ブッククラブニュース
平成31年5月号新聞一部閲覧 追加分

発達に応じるということ①
生後10ケ月より前=読み聞かせ以前

1)事件

 いつから読み聞かせが可能か?ということは、かなり前から研究されていました。いまでも「生まれる前から耳が聞こえるのだから生まれたらすぐに始めていい」という考えもあります。早期教育が叫ばれた時代には、そういう考えが主流でした。
 これについては、有名な「ソニー名誉会長の井深大の反省」事件があります。彼は、鈴木メソッドという音楽の早期教育に感動して、鈴木の「すべての教育は生まれてから一日も早く始めなければいけない」という考えに引き込まれました。高度経済成長期に理科系の教育で優秀な人材を作る必要があったからです。1969年には「幼児開発協会」なるものを作って0歳からの幼児教室を各地に設け、実験的な教育を行ったのです。ところが、いろいろやっていくうちに、乳幼児にほんとうに必要なことは知的教育ではなく、「人間づくり」や「心の形成」であることがわかり、「けっきょく早期教育はダメだ!」という結論になったのです。過度な詰め込みをすると、それが人間性の崩壊や暴力事件に結びついていったからです。そして、知的教育は「言葉が分かるようになってからでいい」という見解に達したのでした。
 彼が科学的合理主義者でなければ、こういうことは初めからしなかったでしょう。人文学には先験論というものがあり、実験しなくても、あるいはやらなくてもダメなものはダメということが初めからわかるという考え方があります。失敗したらやり直せばいいという考え方は一見いいように見えますが、やってしまって失敗したらおしまいということも多いのです。人間で実験をするのは愚の骨頂なのです。

2)忘れっぽい、気がつかない、反省をしない

 ところが、日本人は過去の教訓をほとんど参考にしない民族です。バブル崩壊どころか戦争でさえ忘れ、反省もしませんから、教育や生活について平気で矛盾したことや失敗を繰り返します。温暖化で「二酸化炭素を抑制しなければ!」と言われるとエコバックが流行りますが、流行っている最中に「たくさん売って儲けたい」となるとプラゴミなど山のように出しまくります。原発など一番いい例で、あれだけの事故が起きても再稼働、もはや狂気の沙汰ですね。これは高度成長以降、頭の良さ=理工系という観念がしたからです。理工系の最終到達点はMad Scienceですからね。
 ○○式・・・という早期教育も初めは落ちこぼれる生徒を救うという理念から出たものでした。でも、顧客が巨大化していくと落ちこぼれはどうでもよくなり、平気で幼児・・・赤ちゃんにまで手を伸ばしてきます。ある早期教育の会社は、もはや少子化で子ども市場は限界!と考え、「脳の活性化でボケの進行を遅らせる学習」なんてものまで手を出しています。でも、対象が老人であれ、子どもであれ、効果があるといわれれば、親や周囲はその教材の悪影響など考えもしません。「与えれば頭が良くなる」と信じてしまいます。キャラクターいっぱいの赤ちゃん教材、DVDやネットのアニメで教えるパターンを・・・「これこそが分かりやすい教材だ!」と思い込みます。小学校四、五年生の教材を見てみるといい(これは何じゃ!というような内容ですよ、芸能人が出てきたり、ゲームが出てきたり)。でも、子育てに希望いっぱいの親はなかなか気がつきません。考えてみれば、赤ちゃんのときから「これはこれ、あれはあれ」と物と名を一致させるだけの量攻め学習が後で障害になることは素人でも予測がつきますが・・・親自身がその教育を受けたので、逆に安心感が出るのかもしれません。期待は親の目をメクラにすることがあるのです。

3)成長に適したことが一番

 先端的な心理学や教育学という分野は、人間の未知の能力の開発や希望的観測で「こうすればこうなるのではないか」という傾向が強いです。それは、ソニーの井深会長が落ち込んだ罠でもありました。でもさすがに井深さんはリアリストで、間違いであると気づくと、すぐにその反省をして、正しいと思われる局面へ動きます。ソニーの教育財団は、子どもたちに科学する心を形作るために、いまや「自然に交わって遊ぶことからすべてが始まる」という考え方で運営が行われています。あたりまえのところに戻ったわけです。知的教育を反省した井深氏が強調したことは次のことです。
 「私はいま、妊娠した時からの母親の心構えが、その子の一生を決定すると確信している。言葉を覚える前に教育をする、というと不思議に思われるかもしれないが、五感、運動や芸術の能力、信仰心、直感力などは、限りなく0歳に近い段階から養われる。言葉を話すようになると、幼児でも頭が理詰めになる。直感力などは育ちにくくなるのだ。言葉を覚える前に人間的なことを植え付けなければ、これからの日本は、心の貧しい人間が大勢を占めてしまう。」(1990・4/28朝日新聞「ウイークエンド経済」)しかし、二十年後、井深さんの予言は当たり、日本は心の貧しい人間が大勢を占めてしまったようです。政治家たちや官僚を見ているとわかりますね。(この井深さんの言葉の背景については次回で解説します。)

4)ノーベル賞学者たちの幼年時代

 ノーベル賞科学者たちへのインタビューを聞いていると、例外なく子どものころは遊んでいた、勉強は怠けていた、中には成績がひどく悪かった・・・というような人が多いのです。でも、彼らのほとんどは老人で、長い間、「好き」というだけで、ひたすら研究や仕事を続けてきたのでしょう。そして、その成果が認められたわけです。何もわれわれの子にノーベル賞を目指せというわけではないのですが、スポーツ選手や芸能人の瞬発力の人生とはちがう豊かな心の生活が背後にあると思っています。立身出世も考えないで好きな道を進む。おそらく幼少期の生活環境が豊かだったのでしょう。
 子育てを立身出世主義と絡ませて何も焦ることはないのです。授乳もダッコもみんなそのときそのときの体験で、人間はその積み重ねを経て、バランスの取れた大人になっていくのだと思います。生後一ヶ月で読み聞かせなんかしないで、やさしく相手をしてやればいいのではないでしょうか。ちゃんと子どもは1歳前後で本に関心を示します。読み聞かせが可能な生後十ヶ月はすぐにやってきます。そこまでは丁寧にサポートですよ。それしか方法はないのです。これは太古の昔から人間がわかってきたこと・・・近代の合理主義や利便性にだまくらかされないで、まっとうな「ふつう」の子育てをやっていれば、偉人にもなりませんが悪人にもならいと思います。

低学年の読書・「学校図書館の影響」

 多くの会員から年間通して「学校図書館にかなり疑問が!」と指摘する声が聞こえてくる。お便りやメールでだが、じつに多様な問題あるいは影響の報告がある。そのトップ3は、相変わらず①図書室蔵書の問題②貸し出しコンテストの問題、③子どもたちの間の流行本の問題、である。
 これまで夢新聞では、朝読書や借り出しコンテストなどが子どもから読書力を奪うと批判してきた。まったく本に触れてこなかった子どもを相手にする学校の大変さもわかるが、実情を聞くにつけ、やはり読書推進運動が学校図書館のあり方に大きな影響を与えていることもわかってきた。ところが、最近はもうそれどころではなく、ある意味、推進運動はどうでもいい表面的なもの。読書を推進することすら考えなくなったのではないかと思うほどひどい学校もある。それは、先生、司書、親・・・いずれも読書経験が少なく、本を読むことの重要性がまったくわかっていないことにあるが、どうもそれだけではないらしい。

数でカウントするな!

 もともと朝読書や読書数コンテストは、学級崩壊や少年事件が頻発していたときのことだ。かんたんに言えば生徒を落ち着かせる目的を持つもので、読書の質を高めたり、高度な読書に向けてのガイダンスなどない! 「なんでも読めばいい」というお粗末なものなものだったのである。それは、実行例の内容を見れば一目瞭然だ。読む本は自由・・・・漫画でも良いというところさえある。だいたい制限時間が十分(じゅうぶんではないよ!)というのも問題だ。そんな短時間で本など読めるものか。まともな本で10分で読める本などない。当時はメディアなどで成果が報道されたが、「なんだかなぁ・・・」だ。さらに読ませるためにシールを配ったり、ゲームのような競争をさせたり、工夫だといわれても本末転倒のことばかりが行われている。これで読書が高度化したという話は聞かない。ゆとり教育が見直されて、詰め込みが始まった今、これからの読書の状態はどういう方向に行くのだろうか。読書は個人的な体験・・・管理されてするものではないのだが。もう少しガイダンスがきちんとされていいのではないか。

親がものを言えない

 ただ、学校というところはなかなか親側から物が言えない場所でもある。「図書館の蔵書がひどい」「質の高い本をなぜ薦めない!」とは言いにくい。なぜかというと学校は子どもを評価するところ。こちらとしては、子どもを人質にとられているようなもので、「何か言うと子どもの評価に影響が出るのではないか」、あるいは「不利な扱いを受けるのではないか」という気持ちが働いてしまう。当然、言えない。
 もちろん中には教室で一生懸命、質の高い本を読んでくれる先生、子どもたちに寄り添って良い本を薦めてくれる司書もいるだろう。しかし、十数年前にくらべてはるかにそういう先生や司書は減り、仕事をこなすのに精いっぱいのようだ。さらにここ数年は、「コンピューターの操作に優れている先生が優秀」というような雰囲気がある。そういう先生に限って、文学書などほとんど読んでいず、当然、子どもの本についての良しあしなどまったくわからないことが多い。小4の子が「チョコレート工場の秘密」を読んでいたら担任の先生から「そんな本より『かいけつゾロリ』のほうがおもしろくていろいろな知識が身につくよ。」と言われたという嘘のようなほんとうの話さえある。

流れに逆らう

 また、現状、最大と思われる問題は「学童(留守家庭学級)」だ。親が帰宅するまで下校できない子のための学級だが、ここでは宿題をやったり、遊んだりする。しかし、いろいろな家庭の子がいてスマホでゲームをしたり、漫画を読んだり・・・まあ、それはそれでしかたがないにしても、子どもたちの情報交換で流行の本やアニメDVDなどの話が飛び交う。SNSを使う遊びの情報交換さえある。指導の先生もいるが、人手不足で、専門知識や遊ばせる技術を持った人が配属されない傾向も強まっている。時間管理してくれる人ならだれでもいいということになる。そうすれば、水は低きに流れ、悪貨が良貨を駆逐していくことになる。もうなっている。
 子どもはいつの時代も流行をつくる。これは自然なことだが、制約がなければ何でもありになるだろう。だが、この三十年間、歴史上かつてなかった遊び道具が子どもたちの間で流行し、進化もしつづけているのだ。ところが、学校も読書推進運動の人々も読書ボランティアの方々も、そして図書館司書も指導の先生の多くも、この流行や影響に目をつぶり、何も言わない。一番、読書を阻害しているこのサブカル関連の遊びに誰も警告や注意を示さないのである。これは、私にとって「なぜ?」である。
 おそらく・・・入学したての子どもたち(その親)、あるいはBC配本で育ってきた子どもたち(その親たち)は学校図書館のやり方、あるいは蔵書に???となるだろう。または目が点になるかもしれない。もちろん、親も・・・。だから、早めに、このシリーズを書いておくことにする。どうしたら中学年で読書挫折しないでいくかの方法だ。

杉山亮さんのものがたりライブ

 毎年、夏は東京新宿のプーク劇場で行われる杉山亮さんのものがたりライブを、お願いして今年は県内でやっていただくことになりました。たなぼたの企画です。場所は大月市立図書館ホール。おもしろさは抜群。ぜひお子さんとご一緒に楽しんでください。ゆめやの読み聞かせを受けてきたお子さんなら、じゅうぶんに楽しめること請け合いです。
 日時 2019年7月7日(七夕)
  一. ものがたりライブ 13:30〜
  二. 講演会・サイン会 15:00〜
 場所 山梨県大月市駒橋 大月市立図書館 映像ホール

 詳細は 大月市立図書館 こちらのホームページで (この企画の掲載は6月からです)
 たなばたの一日を笑いで過ごせば、楽しい夏休みが過ごせます。ぜひ、近隣の方はお楽しみください。

お願い

 四月から日本郵便が大幅にゆうパック送料・郵便送料・手数料を値上げしていて苦慮しています。
 例えば 郵便振替手数料
 従来は80円→現在150円(ATM使用で) 窓口支払いだと従来120円→200円・・・
 発送会員は全額ゆめや負担なので倍以上の値上げだと支えきれません。当面は以前と同じくゆめや負担でお客様への転嫁は考えていません。ただ窓口での振替は3倍近い値上げですので、できるかぎり
 ATM機での振替をお願いいたします。
 機械で通信文を打ちますと利用者ご本人払いになりますのでご注意ください。
 通信は手書きでATMに読み込ませてください。
 半券は次の振り替えまで必ず保存しておいてください。
 ごめんどうをおかけしますが申し上げます

ブッククラブへのご紹介は

 ゆめやのブッククラブはすべて会員の皆様のご紹介で成り立っています。
 ご自分のお子さんを読み聞かせで育てたいという方がいらっしゃったらご紹介ください。
 ご承知のように年齢制限などがありまして、多々ご迷惑をおかけしますが、さらにご紹介者がいないと会員になれないと言う、かなりClosedな方法で経営しています。ご来店で説明を受けられる方は御紹介者は不要なのですが、やはり価値観が一定の層の方のみで構成したいブッククラブですのでどうしても狭き門となります。決して恥型ではなく、営業を継続するために必要なものですのでよろしくお願いします
 ご希望の方の住所・お名前をお教えくだされば、案内資料をお送りします。



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