ブッククラブニュース
令和3年
4月号(発達年齢ブッククラブ)

来店受け取りのお客様へ

 コロナ対応について
 平常化を始めたとたんにまた感染拡大、トホホ。だれだ!こんないい加減な対策を繰り返しているのは!と言いたくなります。飲食店には金を出すのに書店には一銭も出さない。愚痴りたくもなります。ご来店の際は・・・・
 またマスクをつけて御来店ください。
 お子様のマスクは強制しません。
 マスク着用はお顔が判別できないので、お名前をお願いします。
 土曜日は混雑するためまだ飲み物サービスは中止します
 通常日も密になったら、飲み物サービスは中止いたします。
 念のため消毒・換気もしますが気になさらないでください。
 受け取り可能時間(10:30am〜18:30pm夏時間)です。
発送切り替えも可
 発送も可能です。その際は県外会員と同じく3ケ月一括発送になります。
 ご利用ください。発送のご相談は メールでも受けつけます。
 お振り替えは郵便ATMか銀行振込のどちらかをご利用ください。
 ご理解のうえご協力ください。 ゆめや店主 4月25日

入園おめでとうございます

 甲府では今年も早々と桜が咲き、すぐに満開。入学式には葉桜になっているところもありました。それどころかいつもなら桜の後に咲く桃の花も
 同時に開花。さらに春の花はいきなり一気に咲き始め、ちょっと今年はすごいなぁと感じました。春の花には順番というものがあったのに・・・順番が無視される・・・なんでもありの感じになっています。
 さて皆様のところは入園式はいかがでしたか。日本列島は長いので、会員のみなさんそれぞれの春の風景があると思いますが、この国では桜と新しい年度の始まりは切っても切れないですね。これからのところ、もう散り切ってしまったところ、でもそれぞれの始まりがこの芽吹きの春です。コロナでさんざんのこの一年、時代が変わっていくのを肌で感じています。さて、その中へ進んでいく子どもたち、頭がおかしい大人たちも増えてきたので、負けないようにがんばってほしいと思います。まずは入園、おめでとうございます。

世の中は変わるが・・・

 春だけではなく、四季折々季節感が以前とちがってきました。世の中の様子も十年前とは違ってきて、二十年前と比べれば大違いという感じです。さらに、季節の変化より世の中の変化の方が速く、すざまじい感じもします。世代が変わって、親も子もかなりの変化。世の中の流れは一見やさしさにむけて「虐待や放任を否定する」方に行ってはいるのですが、その反作用として躾(しつけ)られない子も増えているように思います。叱られないから奔放なんでしょう。
 以前は入園する親の方々に「入園すると子どもも不安や緊張があるので最初はなるべく叱らずに心理的にプレッシャーのない状態を家庭でつくりましょう」と言っていました。ところが、現在は子どもの多くは乳児のころから外部保育を経験です。一時預かりも体験している子が多いでしょうし、乳児から持ち上がりでくる子どもたちもたくさんいますから、あまり不安や緊張は感じていないのが現状です。園では、もはや叱られる経験もないですし。

八方美人

 三歳で初めて園を体験する子が多かった二十年前の言葉は古臭くなっているわけです。当時はギャルママなんてのもいて、その人たちが子育て支援を進める組織を作ってましたが、当然すぐに立ち消え。それを見て、「そんな活動に血道を上げるより自分の子の面倒をちゃんと見ろよ!」と言ったことがあります(笑)。子どもを自由に遊ばせ、親がそれを見守る・・・いまや何を言っても炎上しそうなので言いませんがね(言っちゃってるかな)。
 だから、何を見ても「そうですね。」「それは大切ですよね。」と八方美人になって、言いたいことを言わないのが、この時代への適切な対応なのかもしれません。でも、誰にでもうまいことをいうのは、どこかに嘘が出ます。その場の関係は収まりますが、言うべきことを言わないのはねぇ。
 それに情報過多の時代になると何を言っても多くの人が聞く耳も持ちませんし、だいたいこのニュースなどほとんどの人は読んでいないので、じつは何を書いても大丈夫なんです。多くの人はスマホの中で子育てや人生の答を探していますから。めげずに言いたいことは言おうと思います。

時代遅れ

 私は時代が変わっても変えてはいけないものがあると信じている頑固な人間です。時代遅れだとは思いますが、状況に応じてコロコロ変わっていく人たちは信用できないのです。時流に乗りたい人たちからは嫌われると思います。図書館子ども室の無節操な貸し出しを批判すると司書たちからは嫌われます。読み聞かせボランティアを「子どもに適切な本を読むことなど考えていないじゃないか。自分が光りたいだけの話」などと公言しますから、当然、敵視されます。
 自分でも、「どうしてこうも敵を作ってしまうのだろう?」と反省することもありますが、性分なのでしょうね。変えることができません。でもね。敵が出ようとなんであろうと頑固にやり続けると、味方になってくれる人もたくさん出てくるのです。いやほんと、決して負け惜しみではなく・・・・。
 八方美人の生き方は一見、世間をうまく渡れるように見えます。「上には逆らわない」、「周囲には同調する」、「違う意見は同調圧力で潰す」最近の若者は学校でこういうことを刷り込まれたせいか、この傾向を強くしています。でも人間はどこか心の底で、そういう生き方がよくないと思っているところがあり、そのように思っている人は逆に時代遅れのゆめやを応援してくれたりします。そんな応援があるのがわかってくると、変化に応じないでガンコにやっていくのもまたおもしろいと思うようになりました。

幼年時代

 私にも幼年時代があり、それは今考えても信じられないくらい楽しい時間でした。いまの子どもたちとは、まったくちがう幼少期。遊んでいた記憶しかありません。周囲に年齢の違う遊べる子がたくさんいて、3歳くらい上から2歳くらい下の仲間と朝から晩まで遊んでいたのです。父母は自営業なのでいつも家にいて、まちがったことを言ったり、やったりするとよく?られました。それは仲間の間でもそうで、上の子が下に教えるわけです。穴の掘り方、虫の捕まえ方、記録の仕方・・・人との話し方・・・・みんな親や仲間から教わったものです。現代の若者が「孤独」なのは人とつながることができない環境で育つからではないでしょうか。幼年時代に仲間や親やその周りの大人たちに愛されないと「自分」というものがつくれず、人とのつながりもなくなってしまうように思います。幼少期は大事な大事な時期なんですね。人間の成長にとって・・・。園ではそういう体験がほしいですね。

自分の世界を描くために

 いまでもおつきあいいただいている作家の杉山亮さんが、地方紙上の連載で、ゆめやのブッククラブを評価をしてくれたことがありました。(この記事はゆめやのHPの「ブッククラブのご案内」→「高度な読書をめざすブッククラブ選書」のPDFをクリックしてください。右の文が出てきます。ここを出せば出ます。)
 杉山さんがおっしゃっているように、皆さんは「子どもに本を買ってやる習慣を持つ親」です。これがなければ読書までつながらないでしょう。読書につながって自分の考えが出なければ人とつながるのはむずかしくなります。買うのは当たり前じゃないか、と思っている方もいますが、じつは関西ではほとんど子どもの本が売れないのです。買う習慣がないらしいのです。これは関東や東北でも「借りればいい!」という習慣を図書館関係が宣伝しましたから少しずつ起きていますが、東国はかなり買う習慣はあります。
 その買っていただいた方に応えるやり方の展開、人とのつながりを大事にすることで始めたのがブッククラブでした。杉山さんの評価に応えないといけないと今でも強く思っています。手抜きができません。
 同じようなエールは、絵本作家で児童書研究家の長谷川摂子さんからももらいました。「多くの児童書関係者は本についてはよく知っているけれど、子どもについて知らないことが多い。ブッククラブもいろいろあるけれど親とのつながりがあることは大事。」講演会をしていただいたときに話されたことです。
 だから「紹介がなければ入れない」「2歳未満でないとだめ」という姿勢は今後も貫きます。さらに赤ちゃんから小学校6年までの選書のガイドラインも命ですので堅持します。こんな変化の時代にまったく時代遅れのかたくななバカですが中には応援してくれる人も納得してくれる人もいるわけで、やはり頑固にこのままやるよりないと感じております。何も全世界を客にするわけではない! 「これまで通りやる」、だめなら世の中が悪いということにします(笑)。
 この活動を維持するために、会員の方々には、子育てを真摯に考えている親御さんをぜひご紹介ください。
 今年度もよろしくお願い申し上げます。絵本専門店ゆめや 店主 軽薄、いや敬白です。

入学おめでとうございます

 こちらでは小学校の入学式が多かった日は快晴で、ゆめやの裏庭から見える富士山はこんな具合の日でした。甲府は、ほぼ日本列島の真ん中ですから桜はこの時期はきれいです。でも隣家の木、あれは邪魔、切り倒したい(笑)。
 富士山の下に着陸しているのは遊星からの物体Xで、どこかの宇宙人が日本の春や入学式の様子を見に来たようです。もしかすると、春のエネルギーを吸い取りに来たのかな?
 春はすべてが芽生えの季節、入学にはふさわしいシーズンです。穏やかな光、桜の花や桃の花、芽吹き、小さな花々の開花・・・幼児から少年少女になる区切り。ピッタリの春の日です。
 植物も動物も時間の中で成長し、環境に応じて変化していきますが、最近はなんとなく異常な変化も感じますよね。植物も動物も、そして人の子も・・・。
 ひとつの時代が終わる直前のようなデタラメや混乱、いいかげんな行為などがあふれ出てきている感じです。学校で新一年生たちはどんなことを一番最初に感じるのでしょう。落ち着いて授業を受ける子ばかりというわけではないクラスもあるかもしれません。なるべくなら、穏やかな学校生活を楽しく送らせたいものですが、なにしろ豊かさでなんでもありの時代になりましたから、子どもも変わってきました。親もかな。希望を持って入学したはいいけれど、クラスが崩壊ではたまりませんものね。人のことなど考えない親の子はやはり人のことは考えないでしょう。子どものころから無制限に流行り物を与えられてきた子が特定の子をいじめたり、勝手きままをするのも今始まったことではありません。何とか、「まっとうなこと」を学ぶためにも早く良いお友達を見つけてほしいですね。そういう環境に負けて同じようにならないよう、大人としては見守りたいと思います。

出会いと別れ

 春は卒業と入学の季節で、その挨拶にたくさんの親御さんとお子さんが店を訪れます。幼稚園に入った子、中学に入った子、高校に入った子、大学に入った子まで。小さいころの親と子をつないだ読み聞かせや読書が、大きくなっても自分たちの気持ちの軸になっているからなのでしょうか。
 年齢の高い子は幼かったときとは背丈も顔もちがっていますが、みんな目の輝きがあります。そして、幼児の時と同じように私と話せるのもすごいです。いま、周囲の大人とまともに話せる若者がすくなくなっていると言われますが、この子たちは大丈夫のようです。こういう子たちを見ていると、世間で騒がれているような、おかしな子どもや青少年が「ほんとうに、この社会にいるのか?」とさえ思えます。お母さま方と話していても、モンスターペアレントがいるとは思えません。考えてみれば、ふつうの家庭で親に見守られて育ってきた子どもが異常になるわけはない。

おたよりも・・・

 遠くの会員からはお便りが来ます。かわいらしい字もあれば達筆の字、いずれも丁寧に書いてあるのが特徴です。あきらかに親御さんの躾(しつけ)がお子さんに伝わっているわけで、もうこれだけで立派な成長ですね。
 小さいころに、ちゃんとした生活行動の躾があり、読み聞かせや遊びで親との時間を共有してきた子が、「教室を飛び回る」とか「授業が聞けない」わけがありません。これはもう、この段階で安心していいのです。どんなことがあっても必ずや、変化に応じてちゃんとうまくやっていくでしょう。
 世の中がどうなっても、まともな人は必ずいるものです。その意味では、ちゃんとした人が多く集まる店をやってよかったと思ってます。実際、店の周辺の子はほとんど来ませんが、遠くからでもちゃんとやってくる子は、対話も人の話を聞くこともできるまともな子です。時流に流されることはないでしょう。人に迷惑をかけることもないと思います。こういうおつきあいが、ずっとできてきたのも、ゆめやを信頼してくれたみなさまのおかげです。ありがとうございます。
 おたよりを読んでいると、その子がちいさかったころの顔が思い出されます。遠方のお子さんは、あわてて写真年賀状の束を繰ります。「あ、この子だぁ!」と見ますが、子どもの成長は速すぎて、今とはまったくイメージが変わっていることでしょう。でも、こういう子がこういうお手紙をくれるという気持ちがうれしいです。毎年、十数通は卒業していく子からもらいます。私は、これだけでも親御さんの薫陶の賜物だと思うのです。
 こんな家庭に育った子は問題ない。どこまで行っても問題ない。小さいうちからスポーツばかりやってきている子、親はプロプレーヤーにするために血道を上げますが、人とのつきあいの基本すら学ばないので、人に迷惑をかけることなど無意識にやってしまうでしょう。そういう卓球選手、水泳選手、野球選手、サッカー選手・・・いっぱいいますね。小さいころから人の迷惑顧みず、自分の練習のためなら回りがうるさいと言おうがなんであろうが、おかまいなし・・・これでは大人になってろくな人間にはならないでしょう。やはり有名人より一流人にしましょうよ。

この子が一年生になるころには

 さて、このところ二代目のお子さんがよく来ます。そのお子さんのお母さんやお父さんが会員だった方です。とうぜん、まだそのお母さんのお母さんやお父さんの親は若いおばあちゃん、おじいちゃんです。こちらの写真も、かつて会員だった方がお母さんになりました!まだ1歳にならない赤ちゃんをまだまだ若いお母さんやおばあちゃんが連れてくる・・・赤ちゃんの顔が、お母さんの小さかった時とそっくりというのも多いです。
 親から子へ、子から孫へ暖かい気持ちが、受け継がれていくのはとてもいいことだと思います。コロナが分断した社会、サブカルなどで壊れてしまった人間関係・・・・それを修復していくのは普遍的なものを内在する文化です。
 昔、「二十四の瞳」という映画化された小説がありましたが、ここで主人公の大石先生が老いてから臨時教員として教え子の子どもたちを教える最後の場面があります。その子たちが、その親たちに似ているのに感動する場面。心に残っていますが、私、あれと同じ感覚になっています。こういう長い時間をおつきあいしてくると、事業を拡大して店から企業にしなくてほんとうによかったとつくづく思います。そんなことをしたら3年も持たなかったでしょう。お客様と長く付き合うことで生まれる世代を超えてのつながり。やはりなにより人間のつながりは必要です。それをコロナも教えてくれていますが、サブカルで孤独な生活を強いられ、人とのつながりを持てなくなった人々も増えています。人はまともなつながりで、まともな生き方ができるものだと思います。銭、金、物を追いかけて、家や車に全精力を傾けるさもしい生き方はやがて、杜子春のように孤独になるでしょう。
 でもね、この写真の赤ちゃんが一年生になるころには、世の中はよくなっているでしょうか。強欲な人々が、ますます庶民を食い物にしている世の中でないことを切に願います。(ニュース一部閲覧)

ハーメルンの笛吹き

 ゆめやの小さな入り口のゲートポールの上には風見鶏があります。その風見鶏の上にはハーメルンの笛吹男が乗っています。もう40年、笛を吹き続けています。
 「ハーメルンの笛吹き」の話はご存じだと思います。ハーメルン市長との契約で笛でネズミ退治をしたのに市長が報酬をくれなかったために子どもたちを連れてどこか遠くに消え去ってしまうという不思議な話です。
 もちろん、ゆめやのおじさんはそんなことはしません。でも悪い大人や無神経な人たちから子どもを遠ざけたいと思って、いつも笛を吹いています。ホラを吹くこともありますが(笑)、笛も吹きます。
 大人の中にも笛を聞いて踊る人もいれば踊らない人もいます。でも、なにはともあれ、一年生の元気で晴れやかな顔が曇らないような正義や仁義が守られる世の中にしたいと常に思っています。

笛の代わりに、ゆめやのマイスター・ホラが

 せっかくの春ですから、ホラを吹く代わりにゆめやのマイスター・ホラ(「モモ」の中に出てくる重要な人物)が新一年生に詩の朗読しましょう。
 なかなか学校が、本当の意味での勉強を教えない時代・・・知識詰込みにばかり血道をあげている先生方、子どもを時間地獄においやっていく学校、つまらない情報や知識にまどわされず、いろいろ考えてもらいたいと思います。もう最高学府を出ようが、エリート官僚になろうが大したことがない人生しかないことをみんなわかっていくでしょうから。
 「いちねんせい」谷川俊太郎 小学館
 あたし しってる あたしの あ と
 あなたの あ は おんなじ あ なのよ。
 ぼく しってる どせいの いちばんおおきな えいせいは たいたん
 そのほかに せんせいは なにをおしえてくれるのかな
 もしかすると すごいひみつを そっと おしえてくれるかな
がんばってくださいね、新一年生のみなさん!!

ゆめやの緊急事態宣言

 配本表を作成したあと信じられない絶版、再版攻勢が始まりました。
 主な原因は、これまで+税という外税表記してあったものを「税込みの定価表示にしろ!」という政府のお達しがあったからです。これで印刷のし直しをしているのでしょう。表向きは絶版ですが、いずれまた出ると思います。しかし、「ジムボタンの機関車大旅行」は売れないので絶版かもしれません。「夏の庭フレンズ」が絶版とは信じられませんが、再版を期待します。「風力鉄道に乗って」も絶版・・・気長に待つよりないかと思います。
 絶版、再版中というのは頻繁にありますが、予定で配本していくブッククラブには本が確保できないという致命的な現象です。これは、出版社が在庫を持ちたくないのでわずかにしか増刷せず、在庫品薄がどうしても出るのです。画策してなんとかしてますが、できないものもあります。
 流通上の問題があります。ネット通販最大大手が「売ってやるから」と言い、「追加の納入をしたければ課金をする」という出版社イジメみたいなことがまかり通っています。ひょっとするとネット通販は、日本の出版文化の火を消してしまうかもしれません。自由競争というのは名ばかりで、じつは零細・弱小がつぶされていくわけで、日本では零細や弱小こそが質の高い本をつくっているのですが、潰れていくとすれば、これはもう政治や経済が欲と合理性だけで出版文化を叩き潰していく一種の「焚書坑儒」みたいなものでしょう。
 また、コロナ騒ぎでとんでもない混乱も起きています、出版社が週一出勤体制なり、配本出荷の手配がうまくできない状態が続いています。テレワークも支障が起きますから、印刷所との連携もうまくいかず、そういう事情での絶版も急速に多くなっています なるべく欠本を回避しますが、今年の配本では入れ替わったり遅れたりするものもあります。申し訳ございませんが、政府の価格対策や大手ネット通販がこの原因を作っています。危うし、出版界です。なんとか、頑張れる出版社、作家はいないのでしょうか。このなんでもありの欲得ずくの状態が長く続くとは思えませんが、清浄に戻るには次の時代は大混乱で、その次の時代くらいになるでしょうね。世界中が欲で動き始めているので、戦争が起こらねばいいのですが。

会津若松・白虎隊の会報

 4月15日刊行の白虎隊の会の会報11号に、「絵本屋ゆめやの会津感」というタイトルで拙文が掲載されています。日新館教育や「什の掟」で有名な独自の倫理観で子どもたちを教え導いた有名な地域です。たまたま、会津若松のブッククラブ会員からの流れで、数年前に白虎隊唯一の生き残りの飯沼貞吉さんの孫である飯沼一元先生をご紹介いただき、やりとりをしているうちに「ゆめやの活動を寄稿してください」ということになりました。お受けして書いたのが下の文ですが、他の寄稿者は戊辰戦争の事跡や経緯を研究されている方々で、読み比べると専門家とド素人の文章の違いがあり赤面です。ただ、思いは同じで、その辺を斟酌していただいて、逃げる(笑)ことにします。
 飯沼一元先生は「白虎隊隊士飯沼貞吉の回生」という本をお書きになっていて、これはとても内容がすばらしいものでした。ひじょうに冷静な筆運びで、和歌や俳句(ほとんどが辞世のものですが)
 が数多く採択されていて、人の思いが心の底に沈みこむように伝わってくるものでした。
 白虎隊の自刃が、明治以降、喧伝されたような「落城を知って絶望的になって自害」ではなく「武士の本分である義を貫くための自刃だったこと」を説いておられました。私はこの本を読んでから「明治維新はこれまで思っていたものとちがうぞ!」という気持ちになったのです。白虎隊の悲劇は太平洋戦争の際にもゆがめられて国に尽くす美しい精神と賛美されましたが、これも長州閥政治の巧妙、狡猾な利用だったようです。
 以下が掲載全文です。

絵本屋ゆめやの会津感

 会津についての関心は、じつは若いころはまったくなく、まったく恥ずかしい話ですが、私の気持ちが「会津」に向かったのは東日本大震災のときからでした。
 小さな絵本屋をやっているのですが、ブッククラブという方法なのでお客様が全国にいます。ですから、震災のときは、まず東北四県のお客様の安否確認となりました。電話がつながると事態が事態なので多く長話になります。
 そんな中で、会津若松の佐藤美智子さんと話していたとき、原発の話に続いて、じつに興味深い話が飛び出ました。
 「ここ会津では、山口県や鹿児島県の方との結婚が許されないという不文律があるのです。それは、百五十年前の戊辰戦争で・・・」
 『自由恋愛の世の中に、そんなことが、まだあるのか!』と絶句でした。
 戦後生まれの私には戊辰戦争は「鳥羽伏見で始まり五稜郭で終わった」という知識のみで、教科書にも「北越戦争」、「会津戦争」、「奥羽越列藩同盟」の言葉はなかったのです。「白虎隊」の話は知っていましたが、「忠臣蔵」と同じような歴史認識にすぎませんでした。

百読は一見にしかず、か!?

 そこで、関連の本を読み始めました。最初は綱淵謙錠の「戊辰落日」・・・精緻な筆運びが、重苦しく頭にのしかかってきました。思わず落涙してしまったのは早乙女貢の「會津士魂」。「こんな歴史はどこにも書いてなかったぞ!」と思わされた星亮一「女たちの会津戦争」・・・明治以降、隠されてきた歴史の数々です。すぐその後、大河ドラマ「八重の桜」が放映され、視覚からもしっかり心に焼き付いた「会津戦争」となりました。
 会津若松で幼少期を過ごした絵本作家の仁科幸子さんから「ぜひ一度、行ってみてください。美しい町ですよ」と言われたのをきっかけに、二年続けて初秋の九月二十三日から三日間ずつ、旧跡を訪ね歩きました。なるほど、それは多くの特別な思いを抱かせてくれた旅になりました。
 日新館では突然の驟雨で雨が吹き込み、勝手ながら戸を閉めていくと責任者の方が飛んできて丁重なお礼の言葉をいただき、説明付きで案内してくれたのです。
 鶴ヶ城では戊辰百五十年展が行われていて孝明天皇の御宸翰の展示も偶然の幸運。「親筆なのか祐筆の手になるものか?」と尋ねると係の方の丁寧な説明がありました。

八重の桜

 やはりウチのお客様であった川口浩子さんと佐藤さんが案内してくれた「石部桜」も忘れ得ぬ記憶となっています。畑のあぜ道の奥にあるもので、ふつうの旅行者では見落としてしまう場所でしたが、これが大河ドラマ「八重の桜」で有名な桜の巨樹でした。ご案内いただかねばわからぬ場所の有名な木を拝見いたしました。
 川口さんは不遇な赤ちゃんの里親になるという会津女性の強さも持っておられた方でした。そして「これを読んでみてください。」といただいた本が中島欣也「伴百悦」。いかに会津人がくやしい思いをしていたかが伝わる「復讐の後日談」です。いわゆる束松事件(会津兵士の遺体を埋葬してはいけないとお触れを盾にさまざまな嫌がらせをした福井藩士・久保村文四郎を峠で待ち受けて斬るという事件を起こしたのが伴百悦でした。明るく治まる「明治」ではなく、とんでもないことをやらかして事態を隠蔽し続けた長州閥政治への抵抗でもありました。

人とのつながり

 会津への二度目の旅で宿泊したのは「向瀧」という瀟洒な旅館でしたが、若い番頭さんや仲居さんの控え目で心のこもった接客に感じ入りました。最近の若者とは思えない受け答えでした。
 「旧跡を訪ねるなら、ぜひ容保公のお墓を!」と言われて翌早朝、急遽訪問。
 おどろいたのは墓前にすでに生花が活けられ、線香が炊かれていたことです。朝七時ちょっと過ぎなのに、急坂の上の墓所の何か所にもその供養が・・・百年以上続いているのでしょうか。いまだに偲び、弔う気持ちが残っていることに心底、驚きました。
 その後も会津では続々とつながりができていきました。
 くだんの川口さんや同じくお客様の佐瀬朋子さんから紹介していただいたのは会津放射能センターの片岡輝美さんです。講演で甲府に来た折に店にも寄っていただきました。子どもたちを放射能被害から守る筋の通った活動をされている方です。話すうちに大学が同じであることもわかり、人のつながりの不思議さも感じました。そして「会津に関心がおありなら、飯沼一元さんをご紹介しますね。」ということとなり、一元先生の知遇を受ける光栄を得たのです。

記されたものが事実を語り始める

 御著書「白虎隊士飯沼貞吉の回生」も拝読しましたが、驚いたのは仇敵の長州藩士による貞吉庇護の話です。恨みや復讐心を超越する温かさを誰しもが持っているということ、そこでは人のつながりが人をして恩讐の彼方に向かわせることが、そのエピソードに暗示されていました。
 私は、良い心の持ち主がつながっていくことで社会は良くなると信じています。
 いま政治の腐敗から「不義」が横行し、「ならぬことをする人々」で世の中がゆがみ始めました。会津の教育が極めた「義」や「仁」が復活しなければ!と思わざるを得ません。しかし、いまの世の流れでは実現は無理。欲のためになんでもありの状態では社会も家庭も学校も崩れていくだけでしょう。
 このままでは、金儲けだけの実学、無意味な消費をする殖産興業、やがては富国強兵につながる時代に逆もどりとなってしまいます。その先は知っての通りです。
 では、どうするか。
 これにあらがうひとつの方法として子どものころからすぐれた本に触れることが大事と考えました。子どもの発達に沿った本や物語を個別のプログラムでお子さんのために組み立てて選書する試み。人と人のつながりを復活させ、自分の考えをつくるための重要な力を子どもの中で育てたいと思い、四十年間続けています。
 会津戦争を知らなかったとはいえ、私の祖先は越後の津川近在の出。過去のどこかで会津とかかわりがあったのかもしれません。時空を超えてまっとうな人同士をつなぐ志をもって、これからもがんばろうと思います。(了)



(2021年4月号ニュース・新聞本文一部閲覧)

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