ブッククラブニュース
令和3年
5月号新聞一部閲覧 追加分

読み聞かせ・いろいろ

 だいたい生後10ケ月くらいになると赤ちゃんは、平面に描かれた絵が認識できるようになります。個人差もありますが、落ち着いて見入る子もいればパラパラめくって遊ぶ子もいます。なかには噛んだり、投げたりする子もいるでしょう。それは、生後6〜8ケ月のときにいろいろなものに触らせなかったことが原因かもしれません。衛生観念の発達で子どもにいろいろ触れさせない親も増えていますからね。ところが人間の子はなにより先に触覚で物を判別します。それはまず最初にお母さんのおっぱいを吸うために触覚での判別機能が働くからです。それから、いろいろなものに触って、「快い」か「快くない」かで物を判別していきます。小さいうちは物を見てもあまり喜んだり、怖がったりはしません。柔らかいもの、丸いものは好きですが、硬いもの、ごつごつしたものは嫌いです。だから生後10ケ月以前は、とにかくいろいろ触らせておきましょう。そうしないと、かなりいつまでも(1歳半くらいまで)触覚確認が続いてしまいます。口で噛んだり、本を積み重ねたりがいつまでも続きます。

1歳前後

 で、標準的には生後10ケ月前後から平面にプリントされたものがわかるようになります。視覚による認識の始まりです。このへんから歩きはじめる子も出てきます。誕生までの10ケ月に単細胞から進化して脊椎動物になり、エラが出て(魚類)、しっぽが消え(哺乳類)、誕生してようやく高等哺乳類ですが、まだまだ四足歩行まで半年、ようやく一年くらいで直立猿人なみに二足歩行ができるようになります。ここからがホモサピエンスへの道ですが、それはそれはものすごいスピードの進化です。でも、最初は実物に近い絵がいいのです。実物に近いなら写真絵本が一番ですが、これはひとつ問題が。すぐれた最初の絵本は背景が白地で物だけが浮き上がるように描かれています。写真絵本だと背景まで写っていますよね。これはまだ観察力が散漫なこの時期の子どもには不適で、ページ一枚にひとつのものが描かれた写実的な絵本がぴったりなんです。すぐにいろいろなものを同時に見てわかるようになりますが1歳前半くらいまではページにひとつが望ましいですね。

配本は発達対応

 配本は発達に応じて組まれていますので、まず1歳前後は、読み聞かせに慣れるように何度も読んであげてください。
 ときおり、「こういう本は字がないのでどう読んだらいいでしょうか?」という質問があります。ふつう、本を開いて沈黙している親はいません。あるいは「指さして、これはライオン!」「これはイチゴ!」と連呼する親もいないでしょう。いろいろ語りかけるのがふつうです。「ほら、ライオンのお父さんはおおきいね。赤ちゃんはお母さんに何をしてるのかな。」などとふつうに話していいのです。言葉を頭の中にためていくわけですから、理解など無視して言葉をたくさんかけてあげるべきです。

動作絵本

 その次は、動作絵本(いないいないばあ、おつむてんてん など)に移りますが、これは動作を実際にしてあげて、まねをさせてください。すぐに同じ動作を真似て喜ぶようになります。
 絵本も言葉の繰り返し、音感の連続などのものがこの時期にはぴったりです。
 1歳前後から数か月、この動作は重要です。歌を歌いながら手遊びをしてあげると、かなり大きな反応を示します。手遊び歌はたくさんありますが、たとえば、長崎わらべ歌の「でんでらりゅうば」などは単純な手遊びなので、ちゃんとできなくても真似るものです。でも大人は指遊びの順番くらいは覚えて歌の合わせて動かして見せてあげましょう。この指遊びと歌は2歳くらいまでやることができます。2歳になればちゃんと自分で正確に指や手で歌に合わせて動かせるようになりますよ。
 指や手をリズムやメロディに合わせて動かすことは、ひじょうに脳への刺激になって、楽しさと動作の一体化で次のものを要求することにつながります。
 とにかく、この最初の時期は、いかに本を開くと楽しいことが起こるかを期待させる工夫をする必要があります。

自分の成長を親に見せ始める

 次の段階に行くうちに本というものが楽しいものであることがわかってくると膝の中で親を独占できる幸福感も味わいながら、いろいろなことへの好奇心や関心が芽生えてくるでしょう。
 子どもは自分の方に親を向かせるために様々な自己表現をします。この時期の発達が速いのは、「もうこんなことができるのか!」と親を驚かせることで自分に引き付けようとする力が発揮されているんでしょうね。
 この急速な発達は3歳近くまで続きます。ときには「この子は天才かも」と思わせる能力を発揮します。それこそ親の育てる力を高めるための能力発揮です。そういう時期を、他の人の保育に委ねるのはもったいない感じがします。子どもが親に向けて放つ成長のすごさ、それが始まるのが1歳前後。その意味では、この時期は重要な出発点ですね。

自分で考える力??

①ブラックボックス

 どういう理由からか、いまいち、まだよくわからないのですが、ひじょうに唐突な形で小学校からプログラミング教育なるものが必修化されました。おおまかな理由としては、「世の中にこれだけコンピュータが浸透してネット環境が複雑になっているので、子どものころから慣れておこう」という発想があったのでしょう。「自分で考える力をつけさせたい」「コンピュータと親しめる能力の養成」という狙いが真ん中にはあるようです。今年度は、これをちょっとシリーズで考えて行ってみたいと思います。例によってあまり人が読んではくれないシリーズになりますが、関心のある方だけおつきあいください。めざとい一儲け組は、すでにタブレット学習の講座をどんどん展開し始めました。波に早く乗りたいという親たちももちろん出てきています。

SF作品が暗示するブラックボックス

 ネットが進化していくなかで、じつはその向こうの世界はどんどんブラックボックスになっています。AIというのはそのブラックボックスそのものであるわけです。昔、手塚治虫が「火の鳥」で描いたような人間がロボットに恋をする悲劇がありますが、ノーベル賞作家のカズオ・イシグロが「クララとお日さま」で暗示したような未来がくるのかどうか、ネット社会の先やAIの未来像を国も科学者も考えてはいないようです。
 スマホを考えてみてもあの中身がどうなっているのかなど誰も知らないし、考えもしません。ところがなんとなく使えてしまいます。極端に言えば100歳の老婆でも1歳の幼児でも使えます。この機械は考えるより慣れることが優先ですが、そこから生じる恐怖や暗黒の世界(すでに事件は起きていますが)を教育で和らげることができるかどうかということがまず考えるべきことのような気がするのです。プログラミング教育は、いわゆる「知識教育が物を考える力にならない」ということから導入されたようですから、その意味では「ゆとり教育」と同じです。

教育法の一実験にすぎない

 ゆとり教育も知識の詰込みへの反省から生まれたものでした。そうなると、ひとつの教育法の実験、もっといえばひとつの流行であって「絶対的なものではない」ということでしょうね。ゆとり教育は、科目授業を減らして「物を考える」「教室だけではなく多様な場所で考える力をつける」という方針でしたが、減らした分、知識量が減って思うように「考える力はつかなかった」ということです。原因は生活環境にあったと思いますが、早々打ち切られて詰込みがまた始まりました。
 それをまた解消して、効率的に知識量を増やし、ネットを操れるようにして、合理的な思考ができるように、と考えられたのがプログラミング教育のようです。さて、成果が上がるか上がらないか、少し考えていきたいです。

おたより

 市川三郷町 村松明奈さん (12歳 中1)
 ゆめやさんへ
 11年間お世話になりました。私は本でいっぱいのゆめやさんのお店が大好きでした。そして、お店では飲みものを出してくれたり、元気にさせてくれてありがとうございました。
 配本で思い出深いものは「まあちゃんのながいかみ」と「じごくのそうべい」「あらしのよるに」です。とくに「じごくのそうべい」は印象深いです。母に読んでもらっているとき「地獄に落ちるとこんな怖いことが待っている。これからはママの言うことをしっかり聞こう!」とビクビクしながら聞いていたことを思い出します。幼稚園のときに配本されたものですが、小学生になっても大好きな本でした。
 いまでは、長い本も読めるようになり、読書は大好きです。(週に一回は図書館に通っています)これから配本がなくなってしまうのは悲しいけれど、これからも本は読んでいきたいです。長い間、ありがとうございました。これからもお体に気をつけて、元気に過ごしてください。
 《ゆめやから》長いことありがとうございました。楽しい中学生活を送ってください。また遊びに来てね。

「本とともに過ごしてきて」

 岡部綾乃さん (沖縄県那覇市) 修くん(高3) 信子さん(小5)
 それまで書店で購入した本にはなかなか食いついてくれなかったのですが、ゆめやさんに配本してもらうようになって、驚くほど喜んでくれて、繰り返し読むようせがまれました。「年齢に合った本を与えてあげるとこんなに夢中になるのだ」、と感激しました。
 お世話なってすぐのころに、お友だち家族とゆめやさんのお店に遊びに伺ったことを覚えていらっしゃいますか。笑顔のご主人と緑に囲まれた本屋さんが絵本の中のようでした。幸せな読み聞かせの時間を過ごした息子はこの春に高校3年生になりました。
 息子は高学年で、配本に追いつけず読めなくなったこともありましたが、本の思い出はたくさんあります。旅行のスーツケースに『いたずらきかんしゃちゅうちゅう』を持って行ってホテルで何度も読んだことや、娘が生まれると私の代わりに毎日読み聞かせをしてくれたことなど。今では信じられない、可愛い時代です。
 下の娘は5年生になり、小さな図書館くらいになってきた本の部屋でいつも座り込んで黙々と読んでいます。幼い二人に読み聞かせた時間は皆さまと同じように素敵な思い出です。怒られても「読んで」と絵本を持ってくるあの姿は反省と感謝の繰り返しでした。いろいろあっても1日の最後は絵本を読んで、くっついて丸くなって眠る。幸せな子育てをさせていただいたと思います。少しづつ、大きくなるたびに様子を聞いてくださって一緒に見守ってくださったゆめやさんに感謝しています。
 娘もあと2年で卒業、寂しいですね。残りの時間も宜しくお願いします。
 《ゆめやから》最初いらっしゃったのは、もう15年以上前で、覚えてはいますが、はっきりした記憶がないのです。すみませ〜ん。修くんはもう高3! びっくり仰天です。岡部さんが東京在住のときですから、ずいぶん前ですよね。ほんとうに長いおつきあいになりました。ありがとうございます。信子ちゃんを遊んでやっているお兄ちゃんの年賀状の写真、まだ取ってありますよ。歳が離れた兄妹・・・あたたかいつながりを感じてますよ。

考える方法①

過去から見てみる

 コロナ、コロナで今年も終わるのでしょうかね。少しも終息が見えないのは、対策がきちんとしていないからだと思いますが、じつは、われわれはほんとうのところがよくわかっていません。コロナウイルスが何度の熱湯で死ぬのか、どのくらいの濃度のアルコールで死ぬのか・・・はっきりしたことが少しも報道されないのです。飛沫感染ということにはなってきてますが、エアロゾル感染もあるらしいし、では、飛んだ飛沫のウイルスが何時間生きているかどうかなど、何も知らされてはいません。私がテレビをほとんど見ないからなのか、一応、新聞は読んでますけど新聞にも詳しくは書いてないですね。
 こういうことって、感染防御にはとても必要な情報だと思うのですが、じつは的確な報道がされていません。毎日毎日感染者数の増減の数値ばかりが報道されます。感染症ですから、それは必要であることはわかりますが、なんとなく飲食店や若者を狙い撃ちして「出るな!」「食べるな!」「集まるな!」では、感染症そのものへの警戒心より、のけ者にされる不安ばかり煽り立てて、コロナへのきちんとした対応ができていないのではないかと思うのです。

何もわからない!!では防ぎようがない

 テレビニュースや新聞は「ファクトをもとに」とか「エビデンスがあるから」とか横文字が舞い、示されるのは統計表(棒グラフ、折れ線グラフ・・・)・・・だけで、何人死んだとか、何人感染したとか、一桁の数字まで報道されるのに、具体的な防御方法が少しも伝えられてこないのはなぜなんでしょう。
 大阪府知事のイソジンでうがいすれば撃退できる?(笑)から、神社のアマビエや疫病退散のお札までですが、お祓いの神主さんまでマスクですから笑えます。東京都知事は意味不明なカタカナ英語のフラップを出して、注意をお願いするばかり。なんだか、報道関係者の便宜やうがい薬の宣伝、あるいは神社の儲けのために何かしているというような感じさえします。とりあえずの防御法しかないのが実情なのでしょうか。

過去の記録を調べれば

 私は、こういうときに過去にさかのぼって考えてみます。
 一回目の非常事態宣言の最中の昨年の四月号で日本での疫病のおおまかな歴史を書きました。そうすると見えてくるものがあります。
 国が膨張した時に起こるんです。古代では崇神天皇が東西の遠征をしたときに起きて、人民の半数が死に絶えたとか、遣唐使のときに天然痘が大流行とか、秀吉の朝鮮遠征で性病がもたらされたとか。ペリーがコレラを持ってきた、大日本帝国の膨張でスペイン風邪(写真)が入ってきたのです・・・。
 今回は、インバウンド、インバウンド!で、観光収入を狙った結果、たくさんの観光客が来て、蔓延してしまったわけです。早い話、国を縮めればいいわけで、一時の鎖国が必要です。
 国を膨張させなければ疫病は起こらないのですが、どうも経済・経済でそうはいかないようです。経済、経済と言った人たちが招き込んだ厄災といえるのかもしれません。もちろん、膨張と疫病の入り込みだけではなく、同時に防疫の歴史もあるでしょうが、大昔では医学もないですから疫病にやられっぱなしでした。ところが、だんだん近世になると防御法を考え出す人も出てきます。本もできているので参考にしやすいのです。

だんだん実体がわかってくる

 過去をよく見れば、どういうふうに対応したか、成功したか、失敗したかがわかってくるでしょう。やはり本を読まねば未来への参考にはなりません。
 実際、当時の(スペイン風邪のとき)、写真のようにマスクをして、手洗いをして防げたという事実が記録されています。もちろん疫病ですから45万人もの罹患者が死にました。その後、この風邪はA型インフルエンザとして残りましたが、免疫がありますので死に至る病ではありません。
 実際、今回のコロナでも原始的ながら手洗いとうがい、マスクでインフルエンザは防御できています。いつもなら毎年、流行し、学級閉鎖がたくさん出るインフルエンザがこの一年、ほとんど姿を見せません。昨年十一月号で、日本や極東アジアでは重症化、死亡が欧米に比べて異常に低いのはなぜかという論稿を引用したことがあります。インド以西は小麦を食う文化、タイ以東は米を食う文化、それでつくられた遺伝子は、Covid19に強弱があるというものです。小麦を食べた遺伝子では重症化率・死亡率ともに高く、米で形成された遺伝子を持つ国々はひじょうに低いのです。もちろん、今日から米を食べ始めてもダメですが。インドが酷いですね。心配です。

例えば200年前の山梨県でも

 さて、なにもわからないから手をこまねいていていいかどうか。それでは古代人です。やはり、なんらかの記録したものから学ばねばならないのが医学であり、政治学や社会学でしょう。ウイルスを知らなかった時代にも適切な医療法を考えていた人もいます。
 天然痘や麻疹について人から人への伝染だと見抜き、「体内の生気が毒気と戦う。一度、治ると再びの感染がなく罹(かか)った人を看護要員にせよ!(断毒論)」とまで言っていた山梨の漢方医・橋本白寿がいたことを、甲府の医師の吉岡正和先生(左)が発掘して、本にしました。このことが「天声人語」に紹介されています。ぜひ読んでみてください。ウイルスもワクチンもわかってない時代に試行錯誤ながら見抜くことができた人がいたというのはおどろきです。
 そして、彼は「離島や山の中など感染しにくい場所に隔離所をつくれ」とまで言っているのです。「避ければ免れ、避けざれば冒される」・・・あたりまえのことのようですが、200年以上前は、祈祷やおまじない、よくやったところで薬草程度で病に向き合っていたのですから防御法を考えたついただけでもものすごいことですね。ファクトやエビデンスもいいのですが、いくら集めても対策にならないのでは話になりません。
 ワクチン、ワクチンと大騒ぎですが、無症状・軽症というがかなり多いようです。味覚が!嗅覚が!効かない。こういう症状もありますが、どうもアジアでは重症化率、死亡率が欧米に比べると圧倒的に少ないで、対策をかえたほうがいいかもしれません。これはマスク励行、衛生管理がいいだけの話ではないようです。

ワクチンしかないのか?

 個人的には、なにか特効薬みたいなものへ発想の転換ができればいいなぁと思ってます。ふつうのインフルエンザでもリレンザとかタミフルがあって一定の成果を上げています。治療薬という方向に進むことはないのでしょうか。
 例えば、山梨県出身のノーベル賞受賞者の大村智さんのイベルメクチンは効かないのですかね。一部には、ウイルス感染に効果があるという研究もなされています。山梨のお医者さんたち、昔も今もがんばっておられます。そして、全国のお医者さんもまた、「仁」の気持ちで!!奮闘しておられます。政府の対策がまずすぎて医療従事者の方の負担が日増しに大きくなっていますが、これは政府のでたらめが作り出したものであきらかに人災です。
 ドラマのように未来からタイムスリップしてきたお医者様が、ペニシリンのような特効薬を作り出してくれるわけはありません。ここは過去から学び、現在に生かすのが大切なことでしょう。でも漢字の読めない政治家では、「断毒論」のような漢字の多い本は利用できない(笑)かもしれませんがね。(一部閲覧)



(2021年5月号ニュース・新聞本文一部閲覧) 追加分



ページトップへ