ブッククラブニュース
平成30年12月号(発達年齢ブッククラブ)

サイレント・ナイト

 まったくあわただしい。あっという間に12ケ月が終わりです。「年末だから忙しい?」ではなく、世の中全体が、時代全体がどこかに向かって転げ落ちていくようなあわただしさ。立ち止まって、静かに考えるひまもないほどの毎日です。これは私だけ? たしかに私にとって一年は、人生の七十分の一。三十才のお母さんは三十分の一、五歳の子は人生の五分の一。一歳は一年が全人生です。一歳や五歳の子の一年はきっと長いのでしょうね。でも、三十年前より確実に一年が速く過ぎていると思いますよ。 田舎町で静かな日々を過ごしている私が感じるですから、都会で子どもを育て、自分の趣味や社会活動で奔走しているお母さん方は、一日の短さを痛切に感じていることでしょう。時間に追われることで心の安定を奪われ、人間関係までもギクシャクしてしまう。肝心なことを忘れてしまう。あわただしさの中で子育てや自分の生きる方向を見失うのは悲しいことです。

赤信号いっしょに渡るか渡らないか・・・

 「世の中がそうだから」、「みんなと同じにしないと取り残されるから」「子どもにはできるだけのことをさせたい」・・・さまざまな現代の価値観で動かされている生活では、なかなか生活を見直すこともありません。 「世の中がそうでも自分は自分」「みんなと同じ人生を生きない」「競争で上に立っても大変だ」「やりたいことより、やらなければならないことを」「やがて子どもは自分で考え、自分で生きていく」・・・こんなことは当たり前のことですが、なんとなくそうではないように情報で焦らされているのです。メディアから消費社会やスポーツ・芸能界の垂れ流し華やか情報を受けてしまっている人は、どうしても、「ああなりたい。子どもをそうしたい」という錯覚に陥ります。テレビなどで「光り輝くスターにならなくてもいいから、ああいう生活をしたい」と思わされてしまうのです。みんな嘘の映像ですよ。

死海のほとりにいた人

 いまや遠い昔の作品ですが、遠藤周作『死海のほとり』を読みました。名作『沈黙』の続編で、超能力がない、ふつうの人間イエスが描かれています。奇跡を起こした超人ではなく、何もできなかったイエスが描かれているのです。盲人の目を開けることはできないが、悩みをただ聞いている。下半身麻痺の人を立たせることはできないが、足をさすり続け、ライ病患者のそばに座っては、ただ手を握っていた・・・無力だが、ひたすらやさしいイエスが描かれていました。これを読んだとき、そのイエスが超能力者イエスより現実感があり、政治家たちもやれなかったことをした人に見えました。つまり、その「やさしさ」ゆえに政治家たちに十字架にかけられたということも納得です。 後世、聖書作者によって超能力者として祭りあげられてしまったイエスではなく、「ふつうの人間のふつうの生活」をしたイエスのほうがずっとすばらしいというわけですね。奇跡を起こす力などは不要。人の悩みを聞いてやる、いっしょにいてやる、見守ってやる・・・・・・・してはいけないことはしないように諭す、そんな誰でもできることをやり続けることが大切なのではないでしょうか。親が子にするように・・・

家族の近くにいる人

 ふつうの生活で得た経験や考えをもとに、他人の悩みや話を聞いてやれる人になれたら、これはもう人間として完成です。 江戸時代の庶民には、けっこうこういう人たちが町や村にいたのです。隠居したら周りの人々の面倒を見る、財産を残したら周囲の人々に貢献していく・・・それを40歳くらいからやっていたというからすごい話ですが、明治になると、みんなお金と地位、名誉を求めて、周りに見向きもせずに行き始めました。これは不幸になるのですけどね。本人も周りも。 こんな小さく貧しい絵本屋でもまじめにやればなんとか生きていかれるのですから、欲ばりは不幸を招くだけのもでしかないでしょう。一冊の本は人間を変える力を持っています。絵本からはじまる本読みのかなたに考えを変えるものが必ずあると信じます。アニメやマンガ、ばかばかしいTVや歪んだネット情報では真っ当な生き方はできません。たまにはテレビを切り、子どもたちと静かな夜を過ごしましょう。聖夜(ホーリーナイト)は、サンレント・ナイト(静夜)でもあるのですから。

やれやれ、またクリスマスか・・・! 

 親にとっては、あっという間の一年が過ぎて、「やれやれ、またクリスマスか!」とまるで「さむがりやのサンタ」のような気持になるときがこの時期ですね。でも・・・・ゆめやは年末に当たって、お父さん、お母さんがたの努力に敬意を表しています。この時代、忙しい時代に子どもに関わるのはとても大変なことですからね。 だから、「一年間、子育て、ご苦労様でございました。」読み聞かせや読書への心を砕く・・これもまた「ご苦労様でございました。」・・・ていねいな子育てで、お子さんは一年分大きく成長したと思います。そして、同じく一年分、美しい言葉が耳から入って良い心が生まれていき、安定したお子さんになったと思いますよ。 言葉は人を変えていく 先月、渋谷のバカ騒ぎハロウインの映像を見てました。若者たちがヤンキーな言葉を使い、とてもまともな人間の行動とは思えないことをしていました。この若者たちが子ども時代、どんな本を読み聞かされ、どんな本を読んだのでしょうね。

言葉を交わす意味

 言葉というのは、人間にとってとても重要なもので、言葉をうまく人に伝えるためには、光が周りを照らすように良い心を持って使わないとダメなんです。親がぞんざいな言葉を使ったり、嘘を教えたり、悪意を見せたりすれば、子どもの心は死んでいき、ハロウイン群衆のようになります。 また言ったことを覆したり、約束を守らなかったりすれば、子どもは親を信用しくなり、当然、人も信じなくなり、やがて大人になれば人を平気で裏切るようにもなります。お金のため、自分の都合のために・・・・。 ふつう、読み聞かせや日常会話をするときに親は空疎な言葉を使わないものですが、それは標準以上の階級の家庭で、粗悪なアニメや暴力的な漫画に出てくる言葉に囲まれて育った子が親になれば、当然、ひどい言葉遣いで子どもに接します。学校すら、流行の名のもとに悪い言葉を広げる場になっているかもしれません。 あるお母さんが、「子どもを学童(留守家庭学級)に預けたら、悪い言葉や遊びを覚えて来て困った。指導の人は何でもありで、何を持ち込んで遊んでいても、何を読んでいても注意もガイドもしない」と嘆いていました。でもまあ、嘆いても子どもをそういうところに預けなければ仕事もできませんから、しかたないことです。悪い言葉のやり取りが、やがて悪い性格にならないよう祈るばかりです。

テキトーに楽しんでいると・・・

 近代の世界、とくに日本では、外国から入ってくる風習を軽く考えて「自国文化」にする傾向が強くなりました。本来の意味を考えず、楽しければいい、おもしろければいい、と、ひじょうにヤンキーに考えるわけですね。これが言葉を思考や行動と分離していきました。   クリスマスも本来はなぜキリストが生まれたかを考えるものですが、日本ではサンタクロースがプレゼントを持ってきてケーキを食べる日に変えてしまいました。セントバレンタインデーはチョコ、ハロウインはお菓子、なんだか後ろで製菓会社が仕掛けたものに乗せられているように、物を考えない時間が過ぎていきます。こうなると、人間は信用するものが減っていくため、孤独になり、心も寒くなっていきます。言葉っていうのは心ですから、うわべだけだとダメなんですよ。 忙しい時代になると親は、子どもに与えるお菓子や食事すら心を込めず、出来合いのものに代えていきます。言葉も手紙を添えたり、手書きの絵を添えたりしないで、スマホで伝えたりする。これでは心は通じません。通じなければ、絆は切れていきます。その結果がかなり前から現れ、異常な事件がここ数年、頻発し始めました。言葉が伝わらなくなったからです。 親が、大人が人の道に外れたことをやっていけば、子どもが真似るのは当然のことです。そうしないと生きられないと思うのです。おれは学歴主義で子どもをきついスケジュールに追い込む親も同じです。成績はよくなっても、重要な部分が欠け始める。最近、東大法学部なんて、すごいところを出た人が常識人とは思えない言動、行動をするのをみなさん、知ってますよね。これも、人の道に外れるから神様が助けてくれないのです。いずれ、不幸な人生になっていくでしょう。

言葉が死に始める

 いま、大人の世界では言葉が死んでいます。嘘や偽り、無責任そのものの言葉、あるいは脅す言葉、差別する言葉・・・責任逃れの言葉、切れた人が使うような言葉・・・・それは欲を満足したいために、嘘や言葉の言い換えで相手を誤魔化そうというものです。ただ、いずれバレるのですがね。「カジノ」というと刺激してしまうので「統合リゾート」なんていう。「移民」なのに「外国人材」なんていう。「墜落」が「不時着」となりますからひどいものです。メディアは平気でそのまま流しますから、みんな騙されます。これでは信頼が壊され、嘘が満ちていきます。 「言葉の乱れ」はすごいものです。今年ほど言葉が空疎に聞こえた年はなかった。言い逃れ、言い直し、反故、虚言、暴言・・・そして形だけの謝罪、人は言葉を信じなくなっていますよね。口から出た言葉なら消えるかもしれないが、書かれた言葉が改竄(かいざん)され、炭塗りになる、これでは、何でもありで、さらに信頼は消えていきます。子どもたちは大人を信用しなくなる。 こういうことを二千年前にわかっていた人もいました。 「初めに言葉があった。言葉は神と共にあった。言葉は神であった。 言葉は、初めに神と共にあった。 万物は言葉によって成った。成ったもので、言葉によらずに成ったものは何一つなかった。 言葉の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は闇の中で輝いている。闇は光に勝てなかった」・・・有名なヨハネの福音書の冒頭部分です。いずれ騙し言葉や虚偽の言葉は悲劇を招き、嘘がバレていく。

そこで、ゆめやは

 ある本をある学年の子に選びました。そこにはこういう言葉があります。その学年の子は、下の赤字のフレーズがいつの配本にあったかがわかりますね。そして全文をすぐに思い出せることでしょう。このフレーズの入った言葉は、おそらくゆめやがある限り次々と成長するお子さんの配本となっていきます。 「時代は言葉をないがしろにしている・・・あなたは言葉を信じますか。」その本の最後でこの質問が発せられます。たしかにヨハネによる福音書のように、最初に言葉はあったのです。その言葉は、行動付きの美しいもので、言葉にたがえると身をもって責任を取らねばならない緊迫感も持っていたのです。だから軽く物言いすることはできなかったのですが、時代は、その言葉を退け、ないがしろにし始めました。ここ150年くらいでしょうかね。その時代というのは。 「時代は言葉をないがしろにしている・・・あなたは言葉を信じますか。」・・・こういう時代では信じてはいけない言葉も多いのです。この意味を深く考えて、騙し言葉に乗らなければ、きっと、その子の未来は幸せで充実したものになります。子どもたちの心に良い言葉が復活することを信じて、今年もクリスマスを祝いたいと思います。 メリークリスマス、ミズ&ミスター・チルドレン! そして会員の皆さまには佳いお年を!(一部閲覧)



(2018年12月号ニュース・新聞本文一部閲覧)

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