ブッククラブニュース
令和2年
12月号(発達年齢ブッククラブ)

来店受け取りのお客様へ

 コロナ対応について
 山梨でもかなり広域的に感染増加!
 どうぞ感染予防には注力をお願いします。
 急激な拡大変化あった時にはお願い条項を貼りだします。
 お子様のマスクは強制しません。
 マスク着用はお顔が判別できないので、お名前をお願いします。
緊急事態宣言解除まで飲み物のサービスは中止いたします。
 念のため消毒・換気もしますが気になさらないでください。
 受け取り可能時間(10:30am〜18:00pm冬時間)です。
発送切り替えも可
 発送も可能です。その際は県外会員と同じく3ケ月一括発送になります。
 ご利用ください。発送のご相談は メールでも受けつけます。
 お振り替えは郵便ATMか銀行振込のどちらかをご利用ください。
 ご理解のうえご協力ください。
 ゆめや店主 12月1日


 1月の
 ●営業時間●
 午前10時30分〜午後6時(冬時間) ご注意ください!
 ●年間通しての休業日●
 毎週日曜・月曜の連休となります。他は祝祭日
 ※臨時休業日(事前にニュース・新聞でお知らせします)

 今年はコロナ下で、来店受け取りのお客さまには何ぶんサービスが足らないこととなり申し訳ございませんでしたが事態が事態なだけにご勘弁ください。まだ当分、時間を割いたお相手ができないかもしれません。ご理解のほどよろしくお願い申し上げます

新年のご挨拶

 今年もご丁寧な年賀状をたくさんいただきました。ほんとうにありがとうございます。とても返信ができませんので、ニュース紙上で当店の新年のご挨拶をさせていただきます。
 本年もご支援、ご理解をお願い申し上げます。みなさまの年賀状は立春まで店頭展示してあります。ぜひご来店くださいましてご覧ください。
 スマホの普及によりかつてよりかなり年賀状の数は減っていますが、デジタルにはない添え書きの暖かさが伝わってくる写真年賀状もたくさんいただき、よみながら思いにふけりました。毎年、これを精読するのは1月も終わりなのですが、皆様のご家庭の様子を垣間見ることができ、配本の参考にすることもできます。なにより遠方の会員はお顔を存じ上げないので写真年賀状はとても親密感が湧きます。毎年来ますから成長の様子も時系列でわかります。「もう小学校に入るのか!!」「ついこの間まで赤ちゃんだったのに」という感想が出てきます。

年賀状大賞

 今年も各ご家庭の希望に満ちた幸せな風景が切り取られた写真年賀状をたくさん見ることができました。スマホ全盛の時代で急激に年賀状が減っていますが、それでも昔からのお客さま、新しいお客さまの夢や理想の輝きをたくさん受け取ることができました。全年賀状を立春まで展示していますので、ぜひご覧になってください。
 今年の年賀状大賞受賞者です。
何の賞品もありませんが、毎年、工夫を凝らすかたがたがいます。毎年のことですが勝手に賞を決めています。今年はちょっと公開、ぜひご覧になってください。
【最優秀フォトジェニック賞】
 ・柿本さんご一家(東京)・・・3人兄妹の笑顔がすばらしい!
【最優秀自筆賞】
 ・常盤さんのお子さん(甲府市)ていねいに描かれた挿絵としゃれた文章、感激。
【最優秀常連賞】
 ・三枝さん(甲府市)と柳沢さん(甲斐市)ご一家 ベテランは凝る。
【最優秀そっくりで賞】
 ・河西さんご一家(甲府市)似顔絵・顔を知る人なら誰が見てもわかる絵。
【最優秀アイディア賞】
 ・丸本さん姉妹(さいたま市)・・・古墳を二人の腕の長さで測る。すごい。
【最優秀アットホーム賞】
 ・原さんご一家(船橋市) おや、牛さんが家族の中に!!
【最優秀スナップショット賞】
 ・山田さん兄妹(中巨摩郡)そっぽ見の構図、かわいいです。
【最優秀すごいね賞】
 ・飯田さん姉弟(甲府市)・・・お〜い、その牛乳の飲み方は団塊世代だよぉ。
ほかにも工夫を凝らした年賀状がたくさんありありました。ありがとうございます。

あけましておめでとうございます

2021年元旦 多くの会員の皆様から今年も早々に年賀状をいただきました。心よりお礼を申し上げます。例年に比べて年賀状が急に少なくなったのはスマホの普及の影響でしょうか。これからは多くの皆さんが手軽に写真が送れるスマホ年賀になっていくのでしょうね。伝統がすたれていくのは寂しいことですが、若い親御さんは便利が一番、カステラ二番、三時のおやつは文明堂・・・・こんな文句も知らない世代ですからね(笑)。だんだん、ゆめやも「日の名残り」状態になるのでしょうね。
 すべてが自分の前を通り過ぎていくだけの時代に対応するためにしかたないことなのでしょう。思い出も、そのときの記録もどんどん忘れていって手軽が一番。きっと子育てもあっという間に通過して記憶が薄れたら何も残らなくなるのでしょうね。これから年賀状はどんどん減ると思います。いつまで、展示ができるでしょうか。
 ゆめやには初期からお客様の年賀状がいくつもの箱に毎年保存されますが、やはり紙の価値はあります。昭和62年の年賀状の箱を開けたら懐かしい会員の名が山ほど出てきました。びっくりしたのは、いまそのお子さんのお子さんが会員でいる人がいるということでした。それをコピーして新聞に同封して送りました。相手もびっくりです。長い時間が経っているので、まさかそんな年賀状や手紙が残っているとは思わなかったのでしょう。年末年始の繁忙のため、ゆめやからは年賀状が出せませんが、左の年賀状で新年のご挨拶に代えさせていただきます。今年は合理的な年賀状をつくりました。2099年まで同じデザインで使えるものです(左写真)。杉山亮さんの年賀状アイディアをパクらせていただきました(笑)。

紙は残るのだけどなぁ

 よく歴史ものの番組やNHKファミリーヒストリーなどを見ていると古文書が出てきます。紙は残るんですね。ただ、郵便局は民営化してしまったのでデジタル化を進めるでしょう。
 振り替え通知などは全部、ネットから確認になりました。紙を使わないようにしたのです。ゆめやは切手やはがきの使用量は半端ではないのですが、日本郵政はだんだん信用できなくなっています。紙から電子へシフトし始めているような気さえします。まあ、彼らに伝統だことの文化だことの言ったところでデジタルものは後で見直すこともなく保存には向かない感じがします。ま、かなり時間が経って日本人の考えが成熟しないとデジタルに対する批判はでてこないでしょう。その前に日本人の文化生活が衰退していかないことを祈るばかりです。

年の初め

 年末、大寒波がくるという予報があったわりには甲府は意外に日中は暖かく、夜だけが寒い冬になりました。それでもマイナス6〜7度程度。おだやかな新年でもありました。
 最近の天気予報はひじょうに大げさで、「記録的な」「史上まれに見る」「これまでにない」という形容をした予報が大々的に流されます。昨年夏の巨大台風も風速が80mで巨大で猛烈な・・・という警報がなされ、大東島付近の島が丸ごと自衛隊機で避難するという映像までながれましたが、さほどのことはなかった。ずっと予想もほとんどなかった球磨川の氾濫のほうがひどかったし、千葉の台風被害など予報もなかったようでした。
 今年正月の裏日本の大雪も私の記憶をもってしても、新潟豪雪、福井豪雪に比べればさほどのことはなく、文明が進んだがゆえにこの程度で車が高速道路で立ち往生などという事件が起こるわけで、ちょっと大げさすぎるように思います。
 これは、危険を煽って自衛隊を出動させたり、緊急事態宣言に慣らそうという腹があるのかもしれません。世の中はどんどんわるくなりそうですので、これはお汁粉で力をため込み、お雑煮で突破力を蓄える・・・たらふく食べて来たるべき困難な波に立ち向かう鋭気を養いました。まずは得体のしれないものを乗り越えて、次の時代のための考えを固め、動き出そうと思っています。

さて、今年は??

 さて、本年の行く末はどうなるか?です。今年は「辛丑」。「辛」と来ると私はビビります。十年前の東日本大震災を思い出すからです。「辛卯」でした。「辛」は、言うまでもなく「つらい」「からい」ですが、怖いエネルギーが突き上げる様を文字化したものです。そのエネルギーの噴出をなんとなくですが2011年1月号ニュースで当ててしまいました。だから「辛」の字は怖いのです。古代中国では入れ墨をする針の形を表していて、針で刺すことから身体的な苦痛を表す言葉に当てられるらしく、ツライ、カライ、ヒドイなどの意味を持っています。もとから「痛い」意味があるのでしょうね。
 「辛」は「安定してきた期間が終わっていきなり大問題、大災害が噴き出す時」と言われてきました。東日本大震災は突如でしたが、コロナは昨年のいまごろからなんとなく予感はありましたね。去年のニュースの予測欄ではえたいのしれないものでシステムが「大きく変わることが始まっている」と予測しました。「価値観の違いや見かけの違いでさまざまなトラブルが起き」、「法律は効き目が無くなり」「司法もいたるところで限界」「人が信用できない社会」に変わっていくとも述べました。その原動力がコロナだったというわけです。また信じられない速さで事件事故が起き続ける状態になることも述べましたが、そうなっていますよね。

経済を壊すエネルギー?

 「丑」は五行説では鈍くて、よだれを垂らす「牛」ではなく、土から芽が出てくる状態を表していますから、痛みだけではなく何か別のものが生まれてくることが暗示されています。十二支で二番目ということは「子(ね)」から始まったものが目に見えてくる時でもあります。地中にあったものが地上に出てくる状態、これはその後の世界を変えますね。まずは経済が大変化するでしょう。どう考えてもこんな厳しい状態なのに株価が高止まりなんて理屈に合いませんし、何かが地上に出てくるときに大きくバランスが崩れます。
 世界的な飢饉や恐慌が始まらねばいいのですが、すくなくとも3年くらい前から始まったバブルは弾けるでしょう。無理なことはしないで、しのいでいくよりありません。考えても見ましょう。不思議な符号があります。1990年の初頭です。前年、38,915円87銭という最高値を出していた株が急速に下落していくのです。崩壊直前でも株価は28.000円という高値を記録していました。いわゆるバブル相場の株高です。これが一気に落ち込んでいったことは30年前ですから多くの人が知っています。2020年でも同じことが起こっています。株価28.000円越え、コロナ不況が始まっているのにこの高さ。必死に日銀が借金して買い支えているのがわかります。ここが、まさに今回のバブルの頂点です。これは怖い。失業者がまだまだ増えていくでしょう。経済は、物ではなく実体のないもので動いてきた時代です。かつては土地でしたが、つまらないアニメ映画に300億円が動く、触ることのできない商品が高値で売れる・・・これがバブルです。おそらく一気に下落していくときがあります。これが怖いのですね。

増えすぎたものは減る

 一方、コロナは人を臆病にさせたり、またその逆に軽率にさせたりしていますので、慎重に見極めないとだめです。ただの風邪とは思えませんが、空騒ぎしすぎということも感じます。私は、この疫病による混乱は、ここまで乱れてきたすべてを清算する働きがあると思います。時間はかかりますが。とりあえず混乱は数年続き、あるていど世の中は悪くなると思います。そして増えすぎたものが減る・・・・。
 報道では飲食店が危機だと言っています。しかし、この飲食店もじつは限界を超えて増えすぎた職種なのです。利益率が信じられないほど高いことはご存じだと思いますが、社会構造の変化で人が外食をし始めた結果、飲食店は増え続けてきました。新規開業数は飲食店と美容院がトップだと報じられたように、利益率の高いものが消費社会では増加するわけです。考えても見ましょう。40年前、まだファミレスが出るか出ないかのとき、どの町にもこんなに外食の店があったでしょうか。一年のうち、どのくらい家族が外食していたでしょうか。収入が増えた結果、時間が奪われ、そのために家族の食事は家庭ではなく外食産業に移ったのです。その結果は、家庭の変容、家族の崩壊、知っての通りの現象が起きています。一般の飲食店というよりは外食産業やチェーンの居酒屋、何店舗も経営するラーメン屋などが激増したわけです。これは経済状況が悪くなれば減っていかざるを得ません。観光関連産業も同じです。やがて減っていくことでしょう。増えたものは減るのです。これは自然界でも経済構造でも同じです。
 見かけは華々しい世相でも、下の方は治安や生活構造が悪くなり、みんな余裕がなくなって慌て始めると思うのです。ここは、ひとつ世の中の流れに浸からないほうがいい。精神までやられる人がたくさん出てきます。強い主張をしてきたり、排除しようとしたりして、分断が始まります。
 個人的には、なるべくまともな人をみつけて協調していくことが大事です、なんとか、しのぎましょう。

ご来店なさってない会員への宣伝?

 あまり自分の店のことを語ることが少ないので、たまにはいいかと思い、年頭のゆめや大紹介(笑)です。
 中央本線・甲府駅から車でたった5分ですが、商店ひとつない里山の裾野の住宅地の中にあります。甲府からは児童書関係では「花子とアン」の村岡花子くらいしか有名な人は出ていません。あと地味ですがいい作品を書く安東みきえさん。東京からはわずか130kmなのにひたすら田舎です。
 県の人口が80万ちょっと。甲府はたった20万で、15歳以下が2万人足らず。こんなところで子どもの本専門店をするのは無謀ですが、1980年以来40年もやってきました。
 喫茶コーナーも玩具売り場もない、世界一小さな本屋ですが、けっこうお客様が来てくださいます。こういう時代ですから「本の力をまだ信じている人」の集まる場になればと思っています。

天下平定

 ゆめやから歩いて5分のところに戦国時代なのに城を持たなかった武田信玄が住んだ躑躅(つつじ)ケ崎館があります。信玄の信条は「人は石垣、人は城、情けは味方、仇は敵・・・」なので、私も大きな城は持たずお客様を大切にすることをいつも心がけてきました。物の売り買いというより、人と人の交流を大事にしています。多くのお客様とはたいてい十年以上のおつきあいになります。その子育てをしてきた方々が、またそのお孫さんのために本を与える、そんな現象がいま起きています。40年というのはそういう月日でもあります。
 書籍業界は、ネット通販によって「戦国時代」に突入しましたが、ゆめやは(時代遅れで、いつ経済変動の波に飲み込まれて消えるかもしれませんが)お子さんとの個別の対応を大事にしています。どこまでも書店なんです。「性別、弟妹の有無、生まれ月などにキメ細かに対応させ成長にピッタリの本を選書する」をモットーに「戦国最強」の子どもの本屋(笑)を目指しています。
 信玄お膝元の子どもの本屋ですから信長(京で活躍)や家康(江戸で活躍)のように地の利を生かしたやり方はできません。全国制覇など、もともと頭にはなく、良い本の力が少しでも子どもの心に沁み込んでくれればと思っているだけです。世の中が世の中ですから、あとどのくらい「戦さ」ができるかわかりませんが、「思い」だけは、この時代にぶつけて行こうと思います。向後万端引き立てててよろしうお願い申し上げます。(ニュース一部閲覧)

2021年 あけまして・・・・

 ゆめや周辺は・・・富士山にあまり雪もなく気温だけ低い新年です・・・
 年末年始に大寒波が来る予想があったのですが、こちらはうららかな晴天。朝晩は寒くて氷点下数度で、これも例年並み。日本海沿岸の会員の皆様は豪雪で大変かと思いますが、雪害に会いませんようお気をつけください。
 コロナ騒ぎは大きくなっていますが、こちらの元日には、若者は初詣に、行楽に動いていました。私どもはいつも年末年始は残りの仕事、初めの仕事があるので元日くらいしか休めません。ここが、零細のきついところです。トホホなのですが、まあ正月はお正月。それなりにゆっくりとお正月気分を楽しむことにしています。
 どこへ行くわけにもいきませんから、元日は、初詣しないで散歩だけしました。あんまり好天なので元日は三十分ほど近くを徘徊しましたが、歩いて3分ほどの神社には列をなして近郷近在からの人出。それでも、この神社は武田信玄の屋敷・躑躅が崎館を使っていて、たかだか百年くらいの歴史しかありませんから神社としては新参者。あまりご利益はなさそうです(笑)。

お屋形様の散歩道を

 裏には「お屋形さまの散歩道」などという名の遊歩道があります。ここは私の毎日の散歩道でもあります。
 裏手にはほとんど人影もないので歩いていくと富士山が正面です(上の写真)。どこからも見えますけどね。神社の真ん前からはきれいに見えます。冷たい風が吹いていましたが、まあ、このくらいは気持ちが良い。人がいない道ならコロナウイルスもいないでしょう。いまや日本の悪癖が出ていて同調圧力や自粛警察が横行しています。うっかりクシャミや咳をすると疑われることになりますから風邪も引けないのですが、まあ、冬の散歩道「冬来たりなば、春遠からじ」でしょうね。

表に回っていくと

 で、若者たちが群がる神社は避けて歩くと、躑躅が崎館観光のためのお土産屋があります。ここの巨峰アイスというソフトクリームは私が好きな味なので必ず買って食べます。いくら寒くても散歩をすれば汗をかきますから。
 シャトルバスが甲府駅から来て行きかいますが、これも参拝客を運ぶものです。チラシが風に舞っているので拾い上げると、お札やお守りの値段を一覧表記した神社発行のチラシでした。招魂だと思ったら商魂。いまや一番の稼ぎ時、商売、商売で、神社もたくましいですね。
 なぜここの周辺を長々散歩で描写するかと言いますと、じつは最近、有名な児童書作家の新作の舞台になったからです。斉藤洋さん、ご存じでしょうか? 古今東西の物語を新作、改作で書くかと思うと、歴史もののシリーズを面白おかしく書く。なかなかの作家です。個人的にはとても好きですね。こういう背後にたくさんの知識と世界観を持った方は。個人的には「白狐魔記」が好きです。筆が遅いというか、ていねいに描くというか、続編が出るまでずいぶん時間がかかります。でも、そこがまたいい。こういう歴史認識が背後にある作家が少なくなりましたからね。

ノラねこブッチーが目指した家

 このなかに愉快小説ともいえる本「ルドルフとイッパイアッテナ」のシリーズがあります。この最新刊が「ノラねこブッチー」なのですが、ノラねこというくらいで、うろつきまわります。でも今回は由縁のあった家を探していくのですが、なんとこの家が実在で、ゆめやのひじょうに近くの家なんです。いまでは、ふつうの住宅ですが、かつては料理屋で、夏には庭にテーブルが出て密豆や和菓子でお茶が飲めるお店でした。
 当時はいまほど観光が盛んでなかったので、あまり混雑もなく近隣に住む私たちの憩いのひとときを過ごせる場所でもありました。そこを目指してブッチーが訪ねて行くわけです。
 ところで、ブッチーのうろつきは東京・小岩駅から出発。立川駅で乗り換えて、甲府駅に到着。武田通りを経て(下・左の地図)、たどりついた(下の写真)家です。まさにゆめやの近くで、地図上のが「ゆめや」なので、かなり近くでしょ。
 斉藤洋・著「ルドルフとイッパイアッテナ」はずいぶん前から選書に入れているもので、人気があるシリーズです。でも、斉藤洋さんは、こんなに近くに自分の本をたくさん売ってくれている絵本屋があるなんて知りませんので地図に載せてくれてません。本通りにある星野書店さんは載っていますが、裏通りにあるゆめやは見落とされているようで、残念無念(笑)。斎藤先生! もう少し精密に調べて増刷の際は改定してくださ〜い。

ブッチーが訪ねた地図と家

 この躑躅が崎館の周辺は富士山が一望できる場所です。どこからも御坂山系の上に頭を突き出した富士山が見えます。もちろんゆめやからも見えます。元日は天気晴朗なれど風強しでしたが、ブッチーは富士山を見たでしょうか。
 この躑躅が崎館は甲府の北の高台にあります。500年前、信玄が築いたときは甲府盆地には高い建物どころか人家もまばらだったでしょう。南から攻め寄せる今川軍はすぐ発見できたでしょうし、東西は山なのでたやすく入り込めません。北はもう高山の屏風で山深いので攻めることなどとてもできません。
 そんな辺鄙なところに館を築いたのですから、守りはバッチリです。ブッチーのうろつきは、歴史的散歩だと思います(笑)。

風景だけは最高!

 私が若いころ、この甲府駅から北に一直線の通称・武田通りは舗装もない石ころだらけの道でした。高校に通う道でもあったのですが桜並木の記憶がありません。おそらく桜を植えたのはかなりあとだったのではないでしょうか。両脇が山梨大学のキャンパスでノーベル賞受賞の大村智博士の記念館が最近建ちました。彼が開発したイベルメクチンはコロナウイルスにも効きそうだという話も・・・。春には桜吹雪が舞う沿道です。
 けっこうな坂道で、終点の躑躅が崎館まで歩くと真冬でも熱くなるくらいです。つまり大軍勢が一気に攻め寄せても途中で息が上がってしまうくらいの坂ですからね。ブッチーは歩いたと思いますが、この上り坂は大変です。
 斉藤先生も「白狐魔記」で元禄の雪まで来てしまいましたから、この一帯を舞台にした話を入れられませんが、しいて挙げるなら明治維新直前に板垣退助の西軍と幕府軍が戦ったことから始まる戊辰戦争後半の話もつくってもらいたいですね。攻め込んできた板垣退助は板垣退助ではなく乾退助だった。天領・甲府を攻め取るには信玄につながる家系を見せないと住民が敵に回る。そこで「信玄の教育までやった板垣信方の子孫だ」と名を変えたのです。ずるいですが頭が良い。これに強い者にはつく甲州人が回ってしまい、甲陽鎮撫隊まで結成した新選組などの東軍を撃退したのですから、ある意味の面白さはあります。「白狐魔記・戊辰の風」を続編として出してほしいですね。

脱線してしまった!!

 いや、そんな妄想はどちらでもいいわけで、ルドルフのシリーズはおもしろいと思います。ブッククラブでは中学年で入りますが、かなり多くの子が読んでます。猫が登場するというのも受けますし、さまざまなタイプの猫がいるのもおもしろいですね。
 それに斉藤先生独特のユーモアやペーソスが語られますから、これは読書力を付けるのには格好の児童書です。この中学年から本が読めなくなる子が激増ですからね。
 コロナで出かけられない子が家でゲーム三昧、スポーツができなくなった子は家の中でボール遊び・・・いずれも心と体には良くない。ここはひとつ本でも読んで大人になったときの考えの基礎、語彙の豊富さをつくるときなんですけどね。バカな家庭は子どもにゲームをさせ、スポーツやお稽古ごとに追いやる。ま、私が言っても時代は変わりません。みな回りと同じことをやっていく。行くところまで行かないとわからない国ですから、わかる人だけに伝えればいいということでしょうね。
 さて、散歩から戻ってきたら、夕方になってました。気温、3度。寒いです。今夜はマイナス6度くらい行くかも。
 でも、のんびりした元日の散歩でした。家に帰って、手を洗っておしるこを食べました。
 「元日や 手を洗ひおる 夕ごころ」(芥川龍之介)の気分。スペイン風邪を経験した芥川だからこそできた句のような気がしました。(新聞解説・一部閲覧)

2020年代は日本語が変わる

 さて、話変わって、日本語は常に変わってきた言葉ですよね。だから、あえて「変わる」というのはおかしいかもしれませんが、あと数年で飛躍的に変わると思います。
 いただいた年賀状は変わった日本語は使われていませんが、おそらくあと十年で、「え!」という感じで変わると思います。明治時代も日本語が大きく変わったのですが、まだ江戸時代の漢学の素養を持つ人たちがいたため何とか日本語そのものは維持できました。なんてたって学校令を敷いた森有礼は日本語を廃止して、全部英語にして「不規則動詞の変化はむずかしいので全部規則変化に」なんて信じられない提案をしたのです。こういうバカがつくった明治維新です。もっとひどいのは文学など無視した福澤諭吉ですけどね。それでも、変化しながらもなんとか日本語本体は維持できました。

変化はチャンポンから始まった

 ところが、昭和後期の歌謡曲で必ず日本語の歌詞に英語やスペイン語を入れる風潮が出ました。ムード歌謡もニューミュージックも。そして、会話や文にも目立ち始め、最近は「東京アラート」「ウイズコロナ」なんて断片的な「日本語」が登場しています。もちろん、「ファクター」「エビデンス」なんて言葉も飛び交います。
 「英語ができる人はいいなぁ」と、うらやましく思ったので、「エビデンスってどういう意味?」って尋ねると、ちゃんと答えられない人もけっこういました。
 ←「エビです」じゃないって!! マックスファクターは化粧品です。
 英語のできない私は、最近飛び交う言葉がほとんど奇々怪々です。「自国ファースト」から始まった「都民ファースト」「自分ファースト」・・・これらは、なんとなくわかりますが、「ワイズ・スペンディング」「改革マインド」「サスティナブル」「ライフ・ワーク・バランス」「ソーシャルファーム」「リモート授業」・・・もうどういうことかわかりません。じつは辞書を引いてもわからない。最新の「現代用語基礎知識」でないとメディアで独り歩きしていて、わかっているような、わからないような・・・ただ感じだけでわかる不思議な外来語になっています。
 もっとも、これはただ歳のせいで、頭がぼけたから吸収できずにわからなくなっているだけかもしれません。その証拠として、バラエティ番組のお笑い芸人のギャグが少しもわからない。話が面白くないというよりわからない。流行歌の歌詞がわからない。聞き取れない。これは完全に老化なのかもしれません。
 ♪・・・僕たちは燃え盛る旅の途中で出会い、手を取り、そして離した未来のために
 夢がひとつかなうたびに 僕は君を想うだろう 強くなりたいと願い泣いた決意を?(はなむけ)に・・・
 私には何のことやら、少しも言葉が響きませんが、若者には響くのかな。なんとなくわかるのかな。
 ♪・・・・高まる愛の中 変わる心情の中 燦然と輝く姿は まるで水槽の中に飛び込んで
 溶けた絵具みたいなイレギュラー・・・・

なんとなくわかるは危ない

 もちろん、私たちは意味を完全理解して話したり読んだり聞いたりしてはいません。わからない言葉は類推して理解につなげるのですが、類推の下地にあるのがもとになる日本語(母国語)の書き言葉だと思うのです。書いてある言葉だから書き言葉ではありません。文章語です。文章語の背後には巨大な文化、歴史などが横たわっていますから、それを駆使して「わからない言葉」から意味を探り当てていくわけです。
 もしこれが「なんとなくわかる」で進んでしまったらどうなるでしょう。結果は「なにもわからない」ことになります。状態では言葉が理解できなくなる可能性が出てくるのです。
 いま、文化や歴史が弱い世代が増えています。なぜ文化と歴史に弱くなってしまったか、それは歴史や文化を項目で暗記する勉強をしたからです。物語や芝居(演劇・映画など)で知っておかないと、やがては言葉がわからなくなるのです。

十一月号新聞のクイズの答え

 何人かの皆様にお答えをお寄せいただきました。ありがとうございます。
 漢書地理志の作者は班固←ハンコでした。 後漢書の編者は編者は范曄←ハンヨウです。いずれも、ささやかながら粗品をお送りしておきました。



 昔の人は、大学などに行かなくても本や演劇で、いろいろな文化や歴史のことを知ることができました。それは共通の文化ですから、言葉とは密接なかかわりを持っています。そして、それを背景にわからない言葉でも類推してわかることができたのです。今年は店のウインドウに十二支を並べてみました。みんな言えますか? 十干は?
 こういうことがわからないと「辛丑」の説明をしても基礎の語彙がないので、わからないのです。教養の基本はまず知識の前に語彙の豊富さがあるはずです。
 若いうちに本は読んでおきましょう。
 大人になって「これ、ヤバくね」「ヤバいね。」「超ヤバ!」「かわいい」「めちゃ、たのしい!」だけで会話が進行する恐ろしさをいずれ若者は知っていくことでしょうけどね。(新聞一部閲覧)



(2021年1月号ニュース・新聞本文一部閲覧)

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