ブッククラブニュース
平成30年10月号新聞一部閲覧 追加分

読み聞かせのHow To
⑤ 2歳児前後からの対応

 二歳前から頭の中で飛躍的に言葉が増殖し始めるのがふつうです。
 二歳の後半になると多くの子が親はもちろん周囲の人々との対話がスムースになっていきます。生まれてから二年ちょっと。おどろくべき成長ですが、ふつうのことでもあります。いつも言うように、ここでは大脳の新皮質が活発になるので言葉に関する能力が高まり、さほど意図しなくてもどんどん本の内容を記憶してしまう傾向があらわれます。絵本一冊を暗記してしゃべる子もいますが、特別なことではなく天才ということでもありません。たしかに親を喜ばせますが、この時期の記憶はいつまでも持たないのです。たくさんの言葉、たくさんの話を聞いてきた4歳、5歳ではもう2歳の記憶は消えていて、本一冊を自然に暗記することなどできません。
 お子さんの能力アップへの期待は抑えて楽しく読み聞かせれば想像力が高まっていくわけですね。そういえば、「幼少期に安定した環境がなく、対話の乏しかった子どもは大人になっても相手に対して想像力を発揮できない」という話を聞きます。「気配りができない」ということです。相手を思いやる力んないのは想像力が欠けているからです。最近の「相手のことを考えない犯罪」は、そんな幼少期に原因があるのかもしれませんね。ゆめやの配本では個別にバランスよく配分してあります

くりかえし、くりかえし・・・

 さて、言葉を把握する力は進みますが、まだ展開の激しいストーリーを論理的に追う力は出てきません。同じようなことが繰り返されてオチになるスジ立てのものが、この時期の話として適切です。そういうものを配分して選書してありますので、順番に楽しんでいってください。また色彩や形に対する見方も鋭くなってきますので、色や形に関した絵本も入れてあります。性差もじょじょに出てきますので、配本体系の分岐点として、男女それぞれ工夫を凝らした選書を行っています。いわば想像力の出発点です。何度も繰り返して読んであげてください。想像力が、やがて創造力に変わっていくはずですから。
 早期教育論者は、2歳児の記憶力の高まりを宣伝に利用して「ほら、こういうふうにするとたくさん覚えるでしょ!」と言ってきますが、一時的な記憶にすぎないことは過ぎてみればわかることです。耳を通って入った言葉が大脳聴覚野へ入り、そのまま記憶されますが、そんな早期教育的な発想より言葉が想像を伴うようになることが重要です。どこが働いているか(海馬や扁桃体が関わっていると言われている)は、まだ不明ですが、その機能を高めるには子どもが安心感の持てる人の声が一番効果的だといわれています。だまされないように!

昔話に出てくるツール
⑥ 笛

 昔話には、よく笛が出てくる。日本でも「青葉の笛」とか「日滝の笛」とか心に沁みる話も多い。私の子どものころ、「笛吹童子」という物語が映画化されて爆発的にヒットした。でも、一番みなさんが知っている笛の昔話は「ハーメルンの笛吹き男」だろうね。
 ネズミの異常な繁殖に困っていたドイツ・ハーメルンの市長や市民が「ねずみ駆除をする」という男にねずみの始末をする仕事を依頼する。いまから800年くらい前にドイツでほんとうに起こった話なのだと言われている。
 笛を吹いてネズミを集めて、川でぜんぶ溺死させた男が報酬をもらおうと市長のところに戻ると、市長はお金を払わない。怒った笛吹男は、いったん引き返すが、またやってきて、市民が教会に行っている間に、町で笛を吹きながら歩き、町中の子どもを山の中の洞穴に連れて行き、洞窟の入り口を大岩でふさぎ、二度と戻らなかったというもの。「約束を破ると悲劇が起こるよ!」という教訓的な話である。
 一説には、笛吹男にさらわれた子どもたちはポーランドまで地中を歩き、出口から這い出て暮らしていたなんていうのもあるが、ふつうは子どもたちはさらわれて消えたままの話
 じつは、ゆめやのゲートのうえにも真鍮の金属でできた笛吹男の像が乗っている。子どもたちを集めてさらうのかな(笑)と思われているがじつは、東西南北を指す風見鶏の上だ。子どもたちを正しい方向に向けようという、ゆめやのおじいさんのたくらみの象徴でもある。
 でも、ハーメルンの笛吹男。。。なんとなく暗示的な話だ。いまでいえば、残業代も払わずに過労死するまで使われることに反抗する人の象徴なのだろうか。これも、けっきょくは子どもに被害が及びそうだが・・・いつの時代でもあることか。800年も前にも、笛吹男は高度プロフェッショナルだったのかもしれない。
 モーツアルトの魔笛も夜の女王と対決する生死の物語だ。なるほど、どの笛の話でも何かを呼び寄せるために吹かれる場面が多い。笛には魔力があるのかもしれない。

この世をば我が世とぞ思ふ・・・

 台風一過・・・いきなり満天の星空、満月も近い上弦の月が木枯らし一番の中で輝いている。天が怒っているような大型台風が二度も列島を襲ってきた。何かの危険の暗示か・・・?
 もちろん、多くの人は「昨日と同じ明日が来る」と思っている。経済を底上げしてくれた政権に一票入れたら大勝ちになった。これで株価もどんどん上がる。めでたしめでたしという人も多い。国の形が変わっていくのも知らずに台風一過のような脳天気にも見える。株なんかすぐ急降下する。
 この人々に先の危険や危機を見る力はない。
 だが「いままでと同じように今日と同じ明日がやってくる」と思っている。今日も居酒屋は満員。街はハロウィンの仮装をしたバカ者たちでいっぱいとなる。
 この馬鹿さ加減を見ながら、為政者は「この世をば我が世とぞ思ふ望月の欠けたることのなしと思へば」と一首ひねっていることだろう。明日は満月だ。
 夜、窓から月を見た後、ふと、東京新聞の望月衣塑子記者の文が目に入った。「神戸女学院大の景山佳代子先生が尊敬する桐生悠々の言葉を書いていた」というもので桐生悠々の文章も引用してあった。うん、彼の文は読んだことがある。桐生悠々とは信濃毎日新聞の有名な反骨ジャーナリストだ。もちろん戦前の人。乃木将軍の殉死を大批判したことは語り草になるくらい有名な話だ。さて、望月衣塑子記者が引用したその人の言葉。

畜生道の地球

 「私は言いたいことを言っているのではない。徒(いたずら)に言いたいことを言って、快(こころよさ」を貪(むさぼ)っているのではない。言わねばならないことを、国民として、特に、この非常時に際して、しかも国家の将来に対して、真正なる愛国者の一人として、同時に人類として言わねばならないことを言っているのだ。
 言いたいことを、出放題に言っていれば、愉快に相違ない。だが、言わねばならないことを言うのは、愉快ではなくて、苦痛である。何ぜなら、言いたいこと言うのは、権利の行使であるに反して、言わねばならないことを言うのは、義務の履行だからである。」(桐生悠々「言いたい事と言わねばならない事と」
(昭和11年6月)『畜生道の地球』中公新書、p266
 先の危険を察知できる能力を持つ人はこういういい方もする。これは次世代(子どもたちの時代)を考えるためには必要な察知能力だ。目先の金を求めて右往左往している暇はない。そのうち株の大暴落が始まる。それなのに、まだ昨日と同じ明日が来る」か! まったく極楽を飛ぶトンボである。
 テレビでは官房長官が、国会での野党の質問時間の短縮を告げている。相変わらずバカの一つ覚えで「問題ない」、批判すれば「その指摘は当たらない」だ。学のない人間は一つ覚えを繰り返して口にする。会見になればまた望月記者が質問をするが、バカはまた同じ言葉を繰り返すだろう。そのときは何と言うのだろう。
 「このをば我が世とぞ思ふ望月の質問すべて無しと思へば」か。溜息をつきながらならいいのだが、つくまい。しかし、傲慢はやがて満ちた月を欠けに向かわせることだろう。満ちた月は必ず欠ける。

中流から格差へ⑤

 児童文学ではおそらく最初に格差社会を暗示したのはミハエルエンデの「モモ」だったと思う。何度も言ってきたことだが、資本家や経営者を象徴するであろう灰色の男たちの言葉で、時間を節約し始める大人たち。そうすると、今までのんびり過ごしたり、友達と他愛もない話をする「無駄」な時間を節約すればするほど、余裕はどんどん無くなっていく。何のために時間を節約したのか。最終的には、生活の目標が時間を節約することとなってしまうのである。これが、あらすじであり本筋。
 もちろん、産業革命以来、時間と金はいろいろ関連付けて言われてきた。産業革命の始まりがイギリスなら当然、この考え方の最初はイギリスからだ。『時は金なり』という諺(ことわざ)がある。「時間はお金と同じように非常に貴重なものなので無駄に浪費してしまうことなく、できる限り有意義に使おう」といった意味合いの言葉だ。

タイム イズ マネー

 この『時は金なり』という言葉は当然、英語。英語の「Time is money(タイム イズ マネー)」が語源だ。
 日本語の『時は金なり』という言葉は、この「Time is money」の考え方が日本にやって来たときに翻訳された言葉であることはこれまた当然である。
 この「Time is money」を言ったとされるのが、アメリカ合衆国建国の父の1人で、100ドル札紙幣の肖像画にも描かれている政治家、作家、物理学者として多方面で活躍したベンジャミン・フランクリン。まあ知っている人は知っている豆知識である。
 彼が著した、Advice to a Young Tradesman(若き商人への手紙)のなかに「Remember that time is money」という言葉がある。直訳すれば『時間はお金そのものであることを忘れるな』といった意味である。彼は自伝で「勤勉」について語り「時間を空費するな。つねに何か益あることに従え。無用の行いはすべて断つこと」とまで言っている。
 こうした言葉から、時間を浪費することがどれだけ人生を無駄にすることに繋がるのか、そして、時間を浪費するという選択をするのはいつも自分で、自分の望む人生が実現するのを妨げているのは周囲の人や環境などでは決してなくて、いつも自分なんだということを言いたいのだろう。こういう人の人生は忙しかったと思う。
 彼は「何気なく生きていると時間はいくらでもあるようについつい錯覚しやすい」と主張する。いわば彼の考えは産業革命が生み出した思想であり、現代を象徴する基本的な考え方であることをわれわれは知っておくほうがいいだろう。
 ベンジャミン・フランクリンは米国紙幣の象徴となっているが、生まれたのは英国だ。このことは偶然ではない。これも重要なポイントである。この思想が20世紀の世界を支配して行ったのだから・・・・。つまりは英国が発祥の地で米国が支配を始めたと言ってもまちがいない。すべてをお金に換算するという考えである。

ちいさいおうち

 このエンデが描いた「モモ」の世界を時間泥棒の国アメリカで描いた絵本作家がいた。ヴァージニア・リー・バートンという女流作家だ。「ちいさいおうち」は多くの日本人は知っていることだろう。ベンジャミンフランクリンが、「ものみな銭だよ!」と言って発展してきた国の中で、「これでいいのだろうか」「これでは息苦しい」「ゆるやかな暮らしに逃げよう」という本を書いた。それは、モモが時間泥棒と対峙するのとは違い、そんな銭・金・物に憑りつかれたあわただしい世界から逃避しようとする話だ。多くの人はしっているから、ちょっとだけすじを言うね。
 広大な田園に建てられた小さな家、おひさまが降り注ぎ、リンゴの畑を渡る風が快く、お百姓さんたちは家の周りでゆっくりと仕事をして毎日を過ごしている。ところが突然、道ができて車が走り始め、その道のまわりには家が立ち並ぶ、せわしく勤め人が動く。やがて電車、トラック、クレーン車、高速鉄道、地下鉄が走り回り始めると、並んでいた家は高層ビルに・・・・小さい家はそのはざまで息苦しい日々を送ることになる・・・そして・・・取った手段は、元の田園に戻ることだった。
 さて、この国、わが国、田舎で生まれた小さな人間がお金が儲かる、豊かになりたいで、都会に出てくる、周りは忙しく走るものばかり、やたらと空にそびえたつものばかり。これではいつか疲れる。

言葉が通じなくなる

 それと並行して、人間が信頼のきずなとしてきた言葉が乱れ始める、嘘、言い逃れ、虚偽、改竄、鈍った感覚を刺激しようとするつまらぬお笑い芸、感情の伝わらない言葉が羅列される歌謡曲、それはあたりまえだ。これらはみな銭金物を得るために空虚に発せられる言葉で、何も人を拘束する力がない。力がなければ感動もさせられない。言葉は右の耳から左の耳に流れてこぼれ、頭には残らない。
 もし、この意味がわからなければテレビをひねってお笑い番組を見てごらん。権力を握った芸人が泡沫芸人をおちょくりながら無意味な言葉のやり取りをしている。どこがおもしろいのかわからぬ「お笑い」、同じことは国会でも企業の会議でも起こっている。無責任極まりない言動、どうかしている言葉、不埒な言い方・・・同じだ。この国は狂い始めたのかもしれない。とても、この流れに「真面目さ」「真摯さ」「真っ当さ」などは太刀打ちできない。しかも、みんな使い捨て。人も言葉も使い捨てで意味を持たない、拘束力を持たない。これでは、この国の若者は、みな自滅して行かざるをえない。もちろん、その前に、真面目で真摯で真っ当な人間が先に消えるだろうが・・・・。あとに続く、言葉を忘れた若者や子どもの行く末も泡沫となって消えることだろう。すべては、Time is moneyから始まったのだ。

過労死の原因はみんな・・・

 朝から晩までせっせと働き、仕事先は「早くしろ!」「早くしろ!}と急がさせ、みんな急がされる。そこには幸福も、楽しみも、人生の意味もない。灰色男たちがいたるところで動いている時代である。息抜きの時間さえ「無駄だ!」と考えられ、余裕を求めての旅行さえ時間とお金に追いまくられて、ものすごく忙しいこととなる。結果、「見た!」「あった!」「分かった!」「食べた!」だけの話。
 これは、格安のバスツアー・パックツアーを経験してみればわかることだ。「格安はお得だ」につられていくとスケジュールに縛られ、お土産物を交わされ、見たいものはじっくり見られず、ゆっくりと食事を楽しむこともできない。モモでは、エンデが「時間にお金の意味合い」も含ませている。生活をするためにお金を稼ぐはずが、お金を稼ぐこと自体が目的化し、人生の本来の意味を見失っている人が、現代社会にはひじょうに多いと言っているわけだ。みなさんは、そういう人を周囲で見ませんか。いや、意外にあなた自身だったりして(笑)・・・ところが都会人がみんな、これに当たはまる。みんな過労死していく。自然史のように見えても、事故死のように見えても過労死なんだな。さて、この小さな人たちは出て来た田園に戻れるのだろうか。(ニュース一部閲覧)



(2018年10月号ニュース・新聞本文一部閲覧) 追加分



ページトップへ