ブッククラブニュース
平成30年3月号新聞一部閲覧 追加分

38年目のお礼

 この3月3日で、ゆめやは開業38年目に入ります。開業は1980年。もう児童書専門店では古参のほうに入ってしまいました。あのときと同じように小さな店構え(おそらく日本で一番小さい絵本屋かもしれません)
 これもひとえにブッククラブのかつての会員、現在の会員の方々のおかげです。夫婦二人で始めて、ずっとやってきて38年・・・・規模を大きくしなかったので誰もが知るブッククラブとはなりませんでした。38段の階段は、かなり苦しく辛い上り坂でもありました。
 でも、良いお客様に恵まれ、気持ちよく仕事ができているありがたさがあります。子どもにかかわる仕事は楽しいばかりではなく、将来の不安や危険をどう取り除くかを考えるものでもあります。すぐには効果が出ない、しかし、子どもはあっという間に大きくなってしまう。そして現代は、うまく成長していけない要素もたくさんはらんできました。これとどう向き合うか・・・もう二十数年考えていますが、状況は悪くなるばかりです。
 そして、今月は最初から衝撃的なニュースが飛び込んできました。ブッククラブの雄、名古屋のメルヘンハウスが今月で閉業するというものです。日本で一番最初に児童書専門店を立ち上げたところで、ブッククラブももう40年以上の歴史があるところです。ゆめやとなど比べ物にならないくらい有名で大きなお店(3万冊展示)で、ブッククラブ会員は1万5000人もいたということです。ゆめやの20倍以上の規模です。後継者の御子息もいて、うらやましいなと思い続けてきました。それが閉業です。店主の三輪哲さんとは何度かお会いして、いろいろ話させていただきましたが、参考になることも多かったです。御子息は数年前にゆめやを尋ねていただき跡を継ぐ抱負も語っておられました。閉業というのはまことにショックです。書店数がこの十年で1万3000軒減るという流れの中で、私たちはふんばってきてのですが、その旗頭であるメルヘンハウスの店じまいはとても悲しいものがあります。

しかし、時代に流されずに

 たしかに手間暇かけて本を届けるより、ネットショッピングで翌日配達、しかも送料無料なら多くの人は飛びつくでしょう。本に限らず、あらゆるものがそういうふうになっていく社会です。その影響は当然、子どもたちにも出てきます。先月、今月と文の読めない中高校生の話を書きましたが、物では当然、手に入らない層の人々も出てきます。格差はいろいろな意味で広がっていくでしょう。これもみな、政治のテイタラクですし、じつは、われわれ国民が無関心でいた結果でしょう。格差が広がれば、反知性の人々(「何も知りませんが、それが何か?」と言う連中)が増えてきます。若者ばかりではありません。40歳〜50歳代でいるんです。
 くだらないお笑い芸人のテレビ番組にうつつをぬかしているうちに私たちの頭がおかしくなりはじめたということです。
 これからのゆめやのニュースは、そんな現状を踏まえて考える材料を提供したり、たまには、おもしろいことを書いたりしたいと思います。最近、老眼で誤字、脱字なども多いかもしれませんが、なにもかも二人でやっている仕事なので、ミスも出るかと思います。とにかくメルヘンハウスのような従業員数はなく、事務仕事から配達、配本管理までみんな二人でやってます。ミスは出ます。その際は御寛容を示していただき、お許しくださるようお願い申し上げます。 絵本専門店ゆめや はせがわとしお&としこ

私の好きな一冊 ⑨
からすたろう

 八島太郎作の地味な絵本。 「僕たちが、村の小学校にあがった日、床下にかくれてしまった子がいた、誰もその子の事は知らなかった。」・・・で始まる新入学の教室の物語。隠れた子は、とても体が小さい子だったので、ぼくたちは彼をチビと呼ぶようになった。思うに何かの障害がある子だろう。チビは、先生を怖がり、授業で何も覚えなかった、クラスのみんなとも、友達にならなかった。のけものにされ、いつもぼーっと虫や景色を観察しているチビを下級生まで「うすのろ」「とんま」と嘲笑っていた。しかし、チビは、くる日も、くる日も菜っぱに包まれた握り飯をもってとぼとぼと学校に来た。まったく休まない。雨や嵐の日でも蓑にくるまって学校にやってきた。
 月日がたち、僕たちは最上級の六年生になった。担任は「いそべ先生」。この先生は子どもたちを野原に連れ出し、いろいろ教えてくれたが、そこで僕たちはチビが芋のあるところや花についてよく知っていることにおどろく。いそべ先生は、チビの絵を気に入って貼りだしたり、みんながいないときに、チビとふたりだけで話をしていることもあった。しかし、その年の学芸会で、舞台にチビが現われた時は、だれもがびっくりした。「あの あほうが あんなところで何をするのだい?」・・・・いそべ先生が、チビが、カラスのなき真似をするのだと発表しても、みんなは、「カラスの鳴きまね?」「どんなふうに?」と口々に言った。チビは、赤ちゃんガラスの鳴き声、母さんガラスや父さんガラスの鳴き声、朝早くの鳴き方、村の人に不幸があった時の鳴き方、嬉しくてたまらないときの鳴き方・・・これを全部みごとに真似た。最後に古木の上に止まって鳴くカラスの鳴きかたを特別の声をだして真似た時、みんなは、チビが住んでいる遠くて寂しい山の中を、はっきりと想像することができた。日の出とともに家を出て学校に来て、日没に家に帰りつく長い長い通学路・・・そこを毎日毎日6年間もチビは通ってきていたのだ。カラスの鳴き真似が終わって僕たちは、チビのすべてがわかる。そして、誰もバカにしなくなる。卒業後もたまにそれは小さいが大きな人間だった。
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 できそこないの感想文にありがちな長いスジガキを書いたら完全ネタバレですが、さほど読まれていない本なので説明をしました。
 私は、こういう教育・・・つまり、先生が生徒の個性を認めて、周囲に善意をうながす教育があればいいな、と思っています。私の小学生のころも勉強ができない生徒やおかしな生徒がいましたが、イジメで不登校になるようなことはなかったのです。もちろん、からかったり、バカにしたりはありましたが、極端な状態には決して行かなかったのです。それは偏差値などの考え方がなかった時代だからです。では、できない子、おかしな子が大人になってダメになったかというと、そういうことはなかったように思います。まじめに生きていたからでしょう。子どもたちが不安のない学校生活を送れるような国にしないといけないと思ってます。
 八島太郎は戦前にアメリカへ亡命した日本人です。多くのすばらしい作品を残しています。息子のマコ岩松もハリウッドの有名な俳優(「沈黙」「ロボコップ」「ライジングサン」「パールハーバー」などに出演)として活躍しました。そうそう私の大好きなチャン・ツィーの「さゆり」にお父さん役で出ていましたね。

今年度修了者のみなさんへ

 今年もまた桜が咲く季節・・・就学児ブッククラブ全課程の修了です。長い間、お便りをやりとりしたり、毎月会ったりしたお名前が下の修了者一覧です。今年も世相に影響されて減少ですが、半数の方が六年生までつきあってくださいました。
この中には、20年以上のおつきあいの方もいます。通販型のブッククラブとちがい、ゆめやのブッククラブは、交流があります。原則2歳までのスタートなので、ここに残った皆さんは、0歳、1歳からの方がほとんどです。最近は、ご承知のように一般家庭では長い物語を読める子がどんどん減っていますので、この子たちは貴重な存在なのです。
6年間の配本は楽しめたでしょうか。高学年の配本は、かなりレベルが高いものが入っていますので、それはまた後で読んでもらって結構です。ここまで読めれば大人の本はもう目と鼻の先です。
今年の修了者数も、例年並みなのですが、よくぞここまで残ってくれたと思っています。この学年も、半数以上が修了まで残りました。絵本から始まる読み聞かせの底力でしょうね。それから・・・・本を与えて育てよう! 読み聞かせをして楽しもう!という親御さんの考え方と家庭環境がなければ、ふつうは高学年の配本などに手も足も出ない子が多いのです。これから、どんな本を読んでいけばいいか分からない方はご連絡ください。また、ぜひ「その後」もお知らせくださいね。必ず返信しますので・・・(ゆめやが存在する限りはですが、もうゆめやのおじいさんもおばあさんも高齢。書店界もきびしいですからね・・・笑)。遠方の方は電話でもメールでもお手紙でも何でもけっこうです。お便りをください。
 最後に、あらためて、これまでのご愛顧に感謝申し上げます。ありがとうございました。ゆめや
 ↓記載洩れの方がいましたらすぐにご連絡ください。修了書などを発行しなければなりませんので。
 (修了書などは配達配本の方は最終配本で、遠方の方はこのニュース同封で発送します)
 修了者全員の名簿は発行している印刷した新聞のみで個人情報によりHPには掲載しません。

サブカルを再び考える(最終回)

 あまりスポーツやアスリートのことを書いたことがなかったが、たまにはいいだろう。なんでスポーツのことを書かないかと言うと多くのアスリートは底が浅く、脳天気で(サブカルオタクなどよりいいかもしれないが)ヤンキーっぽく、あまり好きにはなれない。口を開けば「夢の実現!」とか「金メダル、金メダル!」と大言壮語を吐くのも嫌だ。(もちろん個人的趣味にすぎないので、スポーツ好きな人には申し訳ないのですが…)まあ、そういう好き嫌いで書かない。
 だいたい、メダリストのほとんどは、テレビのタレントとか解説者になり、しようもないお笑い芸人や人気タレントと肩を並べているのがふつうだ。頭というか生きるという意味で、きちんと考えている人が少ないからである。
 で、「なんでサブカルの最終回がスポーツの話?」「読書と関係があるの?」と思うだろうが、先月は隣国のオリンピックで湧いた。このオリンピックもテレビでは一切見ていないが、ある報道記事を読んで、これは重要なことだと思ったものがあった。その記事は小平奈緒さんがスピードスケート女子500mで優勝したあとものである。スピードスケートと聞いただけで筋力とか精神力のことを考えてしまう。このスポーツは他人が頼れない。チームワークなんて関係ない。その意味では孤独なスポーツである。練習に次ぐ練習、すべてが自分との勝負である。彼女は、それを小学校から始めたというのだが、はじめは滑るのが好きだっただけなのだろう。それが、しだいに速く滑れるようになって、コーチに付いての練習が始まった。そこで、こんなエピソードがあったという。

「ノートを書きおわるまでが練習だよ」

 平昌五輪のスピードスケートで日本女子史上初めて金メダルに輝いた小平奈緒さんの中学高校時代の恩師、「宮田スケートクラブ」(長野県宮田村)の代表・新谷純夫さんが、その日の練習で分かったことや課題を毎日ノートに書くように勧めたのは、小平奈緒さんがクラブの門をたたいた中学1年の時。新谷さんは「そこが彼女のスタートだった」と振り返る。
 最初は1日1ページも書けなかったが、高校では技術的な内省も深まり、ノートは月に数冊に上った。どんなに疲れても必ず毎日、書く。中1からの習慣は18年以上たった今も続く。「誰にでもできることじゃなく彼女しかできないこと。続ける能力こそ彼女の一番いいところだ。優勝はその集大成。素晴らしいとしか言いようがない」とたたえた。
 みなさんは「それがどうしたの?」と言うかもしれないが、このノートに書くという作業(スマホやタブレットへの記録ではないよ!)はサブカルチャーにはない真っ当な人間活動の基本だからである。考える基本だからだ。書くという行為は考えることにつながる。
 この「小平さんの練習とノート」について、上智大学の松浦寛先生が、この「ノートに書くという作業の意味」に触れたのち、こう述べている。

日本のすべての子どもたちに伝えたいエピソード

 「言葉を磨かない限り、思考が深まることはない。政治も思想も、究極的には〈言葉〉の問題なのだ。ふだん何気なく使っている〈言葉〉を「自分はどういう意味で使っているのだろう?」と自問するとき初めて思考が始まる。つまり、世の多くの人々は、生涯一度も思考することなく亡くなるということなのだ。
 多くの人は「そんなことはない。自分は職場でも家庭でも色々考えている」と言うだろう。しかし、それは違う。われわれはものを考えたり感じたりするとき何らかの“思考の枠組み”に従っているが、ふだんはそれが意識されない。自分の「考えや感情が何にとらわれているか」を考えずに“考える”とは言わない。その程度の考えは、せいぜい本能的な欲求を満たす利害損得であり、世間の通念を疑うこともなく借用しているに過ぎないのだから。・・・」
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 なるほどと思いました。ちょっと先生のコメントはむずかしいかもしれないが、「言葉で言う、書く、読むということでほんとうの考えが始まり、自分の行動や行為がどういうものとなっていくかを客観的に見られる」というもの。嘘をノートに書けば、それが嘘だということは自分が一番わかる。格好をつけてもそれが格好をつけていることは自分が一番よく知っている・・・。こういうことをしないで一生を終えてしまう人が山ほどいるということである。「あれがしたい、これがしたい」「あれをたべたい」「これを飲みたい」・・・そして目先の金や物につられ、世の中がそうだから同じにで生きる人々。先に述べた質の低いお笑い芸人、脳天気なタレントやアスリート・・・もちろんわれわれ一般人の中にもきちんと考えながら生きている人は少ないのだ。考えれば反省も出る、こうしようと言うアイデアも出る。それが人間(人格)を作っていくということである。

さてサブカル汚染の人間は?

 ところが、サブカル人間は、そういう反省も努力も物事を考えようという姿勢もない。あたりまえだ。サブカルは頭を大人にしない。だから考えないオタクや倫理性などまったくないゲーム脳人間は人間関係や自分の人格さえも壊してしまう。先月号の表で挙げた事件の加害者のように・・・サブカル漬けで何も考えず犯行に走るというわけだ。私たちの子どもはそうはしたくはないではないか。
 小平奈緒さんは(個人的な見方ですが)「金メダル」「金めだる!」とチャラチャラメダルの話をしたことはないだろう。彼女は31歳・・・これまでも大してマスコミにも登場しなかった。中学からノートを書き、自分と向き合ってきて、すでに20年となる。まじめでなければできないことである。
 優勝の会見で「メダルを通してどういう人生を生きていくかが大事」と言ったのも、ほかのヤンキーアスリートとはちがって、いかに生きるかを考えている証拠だろう。オランダのマスコミにオランダ語できちんと答えていたのもその成果だ。だからこそ、銀メダルだったライバルの韓国選手に「チャレッソ(よくやった)!」と言葉をかけて抱擁した。これは感動させられる。人柄の成果、思考の成果だと思う。
 「思考することは人格を高める」・・・われわれの子どももこういうふうに育てたいものだ。

本とともに過ごしてきて

 北名古屋市 柳沢悦子さん 匠哉くん(小6)
 10年前 2歳を目前にした息子は本に見向きもしない子でした。友人からゆめやさんの話を聞き、すがる思いで電話をしましたが断られてしまいました。途方に暮れましたが,お話の最後に「きんぎょがにげた」という本を紹介してくれました。早速本を買い求め、読んであげると、まるで魔法にかかったように夢中になり、何度も読むようにせがんできました。そのとき私は「この子が読まないのじゃない。私の本選びが悪いんだ」と気づき、やはり専門家にお世話になろうと決めました。
 断られたのに図々しく何度もゆめやさんに電話をし、「読めました!次は?」「読めないのですがどうしたら?」などアドバイスを求めました。そのうち、私たち親子の面倒をみてくださるようになりました。配本が始まると、読み聞かせの時間が楽しくて「幸せってこういうものかな。」などと感じたものです。それからもゆめやさんには年数回はお電話して読み聞かせのことはもちろん幼稚園や学校のことなどのアドバイスをいただきながら続けていくと、小学校1年の五月ごろ「一人で読む!」と言い出しました。「自立の日が来たな!」・・・さみしい気持ちと成長の喜びを同時に感じました。
 それから息子は学校から帰ると本棚の前で本を読むようになりました。一時、歴史マンガにも凝ったことがありましたが、「ゆめやさんの配本はおもしろいのが多いなぁ!と言って笑いながら読む姿を見かけたものです。先日、学校の先生から「本を読むときの集中力がすごい。」という言葉をいただきました。2歳のときのことを思うと涙が出るほどうれしかったです。10年間はあっという間に過ぎました。楽しい時間を私たちに与えてくださりほんとうにありがとうございます。良い御縁をいただいたと感謝しております。
 【ゆめやから】あれからもう十年経ちましたか!昨日のように覚えてますよ、長いご利用に感謝するのはこちらです。

子どもの発達と絵本⑧
中高生の読解力が危ない!

 文構造把握で誤答… と、いう統計が出ている。
 知っているかもしれないが、昨年の秋、国立情報学研究所の調査が出て、「教科書の文章を正しく理解できていない中高生が多数いること」が明らかになった。
 「基礎的読解力を測るテスト(リーディングスキルテスト、RST)」は、短文を正しく理解する能力を測定するための読解認知特性診断テストのこと。基本的にはCBT(コンピュータ上で行うテスト)として実施し、昨年7月末までに小学生1,347人、中学生7,073人、高校生1万4,083人、高専198人、大学生1,316人、社会人600人のテスト結果をまとめた。教科書や新聞、事典などから抜き出した200字未満の文章を正しく理解できるかの測定である。


 教科書レベルの文が読めないと自分ひとりでは勉強できず、AIに職を奪われると研究者たちは心配している。私の子どもの頃に比べれば今の子どもたちは、ものすごく宿題もこなしているし、多くの情報にも接している。なんでだ!
 リーディングスキルテストとは具体的にはこういうものだ。

たとえば文構造把握の問題

 「Alexは男性にも女性にも使われる名前で、女性の名Alexandraの愛称であるが、男性の名Alexanderの愛称でもある」という中学校英語科の教科書から引用された文章を読み、「Alexandraの愛称は何か?」と選択肢でたずねたところ、「Alex」と正答できたのは、中学生が37.9%、高校生が64.6%だった。おいおい、ほんとかよ。全文英文だったんじゃないか!?と思うような結果だ。なに!この正答率は?

 長文読解じゃないんだよ。また・・・・
 「メジャーリーグの選手のうち28%はアメリカ合衆国以外の出身の選手であるが、その出身国を見ると、ドミニカ共和国がもっとも多くおよそ35%である」(中学校社会科の教科書に載っているらしい)という文で、メジャーリーグ選手の出身国の内訳を表す図を選択肢でたずねたところ、正答できたのは何と中学生がたった12.3%、高校生が27.8%だった。

 ホントかよ、この数字。これじゃグラフが読めないんじゃん。
調査によると中学生の約15%は意味理解の最初のステップである文構造の把握ができないまま卒業していることが明らかになった。これじゃ自動車の免許や資格取得の筆記試験パスが困難だと、関係者は言う。教科書が読めないと、予習も復習もできず、自分ひとりでは勉強できないよ、という注意書きもあった。勉強の仕方がわからないと、「AIに職を奪われる」と研究グループは危機的状態だと嘆く。

 これを読んだ会員の皆さんは私と同じように「そんなことがあるわけない!」と思うだろう。
 しかし、どうも現実らしい。つまり、多くの中高校生が幼少のころから文に触れてきていないのである。小学校中学年くらいから本が読めなくなる。あるいは漫画やアニメしか見ない。さらには映像を漫然と観ているだけ・・・という子どもが文の意味も構造もわからなくなっているということだ。まあ、あたりまえの結果なのかもしれませんけどね。ブッククラブのお子さんではまず起こりえない現象ということ。
 でもまあ、幼児から絵本を読み聞かせて来て、いくらサブカルチャーの時代になったとはいえ小学校から本が読めなくなったでは困ったものです。原因は? じつは親の意識レベルにあるみたいですよ。それについては、来年度から連続で考えていきます。(3月号増ページ一部閲覧)



(2018年3月号ニュース・新聞本文一部閲覧) 追加分



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