ブッククラブニュース
令和2年
11月号(発達年齢ブッククラブ)

来店受け取りのお客様へ

コロナ対応について
 かなり広域的に感染増加!

 マスクはいまのところエチケットていどでかまいませんが、
 急激な拡大変化あった時にはお願い条項を貼りだします。
 お子様のマスクはまったく強制しません。
 マスク着用はお顔が判別できないので、お名前をお願いします。
 密になったばあい、飲み物のサービスは中止いたします。
 念のため消毒・換気もしますが気になさらないでください。
 受け取り可能時間(10:30am〜18:00pm冬時間)です。
発送切り替えも可
 発送も可能です。その際は県外会員と同じく3ケ月一括発送になります。
 ご利用ください。発送のご相談は メールでも受けつけます。
 お振り替えは郵便ATMか銀行振込のどちらかをご利用ください。
 ご理解のうえご協力ください。
 ゆめや店主 11月11日

ファクターX

 第二波が来ているようですね。罹らない方がいいに決まっているのだから注意をしてほしいと思います。十月末から急速に感染者数が増えました。Go To Eat ,Go to Travelの影響と乾燥した天候と気温の低下がミックスされて、感染拡大となっているようです。経済とのバランスはむずかしいが、ここは我慢ができるかどうかを試されていると思いますね。幸い、日本は感染が拡大しても重症者、死者数が欧米に比べてひじょうに少ない。若者の多くは症状が出ても軽く、なかには無症状もいる。子どもはほとんど罹りません。これは、「ひじょうに」というより「異常」と言った方がいいかもしれません。万単位で死者の数が増えている国もあるのだから。
 このことについていろいろな論文が出ているのですが、知り合いの飯沼一元先生から送ってもらった論稿を拝読していて「なるほど!」と思ったことがあります。

その論稿は

 以下のものなので関心のある方は目を通してほしいです。表が込みで3ページです。
LINKはこちら
 統計的手法を使った論文で素人には読みにくいかもしれないが、おおざっぱに要約すると「米の消費量の多い国と小麦の消費量の多い国で重症化率、死亡率が大幅に違うこと」が述べられている。米を食べている国では感染率は高いものの重症者、死者数が極端に少ない。それに反して小麦を主食にしている国ではとんでもなく多い罹患率と死者数が見られる。これを統計表で見るとその差が歴然だ。米食に救われているというわけである。それに比べて米国は米がついても(笑)小麦を食べているから感染者数も死者数もウナギのぼりである。
 だからと言って、今日からごはんを食べれば感染したり重症化しないというわけではなく、長い間(2000年くらい)に食物で形成された遺伝子の違いだから、すぐに食事を変えてもムダである。ただ、この差から免疫に対する考えも別の視点から可能になると思うので、こういう説もあることを知っておくのも何かの話のきっかけになると思う。読んで、良かったら、あるいはみなさんの意見が賛同でも異論でも下に評価の投票があるので時間があるときに試みてほしい。
 投票方法は
 1.以下から個人メルアドとPWでログイン(初めての場合は登録)。
https://ideabox.cio.go.jp/ja/howto/
 2.左上の検索欄に「飯沼」を入力し検索して中味を開く。
 3.賛否ボタンを押す。コメントもあれば入力する。
 政府の有識者の見解を見ていると、じつはコロナについて一年近く経ったにもかかわらず何もわかっていない感じがする。ある意味、右往左往なのは、こうした説を根拠にしないで、状況判断だけで政策をするからだろう。子どもたちがマスクをして勉強したり、運動をしたりするのを見ていると心が痛む。早く対策を!。

覆面とマスク

 さて、そのマスクのヒーローといえば、私の世代では「怪傑ゾロ」だ。怪傑ゾロリは、そのパクリですよ。日本で覆面(ふくめん)のヒーローといえば鞍馬天狗や怪傑黒頭巾だが、ほとんど口を覆っている。外国では目を覆うのがマスクなのにね。外国人は口を覆うのが嫌なのだろうか。自分を隠すときの様子が西洋と東洋ではこんなに違うというのはおもしろい。
 コロナに対しても、これが際立った違いになった。日本でも中国でもマスク派がほとんどだが、欧米はマスクをしたくない人が多いようだ。これはもう文化の違いのようなもので良い悪いの問題ではないだろう。
 だが、ことは「疫病」。防御はしなくてはならない。

ヴィルスは通過する

 昔、高校の生物で「ヴィルスは濾過性病原体」と教わった。つまり細菌が通り抜けられない濾紙や織布をヴィルスはかんたんに通り抜けるのだから、マスクの効果はないのではないか、ということである。
 ところが、Covid-19は、前述の感染症専門家の対応策を見ていてもこんなに医学が進んだ時代で不明なことが多く、一年たった今でも、ヴィルスの生存時間や毒性がよくわかっていない。
 そこで、いろいろな説が出る。「風邪と同じだ。かかっても問題ない。」「すぐ治るじゃないか。」・・・こういう俗説がいっぱい。みんなよくわからないから、とりあえず手を消毒、マスクとなる。
 欧米では重症者・死者が山ほど出ているのに日本ではそうはなっていない。これも謎だ。学者はみなさんガンバッテ、突き止めようとしているが、学術を軽んじて、ヤンキーな政策を打ち出してくる政府もあるから、世界中が困り切っているというところだろう。
 前述の飯沼先生の興味深い研究論稿に戻るが、かんたんに言うと「統計的には米(rice)で遺伝子をつくってきた人種と小麦(wheat)で遺伝子をつくった人種では重症化率、死亡率がまったく違う」というものである。
 このことは着目すべきだと思う。たしかに極東アジアと欧米を比較すると圧倒的にアジアの重症化、死亡率は少ない。加えて手洗い、マスクはよくやるし、キス、ハグ、握手の習慣もない。しかし、本当の原因は、「ゴハンの影響かもしれない」とは、ね。びっくりだ。
 だからと言って、マスクをしないで多くの人と接するのはやめたほうがいいと思う。若者、子どもは無症状、発症なしで大丈夫だが、持病がある人、老齢者は死に至る。

「食事中口をきくな!」という教え

 昔のことだが、私の父は明治生まれでスペイン風邪を体験している。(スペイン風邪は大正7年から始まった)。この風邪は、記録によると米国のカンザス州の基地の兵隊が風邪の症状を訴えたのが初めての例だという。日本は米騒動の最中で米が不足していた時期に、早々と感染が始まったということだから、これも感染力が強かったのだろう。
 その父が、食事の時に言っていた言葉ある。「ちゃんと姿勢を正して食べなさい。べらべらとしゃべりながら食べるな!」というものだった。祖母も時折、同じことを言った。
 いま考えれば、まったく楽しくない食事風景だが、正座はあたりまえで、姿勢を崩すと「だらしがない」と叱られたものだ。しかし、もしかすると、それは感染を防御する民間の知恵が習慣づいたものかもしれない。スペイン風邪のときも多くの人がマスクをしていた。

デリカシー

 「11月に入って東京だけでなく、大阪や北海道などでも感染者数が増えるなど全国的に増加傾向にある。第3波に入って来ている可能性があるのではないか」という報道が多くなった。このまま増加傾向が続けば再び大流行につながる可能性が出る。
 しかし、反マスク派・反ワクチン派の人が「死ぬのはみんな老人で平均寿命を超えた人ばかりだ」と言っていた。しかし、この言葉はデリカシーがなさすぎる。世の中には持病を抱えて仕事をしている人もいるし、身内に老人もいるのがふつうである。そういう人に「風邪で死ぬのはふつうにあることだ」と言って、気を使わないのは人間性が低いように思える。だから、私は逆に外出するときは防御効果がないマスクでもつけるようにした。自分自身が、自覚なしにサイレント・スプレッダーになってまき散らしているかもしれないからだ。ならば、感染は防げないマスクだが、感染力のある飛沫を口から噴き出さないようにマスクをつけるエチケットは、持たなければならない。

分断されないためにも

 おそらく、多くの日本人は他に対して、どういう姿勢を示すかを無意識に考えていると思う。鬱病になるくらい感染に敏感な人もいれば、まったく無頓着な人もいるのが世の中である。だからこそ、多様な人への気遣いも含めて「弱者にまき散らさない自分でいたい」と思う。感染してしまうのはしかたがないことで、感染者を気遣わないで、いじめの標的にする感染対策は考え直さねばならない。
 先月末から欧米は第二(三?)波・・・ヴィルスに変異が起き、感染力だけがあきらかに増大しているという。爆発的流行は避けられない。
 コロナは前にも述べたように、不思議なヴィルスである。世界を分断する性質を持っている。だからこそ自己主張だけを強くして世界をズタズタにする考えだけは持ちたくないと思う。米・トランプ大統領はそれで過半数の支持を得られなかった。分断を引き起こしたからである。米国は小麦を食う国である。コロナ被害が大きい。その対策に失敗すれば、当然退かざるをえないだろう。経済と命を秤にかけりゃ命が重たい人の世界だからである。米は小麦を食べて経済、経済と言い始め、日本も食が欧米化したら小麦を食べ始めて感染から逃れられないことになった。経済、経済でGO TOで旅行業・飲食業ばかり救おうとするとオリンピックができなくて大きな損失を被ることなど容易に想像できることである。
 さいわい、日本はコメで守られている(?笑)。だからと言ってパンを排撃するような愚かなことはしたくない。(ニュース一部閲覧)

漢委奴國王のハンコ

 印鑑を廃止するらしい。これは一大事だぁ。西暦57年の日本初の印鑑から約2000年、ずっと使われてきたハンコが公文書から消えるという。すごい決断である。
 日本初のハンコは言わずと知れた「漢委奴國王印」(俗に志賀島の金印)。「漢の光武帝からもらったもの(後漢書)」と教科書にある。
 ということは,それまでもハンコを汎用(ハンヨウ)する習慣があったのでは・・・ないか? なんて考えたりする。
 その前の漢書地理志の時代からハンコ(はんこ)は使われていたからだ。(ちょっとダジャレがきつかったかな・笑・このダジャレはクイズにしますよ。ダジャレの意味、わかった会員にはなにか景品を差し上げます、お便りください。)

ハンコの使用は弥生時代から

 ま、それはとにかく、学者たちは、「当時、日本は字もなく文もない時代。ハンコは使われなかったのだろう」とも言う。四世紀に王仁博士が論語と千字文を持ってくるまで日本人は文字を知らなかったという定説。これも高校の日本史にはあった。
 しかし、そりゃおかしい。ハンコは文書を書いたら署名をして押すものだ。委奴國王は文が書けないどころか、字も読めず、名前も書けないバカだったのか。3世紀には「卑弥呼が魏に国書を送って親魏倭王印をもらった」と、ちゃんと有名な魏志倭人伝に書いてある。この国書、だれが書いたんだろうね。東大出の官僚?(笑)。
 今年二月に福岡市立博物館で撮った金印の写真がこれだが、どう見ても「使用したものである」というのが正直な感想だった。
 思うに、日本人は紀元前から文字も読み書きできていて、行政文書も作っていたはずなのではないか。ハンコがGoldなんで目がくらんで、中国からありがたくもらった・・・なんて、おかしな話だ。
 卑弥呼も行政文書にハンコをバンバン押していたと思う。つまり、ずっとずっと、発行者が「言ったことは保証します」という意思表示で使われて2000年。
 これは「私が書いたことは責任をもって実行します 」という意味である。
 これを、たかが一政権が「合理的でないので止めます」と言う。銭儲けのためなら何でもありかい。こういう自由化、デジタル化は、必ず悪影響を及ぼす。学校の記録も官庁の記録もデジタルだと逆に見られなくなる可能性が大きい。電気、ガスの伝票がデジタルになったときハンコも見られなくなるので、余計に請求されてもわからないことが多い。ごまかされてもわからない。キャッシュレスも支払い感覚が薄れるはずだ。

文化も歴史も無視する

 たやすく自由化、デジタル化して、肝心かなめのサービスができなくなる可能性が大きくなる。
 郵便局の民営化などその最たるもので、逆に値段が上がり、いずれ地域によって差がでてくることだろう。サービスはどんどん落ちて、悪事まではびこる。たやすく歴史や文化を変えるとその弊害の方が大きいことは歴史が証明しているが、歴史や文化を知らない人は「競争」「自由化」「なんでもあり」と叫んで、場当たりの一儲けである。小泉政権から顕著になった傾向だが、国民は乗せられて後押しをした。バカが寄り集まるとこういう結果になる。次世代が大変だ。いまがよければいいという人々がいるから百年先のことを考える政治が必要になるが、当の政治家が「いまがよければいい」「濡れ手に泡」ではあぶない。
 これは、じつは子どもたちの思考力の増強に関してもひじょうにまずいことなのだ。歴史的思考ができず、自国文化もわからなければ、外国と渡り合うことができない。
 こんな人々に歴史や文化がわかるわけもないが、そろそろ反知性の人々には退場してもらわないと、ハンコ問題だけではなく、知性の劣化で国が壊れてしまう。
 学校の先生たちも、そして学術会議の先生たちも政府に尻尾を振らないで、きちんと言うべきことを言ってもらわないとね。

こんな絵本もあるよ (4) 西風号の遭難

 小学校中学年の教科書にも入っていた不思議な名作だ。ネタバレだがネタでは 読んだことにもならないからいいだろう。想像力と現実を結びつけるパワーを持 った子(大人も)しか読後感の中で中身を見ることができない本だからだ。 語り手である「私」が、漁村で丘に登る。すると、そこには不思議な光景。ヨットの残骸が目に入る。どうして丘の上にヨットがあるのか? 誰もが知りたくなる最初の場面。ここで、もう、幻想の世界に入りこまされる。 老人が語る。
 ・・・昔、ヨット(西風号)の操縦がうまい少年がいた。ところが、ある日、少年は遭難してしまう。気がつくと見知らぬ浜辺にいることがわかる。現実なのか、非現実なのか。・・・このあと、少年が 見たものは。
 ヨットが、次々と空 中に浮かんで目の前を通りすぎる光景。そして、三隻めのヨットが、西風号をひいていくのだ。・・・ヨットを追っていくと、少年は船乗りと出会う。船乗りから空を飛ぶ技術をならった少年は・・・夜 風が吹き始めたとき、満月の光を浴びながら、風をさぐりあてる。すると突然、西風号は、ぐらぐらと揺れはじめ、舳先に当たる水の音が大きくなり、波のしぶきが、風に飛ばされて行く。西風号は浮かび上がり空を飛び始めるのだ。
 カモメのように夜空をゆっくり飛んでいく・・・この不思議を読んでいる私たちは引き込まれ、幻想的な世界へヨッ トのように飛ぶ感覚に陥る。現実から非現実へせりあがるプロセスがすばらしい。これこそ、詩的文章でわれわれの想 像力を掻き立て、やがて、この意味がどういうことかを教えてくれる一冊である。
 本は理解するものではなく、感じ取るものだということがよくわかる絵本である。絵本とはいうものの、幼児のものと思ったら大間違いだということがこの絵本から見え隠れする。

サブカル問題・⑦

 2020年度から国語は論理国語と文学国語になり実用性の高い説明書や操作手順書などを読む論理国語がテスト 科目で優勢になるという。すでに読書の世界では文学国語の衰退ははなはだしい。字も読めず論理性もない政治家が進 める国語教育。さて、このままいくか、反発して文学を取りもどせるか・・・高みの見物をしてやろうと思う。
 人は環境に影響を受ける動物であることは、かなり昔から言われている。昔、テレビの影響が問題になったことがあり、子どもの視聴時間を減らそうという運動まで起き た。まだ、テレビがけっこうまともな番組を持ち、シリアスなドラマが全盛だった時代 のことだ。それでも、子どもに悪影響があると叫ばれた。その運動をしている人たちが、 いまのテレビ番組についてどう思っているのか知りたいが、みんな高年齢で、自分たちがテレビのとりこになっている(笑)。だから何も言わなくなっている(?)。 同じことがまた起きてはいないか。例えばゲームだ。これもまた同じで、時間を制限せよ、コンテンツの内容を見極めようということが言われている。
 言っておくが、ゲームなどサブカルが引き起こす負の側面について、それに対応して何とか防ぐということはこの日本ではほぼ機能していない。
 依存になった人間を治療する施設は全国で二つしかなく脆弱な補強体制だ。つまり、悪影響がおきて人格崩壊を起こし、犯罪やなんらかの事件につながったばあいは「自己責任」とされてしまう。これが、ものを売って、製造責任、販売責任を問わない、この国の異常なシステムなのである。
 これはとんでもないプラごみを出す包装をする企業や放射能を出す企業、また環境破壊する企業でも企業が責任をもってプラスチックや放射能汚染水を回収し、自然を回復する責任や義務は課されないということだ。つまり、消費者がその影響を受けても補償する側ではないということ。ニンテンドーがゲーム依存の少年・大人を生み出しても、カジノがギャンブル依存の人間を生み出しても、責任は被害を受けた方にあるというわけだ。こうして、この国は豊かになってきたというわけである。

時間が経過すると

 あと数十年したら、子どもはゲームから離れて 他のものに行き、たしなめていた親が高齢になってゲームしかできなくなっていることも想定できる。
 人が環境の影響を受けるというのは、例えば、笑えないようなお笑いの陳腐なネタの番組ばかり見ていると、まともなお笑いがわからなくなってしまうというもの である。精神病のようなわけのわからないドラマばかり見ていると価値観も倫理も吹っ飛んで何でもありの行動をしても異常ではなくなるということも起きかねない。
 サブカル、あるいはその周辺システムの影響はすぐに起きるもので、それはすぐ影響される人間がいるということである。
 話が飛び飛びになって申し訳ないが、先日、ある人が来てイベントの講師を紹介してくれと言う話があった。メール で紹介すると「はい、ありがとうございます」という一行のみ、連絡できたかどうか聞くと「まだなので明日します」という一行。心配になって「内容はどうなっているのか」と訊くと「検討しています」のまた一行・・・段取りの説明がないままその日を迎えた。 当然、講師とはうまくいかず、結果の連絡がない。事後報告は当然ない。
 あとで考えて、これはLINEの影響ではないかと思った。こりゃあ、精神病が起きても仕方がない状態だ。

もう結果が・・・

 さらにもうひとつの事例。出入りの銀行マンが来て、「実家に帰ったがビジネスホテルに泊まった」というエピソードを話してくれた。
 「なんで?」と聞くと、実家の長男が引きこもりで家庭内暴力。16歳の時に部屋に閉じこもったきりで家庭内暴力で壁には穴が開き、家具で隠さないとならない状態だったと言う。誰も部屋には入れないが、家族に聞くとフィギュアが山積みなのだという。
 小学生のころからゲーム三昧で不登校傾向があり、高1で完全に引きこもり。ネットでフィギュアを買い付け、親が支払う。食事洗濯なにからなにまで親がする。いずれ50−80問題が起きますねぇ。
 その銀行マンは「私の兄である親が甘すぎる」と言っていたが、何も対策はないらしい。 弟は22歳。兄の影響は大きく、やはり家でブラブラしているという。こういう家庭が身近に存在する社会。あきらかに環境の影響を受けているわけだ。
 これを解決する方法はゲームの時間制限や視聴制限なのだろうか、それともカウンセラーや学校が言うように、うまくつきあえばいいというものなのだろうか。もう限界を超えた事件が社会現象として起きているのに・・・これでいいのだろうかと思う。まったく豊かな社会は狂ったような構造が露出してきている。(新聞一部閲覧)



(2020年11月号ニュース・新聞本文一部閲覧)

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