ブッククラブニュース
平成31年3月号新聞一部閲覧 追加分

なぜベストをつくさないのか!

 まったく市場原理の社会というのはものすごい。何が何でも売れればよいというもので、すでに商業倫理の節操がなくなってきているから、嘘でも虚偽でもなんでも言って売ろうとする。体(てい)のいい言葉で、消費者の心理を巧妙に捉え、売りつくす。ネット通販の広告では、定価の3分の1の値段にして「放送終了後30分以内ならさらに、この値段でもう一つおまけして!」・・・そんな仕掛けでただのような青汁通販が180億円売り上げる。税金もゴマカす。より良いものを売ることにベストを尽くさないのかと思うが、それが市場原理社会。だまされる方が悪いというわけだ。
 でも、「子どもの本の世界ではさすがにそれはないだろう」と思ってみていたら、ありました。ありました。いくつも。青汁王子とは違う巧妙さ、Fishingの最初はこういう感じです。お母さんの悩みを投稿の形で・・・(以下赤字が相談と対応)
 子どもに「かいけつゾロリ」シリーズを手渡したら、ゾロリの大ファンになりました。その後「おしりたんてい」シリーズや「忍たま乱太郎」シリーズに向かっていったので、読む本が男の子っぽかったり、アニメ寄りの本ばかりになりそうなのが心配です。もう少し物語寄りの読書に向かわせたいのですが、何を読ませたら良いのでしょうか? (小3男子の母)

 これはゆめやの新聞でも悩みの種がたくさん寄せられたものです。多くの方が、こういう悩みを持っていましたからね。ゆめやでは、「こんな子どもに媚びた、高度な読書に進めなくなる本を学校図書館が置くことがわからない」、「できれば借りるな。借りて来たら飽きるのを待つよりない。」などと答えたものです。多くの子の読書がこのレベルで停滞してしまうわけですから、こういう見方を「ゾロリ」や「おしりたんてい」にしてもかまわないわけです。そうしなければ、本を読んでいくためのガイドはできないし、それなりの本を選書する必要もなくなるからです。
 ところが、ネットでは、かつて学校図書館司書をしていたという通販屋のおばさんが、こう答えます。

それらしい提案をする

 こちらの質問、小学校の図書室でもたくさん受けた質問でした
 「かいけつゾロリ」シリーズが本当に気に入って、でもそれ以外の本はなかなか読んでくれない、という声はよく聞きます。
 「かいけつゾロリ」シリーズは子どもたちにとって本当に面白く楽しい本なので、このシリーズによって、本を読む楽しさを知った子は多いと思います。しかし、できれば他の本も読んでほしい、次の読書に繋がっていってほしいというのが、多くの親御さんの願いですよね。こちらについては、大きく二つの方法を提案したいと思います。

 なるほど、もっともな対応ですね。多く、なかなか、しっかりした本へ行けなくなるのが実態です。たしかに読む楽しさは感じているでしょうが、それは一部の大人が俗っぽい週刊誌やマンガに楽しさを感じていて、まともな本が読めない状態と同じです。解決法があるなら私も知りたいですね。すると・・・こんな提案が・・・・。
 子どもは読む本を選ぶ時、低月齢であればあるほど絵で選ぶ傾向が強くあります。ですので、「かいけつゾロリ」シリーズと同じ原ゆたかさんの絵だけれども、お話を書いた人が違う他のシリーズをすすめてみるのはいかがでしょうか。
 絵は一緒でも作者が違うので、出会うお話の内容や幅が広がります。たとえば、このような本です。

 おいおい、これって、同じ穴のムジナの本ばかりじゃないか。そりゃ話はみんな違うけれどレベルは同じじゃん! 解決法にならないよ! と思っていると・・・
 「物語だけれども、子どもたちにとって難しすぎない、以下のような条件を満たす本からまず手渡してみるのはいかがでしょうか。」と来たもんだ。( )内ゆめやの意見。

①文章が長くない
②絵を見ただけで読みたい!と思わせる作品
③お話が楽しい
④子どもが惹かれる要素がお話に入っている
⑤おばけ、おかし、がっこう、だじゃれ等
⑥女の子向けに選ぶ時には、ポイントに注目して選ぶ
⑦とにかく絵が可愛い。
⑧お料理やお菓子作りなど女の子が大好きなテーマ
⑨かわいい動物が出てくる。 読み手と同じ年齢の子が主人公

以下私の感想 ①(だから、それじゃ、どんどんレベルが落ちちゃうじゃん!)
②(絵から離れる時期に何を言っているの!)
③(楽しいのはいいが、楽しさにもレベルがある。問題は話の質なんだよね。)
④⑤⑥(こりゃダメだ)
⑦(なんで小3にもなってカワイイ?)
⑧(ほぼ読書と無関係!)
⑨(かわいい、かわいい・・・どこまでも?)
 つまり、これは解決法ではなく、とにかく目先を変えて、注文がくれば何でも売るという「商法」なのである。知らない人は「なるほど、こうすればゾロリから離れられるか!」と思う。「グルコサミンがダメならコラーゲンを試してみませんか? ご注文はこちらへ!」と同じ。ある意味、巧妙な手口といえる。売れれば何でもいいという市場原理とネット商法。もう少し、選書や売り方にベストを尽くせないものかね。だいたい過大な広告や宣伝語法を使ってアブク銭をかき集めるネット通販・・・どこまでいくことやら。見守りましょうかね。

聞くことと見ること

 乳児に絵本で語りかけることは、子守歌と同じ「最初の言葉体験」です。これは本がなくても十分、耳さえ聞こえれば言葉はどんどん入って行きます。蝶が花の蜜を吸うように、あの小さな体で信じられない量のものが入るのです。これが生後十か月くらいになると、平面にプリントしたものもわかるようになってきます。読み聞かせの時代の始まりです。ただ、言葉はおよそ6〜7歳くらいまでは耳から入るのが主体で、言葉そのものが目から入ることはないのです。絵は「言葉をわかるための補助」ということになります。
 「赤ちゃんでも絵本がわかるのか」と思う人がいますが、「子どもは耳から(言葉が)入ってくるのと同時に、言葉の意味ではなくて、感覚的に理解する。大人の理解とは大違いの理解ですから、ここは質の高い言葉、良質の話を聴かせないと心が豊かになりません。選書は重要なんです。
 誤解せずに聞いていただきたいのですが、言葉はまず耳からです。盲学校と聾学校では成績の差もさることながら、言葉の微妙なニュアンスは盲学校のほうが圧倒的にわかるのです。例えば、「夕方」という言葉は「日の暮れ時」を表す物理的な意味が強いですが、「黄昏」という言葉は、それよりずっと幅広い感じをもたらします。これが分かるか分からないかは耳の力によります。目ではないのです。いま、このニュアンスを広く受け取る力が若者からなくなっているのは視覚優先文化の影響でしょうね。映像からは感覚的な広がりしかないので、大きな想像につながらず、言葉などは単純なメッセージとしてしか取れないのです。
 こういう結果から、『大人が子どもにどういう気持ちで語っているのか』、『本当に語りたいという気持ちをどれほど持っているか』が、最終的には問われます。子どもの想像力による言葉の獲得ですね。

共に居ること

 『絵本は子どもに読ませる本ではなく、大人が子どもに読んであげる本』なんです。私は読み聞かせをした父親ですが、二人の娘にたくさん読んでやった。ここで一番、重要だと思ったのは絵本の読み聞かせの効果とか理解を進めさせたいというものではなく、最も大切なことは『共に居ること』だったんです。高度成長期で父親が家庭内にいる時間が短かったのですが、我が家は家庭内滞在時間が多い家でした。娘たちは初めはともかく思春期になれば鬱陶しい父親だったでしょう。
 しかし、たとえ叱り文句でも言葉には違いはなく、その言葉を受け止める子どもは、幼児期に耳から入った言葉で理解します。すぐわかる言葉もあれば成人してわかる言葉もある。また、死ぬまでわからないということもあるでしょう。当然、その理解の度合いによって反発したり、納得したりが出て来ますが、これが読み聞かせの底力だったと思うのです。
 一緒に読むことで、同じ時間と空間の中で言葉の喜びを共有する。これは、家族として重要なことだったと思います。『作者の名前は覚えていなくても、誰に読んでもらったかは覚えている。読んだときの喜びや楽しみが大きいほど子どものなかに生涯残り続ける』わけで、これがあれば子が親を殺し、親が子を虐待するなどありえません。

言葉(心)を伝えなかった結果が

 しかし、私と同じ世代の父親はあまり「共に居ること」が少なかったので、その子どもたちの中には、時間の代わりにお金を与えられ、時代がもたらしたテレビゲームやアニメマンガで育った結果、いま40歳前後ですが、DV人間、引きこもり人間、オタク人間、金の亡者・・・ギャルママ、ヤンキー男になってしまう人が出てきたのです。その結果がいま起きている事件で表面化してますよね。
 現代は忙しさのために『人と人をつなぐ言葉の消える時代』で、『人間の口から出る声をじかに聞く体験が、どんどん貧しくなっている』のです。意思の疎通ができなければ感情しかないので、当然、事件は起こります。
 「気持ちが通じるためには、日常生活を、どう子どもと一緒にやっているのかを考える必要がある。子どもとの会話を通して、お父さんやお母さんが子どもの気持ちをどのくらいキャッチできているか。子どもの話が本当に聞けているかどうかが、今、問われていると思います」・・・これを、(以前ご紹介した本)杉山亮さんの「子どものことは子どもに聞く」では、子どもに耳を傾ける必要を問いています。
 私たちは言葉で伝える動物ですから、その言葉を大切にしないとダメですね。これは一度,電気を通した媒体ではダメ。口伝えで現在を伝え、過去の考えは本で知るしかないのです。「ネットがあるじゃん!」という人もいますが、電気を通したものは目の前を流れていくだけ。すぐに忘れたり消えたりで体験済みでしょう。子どもには、肉声で言葉を伝えましょう。手間を省いて、言葉の全体量が落ちてくれば、子どもの未来はカサカサしたものになってしまいます。

2018年度全課程修了者のみなさんへ

 今年もまた桜が咲く季節・・・就学児ブッククラブ全課程の修了です。長い間、お便りをやりとりしたり、毎月会ったりしたお名前が下の修了者一覧です。今年も世相に影響されて三年前に比べてかなりの減少ですが、幼児期のときから見てくると約半数の方が六年生までつきあってくださいました。
 この中には、20年以上のおつきあいの方もいます。通販型のブッククラブとちがい、ゆめやのブッククラブは、交流があります。原則2歳までのスタートなので、ここに残った皆さんは、0歳、1歳からの方がほとんどです。最近は、ご承知のように一般家庭では長い物語を読める子がどんどん減っていますので、この子たちは貴重な存在なのです。
 6年間の配本は楽しめたでしょうか。高学年の配本は、かなりレベルが高いものが入っていますので、それはまた後で読んでもらって結構です。ここまで読めれば大人の本はもう目と鼻の先です。
 今年の修了者数は少ないでしょ、中学年での読書挫折数が多かった学年ですが、本を読ませない時代。残った方々は、よくぞここまで残ってくれたと思っています。絵本の読み聞かせの底力でしょうかね。それから・・・・本を与えて育てよう! 読み聞かせをして楽しもう!という親御さんの考え方と家庭環境がなければ、ふつうは高学年の配本などに手も足も出ない子が多いのです。学校は数で計測しますが、ゆめやは質で計測します。これから、どんな本を読んでいけばいいか分からない方はご連絡ください。わかる限りお教えします。また終了しても、ぜひ「その後」もお知らせくださいね。必ず返信しますので・・・(ゆめやが存在する限りはですが、もうゆめやのおじいさんもおばあさんも高齢。書店界もきびしいですからね・・・笑)。遠方の方は電話でもメールでもお手紙でも何でもけっこうです。お便りをください。最後に、あらためて、これまでのご愛顧に感謝申し上げます。ありがとうございました。ゆめや (全課程修了者は配布した新聞上にはありますが、HPでは個人情報保護のため割愛しています。あしからず)

『本とともにすごしてきて』  兼本恵子さん(神奈川県寒川町)

 子どもが幼い頃、就寝時の読み聞かせにはいつも私自身が癒され励まされていた。毎日の追い立てられるような生活の中でふっと気が緩まり、子どもと一緒に絵 本やグリム童話などのお話の世界にどっぷり浸かって楽しんだ。
 読み聞かせに興味がなかった主人が子どもを膝に乗せたり、寝床で笑い合いながら読んでいる姿 を見るのも嬉しかった。読み聞かせや語り、児童書の勉強をしていた司書の友人と出会い、ママ友たちとの2年程続いた勉強会も宝物だ。
小学校低学年くらいから一人読みも始まり、次男は夢中で本を読んでいるとご飯さえも食べに来ず、長男は福音館書店の「神秘の島」という分厚い本を一日で読破し「続きが読みたい」と一言。その子どもたちの集中力、読む力には驚かされた。長女は受験勉強真っ只中、少々読書からは離れているが、会話の中に昔読ん だ絵本の話が出てきたり、「試験問題に出てきた物語の続きが読んでみたい」などの言葉。読むことの楽しさを忘れていないなと嬉しく思う。今までの読み聞か せの時間が子どもたちとの絆を深め、あの読書の姿を見てきたからこそ、子どもたちの(文章で漢字をあまり使わない間もなく中学生の長男の)未来も信じるこ とができる。
 しかし、今ではどっぷりサブカルチャーに浸かってしまった我が家。実験結果としてテレビ視聴やデジタルゲームが長い時間できると本を読まなくなる!ということ。楽な方へ人は流れる。大人も然り。人生は選択の連続、意識改革が課題だ。子どもたちよ、これからも素敵な本にたくさん出会って心を震わせ、人生をより豊かにしていってほしい。ゆめやさんには、長きに渡り素敵な本にたくさん出会わせて頂き大変感謝している。
 《いやはや15年近くの長きにわたり、3人のお子様へご購読くださいまして感謝以外のなにものでもございません。またこちらに来たらぜひお寄りください。ありがとうございました。》



(2019年3月号ニュース・新聞本文一部閲覧) 追加分



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