ブッククラブニュース
平成30年7月号(発達年齢ブッククラブ)

暑中お見舞い申し上げます

 西日本の豪雨と洪水・・・死傷者数、洪水の様子、あまりの惨状に目を覆うばかりです。広島、岡山、愛媛。当該地域の一部の会員の方には「豪雨お見舞い」でお便りしておきましたが、自然の猛威はほんとうに恐ろしいです。逃げるには直感を働かせるより手がありません。政府の災害対策は無策! 気象庁が未曾有の豪雨という予報を3日も前に出していたのですから、もう少し早い避難指示があれば、もう少し死者が減ったでしょうが、カジノ法、水道法などの悪法ゴリ押し国会で対策がまったくなっていませんでした。担当省庁の国交大臣が被害そっちのけでカジノ法に熱を入れているなんて、この国はどうなるのか、子どもたちの未来にとって最悪の状態です。ヒドイものです。豪雨では220人以上の死者が出ている・・・これは人災!何を隠したいのか、死刑執行を一気に前代未聞の7人いっぺんにやる・・・日本が危ないのは豪雨のせいばかりではありません。
 それにしても自衛隊がコンビニへ物資を輸送してコンビニがそれを売るとか、義援金はともかく災害支援は募金で!って何かおかしい。
 特別予算など組まなくてもつまらない無駄遣いをしなければ豪雨災害くらいオスプレイ3機分にも達しない金額でしょうにね。こんなことをしていたら国が壊れてしまいます。

これだけおかしくなってくると

 夏は、お出かけすることも多いと思いますが、暑さなど異常気象や社会的な問題でもある事件・事故にはお気をつけください。何があるかわからない世の中です。いつも言っていることですが、これまでには想像もつかなかった変な事件も起きています。巻き込まれないようにする。「危うきに近寄らず」で、無理をしない計画も大切です。
 先のことはわからないので「一寸先は闇」という言葉もありますが、全体的にヤンキーな脳天気が増えていますので要注意ですね・・・。事故といえば先月、ゆめやも一瞬の停電でパソコンが消え、最も重要なメインのPCが壊れました。
 こういうのは電力会社の責任もあると思いますが、因果関係がわからないので何とも文句の言いようがないのです。こういう事故は予測不可能です、発送会員の方には6月はご迷惑をおかけしました。謹んでおわび致します。まあねぇ、故障くらいの「一寸先」はいいのですが、行楽ではどうかご注意ください。昔と違って日本は安全ではなくなっています。大阪の地震も晴天の霹靂でした。高槻市周辺の会員にもお見舞いはがきを出しましたが、みなさん何事もなく無事だったようで一安心していました。

夏は?

 さて,夏休みは出かけるシーズンでもありますね。春から夏はゆめやにも遠方からお越しになる方も増えてきます。山梨や長野は自然が豊富ですから、身近な自然に触れるついでに立ち寄られる方が多いです。
 ゆめやは世界一小さな本屋です。じいさんとばあさんが青息吐息でやっていますが、夏休み中でも足が向いたらお立ち寄りください。子どもは親と一緒なら、何もない森でも川でも楽しいものです。近くの自然でも意外に好奇心を輝かせるものです。子どもは移動での時間感覚はありませんから近くでもいいようです。
 「これも見せよう!」「あれもさせよう!」と大人なみのタイムテーブルでは子どもの記憶はブッ飛んでしまいます。小さい子どもは、大人好みの施設にはあまり感動しません。それでも大人がそういうところに子どもを連れて行ってしまうのは、宣伝されたものが常識になって振り回されているのでしょう。みんなが行くから行ってみようと・・・・。こういう時代は集客のために広告宣伝でブームをつくって、「買うのが常識」、「行くのが常識」を仕掛けます。ひっかからないことですね。
 ちょっと郊外に出かける。森や川、虫や鳥・・・ひごろ見かけないものを見るだけでも子どもは楽しいものです。ま、もっとも、そういうお出かけの車の中、車の中でも一心不乱にゲーム機やスマホを扱っている子どもを見かけます。そういうお子さんの将来などどうでもいいのですが、社会的にはアブナイ感じがしてきますね。そういうことだけは親が注意しないと誰もしてくれません。  でも、さすがはブッククラブの会員のお子さんです。すでに夏休みに入って数組の県外からの会員が山梨、長野を訪れた際にゆめやにお立ち寄りくださいました。元気そうなお子さんたちで、もう真っ黒に日焼けした顔でした。「八ヶ岳に行ってきた!」「これから富士五湖に行く!」・・・都会のお子さんの方が好奇心キラキラの自然とのつきあいかもしれません。夏は何と言っても子どもは外遊びです。本など後回しでよい。物を、風景をたくさん見なければ想像力が高まらないじゃないですか。
 想像力といってもけっして何もないところから浮かびあげる力ではなく、何かすでに見たもの聴いたもの触ったものから想像していくというわけです。ですから何より体験は大事なんです。

手ごたえ、見ごたえ、聞きごたえ

 釣りや昆虫採集をしたことがありますか? 釣り糸を垂れていて魚がかかったときの感触、手ごたえはやったひとでなければわかりません。バッタやチョウが捕虫網に入ったか入らなかったかも何度かやるとわかってきます。
 こういう体験が本を読んで、場面を想像するときにとても役立つのです。そうでないと、本はただの言葉の羅列になり、意味を探るだけのことになってしまます。これはじつにつまらないことになります。
 いま、学校教育では、その意味を取るということだけの教育が進んでいるように思います。子どもが幼児期からサブカルチャーで育ってしまって、もはや本が読めない、文がわからないという状態が進行していますから、学校は躍起になって意味を分からせようとします。しかし、それは想像力がなければじつにおもしろくない読み方になり、だめなんですね。この辺を学校がわかっているのかわからないのか知りませんが、こんな読み方では体験した手ごたえ、見ごたえ、聞きごたえが想像力で再現できないのです。
 やはり幼いころ(十歳くらいまで)遊ばない子・遊べない子は本を読んで想像し、それをまた自分の中での心へ反映させていくことができないというわけです。
 最近は夏休みの終わりが短くなっています。8月20日過ぎにはもう授業が始まってしまう学校もある。理由を聞いたら、授業数が不足している、週休2日だと年間では一定の学習量をこなせなくなる・・・・というものでした。
 学習量? なにをそんなに詰め込みたいのでしょうね。夏休みくらい、のんびり遊ばせればいいものをバブル世代ジュニアの親たちは子どもたちに習い事をさせ、勉強漬けにする。以前は、学校の先生方から注意も出たが、最近は偏差値偏重で育った親も教師も多いので、「子どもの頭をよくするのは「学習」以外にはない」と思っているようです。
 夏休みに遊べない要因の一つは親がフルタイムで働くので、どうしても子どもをどこかに預けなければならないこと。昔なら田舎のおじいちゃん、実家のおばあちゃんだったが、最近はそれもできないので、民間で行われるキャンプイベントや塾学習、お稽古ごとに通わせて時間が消費できるという合理的な(?)親も多い。いっそのこと離島での不便な生活体験ツアーに夏休みの一ヵ月くらいを費やしたほうがずっと子どもためになるのではないかと思いますが、それもできない親が多いのです。現代の親(学校も)は時間がないせいか子どもを習い事、勉強に追いまくっているように思えます。子育ての手抜き?!これからの時代は、先を見る、あるいは危険を察知する能力の方が必要だと思うのですが、どうなんだしょう。働く女性を否定している? とんでもありません。つまらぬローンやクレジットに追われて自分を切り売りするのを否定しているのです。これでは子どもの力は伸びません。金でいくら東大や慶大に入れても成績だけよくて頭の悪い人間になるのがオチでしょう。そんな人が最近、政治の世界でも経済界でも、また大学内部でも問題を起こしています。
 いま、フィンランドの教育が脚光を浴びています。学力水準の高さが目を集めるものなのですが、世界一の学力の高さは子どもの頃の遊びなのです。ここでは、宿題、課題が小中学校でほとんど出ないのです。オランダやドイツでもかなり前からそうでした。フランスやスペインでは宿題を禁じる法律まであるくらいです。これは後で夢新聞の方でも書きますが、いまの親は前述のように3歳、4歳の子までお勉強漬け、お稽古事漬けです。体験が少ないまま育つことで学力が落ちてしまうのは、文が想像力を駆使して読み取れないことに起因していると思われます。だから、遊ばないと大変になるのですが・・・まだまだ、この意味では日本は後進国のようです。  

とかく親は子どもに教え込む

 とは言え、偉そうに言っても、私も子育てをしている頃には教え込もうとして山ほど失敗してます。
 その私の失敗のひとつ。子どもに新幹線の速さを体験させようと乗せました。
 「どうだ!速いだろう!」と思ったのですが、子どもはスピードの比較ができないのです。親は東京ー大阪間を寝台特急で8時間も揺られて着いたという経験がありますから新幹線の3時間はものすごく速いのですが、比較する時間を持たない子は窓の外を見ていても「普通電車の速さと変わらない」としか感じなかったのです。このように、体験は比較がないとわからないのですが、子どもには時間が流れていないので、すこしも比較できず、見たまま、感じたままとなります。
 大人と子どもの感覚の違いは大きい! テーマパークや水族館、動物園なども大人と子どもでは受け取り方まったく違うと思います。旭山動物園まで行かなくても、甲府の小さな小さな市立動物園で満足している子もけっこういますからね。遠くまで行って「どうだ、すごいだろ!」と思う、あるいは感じるは大人だけなんですね。
 いずれにしても、熱中症や食あたりに気を付けて、楽しい夏をお過ごしください。そして天変地異が来ないよう「祈ります」。(ニュース7月号一部閲覧)

読み聞かせのHow To

③ 1歳児前後

 前回、ゆめやのブッククラブ配本の選書は発達段階に合わせて組んであるということを述べました。そして「1歳前あたりから絵本を与えるのがいい」ということで、生後10ケ月からの読み聞かせをするのがブッククラブ配本。なぜなら、この時期に子どもは初めて「平面に描いたもの」への関心を示します。早い子でも9ケ月。それ以前は本も物にすぎません。でも注意力は散漫ですし、本だけでなく、いろいろな物を投げ散らかしてみるのが好きという子が多いのです。そこに置いてあるものをポイと投げたりするのをおもしろがる時期でもあります。
 ここが絵本の与え時というのもすごい話ですが、この時期も「触覚で物を認識する時期の最終のプロセス」で、すぐに目が本に向いてきます。もちろん耳もです。散漫な感じも遅くても1歳の前半で終わります。
 まず読み聞かせさえすれば数か月で絵本大好きの子どもになるでしょう。
 この時期のお子さんがいるお母さんから「読み聞かす前にページをペラペラして遊んだり、読んでいるのに閉じてしまったりして困ってしまうのです」という悩みを話されます。すぐに読み聞かせを聞き始めたら、そのほうが凄いです。まず1歳前後では聞いて理解とか落ち着いてページを見るという段階ではないということは覚えておいてください。ただ、すぐに慣れます。そして読み聞かせに集中してきます。早ければ1ケ月、遅くても半年くらいですね。この時期の子は大人とは理解の方法が違います。すぐにお母さんのそばで聞く言葉の快さ、抱っこや添い寝で聞く話の快いことがわかってきます
 この時期には、ほとんど現物に近い絵の動物や食べ物の絵を配本で組んでありますが、この理由は、まだ1歳前後ではディフォルメされた図形や絵画的な画像(アニメや漫画)がよくわからないからです。写実的な動物の絵に触ったりなでたりしますし、食べ物などはつまんで食べようとするシグサまで見られます。かわいいものですが、ある意味、認識力が未発達の段階でもあるのです。でも、すぐに子どもは成長します。
 理解させることを目的にしないで、「いかに聞くこと(言葉を耳から入れること)が楽しいか」を味合わせてください。それがやがて物語絵本へ入っていく大きな入り口なのです。この時期に、このような静かで快い体験ができなかった子がいま増えています。ぜひ心して読んであげてください。

再び暑中お見舞い申し上げます

 今年の7月中旬の暑さはハンパではありません。40度を越そうと言う勢いです。大水害の後の被害地、暑さでダブルパンチです。最近、義援金は、赤十字とかNHKには出さないようにしています。どこにどう使われてしまうかわからないからです。ですから、直接使う地方自治体にわずかでも届けたほうがいいと思います。「ふるさとチョイス」とか「ふるさと納税」のサイトを探せば義援金を贈りたい地方自治体の地方銀行の振込口座が出ています。例えば、愛媛県なら・・・口座名「愛媛県豪雨災害義援金」・伊予銀行 愛媛県庁支店 普通預金 1769828 ・愛媛銀行 県庁支店 普通預金 5369532  という具合です。
 しかし、20世紀と違い、21世紀は天変地異が多様化、巨大化しています。昔もあったのでしょうが(ノアの洪水のように)1000mmの雨が集中的に降る・・・20世紀では考えられない量です。地震の頻発、火山の噴火・・・経済効果だことの戦力がドウタラコウタラなんて言っている前に何とかしないと、今回の水害のように後手後手に回り、被害を増やすばかりです。頭が悪い人を上に戴いていては下は塗炭の苦しみに見舞われかねません。地位や名誉ではなく、成績でも偏差値でもなく賢い人間を選び出したいものです。
 まあ、かんたんに言えば人格の高い人、さまざまな分野に気が配れる人です。とくに、災害という不可抗力のものに襲われてしまった人々に思いがかけられないと大変です。中国では古代から「治山治水」は「政治」と同義語でした。天変地異とどう向き合うか・・・これは人を守るという一点で政治家にも企業家にも共通した能力でしょう。人災もまた同じです。無関心がどんどん、この能力を低下させていきます。もう少し、関心を・・・やがてわが身に降りかかるかもしれない事態に入っていると思いますので。

ある研究・・・・が、おもしろい!

 さて、夏、学期内や休みの間に学校や学習塾で出される宿題・・・これが日本では年々増えている。年々基礎学力が落ちているために、それを補おうと、どんどん宿題を出して覚え込ませる傾向だ。多くの親は昔、学校で出た宿題を嫌々やった経験が多いはずなのだが、自分の子どもとなると「宿題やった!?」「まだやってないの?」と追い詰めていく。それは、「仕事量をどうこなすか」という大人の世界の考え方で、宿題を見ているからである。子どものころ、「これが何の役に立つのだろう?」と考えていたことなど、とうの昔に忘れている。
 学校で学習したことのすべてが役に立たないとは言わない。基本的なこと、例えばふつうの水準の漢字が読めるとか単純な計算ができる、地図が読める、ある程度の歴史の知識がある・・・など、この力が生活を動かしているわけで、一定の知識は覚えなくてはならない。なぜなら、何か専門的な仕事で必要な学力は、その能力を基にして身に付けていくのがふつうだからである。また、人間関係の話もそういう基本的な知識がないと前に進まないことも多いからだ。
 しかし、これをどんどん詰め込んでいってどうなるかというと、成果が出ても最終的にはクイズ王のようなものにしかなれないということである。これでは、困るね。クイズ王は決まった答は言えても、考えて何か新しいものをひねり出すことはできない。

宿題を減らせば

 アメリカのデューク大学のクーパー教授が子どもの思考力を調査した結果が出た。そこでの結論は「小・中学生の宿題はほとんど効果がない。むしろ悪影響のほうが大きい」という衝撃的なもの。
 小学生では学力向上につながる効果はほとんど認められず、中学生でも効果がほとんどないというもの。ふつうの授業を受けているだけで一定の学力はつき、宿題の効果が出てくるのは高校生くらいでないとダメということだ。そんなことより小・中学生では「楽しい」と思える時間を増やす方がはるかに成績向上につながるから「宿題は禁止に値する」と言っている。世界的にも宿題は減少傾向にあり、ロシアやフランスでは法律で禁止されているという。びっくりぽん。知らなかった。
 北欧やドイツも宿題や課題は多くない。世界有数の学力を誇るフィンランドも極端に宿題は少ない。「子どもが嫌がっても宿題をさせることが成績アップにつながる」というのは妄想なのかもしれない。宿題をこなしても「やり遂げた感じ」が残るだけで効果は疑問というわけだ。ひょっとすると、日本の学校には量で計測する無意味な成果主義があり、塾産業もそういう課題を出すことで授業料を取れると踏んでいるかもしれない。しかし、刷り込まれた日本人、なかなか転換はできないだろうね。

低・中学年の本読み ③学校図書館

 ここのところ、この「低・中学年の本読み」を書いたら、一、二年生を持つお母さんからさまざまな質問が寄せられた。
 いわく「学校図書館にマンガのような質の低いものがけっこうある。これでいいのか。」とか「なぜ、1歳や2歳の赤ちゃん絵本が置いてあるのか不思議。」とか・・・また定番の質問・「貸し出し競争をしているので、読書シールほしさに読みもしない本を毎日借りてくる。」「朝読の本を図書館で借りなければならないのはおかしい。」・・・・いろいろなお便りが来る。個別にお答えはしたが、新一年生の会員は、これまでの学校図書館やについてのゆめやの意見を知らないので、やはり少し述べておく。

図書館戦争

 その前にどうしても言っておきたいのは、「書店が図書館を批判してはいけない」ということ。なぜか。公立図書館もふくめて多くの自治体では、地域の書店を指定業者にして書籍を納入する。図書行政に口を挟んだら、あるいは批判なんかしたら書店として立ち行かないのだ。
 何もしないで年間数十万、数百万の売り上げをもらえるのだから「指定業者」はおいしい。当然、指定された書店は何もいえない。学校図書館も地域の書店を指定するから、そこを経由して納入するのがほとんどである。つまり原発の立地自治体にお金が入るのと同じで「お金が欲しけりゃ文句は言うな!」だ。これが、客が入っているのを見たことがないような書店でも生き残れる仕組みである。つまり行政が助けてくれている。映画「図書館戦争」のような話はまったくない。
 ゆめやの売り上げは、すべてみなさんブッククラブ会員のお支払いだけ。私が物を言えるのはすべてみなさんのおかげで図書館には何の借りもないし、恩恵も感じていない。で、まあ、地域の学校にも自治体図書館に思ったことはどんどん物申せるわけ。では、まず今回から学校図書館について考えて行こう。

動機が不純?

 朝読書や貸し出しコンテストのようなものは、少年犯罪や学級崩壊が目立ってきたころ(いまから二十年前)に始まった。朝十分間で読書をしようというものすごい発想が朝読。これの目的と成果は、本を開いて心が落ち着いたところで授業に臨ませようというもの。その後、読書をサポートするために親を動員して読み聞かせの時間を作り、地域と子どものつながりなどを名目に読み聞かせ活動が進んだ。「本を読みましょう!」の掛け声だけでは子どもはその気にはならないので、なんとか貸し出し競争や朝読書のシステムをつくって、本に親しむようにしたわけだ。動機は不純だが、それで子どもたちが本を読むようになれば、それでもいい。ただ、問題はどのような本を読むか、だ。しかし、これをブッククラブのレベルで論じたところでほとんど意味がない。なぜなら、マンガを読もうと劣悪な本を読もうと本を読むことにはちがいないわけで、そんなことを指摘したら、「生徒の中にもいろいろな子がいる」「本を読む習慣のない子もいる」「読む本のグレードが低い子もいる」という言葉が戻ってくるだけである。集団でする読書は質の維持などできるわけもない。
 全部が全部とは言わないが、子どもが手にする本はかなり質の低いものがある。図書館もそういう子ども層に応じるために、図書館流通センターなどが選んだ(売れ筋本、人気があるといわれる本)ものをどんどん入れている。出版社が直接学校図書館に売り込む巡回営業などもあったが、これも売り手側のやり方で、こういうものを選書もせずにシリーズで買い込むこともする。かなり粗悪な本が書棚に並んでいる学校図書館さえある。
 司書のセンスや質も蔵書を左右するが、全体的な流れとしては良い本がセレクトされる傾向はない。悪名が高いのはいつも言う「かいけつゾロリ」だが、マンガの「名探偵コナン」「おしりたんてい」が置いてある図書館もある。「子どもが喜んで読めば、なんでもいいではないか」という声もあるが、これは、いかがなものだろう。こういうのを見ていると、選書も読書時間や貸し出し競争も場あたり的なもので、本気で子どもに一定のガイドラインを示して読書指導が進められているとは思えない。
 粗悪な本を読むくらいなら、外で楽しく遊ぶ方が、どのくらい高学年の読書をするときに必要な想像力を高めるか。夏くらい読書はさせないで外で遊ばせるのは有効な手かも。

昔話に出てくるツール
③ つづら

 漢字で書けば「葛籠」というむずかしい字だが、字のごとくツヅラフジという植物の蔓(つる)を編んでつくった籠である。「したきりすずめ」に出てくるので有名だが、昭和40年以前の家庭には、かならず押し入れの中にあった入れ物である。竹や木の薄皮を編んで作ったものもある。通気性が良いので弁当入れからキモノをしまう容器としてたくさん作られていた。
 「したきりすずめ」では、背負うことができるように肩掛けがついていて、リュックサックのように使われた。おじいさんは小さい葛籠にスズメからの贈り物をもらって帰ったが、欲の深いおばあさんは大きな葛籠に贈り物を入れてもらい、帰り際に開けると恐ろしいものが飛び出すという話。「欲が深いと大変なことになるよ」という道具である。

最後は金目ではないという教訓

 最近、何でも一儲け、一儲けの時代で、すべて「金目」という風潮がある。多くは詐欺のような努力もしないで儲ける仕掛けのものが多い。究極はバクチで儲ける方法だろう。
 大きな葛籠で欲をかいても、あの世までは持って行かれない。「驕(おご)る平家は久しからず」で、悪事を行ったり、人情味のない欲深いことをすれば、あっという間に葛籠からとんでもない恐ろしいものが飛び出してくる。
 「したきりすずめ」のおばあさん本人が腰を抜かすだけならいいが、周りの人々に大きな「とばっちり」が来たらどうなるのだろう。怖いことだ。大きな欲は、かかないほうがいい。こういうことを昔話はいつも教えてくれる。つまり、人間が世の中でうまく生きていくにはどうしたらいいかというものだ。ただの子どもだましだと思っているととんでもない。深く大きな「世の中を渡る知恵」が隠されているのである。
 ところで、話は変わりますが、最近アベノミクスという言葉を聞きませんが、なぜなのか、どなたか経済に詳しい人は教えてください。
(新聞7月号一部閲覧)



(2018年7月号ニュース・新聞本文一部閲覧)

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