ブッククラブニュース
平成30年6月号新聞一部閲覧 追加分

昔ばなしの中に出てくるツール②

 作家でストーリーテラーの杉山亮さんが、茶飲み話でこんなことを話してくれた。
 「舞台でやる噺、学校や園でやる話は名作や昔話が下地になっているパロディだが、最近は親も子も元の話(原話)を知らないから、いくらおもしろいパロディを語っても 相手は???で・・・」・・・わかるわかる。前回も述べたように保育士の先生からして「おはなし」は宮崎アニメから始まっていて、もう日本昔話の連続番組も見たことのない世代だ。ああ、「お話まで世代の断絶が進んだか!」と思わざるを得ない。悲しいね。

打ち出の小槌

 さて、この道具。「うちでのこづち」と読む。言わずと知れた(いやいや知らないかもしれぬが「一寸法師」の中に出てくるすぐれもののツールだ。ま、木でできたカナヅチ(ああカナヅチは金属でできているか!では、木ヅチね)。もともとは叩いて、出っ張っているものを打ち込む道具だ。
 昔話「一寸法師」では小男を大きくする道具だが、願いごとを唱えて振ると願いどおりの物があらわれる効果も合わせ持つ。隠れ蓑、隠れ笠と並び称されており、福を招く宝物であると言われている。つまり一振り、一打ちで金銀財宝ザックザク。所得が分化してしまっているアベノミクスでは政界が欲しいツールでもある。
 室町時代に書かれた『御伽草子』では、姫を襲った鬼がこの小槌を持っていて、一寸法師に退治されたときに落としてゆく。一寸法師は姫に小槌を振ってもらって体を大きくし、立派な武士となる。ここでは「打ち出の小槌」が一寸法師を大きくするためだけに使われるが、『御伽草子』の原話では背を伸ばしたり、金銀を出したりする以外に、鬼を退治したあとの疲れをとるために次々とおいしそうなゴチソウを出すなど、なんでもできるツールになっていて用途は幅広い。
 一家に一個あると、子どもの成績を上げたり、家計を助けたりするが、ジャパネットタカタでも売ってはいないから、やはりお話の中の道具。
 ところで、個人的な話になるが、私は小学校の時にものすごく背が小さく、前へならえ!をしたことがなかった。140cmくらいしかなかった。最前列だから手を腰に当てて突っ立っているよりなかった。コンプレックスは中学まで続き家にあった木づちで頭を叩いていたこともある。しかし背は高くならなかった。そこで中学でバスケットボール部に入った。中2で伸び始め中3では164cm、高校で175cm。20歳で176cmになった。やはり、万能の利器などはなく、汗を流して努力しなければ成果は出ないということだけは分かった。

ものがたりライブ その7

 さて、その杉山亮さんの恒例ライブが今年の夏も行われる。やはり元ネタを知ったうえで聞くと面白いと思う。最近はブッククラブ会員でも東京周辺(中には茨城、千葉、埼玉の会員も常連になっていることを聞くが)の会員に勧めているトークショーでもある。
 大人2000円、子ども1000円で格安のお楽しみ。じゅうぶん楽しめる内容である。打ち出の小槌など振らなくても楽しい話、とんち話が聞ける。子どもだけが楽しいのではなく大人もじゅうぶん楽しめる内容のショーだ。
 ここのところ数年、紹介しているが、案内チラシ(左の物)は東京近県の会員にニュースと同封で6あるいは7月に同封で送るので見てほしい。夏休みの楽しいイベントとして家族で聞くのもおもしろい。おススメしま〜す。
 期間は、8月2日〜8日まで 場所は、新宿駅南口・プーク人形劇場
 お問い合わせはゆめやでもできるが、杉山さんのホームページ「杉山亮のなぞなぞ工房」の特設ページでも案内している。https://sugiyama-akira.jp/monogatari/

本とともに過ごしてきて

 甲府市 小山いちよさん あゆみさん(中1) 俊和くん(小4)
 あゆみが十か月のときからお世話になりましてありがとうございます。娘に読み聞かせをしていた日々はとても楽しく、貴重な時間でした。本棚の絵本を眺めているといろいろなことを思い出します。娘と私をこんなにも幸せな気持ちにさせてくれた絵本とゆめやさんに感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございました。  お忙しい毎日だと思いますが、どうぞお体を大切になさってください。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
 あゆみさん(中1)からも
 いままでステキな本を配本してくださりありがとうございました。小さいころ読むのが苦手だった本もだんだん好きになり、いまでは字が細かくページが多い本もよく読みます。これまでたくさんの本を読んできて、ゆめやさんが配本してくれたものはジャンルもさまざまで新しい本を読むきっかけにもなっています。ほんとうにありがとうございます。
 【ゆめやより】こちらこそ長い間・・・いやまだ弟さんもいらっしゃいますね。さらに長い間ありがとうございます。

低・中学年の本読み ②
まず一年生の読み

 「一年生になったら本が読める」というのは認識不足で、多くはなかなか。文字が読めるということ・文が読めることと本が読めることはちがう。その意味では本は読めない子が多い。そうなると、まだ読み聞かせが続くわけだが、ここで気を付けることは字が読めること、書けることは必須となるのは必要条件だから、これは手紙ごっこや言葉遊びごっこで遊びながら覚えるといい。まず文がわかること、それも会話文ではなく書き言葉で。

5W1Hなどで

 たとえば、昔はよく子どもたちが遊んだもので知っている方も多いと思うが、5W 1Hという遊びがある。数人でやるとおもしろいが二人でも大人がいくつか文をつくってやるとさらにおもしろくなる。5つのW。いつ、どこで、だれが、だれと、何をしたか。1Hは「どのように」だが、これは省いてもいい。
 紙を名刺大に何枚も用意する。5枚ずつ配り、1枚にいつ、どこで、だれが、だれと、何をしたを書いていく。
 例えば ① むかし ② 鬼が島で ③ 桃太郎が ④ 鬼たちと ⑤ 戦った・・これが一人の文。もうひとりも書く。① きのう ② 屋根の上で ③ スズメが ④ カラスと ⑤ 鳴いていた・・・さらに、もうひとり分・・・① おととい ② 学校で  ③ あっちゃんが ④ ともちゃんと ⑤ 鉄棒をした・・・
 こういうふうに作っていって、①だけ集め、②も集め、順に集めて・・・よくシャッフルする・・・上から順に読んでいくと
 「むかし、学校で、桃太郎が、カラスと、戦った」「きのう、鬼ヶ島で、スズメが、ともちゃんと鳴いていた」
 「おととい、屋根の上で、あっちゃんが鬼たちと鉄棒をした」・・・というような文ができる。文脈上何も問題はない。文の構成でもおかしくはないが、読むとおもしろくなる。ここが遊びのミソで、繰り返して遊ぶと、主語、術後、目的語などの関係が感覚で覚えられるというものだ。
 すべては教え込みより遊びからの方が身につくものである。
 文字などすぐ覚えるし、言葉などこれまでの読み聞かせで、かなり高度な言葉も知っている。これを使っていかに表現できるかが重要なのだ。それが6歳ごろからのもので、ここでは言葉が多様に使える遊びをしていくことが大切である。

読み聞かせと一人読み

 一年生の配本では、いずれのコースも一人で読めそうなものと読みでのある内容のものとが混合してある。長い話は読めないかもしれないが、いままでとちがって回数を減らしてもいいと思う。じゅうぶんに聞く力はついていて、理解力も高まっているので、数回読んでやればわかるだろう。一人で読めそうなものは、一、二回読むだけでいいかもしれない。それから一人読みだが、これは3歳ごろからの本を、お母さんが聞いてやる形で一人読みさせるのがいい。音読だ。もちろん、音読はさほど重要なことではない。アナウンサーにでもするなら別だが、基本は「黙読でどう読んでいくか」だから、なるべく早く黙読できるようにしたいわけだ。
 3歳ぐらいの本とはいえ、通常の小1教科書ではブッククラブ2歳配本の「おおきなかぶ」レベルである。このへんがスラスラ読めればOK! すぐに3歳もの4歳ものが読めるようになるだろう。聞く力はじゅうぶんあるので長い話、たとえば「きつねの電話ボックス」や「オオカミのおうさま」「からすたろう」などはていねいに読んであげてください。個別の本の対応についてはメールやお便りでお寄せください。

絶版や品切れについて

 出版社は自社在庫を減らしたいので、コンピュータで印刷所に小ロット注文します。そうすると、どうしても在庫がゼロになることがあります。そういうときに書店には絶版(ではないのに)・品切れ中という情報だけしか流されませんので、あわてます。たいていは再版になりますが、絶版になったままのものも最近では多いのです。絶版になると、その後の対策ができません。おそらく、本の売れ行きが鈍っているので、出版社の方も大変なんでしょう。その傾向はヒシヒシと感じます。とにかく、ものすごい勢いで書店が減っていますからね。先日、大月市に行って、「ついに市内に本屋がなくなってhしまった」という話が出ました。市で本屋が一軒もないというのは異常のような気がしますが、Amazonの抑制ができない状態では加速していくでしょう。これは政治の問題でもあり、文化の問題でもありますね。ブッククラブ配本で途中絶版が起きると大変です。お知らせしますが、急きょ、変更になるときはご容赦ください。
 現在、判明している絶版は、(  )は学年。 「さいごのまほう」「ドラキュラ」「おっとあぶないがちょうのおくさん」(低)「走る少女」(高)・・・・などですが、逐次、報告ができません。随時になりますが、ご理解くださいますようお願い申し上げます。また突然、再版になることもありますが、チェックしきれません。

読み聞かせのHow To ②
読み聞かせの開始までは

 赤ちゃんは生まれてから生後九ヶ月くらいまでは触覚で物を認識することが主になっています。触って快いもの、そうでないもの、危険なもの、安全なものを認識しています。たしかに視力も聴力もありますが、まだまだ絵から認識する力は育っていないのです。こういう時期はいろいろなものに触らせましょう。そうしないと、本を与えたときに本が物としてしか認識されず、めくったり破いたりすることを楽しんでしまいます。だから、ゆめやのブッククラブ配本は、ふつう生後十ヶ月から始まります。要望があってもそれ以前から配本を組むということはできないようになっています。生後十ヶ月・・・これは偶然でも思いつきで決めた時期でもありません。標準的な発達では、平面にプリントされた表象を認識しはじめるときだと考えているからです。それまでは、いつも言うように親が語りかけることだけでじゅうぶんだと思います。
 それから頭に入れておいてほしいのは、生後6ケ月〜9ケ月くらいの間に、手や体でいろいろなものを触らせてほしいということです。この時期は触覚で物を判別したり認識したりする時期です。これが不足すると1歳過ぎても紙なのか本なのかなかなかわからず本を者として取り扱う期間が延びてしまいます。きちんと触覚を発達させておけば破っていい紙と本の区別などすぐつきます。

選書の基本は

 一般的に日本では絵本の選書の多くが発達心理学(最近はユング心理学が主)で行われていますが、ゆめやは絵本を形態学(子どもの発達の変化)というものを基礎にして選書しています。
 良い絵本の選書リストを出しているところは多いのですが、多くは子どもの発達とは無関係に本の出来や良し悪しだけを見て選書を決め、良いと選者が思った本をリストアップしているだけです。いくら良い本でも二歳児によいものが五歳児によいとはかぎりません。あるいは悪い効果をもたらすかもしれません。やはり、発達に合ったものを与えることが重要になります。もちろん、性差や生まれ月なども考慮する必要があるでしょう。ですから、読み聞かせ前の時期は、あまり焦らず語りかけで十分ですので、柔らかく普通に、赤ちゃん言葉など使わずに語り掛けてください。
 子どもの本で一番重要なことは良書を選ぶことではなく(良書選びは当然のことです)、いかにタイムリーに発達に応じた本が与えられるかということなのですから・・・。与えすぎもよくないし、与えなさすぎもよくない・・・・むずかしいものです。

発達に合わせるといっても

 発達心理学と発達形態学の選書の差については詳しく分析した資料があります。
 ゆめやのホームページ(いまのページからトップへ戻る)にアクセスして「ブッククラブのご案内」をクリック。【高度な読書をめざすブッククラブ選書】の下にあるPDFの赤いアイコンをクリックしてください。両者の選書を比較した研究論文があります。
 「形態学で選書している」と言っても多くの会員は良くわからないかもしれません。もちろん、そんな理屈より配本順に子どもに読み聞かせて楽しめれば、それでいいわけです。でも、ゆめやの選書の基本は形態学です。この流れと基本的な体系、そして順にアップデートしていくリストについては2005年に山梨子ども図書館の「子どもの本の専門家養成講座」で、合計13時間の講義公開をしました。全データの公開でした。ちょっと、このニュース紙上に載せるにはデータと文章量がハンパではないので無理ですが・・・。でも、この講義内容を神奈川大学外国語学部助教授だった白須康子先生が小樽の「絵本・児童書研究センター」所長の工藤左千夫さん(ユング心理学)の選書と比較分析した紀要を出されました。子どもへの適合性においてゆめやの配本選書に軍配をあげていただいたのはうれしいことでした。
 理論を知りたい方はあまりいないと思いますが、よろしければご覧になってください。

発達に合わせるために

 絵本の読み聞かせの段階、つまり生後十ヶ月〜六歳くらいまでは、ほとんど問題なく対応できています。ところが、「ご案内」に書いてあるような読み聞かせや読書の正常な発達をさえぎるものがじょじょに家庭内に入り込んで、影響を及ぼしているのも事実です。近年は1歳ですでにその影響が出ている子さえ存在するようになりました。読み聞かせの開始は、「そのようなものとどういうふうに親が向き合っていくかという態度決定」の開始でもあります。読み聞かせは親が楽しめれば子どもも問題なく楽しめます。まずは、そういう幸せな時間を獲得できることを念頭に置いて始めてみてください。親子の快い時間が確保できることは保証いたします。次回は読み聞かせのテクニックから入ります。

中流から格差へ ②

 貧富という問題を取り上げて差異を言って何が面白いのか、という意見もあると思う。たしかに貧富問題を取り上げると貧しい層をバカにしているという印象を持たれるだろう。
 しかし、かつて日本の家庭の多くが中流だった時、趣味や生活上の行動、あるいは購買行為が極端に低レベルだったことはなかった。低レベルはかなり少数の貧困層の話だったのである。ところが現代はちがう。中流もレベルは低い。さらにいえば上流もレベルが低くなっているようでもある。ある意味、昔からの傾向でもあるが・・・・。
 例を挙げると40年くらい前には絵本「ぐりとぐら」は1冊480円(現在は970円)。当時でも比較的高い値段だったが、この手のものを子どものために買い求める中流層は多かった。もちろん漫画ばかり与える下層の意識階級もいたし、逆に上の方では世界文学全集を買い与える親もいたが、全体的に少々「お高い感」があっても子どもに普通の絵本を与えていた家庭も多かった。もちろんどんな趣味を持とうが個人の勝手であり、別にとやかく言うことではないが・・・・。

職業差と家庭

 しかし、前回の教育社会学の視点から重要な問題を導き出すこともできる。問題は、こうした親世代の趣味・嗜好の違いが、子どもの教育達成の格差にしだいに転移されなかったかどうかということ。
 前回の美術鑑賞で見た抽象的な文化に親しんでいく層は、一部の例外を除いて明らかに親が教員とか法曹関係、一般事務、専門職家庭の子であり、家には各種の蔵書も多いはずなのである。収入とは無関係にパチンコをやる家庭と美術鑑賞に代表されるものをやる家庭では親の職業の差がかなりはっきりしているということだ。
 たとえば、例外はもちろんあるが(その職業の方は嫌な思いをしないでほしいが)ブッククラブ会員が極端に少ない職業層がある。飲食業、土木建設業、運送業、理容・美容業だ。よほど関心が高い人でないと子どもに読み聞かせをしない現象が出ている。さらに予想外なのは地方の中小銀行員・金融関係者・・・ここもほとんどない。価値観が違うのかもしれないが、なぜかはわからない。では、収入の差で何かが違ってくるのかどうか。

歴然!親の貧富別「子どもの趣味」

 ちなみに親の趣味・嗜好が子どもにどう影響するかで、子どもの趣味も家庭環境によって違ってくる例を出してみよう。それをグラフ化した研究がある。下の図2は、小学生(10歳以上)の趣味を、貧困層と富裕層で比較したものだ。横軸に年収300万未満、縦軸に年収1000万以上の児童の趣味的行動の実施率をとった座標上に、33項目の趣味を配置してある。
 しかし、教育社会学の観点から重要な問題を提起できる。こうした親世代の趣味・嗜好の違いが、子どもの教育達成の格差に出ている可能性は高いのである。
 実斜線は均等線で、このラインより上にあるのは、貧困層より富裕層の子どもの「実施率が高い趣味」である。趣味をやるにもお金がかかる面があるのか、ほとんどの項目で富裕層の実施率のほうが高いのは自然なことだ。逆に、富裕層より貧困層の子どもの実施率が高いのは、カラオケやキャンプ。意識が低い家庭、また貧困層の家庭で一番の趣味・遊びがテレビゲームというのがすごい。80%は所有していることとなる。読書がないから本など買うと言うことはないのだろう。
 点斜線よりも上に位置するのは、富裕層の実施率が貧困層よりも10ポイント以上高い趣味だ。芸術系の趣味は、階層差が大きい。楽器演奏は完全に収入差があり低所得層は0に近い。
 ここでみているのは家庭の経済力による差だが、親の職業による違いや意識差もはっきり出てきている。
 差別意識などまったくなく客観的に見ても前回のように横軸にブルーカラー、縦軸にホワイトカラー家庭の実施率をとったグラフにしても、同じような図になるはずである。読書、蔵書を持つというのは完全に収入+意識・関心度の高さ、現代では収入が少なければ30年前にあったように収入が少なくても与えるということはない。  言っておくが、現代ではブルーカーもけっこう高収入な人が多いのだ。しかし、趣味は当然違ってくる。
 これから先、大学入試もペーパー主体から人物重視に方向転換されていくが、そうなったとき、親世代の文化差が、子ども世代の人格差に投影される度合いが高まっていくだろう。これは経済格差より深刻である。
 面接での立ち振る舞い、余裕の程度、話題の豊富さ。こういうことは、ペーパーで測られる読解力や計算力などよりも、家庭の文化的環境を色濃く反映すると思われる。本を与えられず読まなかった子、音楽や美術に関心が向かなかった子は、収入差だけではなく図2のような「体験格差」まで生まれてくるだろう。この体験差がどのくらい開くかを次回では考えてみようと思う。(増ページ一部閲覧)



(2018年6月号ニュース・新聞本文一部閲覧) 追加分



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