ブッククラブニュース
平成31年3月号(発達年齢ブッククラブ)

八年経って・3月11日
点と線

 一ヵ月前の、2019・2/11に、松島と塩釜と東松島に行った。震災の痕跡はまだ残っていたが、この辺は復旧が進んでいた。しかし、8年も経つとどんどん忘れられていく。忘れたいと言う人もいる。もう海は静かなたたずまいだったが、観光客もマバラ、町の人も少なく感じた。
 上記、三ケ所も津波のきたところである。実際に歩くといろいろなことが見えてくる。塩竃は小さな町だが、典型的なリアス式港で、津波が遡るには適した場所だ。港から歩いて私の足で20分近くのところ、小高い丘にある塩竃神社の階段下に津波到達地点の碑があった。たった10分後に到達したのだから私の足では逃げ切れず、到底助からない。あの襲来の速さ(10分後には第一波)では私の足では逃げられず呑み込まれたことだろう。ものすごい速さで到達地点まで来たのだから。そのまま知らずに逃げた現地の人は、ここに来るまでに高さ4mの津波の犠牲となった。近くの海沿いでは8mの津波が来たと言う。たまらん・・・!

高台の神社

 でも、犠牲者は塩竃市でただ33人のみ。車で逃げたり、街中を走った人たちが巻き込まれただけである。多くの人は語り伝えで、「すぐそばの高台に逃げれば助かる」と知っていた。両脇が山なので高台までは5分で逃げられる。
 子どもや老人が神社の裏手にあるダラダラ坂から町を見下ろしていた映像をテレビで見た人も多いだろう。神社の階段は数えてみると200段はある急なもので、ここまでは津波も来ない。登るのは大変だが、登って助かるなら、無理しても登るだろう。そういうところに神社があり、貞観の大津波から千年の間、多くの人を守ってきたというわけだ。
 ところが、その近くに松島がある。松島といえば「ああ松島や〜」の芭蕉の句で有名だが、歌に唄われたこの名刹・ご存知の瑞巌寺である。ここで驚いたのは海岸の土産物店では1mくらいの津波しか来ず、岸から200mばかりの瑞巌寺は門まで来たものの前庭で止まっていた。庭の松の木は津波の塩害で枯れていたが、寺そのものは無傷。828年建立の寺は896年の貞観の大津波でも大丈夫だったのだ。茶店のおばさんに聞いたら松島が天然の防波堤になって瑞巌寺は昔から津波の安全地帯ということだった。
 なるほどね。海が近くても大丈夫なところはあるわけだ。東松島市や石巻市の沿岸部は津波被害が大きかったが、昔からの神社(須賀神社など)は安全地帯なのだった。寺院は内陸の高台にあった。そこに行けば太古の昔から被害は避けられた

あの時、会員の方々は。

 あの3月11日、知人の渡辺さんと連絡を取っていた。彼は仙台市太白区の明川寺の住職だ。連絡が3日とれなかった。ようやく電話がつながったのが3月15日。名取の閖上浜に近いうえ、津波が遡った名取川も近かったので心配だった。その後の電話での話では、かなり近くまで黒い濁流が迫ったという。ところが、すぐ手前で止まったらしい。檀家の人たちが避難してきているので炊き出しなどで世話が大変になっていたらしい。檀家では流された家も多かったのだろう。
 寺の残った。つまり、あの仙台空港の近くでさえも寺はちゃんと津波が止まる地点にあったのである。
 これが分かったので、岩手から福島までの沿岸部の神社と寺を線で結んでみた。すると見事に、神社仏閣は津波到達点の外側に位置しているのがわかった。つまり点(神社仏閣)を線で結んだ内陸側が安全地帯で、目印は古い神社・仏閣なのだった。鎌倉時代以前に建立された寺は、ほぼ無傷だったのである。そこに逃げ込めば助かったのだ。ただ南相馬市はダメだね。寺や神社は無傷でも目に見えない放射能が強く残っている。天災は防げるが人災は防げないという見本だ。

自然災害は復旧できるが

 会員の相馬市の寺島さんは、あの日、津波から逃れるために3人の子どもを保育園と学校に連れもどしに行きご主人の実家がある伊達市に逃げたという。彼女の家は相馬市の大浜というところにあり、海岸まで200m・・・あっと言う間に家は津波に呑まれ、流されていた。逃げた伊達市は翌日から放射線量が高くなり、さらに宮城県まで逃げなければならなかった。私と連絡が取れたのは6日後の17日だったが、とっさの感が働かねば逃げ切れなかったことだろう。
 沿岸部には会員がたくさんいるから、あの3月はひたすら連絡を取る日々の毎日だった。東松島市の遠田さんは一週間しても連絡がつかない。矢本という海岸の近くなので、津波に襲われた。暗澹たる気持ちでいろいろ探しているとGoogle の Person Finder という人探しのサイトが見つかった。避難所の名簿を写真に撮り、それをボランティアが名前住所などパソコンに打ち込んでリストをつくる。そこから探すというものだ。これで検索したらヒットした。ほんとうによかった。避難所は高台にあった。

語り継ぐ必要性

 悲惨な被害が出た岩手・大槌町には、大学時代のサークルの同級生がいた。哀しいことに消防団員だった。もちろん歳が歳で退役のボランティアだが、奔走していたら奥さんとお母さんが津波で流されたという。表向きは「行方不明」だが、誰が考えても半月も不明なら、災害死だろう。メールで励まそうとしたが、どのような言葉も慰めにも勇気づけにもならないので、やめた。
 大槌町でも「地震が来たら山の神社に逃げろ」という伝承があったという。しかし、小学校の先生は右往左往していた。あの地震ではしかたなかったかもしれないが、伝承が刷り込まれてはいなかったのも事実だろう。山に登って神社のところまで行った少年一人が助かっただけだった・・・多くは語り伝えを知らなかったのだ。語り継がれてきたものが、どこかで途絶えると大変なことになる。
 絵本「Tunami」には稲むらの火という話が載っており、津波で右往左往する村人を無理に稲に放火して、慌てさせて安全なところにという実話をもとにした伝承である。これも村人は伝承を忘れていたのである。和歌山での実話らしい。
 これは地震や津波、洪水に限らない。事件、事故に遭わないための語り継ぎもあるのだ。昔からの言い伝えは、つまらぬ近代の防災情報より正しいことが多い。「山に逃げろ!」という語り伝えも・・・語り継がれたものは大切に、である。

私の住むところに津波は来ないが

 点で結んだ線の向こう側が安全地帯というのは、沿岸部はわかりやすいが、内陸になるとわかりにくい。内陸の災害は大地震、山津波、洪水、噴火などで、安全地帯の設定や想定はひじょうに難しい。関東大震災を私の父は体験していてその記憶を語ってくれた。何度も何度も。
 私の父は関東大震災の揺れが来たとき、東京のど真ん中の神田にいた。家が江東区にあったので厩橋を渡って戻ろうとしたら避難民の群れで容易に渡れなかったという。そこで橋を渡るのをあきらめて、歩き始めて、ふと見ると、たくさんの犬が上野のほうに走って行くのを見た。そこで一緒に走ると上野の山で九死に一生を得たという。無理して橋を渡って本所に行ったら、被服廠の火事で十万人が死んだわけだから、無事なわけがなく、不運なら死んでいたことだろう。動物的な勘も大事なのだ。
ゆめやのある山梨は3000mの山で四方を囲まれ、ノアの大洪水でもない限り、津波など来ないが、富士山の噴火、糸魚川静岡線のズレによる大地震、浜岡原発の爆発などがあれば。さまざまな災害が予想されます。子どもを守るため、みんなを守るために、知ること、危険を察知することは大切です。平和な状態にいるとまさに泰平の世で、眠りを覚ます大地震、たった数度で夜も寝られないことになる。とっさの判断を正確なものにするために知ることだけは心がけておいた方がいい。(増ページ一部閲覧)

伝わらないものを伝える

 人間は環境に影響される動物だ。いつも言うように幼児期の環境や、その子を取り巻く時代状況が成長する間にどんどん入り込み、成長の途中で大きな変化をもたらす。良い環境はそれなりに、悪い環境もそれなりに、反作用も起こるが例外的なもので、ほとんどは家庭や時代風潮を受けて育つ。
事件が起きなければ影響や原因はすぐに見えないが、事件を起きた後ろには、そうした環境がある。親は子が成長してもふつうなら気が付かない。ふつうでない結果になっても、それがなぜなのかはなかなかわからない。しかし、すぐれた作家や芸術家はそれを直感的に感じ取る。 例えば20年くらい前に少年の殺人事件が頻発した。いまでは子どもが人を殺すのは珍しいことではないが、当時はビックリしたものだ。これに関心を持った作家がいた。もう亡くなったが藤本義一という作家で、彼は多くの加害少年の家を調べた。しかし、成育家庭は千差万別で取り立てて共通した要素は見つからなかった。しかし、彼が嗅ぎ取ったものの一つ。それは、加害少年の家に「仏壇も神棚もない」というものであった。「だから犯罪を起こした」とは言っていないが、なんとなく怖さを感じた。
私は、すぐれた観察者ではないので、そういう少年が出たのは子どもを取り巻くサブカルチャー環境の影響だと思っていた。その影響で人が人と言葉を交わさなくなり、心が委縮し、自分だけしか考えないような文化が生まれたと感じたからだ。
人が生活するときに必要な文化は長続きするために連続してつながっているものである。親や子も家族も親戚も・・・。そして、この社会もみんな連続していた。
連続するために文化がわれわれに親と子のつながり、周囲への思いをつなげているというわけだ。それが、安心感や幸福感を与えて来たのだと思う。

断絶の時代

 ところが、ある時期(40年くらい前から)、そうした文化のバトンが手渡されなくなった。親から子へ、社会から個人へ・・・・話はつながらず、そして、心もきっとつながらなくなってきたのではないか。
親の体験談が子どもへ伝えられることがなく、子どもは前の時代のことがわからなくなった。いくら学校で教わっても子どもにとって学校から与えられる知識や情報はテストの問題の答えにすぎない。覚えてテストが終われば忘れていいものなのである。
学校も世の中もそれで物事を進めてきた。ここで、大人になった子どもは、当然、過去は空白になる。親子のつながりも希薄になる。食事をさせ、世話を焼くだけの生活ではない、いわば家庭の文化としての言葉による連続性。それが消え始めたわけだ。核家族の家庭には仏壇も墓参りもない。元日に神社に行く風習があっても、なんの教義も教えず伝達するものもないヤンキーな参詣では、これもまた文化が短く終わるだけのものだ。当然・・・信仰にすら進めない。
くわえて、スマホなどの連絡文化はすべてブツ切れで、つながっているフリはできても、ほんとうはみんなバラバラ・・・深い家族そのものの話より、行楽や「いま、なにしてる?」状態の「疑似連帯」でしかない。こうして、人と人のつながりは消えていく。
これを藤本義一は見抜いたのだと思う。過去と現在を(そして未来も)つなげるものがない家庭を感じたのだ。大学生に常識的な質問をしてもセンター入試という難しいテストをクリアした若者たちなのに何も知らない。歴史も一般常識も語法も礼儀も知らない。それは家庭での話もなく本も読まず、分断された知識情報を一時的に覚えただけだからだと思う。さあ、何とかせねば。(新聞・一部閲覧)

39年目 Thank You

 この三月三日で、ゆめやは開店三十九年目に入りました。現在の会員、それから過去のたくさんの会員の方に厚くお礼申し上げます。また、ゆめやの仕事にご助力をいただいている多くの方々にも感謝いたします。開業は1980年、奇しくも任天堂のファミコンが生まれた年でもあります。
でも、スマホはもちろんコンピュータもなく、まだまだ、おだやかな生活が残っていた時代でした。そして、それからおよそ四十年・・・ゆめやは内容もやっていることもまったく変わりませんが、周囲は激変。アニメ、キャラクター、マンガ、ゲームなどもう当たり前、日本の文化として定着したような気さえします。予測通り、絵本も子どもの本もダウンロードして電子音声が読み聞かせてくれるような状態になっています。これまた予測通り、親は忙しく、子どもの面倒を見る時間も子どものことを考える時間もなくなっていますからね。この警告をずっと述べてきましたが、知っているのは以前の会員の方ばかりで、いまやサブカルで育ち、本などろくに読んだことのない親も周囲に満ちています。変な事件も起こります。
ただ、個人的な意見ですが、意外に楽観視しているのです。いつの時代でも真っ当に子育てしている人はそうは多くなく、語りや読み聞かせをする家庭も割合で見れば少ないのです。だから、絵本を与えて育てようという会員の皆さんは、まず問題ありません。子どもと言葉での接点を持ちたい親は、そうそうかんたんに減るものではないからです。そういう人たちは肉声で読みたいのですから、ギャルママのようにスマホでダウンロードした絵本を自動的に読みあげる方法など好まないでしょう。ダメ親は、もともと本など読まない人たちです。本を読まない親から読む子どもは出ません。これは多くの方が自分のことを振り返って考えてみれば分ることです。受験勉強やスポーツで青春時代に読書をしなかった人も大多数。昔から読書人口が多い国ではないのです。まず、本当の意味で読書できている人は百人中数人、実用書読書人口も十人に三人か四人でしょう。多くはメディアからの「また聞き」知識。会話で得た経験知識。よく、読み聞かせおばさんたちは「活字離れ」を叫びますが、活字離れは(そのおばさんも含めて)昔から起きていたことなのです。

石が浮かんで木の葉が沈む

 昔は本を読まない人は社会の前面に出てきませんでしたが、今は時代が時代ですから大手を振って出てきます。本一冊読まないスポーツ選手や芸能人がペラペラ、ペラペラ・・・底の浅い言葉を偉そうに並べます。だから活字離れが目立つのですが、もともと多くの人が本を読んでいたという歴史は日本にはない! 高度な読書ができていれば日本の近代はもっと別の道を行ったでしょうけどね。アニメ、マンガ・・・人は楽なものに傾きます。骨の折れる読書などしません。子どもだって育て方によっては、スマホ片手に歩き回ることとなります。こういう子は電子ブックすら読まないでしょう。昔なら世の中安定で、本など読まなくても問題はなかったのですが、この情報化+サブカル社会・・・そういう人、そういう子どもの未来は暗いです。
「となりのトトロ」は2歳の子どもでも50歳の大人でも見ることが出来ますが、本はそうはいかないのです。読む力が育たなければ読めません。困ったことですが、これは読書ができる人にとっては逆に利点でもあるのです。
読書は思考力も想像力も要求されるものですから、読む力がない人にとっては大変な「苦」なのです。ところが読める人にとっては「楽」で、楽に読めて、生き方も常に危険を避ける力もついてくるからです。
これが、次の時代の階層区分の大きな要素になります。三十数年前は比較的同質だった社会が、いまや大変な格差社会になっているのは皆さんも実感していることでしょう。階層を下げないために必要なものはDSやスマホではなく、もっと高度な思考や生活力なのですが、わかるかなぁ、わからないだろうなぁ。「多くの人は時代に押し流されて行き着くところまで行かないと分かんないのですよ・・・・」と、高いところから見下ろすように偉そうなことを言っている「来年は不惑の四十歳」の「ゆめや」です。(ニュース一部閲覧)



(2019年3月号ニュース・新聞本文一部閲覧)

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