ブッククラブニュース
平成31年2月号新聞一部閲覧 追加分

読み聞かせの先は ⑥最終回
言葉は人と出会うために

 12月中旬、大月図書館で落合恵子さんの講演会があった。その前に時間があったので、図書館長の仁科さんが、私と落合さんが二人で話をする時間と空間をつくってくれた。ありがたいことである。私は、若いころからの落合さんのファン(笑)なのだが、忙しい落合さんと話せる機会はめったにない。子どもの文化普及会ではずっとお世話になっているが、たしかお会いしたのは37年も前のこと。でも、気さくな人なので挨拶もそこそこすぐ話に入った。
 だが、いきなり切り出された言葉は不満だった・・・「政治の話をすると子どもの本の作家たちの多くが引くのよね。子どもの本、絵本を描いている作家たちが政治向きの話や世の中の流れのことを話すと知らんぷりでね。」 
 話している部屋の窓から見える冬の空は真っ青で高い。
 で、答えた。「私も同じ状態ですね。子どもたちの未来、そして次の世代の心配をしないというのは、この時代の特徴ですかねぇ。私のまわりでも友人とか子どもの親たちに政治向きの話、社会の在り方などを話すとたいていは聞き流されますよ。いまが良ければ、先のことなどどうでもいいのか!と思ったりしますけどね。子どもの本を書く作家も、それでお金になれば、子どもの未来などどうでもいいのかも。」(これは言い過ぎかな?…でも、それで話に弾みがついた。)
 「子どもの関連の出版社や書店の人でも先行きのことより、いまが良ければ・・・ねぇ。子どもの未来のことなど考えていない・・・。」とハッキリ彼女は言う。ずっと、その「子どもたちと、この世の中のより良い未来」のために戦ってきた人だ。及ばずながら、ゆめやも子どもたちの豊かな人生のために警告や忠告を発し続けて、かれこれ40年。それは多くは流行り物の危険であり、政治や経済に潜む悪についてだ。

言葉を交わすことで

 言葉を学ぶということは、より良いものと出会うための手段だからである。劣悪な言葉は劣悪な人との出会いをつくってしまうし、品のない言葉は品のない行動を生む。これがわかる親は少なくなってきたように思う。
 「いや、考えていても時間に追われれば、しだいに何も行動できなくなって、これは一般の人が政治向きの話に乗ってこないのと同じですよ。いわば、『善人の沈黙』。親も自分の子どものことで精一杯。これはメディアに大きな責任がありますけどね。」
 「無関心でいれば必ずヒドイ目に合うことはわかっているんだけどね。」
 「こういう政治を変えない限り、どんどん沈黙させられていくわよね、メディアが言いなりになって、やがて息の根を止められる。」
 多くの人は、この国が抱えている深刻な事実を知らない。あるいは知ろうとしない。水が外国に売られ、種が独占され、この国の空を勝手に他国の軍用機が飛ぶ、そして、基地をつくるために美しい海に土砂が投げ入れられていることも、なにも知ろうとしない。いわば「善人たちの沈黙」だ。そして水面下で巨悪が動く。これを話題にすると怖い者でも見るように引いていく。
 落合さんが静かに話す声は、国会前でハンドマイクを握って叫んでいる声とはまったく違う。静かな声音の中に大きな怒りが感じられる。それは、危険を察知する能力が高いからだろう。落合さんは、とても小柄な女性だが大きく見える。私は大柄だが、きっと彼女からは小さく見えていることだろう。がんばらねば恥ずかしい。
 世間は、つねに「今日と同じ明日が来る」と思っている。そして、政治的なことには「善人の沈黙」を貫き、「危険が来たら耐えればいい」くらいのお粗末な日常だ。3.11のときに、あの津波の映像を見ながら、唖然としていただけの善人たち。

隠された悪を知るには・・・

 原発事故におびえながら、それでも再稼働にNO!ともいわない沈黙の人々。放射能の話題を持ち出すと「けがらわしい!」という感じで逃げる人々。今日と同じ明日が来ると信じている人。そして、芸能とスポーツに熱狂して、プチバブルを享受している人々。話していて話題が尽きない。
 「現実に見えてこないとわからない、感じない、というのは、みんなに想定する力がないからでしょうね。およそ、本を読むことがないので、想像力が身につかないということかな。」と落合さんは言う。そして「自分の子が自殺したり、兵隊に取られたりしてからでは遅いのだけど・・・・。」と、つぶやいた。
 時代は変わった。若者は未経験さゆえに本能的に危険を感じて動くが、豊かさの中で力がなくなり、発言できなくなった。偏差値に縛られた結果、上に物が言えなくなったか。金満老人と同じで行楽と食いものの情報だけに関心を示し、宴会で騒げればいいのか。7年前の震災・原発事故を忘れてしまう国民では70年前の敗戦のことなど頭の端っこにもないのだろうね。
 どうしたら隠された悪を知らせることができるだろうか。政治家や企業人たちは言葉をないがしろにしている。こちら側でも同じように「言葉をないがしろにし、時代をないがしろにしている」人がいる。・・・相手側は、こちらが考えないように子どもたちが本を読むのを遮り、くだらぬお笑いやバラエティで攻めてくる。SNSやメール、LINEで短文しか使えないように・・・若者たちが先のことを考えなければ若者の未来は暗い。読み聞かせから始まる読書は素敵な人と言葉に出会うための手段なのに・・・それができない。しかし、このままでは子どもたちの未来はあぶない。

空より高く

 以前、友人が教えてくれた言葉・・・You are not only responsible for what you say,but also for what you do not say.(人は発言することのみならず、発言しないことにも責任がある)・・・暗殺されたキング牧師の言葉だという。これを思い出した。
 帰り際に落合さんが薦めてくれた本に一枚のCDが入っていた。「空より高く」・・・スコットランド民謡「海より強く強くなれ=蛍の光」に乗せて「空より高く」の歌声が聞こえる。
 この歌詞を子どもじみた詩だと思わない方がいい。大変でもあきらめないで行くことだ。ごまかされないで行くことだと思った。人は言葉を学ぶことで、人と出会っていく。これは昔から変わらない。
 人間は心を持つ動物で、心は言葉を必要とし、言葉は心を必要とする。心は高くしなければならない。志も高く持たねばならない。こういう歌がある。
 https://youtu.be/nX0p124kR3c?t=3

 ♪だから、もうだめだなんて
 あきらめないで
 涙をふいて歌ってごらん
 君の心よ 高くなれ
 空より高く高くなれ
 人は海より深い心を持っている
 だからもういやだなんて
 涙をふいて歌ってごらん
 君の心よ広くなれ
 海より強く 強くなれ
 君の心よ強くなれ
 海より強く 強くなれ

 「ここに何か言葉をください!」と私が本を開いて言うと、落合さんはスラスラと英語を書いた。
           Fight! Goes on.
 なるほど、「戦い続ける」か。こんな年齢になっても戦い続けねばならないか。大変だね。この国は。でも、話したあと、たしかに窓の外の空はさっきより低くなっていたような気もした。(増ページ一部閲覧)

中流から格差へ⑥最終回
本や新聞を読まない人は・・・

 文はじっくりと考えながら読むものだ。ところが格差が起きて中流から下層になると、これもできなくなる、余裕がなくなるのだ。これからAI時代が本格的に到来する中、生まれたときからAIの判断と推薦によって生きることになる世代を「AI世代」と言うらしい。これが下層の人となる。操られる側の人々ということだ。それまでは「デジタル世代」さらにその前は「アナログ世代」だ。
 AI世代というのは例えば、YouTubeで電車の動画を見ているとすると、「次はこれを見たらいい」と「どんどんAIが推薦してくるのを受け取るだけ」という世代で、受動的で無思考、無感動、自発的にできることは「飽きる」ことくらいである。旅一つするにしても、すべてAIがやってくれるから自分は何も考えず、何もしなくていい。子どもは子どもで自分から何かを探すわけではなく、AIに推薦されたことに無意識に従って生きていく。そんな子どもたちがこれから育ってくるというわけだ。当然、面倒な本や新聞を自発的に読むことはなくなる。さらに考えることも面倒になるから、考えない。けっきょく操られる側の人間となってしまう。
 じつは、この社会的な傾向は自然現象ではない。意図的に政治が行おうとしていることの現れでもある。大学から文学分をなくし、文科系学部を減らす。これは、考えない人間(工学・理学関係はそれいがいのことは考えない傾向が強い)を増やすことになる。考えない人は操りやすい。殖産興業と言えば欲を拡大して

タブレット型学習法が・・・・

 これと同じ効果、影響をもたらすものにタブレット型学習がある、内容をガイドしてくれるので一見、いいように見えるが、それは学校の先生の授業力も落とし、人と人の言葉によるつながりを切り、それ以上の心のつながりも消していく。そして、子どもはAI世代となっていく。自分が本当に何をしたいのかは消える。自分で切実な欲求をする前に、与えられたものだけを消費することで手一杯になってしまうのだ。そうやって育った子どもたちが将来的に創造力や企画力を発揮できるのか、物を生み出す生産者として、また消費者として必要な正当な判断ができるのか・・・私には難しいように思う。
 もちろん、上の者にとっては、運営や統治の方法としてひじょうに便利なツールである。このことがわかっているから、上層部にいる人たちは自分の子どもたちには、そういうものには一切触れさせないで、下にいる人間に「AIは便利だよ、ほら、こんなにかんたん、みんなAIがやってくれる明るい未来が来るよ〜」とAIのシステムを浸透させていく。実際、新聞を読まない人たち、つまり、SNSに依存する度合いが強い人たちほど政治や社会の現在を支持する傾向が高くなっている。
 AIを操作する側が「どのように正解データをつくるか」で、動き方は決まる。それを客観的で公平なものだと思っていると本当に不利になっちゃうよ。でも、デジタル世代はバッチリ、AIを受け入れる準備(子どもはゲームやアニメなどで、大人は日常のデジタル機器や仕事で)が出来上がっている。私が何を言っても避けられない道だが、自分と自分の子どもの心がおかしくならないようにがんばるよりない。心が病まない方法があるかAIに聞いてみようかな。きっと答えはきちんと出すだろうがね。

『本とともにすごしてきて』

 栃木県宇都宮市 人見寛子さん
 ゆめやさんとの出会いは、学生時代の親友からの紹介でした。「出産祝いに絵本を送るから待っていてね」と彼女から連絡がありましたが、絵本はなかなか届かず、「どうしたかな?」と思っていましたら、ゆめやさんからのお便りと家にある絵本の在庫調べが来ました。そして、待ちに待って届いた本は「どうぶつのおやこ」という文字のない絵本!どうやって読めばいいのかわからず、想像力を使って読んだことは忘れられません。
 息子には就寝前には必ず読みきかせをしていましたが、乗り物の話(「がたごとがたこと」「しゅっぱつしんこう!」)や「さむがりやのサンタ」がとても好きで、選ばせるといつも同じ本になってしまい、困惑したこともありました。悲しい本は嫌いで、「スーホの白い馬」は泣いてしまうので2回しか読めませんでした。小2の頃から、「自分で読みたい」と一人読書になり、小4の頃には、江戸川乱歩の少年探偵シリーズが面白くて、10巻まで配本していただきました。その頃から学童野球を始めて読書の時間が少なくなっていますが、ゆめやさんから本が届くと今でも嬉しそうに読んでいます。ただ「海底二万海里」などの長編はちょっと止まっていますね。
 記憶力が悪い親ですが、送っていただいた本を見るとその本を読んだときの子どもとの思い出があれやこれやよみがえって、懐かしさで胸が一杯になります。本と共に送ってくださるレターにもたくさん学ばせていただきました。ゆめやさんの世の中への見解や怒りや不安などのご意見を読み、私は自戒することが多々ありました。
 残念ながら、まだゆめやさんに伺ったことがなく、葉書のやりとりやメールだけでしたが、いつも丁寧なお返事を頂戴し、子育ての不安な気持ちを支えてくださいました。心より感謝申し上げます。
 《ゆめやより》長い間ありがとうございます。もう、お電話をいただいてから11年も経ってしまいましたか。お子さんと同じ時間が私にも流れていると思うと恐ろしくなります。赤ちゃんが少年に、おじさんはおじいさんに・・・。もう少し経つと玉手箱を空けることになるかもしれません。それまでに一度お会いしたいですね。



(2019年2月号ニュース・新聞本文一部閲覧) 追加分



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