ブッククラブニュース
令和2年
8月号(発達年齢ブッククラブ)

来店受け取りのお客様へ

コロナ終息まで
 感染を防ぐためマスクをつけてご来店ください。
 暑いのでお子様のマスクは熱中症を誘うこともあるので緩和します。
 お顔が判別できないこともあるので、お名前をお願いします。
 当分の間、飲み物のサービスは中止させていただきます。
 頻繁に消毒・換気もしますが気になさらないでください。
 受け取り可能時間 (10:30am〜18:30pm)です。
発送切り替えも可
 発送も可能です。その際は県外会員と同じく3ケ月一括発送になります。
 ご利用ください。発送のご相談は メールでも受けつけます。
 お振り替えは郵便ATMか銀行振込のどちらかをご利用ください。
 ご理解のうえご協力ください。ゆめや店主 8月1日

残暑お見舞い申し上げます

 長い長い梅雨が明けたのがなんと八月になってから。また近年頻発している梅雨豪雨の被害で大雨・洪水、天が怒っているとしか思えませんね。20世紀後半の穏やかな時代を知っている私としては、21世紀に入ってから続く天変地異がただの天災とは思えないのです。新型肺炎と共生しなければならない子どもたちはwith Coronaですが、これからの日本人はwith Natural disaster・・・天変地異とともに生活しなければならないような気がします。
 球磨川の豪雨・・・あの川沿いには旧会員が3家族います。いちおうお見舞いのハガキを出しておきましたが、まだ返事がありません。筑後川周辺の会員からはお便りがありましたが・・・・。
 なにがあるかわからない時代になってきました。この災害が、政治や社会のテイタラクに対するバチではないことを祈りたいです。そして複合して大きな地震や台風が来ないことを願います。まだまだ暑くなります。どうか、熱中症とコロナには気を付けてお過ごしください。若い方、子どもは大丈夫ですが、罹らないにこしたことはありません。

時間を取りもどす

 今年の夏休みは学校も園も短いらしいですね。上からの言うことは聞く(とても素直に)国民なのでどんな詰込みをやっても誰も文句を言わないでしょう。「時間がない!」「時間がない!」と言いながらなんとか24時間の帳尻を合わせていく。そのくせ、そこから生じたストレスを発散させるのに「旅行だ!レジャーだ!」で遊びに行くパターンとなってきました。我慢もできなくなっている体質が身についたのはいつごろからでしょうか。食い物と娯楽に浮かれまくっているという危ない兆候・・・いつから、こんなに脳天気になったのか知らないですが、インパール作戦に乗せられた兵隊さんみたいにならなければいいけどなと思います。(#インパール作戦)
 たしかにフルタイムで働けば飲み会、食う会、遊びに行く会で発散しなければやっていられないでしょう。これも働き方改革ができなかった生活様式のなれのはてですね。こんな消耗型生活様式はサラリーマン社会が生み出したものですが、もうほとんど変える力もなければ、言いなりになって働き、そして酒・ばくち・音楽と言う娯楽に逃げているわけですから、おそらく何が起きてもなすがままだと思います。きっと、いいようにコロナにもてあそばれることでしょう。
 コロナは「行くな!」「来るな!」「集まるな!」「楽しむな!」と言っています。それは、じつは、これまでの働き方、社会のありかたが異常だと言っているのではないでしょうか。

「時間がほしい」と言う人たち

 ある保育園の事務長さんがこうこぼしていました。
 「朝、8時すぎに登園させて、夜7時過ぎまで迎えに来ない。家に帰ったら入浴・夕食・寝かしつけで終わり。子どもと接する時間は3時間くらいしかないんじゃないかしら。」
 20年くらい前、まだ男女雇用機会均等法ができて十年ほど後、お母さんたちが言っていたことは「自分の時間がほしい」「自分の時間がないのでイラつく」でした。
 その法律ができる前は、お母さん方の言い分は「疲れた! 誰か子どもの世話をしてくれないかなぁ!」だったのです。世代が代ったのかどうかは知らないけれど、前と後では時間のとらえ方がかなり違ってきたように思いました。
 つまり1990年後半から「自分の時間」がのぞまれているのです。「なんで自分の時間を求めてはいけないの?」という方々もいますが、子どもができたら子どもにかかる時間は割かれます。自分の時間は無くなります。独身時代と同じように勝手なことはできないのです。1990年以前はつらくても大変でも親は自分の時間を熱望することはなく、「子どもといると大変!」というだけでした。こういうと、「ゆめやは男だから、女性の自由を否定して、家庭に縛り付けようとしている」と思われるかもしれません。でも、私は、男、つまり夫ももっと家庭内滞在時間を多くして、家事をすることが必要だと思っています。すべてお金で解決しようとするから稼がなくてはなりませんし、なにより資本もかけずに仕事をして給料をもらえればいいという安易な考え方が、現代の家庭の在り方を追い詰めてきてしまったのではないでしょうか。その考えは、車が欲しい、新車が欲しい、家がほしい、家を建てたい・・・となって、男も女も馬車馬のように働かされているのです。この近代的価値観の見直しに目が行かない限り問題の解決は無理でしょう。

遊ぶことしか考えない人種

 保育園の事務長さんはこうも言いました。
 「遊びに行くから子どもを一時預かりするというのは10年くらい前から始まったのよ」と。たしかに、コンサートとかライブとか食事会、飲み会に子どもは邪魔です。まさかロックコンサートに乳幼児を連れていく親はいないでしょう。連れて行って夜泣きが激しくなったなどという話題もありましたね。
 「昔は親は子どもが小さいうちは行くのを我慢するのがあたまりまえだったけど、いまでは行くのがあたりまえになってますよ。」と事務長さんは言う。
 なるほど、そうなのか。ライブやレストランでの食事など行ったこともない私なので、その想像はなかなかできません。で、私は、こうも言ってみました。
 「でも、豊かになったから、どこへも行けなかった昔より、優雅なレジャーや旅行が楽しめるようにもなっています。いまの親は、子どものころからそういう楽しみが普通になってますよね。だから、自分の時間をもって楽しまないといられなくなっているわけですよ。子どもは連れて行っても楽しくないかもしれませんからね。」
 ところが、事務長さんは「そう言っても、2歳や3歳、いえ、4歳,5歳でもそんな遠くに、あるいはすごい場所に連れて行かなくてもじゅうぶん近くで、ゆっくりと過ごせるんじゃない? 子どもはその方が負担が少なくて喜びますよ。だいたい大きくなって覚えていないでしょ。2歳児を飛行機に乗せて外国旅行を楽しむなんて完全に自分の都合よ。」と言うのです。「スケジュールに追われて、とにかく行ってきました! やりました! とあわただしく、ではね。子どももかわいそう。」と。言われてみれば納得です。たしかに、その究極が育児放棄による乳幼児餓死事件です。

むずかしい問題だ!

 聞きながら、私は「自分の時間がほしい」というのも痛いほどわかるが、それは女性労働力が必要になった時期から国が「ほら、お金をあげるからあなたの時間をちょうだい!」と言ってきた結果なのではないかと・・・思いました。それをもっと前のあるときから学校も刷り込んでいたような気がするのです。女性は職をもって経済力を高めれば、男性と同等になり、権利を獲得できます、と。
 貧しくても安全な時代には、子どもは子ども同士で遊び、自分の時間にしていました。親も、子どもと長時間いたから「疲れる」「息抜きにGo To」もなかったような気がするのです。女性の権利主張は0歳児保育の要求になりましたが、産後の育児休暇5年にはまったくならなかったのです。育児より労働でした。
 そして、思うのです。「時間がほしい!」という親の気持ちもわかるが、では、その親は、子どもが成長したとき、子どもが望む「ボクの時間がほしい!」「ワタシの時間がほしい!」「遊ぶ時間がほしい!」をどう尊重するのか、と・・・・。そのときになると、塾だ、お稽古事だ、と押さえつけて時間管理の灰色人間に変身してはいないか、というわけです。現代の親は、完全に立身出世主義のとりこになっていて、子どもを時間管理の生活に追い込んでいます。こりゃあ、子どもから言わせれば不公平な話です。自分は「自由な時間が欲しい」と言って外食やライブ、コンサートに行くのに、子どもは塾漬け、お稽古事漬けでは「なんだかな!」です。
 さいわいコロナが休みをくれています。夏くらい、子どもといっしょに過ごす時間を作ろうじゃないですか。なにもしなくてもいい。子どもが遊んでいるのを見ているだけでも、けっこう子どもの方だとも思うのです。

前から言っていますが

 この間、テレビでコロナ下の店舗営業について当店の対応の在り方を取り上げてもらいました。狭い地域ではテレビに出るとすぐに新聞が追いかけてきて記事を書いてくれます。この記事を書いたのは女性記者でミハエルエンデの「モモ」に関心が深そうな人でした。9月に出産する方で時間については考えているところがあったのでしょう。
 いきなり、「なぜ、絵本屋を始めたのか?」「なぜモモにこの時代を切り抜けるヒントがあるのかなど」聞いてきたので話しました。けっこう人間の在り方に興味のある若い女性で、人定尋問(笑)までされてしまいました。私が力説したのは、現代というのは江戸時代と大違いで、子どもを大切にしていない社会。それは企業も学校も大人も親も子どもを大切にしていないということ。そんなことを話しました。この記者さんと話したくわしい内容は次号で書こうと思います。子どもを追い立てる社会は必ず壊れますのでね。とにかく、時間を取りもどすにはどうしたらいいか・・・考えるだけではなく実行がいま必要なんです。そしてそのヒントが「モモ」のなかにあるということです。(ニュース一部閲覧)

捨てる 捨てられない

 みなさんも体験があると思うが、周囲に断捨離とか身の回りの整理・片づけとか言って物を持ってくる人がいる。旅行のお土産 物、自分が読んだ本など、など・・・断捨離と言いながら捨てられず、人の家に持ってくる人だ。いますよね。 思い出がつまっていて捨てられないから大切にしてくれ そうな人にあげる・・・これは困ります。あとで、「あれ はどうしたか?」と言われて「捨てました」とは言いにくいので、しかたなく取っておかざるをえない。 思い出のつまったものをなぜ人のところに持ってくるのかわからないが、人間はどうも捨てるものと捨てられ ないものの区 別ができない 動物らしい。 子どもは、 いつも未来に 向かっているから、大切なものがなくなってもあまり こだわらない。 大人は思い出いっぱいで、いつも後ろ向きだから物を捨てない。「物は持たない」という人もスマホやパソコン の中に山ほど旅行写真や子ども、孫の写真、スキャンし たものを入れる、・・・かさばらないが、探すのも大変そうだ。二度見ないものを大量に保存している人もいる。 私は片づけが下手だし、断捨離もまったくしない。死ねば誰かが片づけてくれるから、服も書棚の本も捨てな い。だからハンパなくたまる。

どこにでもある思い出

 先日も物置に昔の書類を 探しに入り、娘たちの小学校の時のノートや教科書を見 つけてしばらく見入っていた。おぼつかない筆運びの漢 字ノートや算数計算の練習帳・・・へたくそな字や絵が ある紙類まで残っている。見ていると、そのころのいた ずらっぽい表情やふてくされた顔まで浮かんでくる。なつかしい思い出が積み重なる。
 翌日、すでに三人の子供の親になっている次女に「この整理をしてくれ」と言う と、すぐにビニール袋に放り込んで捨てた。親にとっての思い出は、子どもにとってはガラクタなのだ。いつも 子どもと親は違う風景を見ている。親は写真や記録で思い出を美化するが、子どもは「現在」と「未来」だけ見て過去はどんどん捨てる。 しかし、たった一枚の写真でも取り出してみると、そのときのいろいろなことが鮮明に浮かんでくるから「個人的には」捨てられないものでもある。アルバムをひっくり返してみると、たしかに思い出は画像となって残っていた。

思い出はあったほうがいいね

 例えば、この、なんの変哲もない集合記念写真。仲良しの2家族で毎年行った恒例の海水浴だ。
 隣近所で子どもたちが生まれたころからの付き合い。お宮参りの写真を撮ったり、お互いの家に行って遊んでいた、今でもよく話し、お茶を飲む。昔で言えば「竹馬の友」だ。ほぼ同じ年頃の子たちで、一方は男の年子兄弟、もう一方は女の年子姉妹、なんと中学生になってもみんなで海水浴に行っていた。ほとんど同じ新潟。西頸城郡のひなびた海岸。夜になれば真っ暗で、北朝鮮の潜水艦でも出てきそうな(ちょうどその時期)ところだった。 しかし、拉致の情報などないから夜中に海岸を散歩したり、花火をしたり、真っ暗な夜を楽しんでいたものだ。

思い出の結果

 いつも到着まで土砂降りだが、一人・晴れ男がいて着けば必ず快晴。途中の駅にみんなの弁当を忘れてきた子もいれば、 海の家のラーメンでチャーシューを横からさらわれて怒った子もいた。帰りの最終の特急に積み忘れられ真夜中の鈍行で帰ってきた子もいれば、打ち上げ花火のアナウンスに首を傾げた大人もいた。
 「○○株式会社提供のスターマインでした。五千円、ありがとうございま〜す。」花火って一発五千円なのか?! と思っていて、あとで聞けば「ご声援」だった。
 一枚の写真でこれだけ記憶が湧きだすのだから、どんなものにも「個人的には」大切な思い出がある。幼児のころから中学生まで・・・ついて行く親も大変だったが、それだけ思い出の数は多くなる。
 しかし、上の花火の写真や集合写真は他人にはただの映像、無意味な写真にすぎない。だが、その思い出を積み重ねて、子どもは大人に、親は老人になっていく。物はどうでもいいが、その過ぎていった思い出をそれぞれが大切にしないと幸福な人生は送れないのではないだろうか。
 この写真の少年少女4人は時を経て、近くに住んだり遠くに住んだりしてはいるが、全員親になり、その子どもの合計は九人になっている。(新聞増ページ一部閲覧)



(2020年8月号ニュース・新聞本文一部閲覧)

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