり感じ取るということ、その力は見知らぬものを見て感じ取るわけで、それは生きていくうちに人生の答えを感じ取れることにもつながるかもしれません。その体験は、本を読んで想像する力の源にもなると思いますよ。(ニュース一部閲覧)

梅雨被害お見舞い申し上げます

 いま、この新聞を書いているときは気温22度で梅雨の真っ最中です。夜など肌寒い感じがしますが、明ければ猛暑になることは間違いないですね。甲府は40度越えがひんぱんにあり、夏は大変です。
 子どもたちが蒸し暑い梅雨の午後、マスクをして下校してくるのを見ると、なんともかわいそうになります。呼吸困難にならないよう人のいないところでは適度に外すように言ってあげてください。温暖化も社会の発展も科学も限度を超えて、どんどんイケイケで、どうなるんでしょう。なにはともあれ、嫌な時期なのでお体を大切に。
 ところが毎年、この梅雨の終わりごろ豪雨で被害が出ます。広島・岡山の山の斜面に造成した住宅地域が土石流で流された大被害が起きたのは、つい一昨年のことですし、球磨川の氾濫で泥流に流された村や町のことは去年の話です。
 これは地形を無視して乱開発した結果なのですが、誰も責任は取りません。今年の熱海・伊豆山の土石流(山津波)も盛り土を捨てた業者も捨てるのを認可した行政も責任はなすりあいです。
 こういう被害を伴う公共事業が土石流と同じく止められないのです。「ここが限界だ!」「ここまででやめておこう」「これ以上は危険だ!」という発想がないのです。なぜか、儲かるからですね。儲けのためならだれでも騙す、それがどうした文句があるか!状態で、なにが起きても責任など感じないでイケイケどんどんです。災害だけの話かというと「あれっ?! 似たようなことが・・・・。オリンピックの無理やり開催。

ポイント・オブ・ノーリターン

 最近、カタカナ英語が多くてゆめやのおじいさんは文を読むのも大変ですが、この言葉を、昔、知人の全日空パイロットから聞いたことがありました。「Point of No Return=もう引き返すことができない地点」を意味する航空用語です。
 エネルギー消費しすぎ、デジタル化で現状も未来も見えない世の中、火星に移住とか百歳まで寿命を延ばすとか「そんなことが必要なの?」というほど世の中が進んでます。でも、このイケイケどんどんは「過ぎたるは及ばざるがごとし」で逆にまずいことになるでしょうね。子どもたちが大きくなるころにはすでに・・・それはもう目の前。いや、この夏にも問題が噴き出すかも。
 東京オリ・パラも「ポイント・オブ・ノーリターン」を行き過ぎてしまったのではないか、と思います。欲や見栄から始まって、夢や希望、勝利で煽って、引き返せないところにきてしまっている。このイケイケドンドンを子どもはどう見ているのでしょう。首相は「1964東京五輪の『東洋の魔女』に感動した、子どもたちに再び夢を!」と叫びますが、親や学校はこんな時代錯誤の筋肉脳にこのまま乗っかっていくんでしょうか。これでは、2021の東京は『東洋の魔所』になりそう・・・・やばいポイント・オブ・ノーリターンです。

思考停止です

 お祭り騒ぎで思考が停止になるというのは、昔から日本人の気質でした。戦争も最初はお祭り騒ぎで、「勝った!」「勝った!」 行き過ぎると「決まった作戦だから一億玉砕でも実行!」となります。やめないで突き進む。オリパラ2021開催は誰が決めたのか? 
 昨年、前首相がコロナ禍を理由に一年延期と決めました。二年延期案もあったのにね。なぜ一年にこだわったか? それは任期中に、ぜひともオリ・パラを仕切りたかったマリオだからですね。一個人の名誉欲が、いま危険な事態を招いているのも「ポイント・オブ・ノーリターン」を、誰一人少しも考えなかったからでしょうか。
 日常生活でもそうですが、決まっているから無理やり実行というのは思考停止です。
 山登りの予定日が決まっていて、「天候が悪いがここで登っておかないとスケジュールが!」となる。で、「少しくらい天気が悪くても精神がしっかりしていれば、登って登れないことはない!」・・・となる。驚くべき思考停止の精神主義です。自分一人ならどうなっても自己責任だが、たくさん引率して登る人が、これでは困ります。遭難です!そうなんです。
 物事をするときには見極め、見定め、切り上げという視点が大切なのですが、欲に狂っているとこの視点がなくなり、けっきょく破局まで行ってしまう人が多いのです。株とか博打、経営の巨大化などは、「ポイント・オブ・ノーリターン」を見失いがちなもののひとつでしょう。
 まともな本を読んでいれば、「あ、ここからがあぶない!」という感覚は身につくんですがね。ろくに本も読まず周囲から夢、希望、挑戦などと煽られると、できるように錯覚して手を広げ、けっきょく潰れることになる。個人の人生も国の未来も同じことです。

Takt タクト

 ところで、タクトって知ってますよね。タクトは指揮者の指揮棒のことですが、本来の意味は「当意即妙(とういそくみょう)」=その場に応じて、素早く適切な対応策をとり工夫するという意味です。指揮者にとっては演奏をトチらないための重要な技術です。状況に応じて方法や考えを変えていくことは何であっても大切なのです。
 家庭の営みや子育ても同じ、「これでいくぞ!」一本はとても危険なことです。イケイケどんどんは必ずコケます。
 そもそもオリパラをやる理由は何か。前述のようにただただ金儲けなんでしょうね。私たちが現在目の当たりにしているのは、利権での五輪(ゴリ)押し。
 誘致の買収疑惑、“マリオ”のアンダーコントロールの嘘、盗作エンブレム、お金まみれの不吉な兆候は最初からでした。ワクチン接種でどうにかなるとは思えませんが、神風邪(笑)が吹いてうまくいくでしょうか。復興(ふっこう)五輪どころか不幸(ふこう)五輪になりそう。「お・も・て・な・し」という言葉もじつは「う・ら・が・あ・る」ということで、裏は欲でいっぱいだったというわけです。(新聞・一部閲覧)



(2021年7月号ニュース・新聞本文一部閲覧)

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