ブッククラブニュース
令和2年
4月号(発達年齢ブッククラブ)

来店受け取りのお客様へ

 コロナ終息まで原則 店頭で配本はお渡しします。
 いらっしゃるときは早めにお電話くだされば用意して店先でお渡しします。
 感染を防ぐため 終息までマスクをつけてご来店ください。
 店に入らずに店先で、その時間にお渡しもできます。
 当分の間、飲み物のサービスは中止させていただきます。
 頻繁に消毒・換気もします。
 受け取り可能時間 (10:30am〜18:30pm)
 発送も可能です。その際は県外会員と同じく3ケ月一括発送になります。
 ご利用ください。
 発送のご相談は メールでも受けつけます。
 お振り替えは郵便ATMか銀行振込のどちらかをご利用ください。
 時代遅れかもしれませんが、零細店なのでキャッシュレス決済は導入しません。
 ご理解のうえご協力ください。ゆめや店主

「入園おめでとうございます」・・・

 と、たやすく言えない春になってしまった。
 非常事態宣言が出たものの入園式が行われたり、行われなかったり、欠席したり、出席したり・・・まったく人と場所によってまちまちで、いかに政府に防疫体制ができていなかったかがわかる混乱が続いている。安倍首相は、東京オリンピック延期を告げる会見で、「人類がウイルスに勝つ証として」と大げさなことを言った。言葉は威勢がいいが、Youtubeでは完全に「引きこもり政治」になっていて、陣頭指揮を執っている様子がない。こういういい加減な対応策・場当たり要請の休校、休園では通わせていいかどうかも迷うところだ。
 ずるいことに、これは命令ではなく要請で、政府は責任を取らない。次々に死者が出て、子どもまで感染が広がっているのに、抜本的な対策がない。なるにまかせているようでは、先生方も親も入園式・始業をしていいものなのかどうか混乱するだろう。大都市が危ない。ゆめやのある田舎町でさえ感染者数は毎日増えているが、大都市はケタ違いだ。

混乱と後手後手の理由

 一つは、オリンピックをどうしてもやりたくて防疫対応が遅れたこと。岩手の知事のように公衆衛生学の専門家ならすでに2月の初旬には自粛要請、来県者の往来自粛をやった。4月半ばの段階でも感染者ゼロなのである。人口密度が少ないというならもっと少なくても感染者が多いところはある。要は危険察知能力と危機管理の結果だ。
 二つ目は3月号でも書いた。中国で感染爆発が始まっていたにもかかわらず、インバウンドで儲けたいので国境閉鎖をしなかったこと。
 三つめは、クルーズ船の乗客を隔離もせずに杜撰(ずさん)なやりかたで下船させて帰宅させたこと。これが感染源になったことはだれもがわかることである。
 さらなる混乱は、いきなり小中高校を休校させたことだ。これほどいい加減な対策はない。ド素人が考えても、小中学生が休んだところで、幼児が幼稚園、保育園に行き、兄弟姉妹が園・学校にまたがっていれば感染一人で一家全滅感染になる。「それこそ日本的ですね。日本人はおとなしくてみんな言うことを聞くから」(英・現会員)と返ってきた。そうだ! 親は怒らねばならない。ことは命の問題だ。
 だが、国が無理やり、開園するのは、親に働いてもらいたいからだ。実際、自粛・要請というおだやかな言い方だが、それは「休む休まないはそちらのご判断」「休業補償の責任は取らないよ」だ。1機130億円の戦闘機を100機も爆買いする政府が、休業補償もしない。そんな理不尽ことが許せる?
 海外会員のメールでは、「申請3日でその月の収入が振り込まれた」(NZ現会員)とのこと。
 つまり安倍政権は命より経済なのだ、と思う・・・「新型コロナウイルスに打ち勝つ」・・・まるで戦時中の「撃ちてしやまん」である。親は黙って特攻隊員になるよりないが、B29の爆弾は子どもも年寄りも関係なく降り注ぐ。おとなしい日本人は何も言わず働くが、これって「国民と菜種は絞れるだけ絞れ」なんだよなぁ。麻生財務相の曲がった口が目に浮かぶ。子ども世代のことを考えればそれはできないのに、まるで虐待親だ。
 そのくせ盛り場(パチンコ屋とか飲み屋)をすぐに閉鎖しなかったので、限界点を越えたら感染者はすぐに2万、3万に達するだろう。当然死者も増える。近所を消毒をさせて家の中で犬と戯れていれば感染はしないだろうが、働かねばならないわれわれは危険と隣り合わせなのだ。

また一方の会員から

 「メルケル首相の演説には涙が出た。日本では政治家はぜったいに暖かい言葉をかけない。大変なときにメルケル首相が演説で安心させてくれたのはうれしかった。日本にいる実家の父母が心配です。」(ドイツ・旧会員) ・・・
 「ドイツとは教育がちがうから政治家もちがう。日本の学校は人格や考え方は育てないです」と返信をした。
 多くの会員からの通信は、「入園式をやって、希望者は通園となったが、式にも園にも行かせてません。」という人がけっこういたこと。これは小学校入学の親御さんではもっといた。正しい判断だと思う。
 「どうせ休みになるのに式だけ行って感染でもしたら」・・・あたりまえのことだ。国は(行政も)信じない方がいいと思う。明確な対策はなく、手探りと場当たり。テレビや新聞で「力をあわせて乗り切ろう!」なんてやってごまかすだろうが、長くかかるよ、一年以上は。そんなヤンキーな気持ちで希望や夢を見ながら一年も二年もぶつかれるものではない。緊急事態ともなれば集団行動もできなくなる。そうなったら、知っている者同士、友達同士が助け合わなければならない。親は子どもを、若者は老人を、医療関係は患者を・・・ここまで人間関係が崩壊した時代にそれができるだろうか。国はこのへんのことをどう考えているのだろう。この三十年、親は子どもと過ごす時間さえ奪われてきたのだ。この調子では5月6日の開校・始業は延期になるだろう。

羊たちは沈黙

 生活費に困って稼げば感染リスクは高くなる。子どももが園で感染すれば、家族もジジババも危ない。どうすれば親子がうまく過ごせる時間をつくるか!
 いまコロナウイルスは、これまでの生活や国の行き方が正しかったか悪かったかを試しているような気がする。人間関係を考えさせる要素がいっぱいではないか。つまらないおしゃべり、集団でのハラスメント、能天気なおタク活動・・・・そういうものはダメだ!と言っているのがコロナウイルスなのだ。
 国まで閉じなければならないということ、あるいは人が集まって楽しんではいけないということは、国と国、人と人の関係や行き方がダメだったということだろう。
 「集まってはいけない」「バカをやって楽しむな」「一度自分一人になって考えろ!」と言っているかのようである。
 メルケル演説のように国は国民を助け、安心させる義務があるが、はたして今の政府はどうか。 われわれはもっと声を上げるべきだと思う。上から助けを待つのではなくどうしたら信頼でまとまれるか!

たかがマスク、されどマスク

 ばかばかしくも、首相がマスクを2枚をくれるそうだ・・・喜んではいけない。マスク2枚で税金466億円以上がつかわれ、くれるのは一回だけ。あとは自分で買え!である。どこにも売ってねぇじゃねぇか。早く店頭に並ばせるのが政治だろう。儲かるのは利権を得て製造する企業と日本郵便とその株主。
 466億はもともとわれわれが納めた税金だ。私はマスク受け取りを拒否したいと思っている。たかが2枚をえらそうに! それだけでも癪に障る。こういうことを子どもの目の前でやるのが大人の方法だとしたら子どもは反発するか、そういうものだと思って大きくなったら同じことをするかもしれない。国民教育上、ひじょうにまずい劣悪極まるやり方だと思う。400億円あるなら人工心肺や人工呼吸器製造に回すべきではないか。
 東京のお医者さんである会員のメール。「とにかくマスクもふくめてなにもかもが足らないのです。余計な仕事が増えてます・・・」。一万人の罹患でもう医療崩壊? どこかの国が生物化学戦をしかけてこなくても1発のミサイルで、きっと医療崩壊してしまうだろう。この国の安全は、この程度で崩れてしまうのだ。戦争でもないのに・・・・。
 国からマスクは4月20日現在、まだ来ていないが、同じく布マスク2枚だが、もうすでに送ってもらった送り返さないマスクがある(写真)。この3月に卒業した四国の会員がお嬢さんとつくったというかわいい布マスク。これをお子さんのコメント付きで送ってきた。ものがありがたいだけではなく、その気持ちがありがたいと思った。「きっと、この暖かいお気持ちがコロナを寄せ付けませんよ。」と返信した・・・首相のマスクには、こういう気持ちになれない。要は物ではなく気持ち。この辺のことが欲ボケ政治家にはわからないらしい。
 さらに、その無能は、すべて後手後手で最悪の事態を引き寄せてしまったのだから、責任はわれわれではなく、五輪で一儲けしたかった経済優先の政府にあるといわなければならない。これは天災ではなく人災なのだ。(一部閲覧)

桜咲いたら小学生?

 入学式があってもそこから休校、大変な春になっています。入学式や始業式にお子さんを出席させなかった会員も多かった春。北海道から始まった「緊急事態」が全国に・・・なんともひどいことになっています。
 みなさん、高いストレスと不安の中でお子さんと向き合っていることでしょう。とにかく、息抜きができない狭い部屋に長時間いるのは大人でもイライラがつのるのですから、子どもはなおさら。お察ししますが、なにしろ疫病です。おもしろくない毎日でも我慢です。 私は、「おもしろくなき世をいかにおもしろく」がモットーですから、「なにはともあれ入学おめでとうございます!」と言い、おもしろいことに熱中します。人それぞれおもしろいことは違いますが、みなさんは何がおもしろいでしょう。お子さんといろんな面白さを見つけてください。
 この春休みは、子ども(小学生)連れのお客様が多く、なんだか20年前に逆戻りした感じでした。消毒や換気には気を使いましたが、やはりこんな時代になっても子どもは時間的余裕があると読書をしたり、外で元気に遊ぶものですね。これまでの学校や家庭生活のほうに問題があったのかもしれません。

科学万能・医学進化の時代でも

 スマホでなんでもわかる時代ですから、みなさんはウイルス対策を完璧にしていると思います。それでも世の中にはデマが拡散して誤ったことを信じ込まされることもありますので要注意ですよ。「BCG接種をしているとかからない!」とかね。結核は菌で、コロナはウイルスでしょ・・・菌とウイルスがまったく違うことなんか高校で習いましたよね。あとは、怖がらせて物を売りつける商売も盛んです。高額なマスク販売、免疫強化方法、消毒用薬剤の販売など、いろいろありますから、ご用心、ご用心!
 こうした出所のはっきりしない噂や意見より山中伸弥先生や公衆衛生学を学んだ岩手県知事、あるいはウイルス学の権威の言うことを聞けば、ここまでひどくはならなかったと思いますが、利権だけで動く素人政治家の愚策・・・これでは半年、一年での終息は無理です。ケチっていた結果の破綻が死者激増ではね。命より経済が大切・・・「コロナ対策でGDPを3%上げる! バカじゃない」・・・と思います。いや、バカじゃない!ではなく、こんな政権を十年近くも支持してきた国民へのバツじゃない!?でしょうかね。

文学から見た新型肺炎

 以下は、顰蹙(ひんしゅく)を買いそうなゆめやの考えですが、日本人はクソ真面目なのでチャラかすと怒りますが、そのくせテレビの下劣な「お笑い」には反応します。今月はかなり頭に来ているのでチャラかしてやろうと思います。本屋だもん、文学的にですけどね。で、即席のパロディ版狂歌から・・・・。
 泰平の笑ひを誘ふ布マスク たった二枚で命救える?  ゆめや

本歌は

 幕末の狂歌「泰平の眠りを覚ます上喜撰 たった四杯で夜も寝られず」。これも疫病と関係がおおありの歌なんですよ。
 「上喜撰」はお茶の銘柄で四杯も飲むと寝られなくなるというもの。でもペリーが持ち込んだのは4隻の「蒸気船」もですが、乗組員がコレラも持ち込み、日本に広げたのです。それを嫌った尊王論者たちが外国排斥の攘夷運動を起こしたのです。これは有名な話。アメリカの膨張政策で始まったコレラ騒動というわけです。
 今回とは逆に長崎から入ってきて函館までやられ、江戸では十万人も死んだというのですから攘夷も理解できないわけじゃないですね。みんな怖かったんです。
 疫病というと文学ではカミユの「ペスト」が有名ですが、これは冒頭の鼠の死骸を片づけていく人々の無意識に恐ろしさを感じました。「ああ、無知な人間は恐怖を感じないのか!」と。小松左京の「首都消失」も怖い話でした。静岡あたりから首都圏に入れなくなる。あそこに出てくる物体0は、いま思えばコロナの比喩だったのかもしれません。「日本沈没」や「復活の日」を書いた作家ですから先見の明がすごいですね。その後、3・11、パンデミック・・・と予見は大当たり。「復活の日」は放射能と感染症ですからね。恐るべし!小松左京の予知能力・・・。私なんか東日本大震災で「日本沈没」のすごさに圧倒され、今回出したゆめや一節本では冒頭で紹介してしまいました。

SFばかりではない洞察力

 すぐれた本は未来を暗示したり、そのものズバリで言い当てるんです。これはSFばかりではありません。多くの文学作品が過去を題材にしながら未来を予見する。なぜなら過去に起きたことは未来でも起こる可能性が十分あるからでしょう。すぐれた作家は、それを書くことで未来を見ているということです。だから鴨長明の「方丈記」が荒れた世のことを描く、するとそれと同じようなことがまた起こる。読んでいれば、突発的に起こったものではないということがわかり、危険を察知し、危機を潜り抜けることも可能なのです。
 これが目の前のものに目くらましにあっていると想定できないどころか、何が何だかわからないことが起きているということで右往左往してしまいます。だから記録を残すことは重要なことで、本はその意味で重要な「記録」なのだと思うのです。2011年正月、予見の文を参考資料をもとに書いていました。干支の分析だったのですが、「三代実録」も参考にしていました。そこでは辛卯の年の変貌が描かれていたのですが、おおまかに書いただけでも三月に起こった東日本大震災の予測は成り立ちました。記録は重要なのです。改竄や変改、隠蔽や墨塗をしてはいけないのが記録保存の世界です。
 もし、首相や閣僚が、たとえ漢字が読めなくても(笑)若いうちに真剣に読書をしていたら、何かが起こりそうな気配を感じて危険察知能力が働いたはずです。でも、頭が銭・金・物になっているとイケイケドンドンになって、危機が来ていても五輪、五輪、インバウンド、インバウンドで頭は欲でいっぱい。国民の命よりも経済が一番となります。

大疫 王朝を亡ぼす

 じつはですね。疫病は、必ず国や民族、組織が欲を出して膨張した後で発生するのです。日本の例をとっても記録に残る最初の疫病は「崇神天皇」の時代。日本書紀には「人民(おおみたから)尽きんとす」とあって、絶滅一歩手前まで行った様子が記されています。人民を「おおみたから=大御宝」と言っているわりには粗末にしていたのです。神武天皇から九代目まで奈良盆地でひっそりと過ごしてきた天皇家が全国制覇に乗り出して膨張した時期に疫病です。
 次は、中国へ膨張した時代。長屋王の勢力が大きかったことが国語の教科書にも書かれていますが、大和朝廷が蝦夷や隼人を鎮圧して栄華を極めたのときのこと。藤原四兄弟と対立して暗殺されますが、なんと四兄弟は天然痘であっという間に死んでしまいます。もちろん唐から入ってきた疫病でした。秀吉の朝鮮征伐の時には梅毒が入ってきて武士たちは自業自得。大日本帝国が膨張した時にはスペイン風邪がはやり、なんと第三波まで。40万人が死にました。 
 すごい疫病を「大疫」と言います。中国では古代から疫病で王朝がいくつも滅んできました。一番、有名なのは明の朱元璋が欲に任せて帝国を巨大化したとき、大疫が起こり、なんと八千万いた人口が三千万になってしまったのです。三分の一がやられて明王朝は倒れます。これはヨーロッパも同じで、都市国家アテネはペロポネソス戦争で勢力を拡大して圧倒的な力を得ますが、ペストが流行り、指導者ペリクレスまで病死です。東ローマ帝国がやった繁栄と交流は黒死病やペストを流行させ、この結果、おどろくべきことに欧州の全人口の三分の一、あるいは半分が死に絶えるという悲劇をもたらしました。

いいかげんにせえよ!

 これらの膨張・拡大→疫病→王朝滅亡は表にでもしないとわからないくらい数が多いのですが、人はすぐにそれを忘れて、「見たい」「食いたい」「行きたい」という欲望をつのらせ、広がり、群れ、交わりを始めます。
 新自由主義・市場原理・観光立国・・・これが銭・金・物を追い求めて国を巨大化させていく。すると自然のしっぺ返しがちゃんと起こるんですね。上に書いたことなど東大出の官僚なんか丸暗記しているでしょうが、知識は知識にすぎないので警戒心が起きません。「見たい」「食いたい」「行きたい」の世界にどっぷりです。みんな「なにしたって自由じゃないか」を旗印にしてイケイケドンドン。
 新型肺炎は「どこにも行くな」「集まるな」「交わるな」です。つまり文学的に考えると新自由主義・市場原理・観光立国・経済成長・ボーダーレスなど現代では当たり前の価値観に対する反意語が「新型肺炎」なんです。けっきょく国を閉じないと大変なことになってしまう。食料自給率が35%の国がボロ儲けに走っても国を閉じたらこのざまです。鎖国で270年も平和が続いた経験が生きていません。欲が膨らんでしまった。これでは先行き、ひじょうに危ない。子どもたちの時代が危ない。国は滅びないでしょうが、確実に王朝は亡びます。「大疫 王朝を亡ぼす」・・・昔の記録を改竄したり隠蔽したりしてはいけません。過去の歴史や記録を読まないと失敗を繰り返してしまうからです。

悪事千里を走る?

 いやいやもう走れません! 政権は、コロナ騒ぎを利用して「改憲」しようとしたり、「年金75歳から法案」を通そうなんて火事場泥棒のようなこともしてますね。かれらも、きっとペリクレスや藤原四兄弟のようになりますよ。いつまでも腐敗したものが持つわけはありません。
 平家物語にもあるじゃないですか。「おごれる者は久しからず、ただ春の夜の夢のごとし」・・・高校の時に冒頭を全部丸暗記しました。いまでも暗誦できます。「あの人たちは平家物語も長恨歌も方丈記も読んでないんだろうなぁ。」 もし読んでいたなら、大学を儲かりそうな理系だけにして生産性がないから文系をなくすことはないです。
 科学でなんとかなる、医学は進歩する・・・でも、このウイルスに手も足も出ないじゃないですか。寺田虎彦が言うように「正しく怖れる」ことができるためには文学的想像力が必要なのです。
 「過ぎたるは及ばざるがごとし」・・・いつも痛い目を見るのは人民(おおみたから)なんですからね。でも、この国の「おおみたから」は、すべてを天災のように考え、耐えること、黙って前を向くことをしつけられた羊です。はたしてそれは美しいことなのか。いえいえ、それは小さいときに遊ばず、お稽古事やスポーツばかりやっていたので想像力がわかないのです。
 先日、近くの市川三郷町で「悪疫退散」の花火があがっていました。希望と願いはわかるけど、「また神頼みかよ」と思います。これでは、平安時代から意識が少しも進歩していない。75年まえの「鬼畜米英」「神風が吹く」「一億火の玉」と同じです。
 今年の新一年生、いやほかの子どもたちも・・・幸運なことにたくさんの時間をもらっています。「学力が落ちるから学校再開を早く」などという親もいますが、ちゃんと遊べば逆に思考力はつくものです。あるバカな親が言いました。「ともだちとも会えなくなったので、SNSを使って交流しています。昔だったらみんな孤独になって大変だったでしょうね。」・・・バカを言うなよ。それで思考力も想像力もなくなっていくからコロナがダメだよ。しっかり自分自身に向き合いな!っていってくれているんじゃないかな。しっかりと遊びをしてください。家にこもってゲームなんかしていたら、これはもう自分の未来が暗くなりますよ。(新聞・一部閲覧)

本とともに過ごしてきて

 長野県佐久市 木下とわ子さん(祖母) 和さん(中1)
 父の命日に生を受けた初孫の和は、この春、中学生になりました。ゆめやさんとのご縁は、和が1歳の時から始まりました。佐久市での長谷川さんの講演会に友人に誘われて、2009年十月には甲府のお店にも伺いました。年齢、月齢に即した配本のシステムをお聞きし、「ぜひ東京の孫に配本していただきたい」とお願いしました。
 祖母の立場からの唐突な依頼に、ゆめやさんは、はじめはご心配されていましたが、息子夫婦の承諾を得て配本の運びとなりました。孫には「本と仲良しの子に育ってもらいたい」と願っておりましたので、本の代金は私からのプレゼントの形にしてもらいました。ゆめやさんには二重の手間でご迷惑をおかけしましたが、おかげさまで和は絵本とともに成長して本と仲良しの子になりました。
 離れて暮らしていても年齢に合った配本の内容により、和の成長を知ることができました。生まれてから12年、両親をはじめとしてさまざまな人と接して成長してきた中で、ゆめやさんは本を通して目に見えないものを積み重ねて育ててくださったと思っています。この11年間ありがとうございます。また会員でもない私にもずっと新聞・ニュースを届けてくださいまして心から感謝申し上げます。

《ゆめやより》

 2009年の二月、寒い日の佐久の幼稚園でしたね。昼間は軽井沢の小学校で話して夜になって佐久の幼稚園でした。ご父兄がなんと150人熱心に聞いていたのを覚えています。相変わらず過激な発言をしたと思いますが、その時の話で予測した通り世の中は子どもが本を読めない状況、ゲーム依存になってますね。たしか、オタク化すると凶悪な犯罪にまでなると言いましたが、この11年の事件は予測以上でした。
 書店はどんどんつぶれています。でもまだまだ木下さんのような遠くからでも支持してくれる方はいるでしょう。いつか嫌な時代は終わります。そのときまで、頑張ろうと思います。お孫さんの中学入学の写真、とてもさわやかで素敵でしたよ。双子みたいですね。



(2020年4月号ニュース・新聞本文一部閲覧)

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