ブッククラブニュース
令和2年
12月号(発達年齢ブッククラブ)

来店受け取りのお客様へ

 コロナ対応について
 山梨でもかなり広域的に感染増加!
 どうぞ感染予防には注力をお願いします。
 急激な拡大変化あった時にはお願い条項を貼りだします。
 お子様のマスクは強制しません。
 マスク着用はお顔が判別できないので、お名前をお願いします。
 密になったら、飲み物のサービスは中止いたします。
 念のため消毒・換気もしますが気になさらないでください。
 受け取り可能時間(10:30am〜18:00pm冬時間)です。
発送切り替えも可
 発送も可能です。その際は県外会員と同じく3ケ月一括発送になります。
 ご利用ください。発送のご相談は メールでも受けつけます。
 お振り替えは郵便ATMか銀行振込のどちらかをご利用ください。
 ご理解のうえご協力ください。
 ゆめや店主 12月1日

年末年始の休業

 今年も一年、ブッククラブのご利用をありがとうございました。
 来年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
 年末年始のスケジュールは下記のとおりです。ご確認ください。
 休業日は2020年12月30日〜2021年1月4日まで
 12月29日は営業します。新年は1月5日(火)から営業
●営業時間●
 午前10時30分〜午後6時(冬時間) ご注意ください!
●年間通しての休業日●
 毎週日曜・月曜の連休となります。他は祝祭日
※臨時休業日(事前にニュース・新聞でお知らせします)

今年はコロナ下で、来店受け取りのお客さまには何ぶんサービスが足らないこととなり申し訳ございませんでしたが事態が事態なだけにご勘弁ください。まだ当分、時間を割いたお相手ができないかもしれません。ご理解のほどよろしくお願い申し上げます。

残日わずか・・・

 また一年が終わります。
 年の瀬であわただしくなりますが、良いクリスマス、新年をお迎えください。
 今年の冬はじめの山国・甲府は信じられないほど暖かかったのです。12月初旬で気温20度の日も。とにかく窓を開けて風が冷たくない。周辺の山脈には雪がありません。いつもなら、もう真っ白なんです。3000mの山の屏風に囲まれているんですからね。ところが秋がいつまでも続いている感じです。
 でも、これでは自然も農業もダメになってしまうわけで、寒いときは寒い、そして、暑いときは暑くなければ凶作になり、ひどくなれば、飢饉が起きてしまいます。疫病のあとに飢饉が起きるのは歴史の常ですからね。ありうるかも。
 季節もメリハリが必要。人間もメリハリがなくなっているので、なんだか危ないなと思っています。
 テレビやネットが流すのは見かけだけが楽しく平和な状態。なんて言ったってニュースのトップにアニメ映画の興行売上がきて、毎日、毎日、しようもないお笑い芸人のお笑いにもならないような狂気のトークが流されているのですから、「日本はおだやかで平和」に見えてじつは「危険な国」になっているのかもしれません。
 「そういう中で、自然環境ばかりでなく、本来、人間が持っている機能が壊れていかなければいいなぁ」と思うのは私だけですかね・・・。実際、テレビばかりではなく、日常の生活風景をみていても、人々の様子に危機感も逼迫感もありません。もちろん、どれが実体であれば警戒は取り越し苦労ですが、もしかすると人々が鈍感になっていて見た目が「おだやかで平和」であり、じつは「危険」になっているのかもしれません。
 情報が多すぎ、楽しいニュースも残酷な報道もショッキングな映像も次から次へと流れてくるのを見て、鈍感にならざるをえないのではないでしょうか。現実には中世のように子どもを捨てたり殺したりする親も増えてきて、子どもの方も頭が狂ってきて突然切れたり、ひきこもったり・・・自分の家庭に起こらないように目をつぶっているよりないですからね。

また昔に戻るのかな

 昔、ドイツのアルプ地方ではクリスマスのサンタは、子どもを良くするために厳しいことをする人だったとか、悪い子は袋に入れて連れて行ってしまうという伝説が残っています。裏を返せば、ナマハゲや赤ちゃん相撲のように子どもをよくしようと思う気持ちが昔の親や村人に強かったのだと思います。つまり世の中が悪いので善い人をつくるという仕掛け。これが、現代ではサンタなんでしょう。ただ、さまざまな原因(欲望の増大・便利さなど)で、人々の精神がおかしくなり、世の中が悪くなっています。中世のような肉親の殺し合い、無差別殺人が起き、子どもたちが劣化し始めました。だからなんとかしようという試みが行われるのでしょう。
 こんな多忙な現代でもクリスマス・プレゼントのことになると親は一生懸命になります。脳天気ギャルのママも日ごろ子どもの相手もしないパパも(ひょっとすると虐待をしている親も)クリスマスといえば「子どもへの贈り物」のことを思い浮かべることになるのではないでしょうか。さらに、よく観察していると、サンタクロースの存在を信じさせようと努力する親の姿も見えてきます。思い返せば、私もそうでした。

親になっていく

 いま考えれば、顔が赤くなりますが、サンタの存在を信じさせることに「気を入れている」時期がありました。「子どもが成長することで人は親になっていくのだなぁ」と今はつくづく思います。子どもが生まれれば自動的に親になりますが、子どもへの思いが出てこなければ親になっていくことはできないのだと思います。
 女性は最初からお腹を痛め、おっぱいを与え、いろんな世話ができますので、親としての意識がすぐ出ますが、男はなかなかそういうことができません。関わることでしか親になれないように思います。これも善い人間になっていくひとつのプロセスなんでしょうか。
 通過儀礼の合理化、外部依存、さらには写真や動画で残すことばかりに気が向いている親では心の関りがないぶん親として未熟ではないかと思います。でも最近のお父さんを見ていると安心します。けっこう関わってます。昔は、父親が店に入ってくることなどなかったのですが、今では受け取りに来る方でお父さんが多くなりました。これは、とてもいいことです。
 一冊の本は人間を変える力を持っています。私は、自分自身の体験から絵本をはじめとした本読みのかなたに人を変えるものがあると信じています。アニメやマンガ、ばかばかしいTVや歪んだネット情報では真っ当な生き方はできません。
 今年は派手な忘年会やパーティはないでしょう。たまにはテレビを切り、子どもたちと静かな夜を過ごしましょうよ。聖夜(ホーリーナイト)は、サンレント・ナイト(静夜)でもあるのですから。(ニュース一部閲覧)

読み聞かせとは?⑤
4歳の子には

 前回述べたように3〜4歳になると話を聞く集中力が増してきます。ストーリーをつかむ力もおどろくべき速さになります。これに親はびっくり。物語の把握の力におどろき、記憶のスピードにおどろき、「うーん!これなら大量に読み聞かせればどんどん覚えて天才に!」と思ったりします。「読み聞かせは親子の楽しい時間」というこれまでの意識から「これは知力アップできそうだぞ!」に変わる親も、次から次へ読み聞かせる親もいます。また、子どもが何かに興味を持つと、その分野の本をやたらと買い与えたりする親も出てきます。「這えば立て! 立てば歩め!の親心」はここでも生きていますが、すくなくとも私の経験上、そういうものが効果をあげた例はありません。オタクになるくらいのものです。中には一時的な天才も出るかもしれませんが、半年も経てば内容を忘れているのがふつうです。少数冊を何度も読み聞かせる方がずっとしみこむものですよ。

その時期に応じた本

 成長に合わない本より、その時期に応じた本を与えたほうが、ずっと効果的です。配本は4歳児の標準にあわせていきますが、一般のお子さんが与えられる雑多なグレードの絵本ではなく(もう一般のお子さんはスマホ子育てで読み聞かせなどないかも・笑)発達段階にあわせています。現在配本された本を、これまでの本と合わせて何度も読んであげてください。それでじゅうぶんだと思います。「人よりたくさん与えれば優秀になる」という幻想は捨てたほうがいい(笑)。大人の本読みと決定的に違うのが「読む回数」なのです。
 さて、この時期からひじょうにはっきりした形で性差が出てきます。配本のパターンも極端に性差を強調するような本は選んでいませんが、男の子にも女の子にも入れる共通性のある本もあります(「ぼくにげちゃうよ」など)。ジェンダーフリーの方が目の色を変えて「性差別」に触れますが、ゆめや配本へではなく「戦隊キャラ」や「かわいいキャラ」へ攻撃をしてもらいたいものです。

弟妹への読み聞かせ

 子どもが3,4歳になると下にお子さんが生まれる方もいると思います。もちろん何歳か離れて生まれたばあいも年がくっついているばあいも大変です。家庭それぞれ生活リズムがあり、同時にまたいっしょに読み聞かせることが多くなります。なかなか下の子には発達に対応したものが読み聞かせられないこともあります。
 下の子は背伸びしがちで兄姉の本を読みたがる。我が家は年子でしたが、ブッククラブには三人兄弟に読み聞かせているご家庭もありますし、大変忙しいことになります。
 対策は家庭により異なります。適切な方法はないかもしれません。ご主人が分担で読み聞かせをしてくれる家庭、祖父母らが読み聞かせをして手伝ってくれる家庭なら、時間差で上の子、下の子に読み聞かせの時間を別々に取ることができます。でも、核家族の家庭も多いですよね。なかなか別々に時間を取ることはむずかしいです。
 では、弟妹に読み聞かせるポイントを三つだけ挙げます。
時間差をつける。上の子が園に行っているときに下の子を読む。下の子は短時間読みが可能。
分担して読む。上の子、下の子をそれぞれ親や家族が分担して別々に読む。
同じ時間の交互に読み聞かせる。できるだけ、下の子には下の子に合う年齢・月齢の本を選んで交互に一緒に読む。・・・などを試してみましょう。
 3歳くらいになれば寝るときに読み聞かせの時間はシフトしてくるでしょう。いずれにしろ、あまり周辺の情報に左右されず、お子さんと絵本を楽しむ時間を広げていただきたいと思います。(増ページ一部閲覧)

Frohe Weihnachten!

 コロナ、コロナで一年が終わっていきます。毎日、この空騒ぎが続くと心を病んだり、体調を崩したりする人も出てくるでしょう。気を付けてくださいね。
 なんだか、今年の秋の自死数は急増したらしいですね。まあ、コロナの重症者・死者は少なくとも日本では(極東では)たいしたことはないように見えます。
 「医療崩壊」なんて脅されるとみんな固まってしまいますが、先月号で引いた論文にあるように、米を食べている国は大したことにはなっていませんよね。ただ、罹(かか)らないにこしたことはありませんので、あたりまえの感染防止策を日常でするのが大切だと思います。とにかく手洗い・マスクの徹底だけで、通常のインフルエンザの影響は例年の3%だけということです。日頃が大事ということでしょう。
 気分を変えて、なにはともあれ「クリスマスおめでとう、良いお年を!(Frohe Weihnachten und ein gutes neues Jahr!)」ですね。
 コロナなどのニュースが流れ続けるとまったく鬱陶しいわけで、バタバタしているとあっという間に一年が終わりました。頭の程度が下がるので私はテレビを見ませんが、世の中全体がどこかへ向かって転げ落ちていくようなあわただしさとバカさ加減は感じています。おだやかに流れるはずの時間の中でジックリ考えるひまもないほどの毎日になっていませんか! これに慣れたらホント大変ですよね。あっという間に時間が過ぎる。いつの間にか歳をとって、20年、30年は一瞬のように過ぎます。いま若いと思っても、40歳くらいからはあっという間に老人になりますよ。時間をゆるやかに使わないと、追い立てられているうちに、子どもいつの間にか大人になっています。

子育ての時間

 子どもの多くは18歳になれば親元から離れていきます。つまり、子育てなど実質18年間くらいしかできません。いやいや、18年どころではありません。一日の三分の一は睡眠ですから親子が接している時間は18の三分の二の12年間? いや、園や学校に行っている時間もそのくらいあるから、その時間を差し引くと親と子が接する時間なんて、実質、長い人生のたった6年間くらいしかないのです。
 比較的時間がゆっくりのんびりの田舎に住む私が感じるですから、都会で子どもを育て、自分の趣味や社会活動をしている方々、また仕事に邁進されている方など時間は飛ぶように過ぎていくのではないでしょうか。
 子どものお稽古事、お勉強で送り迎えなどに奔走するお母さん方は、時間のなさを誰より感じていることでしょう。
 そういう生活に必死の層では時間に追われ、心の安定を失い、人とのつながりを忘れてしまうことも起きます。子育てや生きる方向を見失うのは悲しいことですけどね。日本中が「立身出世病」にかかったような、この半世紀です。前にもありました。福沢諭吉の影響で立身出世が奨励され、読み書きそろばんという実質的な勉強=実学が奨励されたときがありました。明治の20年代。国は経済、経済の殖産興業、さらに富国強兵・・・福沢思想は高まっていきます。農民も商人も子どもを学校に入れ、勉強させ、出世させようと忙しい時代でした。そのあとどうなるか・・・近・現代史を習った人なら「なるほど!」と思うと思います。人々は忙しい自分を見直さなかったのです。

赤信号・・・点(とも)る!

 テレビやネットが煽る消費生活の影響を受けると、なかなか自分の生活を見直すこともありません。
 「世の中がそうでも自分は自分」「みんなと同じ人生は嫌だ」「競争した結果、幸福になれるか?」「やりたいことより、やらなければならないことを」「自分で考え、自分で生きていく子を育てなければ」・・・こんなことは当たり前のことですが、日本では不安になって「みんなと同じが重要なんだ」に変わります。メディアから消費行動やスポーツ・芸能界のきらびやかな世界を見せられた人々は、どうしても、「ああなりたい。子どもを輝かせたい」と煽られてしまうわけです。みんな嘘像ということにきがつかないように流していますからね。
 そういう親の元では、子どもも周囲で流行るものに巻き込まれ、やがて芸能やお笑いに洗脳された無意識で右往左往する「大衆」になってしまいますよ。一攫千金とか濡れ手に泡などという楽なことを夢に見ないで、目立たなくてもいいから、もう少し真面目に生きていく人間を増やさないと大変です。もう赤信号は点っています。
 立身出世などという明治の幻想にとらわれていないで、ふつうの生活で得た経験や考えをもとに、他人の悩みや話を聞いてやれる人になれたら、これはもう人間として完成です。江戸時代の庶民には、けっこうこういう人たちが町や村にいたのです。こんな小さく貧しい絵本屋でもまじめにやれば、40年以上もなんとか生きてこられたのですから、自分の家庭に赤信号が点らないようなまじめな生活、まっとうな子育てをしていきたいものです。

読書挫折の問題 2

 子どもは問題なく本が好き(読み聞かせや読書)なのだが、読書挫折が起こる。いつも中学年が壁と言っているが、じつは生まれたときから何度も挫折期はある。例えば親が本に関心がなく買い与えなかったり、スマホ育児で事足りてしまえば、これはもう乳児期で挫折が起きるようなものだ。
 次は、親自身がアニメや漫画(ジブリのアニメ本、ディズニー本)で育ってしまうと、本物の絵本や児童書がウザイ感じになる。均一、画一のアニメの画像に慣れてしまうので、まともな絵本の絵がたまらなく不快になるらしい。すくなくとも好きにはなれないようだ。だから、たとえ読み聞かせても結局のところ、かわいい本、流行絵本、偏った派手な本になってしまう。こうなれば子どもは幼児の段階で読み聞かせ挫折が起きて、読書のスタートラインにも立てないこととなる。
 だいたい親の頭が「軽いもの、短いもの」が好きとなれば、4歳あたりからのテーマが深い本、優れた構成の長めの話の絵本など味わえないので、読み聞かせがいやになってしまうということである。当然、子どもはかわいいもの、軽いものに走る。

時間的余裕

 次は、いつも言う「子どものスケジュール問題」。お稽古事、スポーツ練習、お勉強の時間が生活内部で増えれば、いくら読み聞かせで読む下地ができている子でも読書が進まなくなる。余裕がなければ楽なものに行くのは子どもも大人も同じである。当然、楽な方向に行く。低学年でも読む力が少ない子は学校図書館で赤ちゃん絵本などに手を出すが、中学年では1ページ数行の軽い本になってしまう。うまくしたもので、悪貨が良貨を駆逐する現象がここで起こり、質の低い本がクラスで人気になるのはしかたがないこととなっている。いま、学校はいわゆる詰込み授業で子どもから余裕を奪っているが、この結果が、先月「読書挫折の問題・1」で述べたPISA成績の低下につながっているのである。十行の文章の意味が分からない子が中学生で増えているというが、想像力を使って推定する力がつかないので挫折は当然だ。

論理的国語??

 ところが文科省は2022年から国語の文学的文章の授業を弱め、論理的文章を読む力を推進する授業に変えるという。一見、「おお、論理性が身につくのか!」と国民は思わされるが、とんでもない。使用説明書や手引書、説明文書などがわかるような底の浅い「論理」で、早い話、伝票が読めればいいというような国語なのだ。つまりは前述の福沢諭吉の実学主義、和歌や散文などどうでもよく、とにかくメッセージがわかればいいという質の低い教育である。
 しかし、これは前回と同じようにやがてはうまくいかなくなる。どこで、この国の破綻が始まるかわからないが、考える力や発想力がなければ次の次の時代は生きられない。これは大きな分かれ道だ。子どもは次の次の時代を生きるわけだから、今を学んでも仕方がないわけである。前にもプログラミング学習などという小手先の技術学習の強化が考えられたが、また分かれ道に来た。しかも国民は変化の意味や内容がわかっていない。また混乱が始まる。

羅針盤としての本 人生を決めるもの

 しかし、おそらく多くの人が時流に乗って間違えた方向に行くだろう。これまで何度もあった分かれ道を我々は間違えた方向に進んでしまったのだからしかたがない。そのツケが子どもに回るが、何とか次の次の時代を生きる子どもたちには、自分の頭で考えて進む羅針盤を持って道しるべにしてもらいたいと思う。とりあえずは辛抱の時代にはなるのだろうが・・・。
 私も自分の人生を決定する本と出会ったことがある。十八歳のときに読んだ本に感じるものがあって、その本の内容をなんとかつかもうと思った。実際、その思想と技術は、この商売の根幹となっているのだから本は人を助けてくれると思う。絵本を配本していると、親御さんが「この本はヒットしたが、こちらの本はダメだった」などと細かく報告してくることがある。こういう人は、本を実利的に考えている人で、どこかで自分に影響を与える本が出るための読書が必要ということがわかっていない。もっとも欲をかく人の世界では本など邪魔なもので、読む暇があったら金を数えろという世界だから、いつまでたっても精神的にレベルの低い職業なのである。こういうと「それは職業の差別・蔑視だ」という人がいるかもしれないが、職業には貴賤はある。子どもたちにはそのへんも含めて人生の羅針盤をみてもらいたいのだ。外食産業が日本の家庭を破壊したともいわれている。かつては蔑まれた風俗産業がいまでは大手を振って「お仕事」「職業」としてあつかわれることもある。Av女優や世間に愚劣な笑いを提供する芸人が年間、数億を稼ぐ世の中である。金が基準の社会はそこまで落ちたのだ。そういう人間が世の中のために本を読んで、人生の羅針盤を決定するようにはならない。だから子供たちは、こういう人間の世界に入ったり、あるいは交友関係を作らないようにしなければならないだろう。

今年の一字

 人との出会いも同じだが、ろくでもない人間と知り合うとろくでもないことが起きる。良い人間関係が築けるような人と出会わなければ良い人生は送れない。同じことは本との関係でも言えるはずだ。
 昔から星は道しるべで、東方の三博士も星に導かれて救い主に出会いに行った。それから二千年後・・・また救世主が生まれるかもしれない。いや、きっと生まれているだろう。いくつもの本(書いた人の思想)を読みながら、「どの本に導かれれば良い人と出会えるか」を期待したいではないか。
 本は羅針盤の星でもある。大航海時代、人は星を見つけてその方向に進んでいった。荒波を乗り越えて目的の陸地に到達したのである。それならば、この時代、人は本を見つけて自分が到達する方向を探るべきだと思う。今年の一文字「禍」を乗り越えて、次の時代を子どもたちに迎えさせるためにも、星(本)を探し続けることは大切だと思う。(増ページ一部閲覧)



(2020年12月号ニュース・新聞本文一部閲覧)

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