ブッククラブニュース
平成30年1月号(発達年齢ブッククラブ)

家族を大切にする一年に

 今年もたくさんの年賀状をいただきました。ありがとうございます。でもね、何と50枚近く喪中欠礼のハガキがありました。例年に比べて急増です。時代が変化しているのが分かります。盛んだった勢いが陰りを見せ始めるときなんですね。でもなにはともあれ 「あけましておめでとうございます!」
 しかし、田舎で商売をしている私たちには、遠く離れたお客様とはほとんど会えませんから写真年賀状でお顔を知り、お子さんの成長を見せてもらうと、ひじょうに身近に感じることができます。
 いただいた年賀状のすべてに返信をしたいのですが、時間も手間もかけられない年末・年始・・・こちらから賀状は出せませんが、左のものと、このニュース記事で、ごかんべんください。
 年賀状は全点、店内のボードに貼ってあります。立春まで貼りますので、ご来店の方は見てください。
 その年賀状の家族や兄弟姉妹の写真を見ていて、その生活と笑顔を見ると絵本を与える余裕がある家とマスコミで報道される悲惨な事件を起こす人々の家の違いにおどろくばかりです。親の考え方・生き方ひとつでこれだけ違ってしまうというのもすごい話ですが、ゲーム世代、アニメ世代も親になり、その価値観ひとつで家庭が暗転することも起きてきました。そこでは「思いやる心の壊れ」も出てきていて、それが虐待や貧困、事故につながり、信じられない事件にもなると痛感しています。
 ニュースの表に年賀状大賞最優秀を出しましたが、それは、最優秀でそれ以外のすべてが大賞ですね。問題が起きそうもない家族の肖像が見て取れます。
 お写真を見ていて、「家族っていいなぁ!」、「家庭っていいなぁ!」・・・「この幸福や安定をつまらぬ欲で崩したくないなぁ・・・」と心から思います。

あけましておめでとうございます

 作家・佐藤愛子さんに言わせれば「新年、何がめでたい!」となるのでしょうが、私は自分がおめでたい人間なので、どこかで区切りが必要で、それを新年にしています。だから新年はおめでたいと思っています。
 おめでたい私は特別な宗教の信心もしない無神論者ですが、新年となれば神社に足を運びます。歩いて3分のすぐ近くに武田神社があります。でも、ここは初詣客が多いので敬遠。と、言うよりですね。この神社は大正時代にできた神社で、たかだか百年の歴史・・・あまり、ご利益もありそうもないからです(笑)。
 だいたい日本ではたくさんの人を殺すと神になって神社に祀られます。上杉神社、東郷神社、乃木神社・・・いくらでもありますね。おーコワ!なんですよ。こういう宗教はあまり世界では見られません。ナポレオン教会とか毛沢東神社なんて聞いたことはないですね。
 で、そうは言ってもお日様に手を合わせるくらいの私ですから初詣には行きます。たまたま、ある神社の宮司さんがブッククラブの古い会員の方で、そこでウチの娘たちも巫女のアルバイトをさせてもらったことがあります。宗教はともかく話が面白い方なので、毎年、お会いしていろいろなご意見を聞くために初詣するというわけなんです。
 以前も(2011年1月号・東日本大震災を予測したとき)「お年玉のほんとうの意味」を書きましたが、そこで登場した宮司さんなんです。

怖いね!

 そこで今年もお祓いを受けて長々と話をしたわけですが、この時期「宮司」と言えば、なんといっても東京の江東区の富岡八幡宮の宮司がネット検索でも上位でしょうね。日本刀で斬り殺すという一種の猟奇事件・・・これは怖いニュースでしたね。
 この神社は、じつは孫を二人もお宮参りさせた場所で、参ったなぁ・・・という感じでした。で、そこの宮司ではなく、私が話した甲府の宮司さんのほうですが、こう言ってました。「あの富岡八幡宮は、ウチのような貧しい神社と違い、黙っていてもお金がワンサカ入るので、金で身を滅ぼしたということでしょうね。以前から宮司の会合で、その話題は上がってました。不労所得が多すぎるのです。」ということ。細かい収入の数字まで教えてくれましたが、貧乏あたりまえの絵本屋には目の玉が飛び出るような月収、年収でした。そんな浄財を湯水のように使えば、神罰も当たるでしょう。
 「ゆめやも自慢じゃないけど金はない。この年齢になれば「この世のものはあの世には持っていけないのはしっかりとわかりますから・・・命まで無駄に落とすような罰は受けたくないです。」などと話すと、宮司さんは神前に貼ってある「厄年一覧」を指して、「まるっきり安全でということはなく、人間、厄災に襲われる年齢もあり、それが統計的に厄年に多いのです。」と説明してくれました。

厄(やく)

 新年を迎えると「厄年」に注目が集まりますが、「この厄年という言葉には由来があるとも説明してくれました。要約します。
 もともと、この厄というのは「役職」の「役(やく)」で、かつては集落や町などで一定の年代になると重要な役職を任せていた節目の歳でした。だから役=厄年。
 重要で負担がかかる役職を持つことから、体調管理などに気合を入れる意味合いがあると言われていました。  役年説は数多くある説の1つに過ぎませんが、厄年の歳付近で体調不良や健康を崩す人が多くなるのは科学的にも根拠があるらしいですよ。
 女性の場合、厄年は十代最後と、三十歳代前半に当たります。この時期はいずれも、就職や入学、結婚、出産、子育て、離婚などの「事件」が起こりやすく、環境が急激に変わる時ですからね。忙しさで精神や体をおろそかにしがちなので、婦人科系の病気・精神疾患などの病気が多いとされてきました。これは素人でも推測できる根拠です。
 他にも厄年と健康の関係の調査報告は多くあります。「厄年が全く根拠がない迷信というわけではない」ということです。ブッククラブにも、この年齢層の親はいますから厄年にあたる人は「無理をせずに体を休める1年間」と考えたほうがいいでしょうね。男性も同じで、とくに42歳が、病気や事故、家族関係の問題、仕事関係の軋轢などで苦労が多い年ということになるのでしょう。体も心も疲れるかもしれません。
 ちなみに、今年の男性の厄年は、1977年(巳年)生まれで、女性は1986年(丑年)生まれとなっていますから、その前後の数年の年齢の方も要注意ですね。
 一般的には男性の42歳前後のほうが、厄災が降りかかってくる確率が高くなるようで、とくに健康面で自生しなければならない時期と言えるでしょう。最近では、この年齢で子どもがまだ小さい親も多いですから。

今年は戊戌年・・・・

 さて、今年をゆめやはどう読むか・・・? 国語的には「戊戌」は「茂」と同じなので、これまでの勢いが頂点に達する時期、草木が生い茂る状態です。だからいい意味でも悪い意味でも「盛んな状態」になります。 すると、茂った植物の日が当たらないところから虫が出てきて木をダメにしますから、虫を除去する前に木の枝や葉を刈らねばならないのです。
 ところが、多く人は調子に乗って茂らせますから危ないのです。バブルが止められなかったように・・・。もう、すべてが先のことなどお構いなしでイケイケドンドンです。
 どう考えても割に合わないリニア新幹線に9兆円、海外にバラマキは数兆円、一方で日銀は株を買いまくって財政比率をどんどん悪くさせています。こりゃあ、そうそう長く持たないでしょう。株が下落し、不動産価値が落ちればもうアウトです。
 とくに来年が問題ですね。来年はとても危ない。これはハッキリ言えます。この盛んな状態を吹き飛ばす起爆性エネルギーが発生する年にもなりますよ。何が起こるかわからないですが、それは来年の予測で・・・また。でも、今年後半から、おそらくその動きが出てきます。
 いつもの地震予測?・・・去年も言ったように、東日本大震災から現在まで、こう地殻変動が活発になると、どこで起きてもおかしくないです。今年なら東南東方面ですが、それはまずないでしょう。長い間の空白地帯で起こるような気がしてます。

冬来たりなば春遠からじ

 甲府は山の中で、厳しい冬になりそうです。黒潮も蛇行、ラニーニャも厳冬を予告しています。なにごとも必ずよく見ていれば予兆というものがあります。リスクを避けるには、この予兆を読み取ることをしないと、自ら事件事故の罠にはまってしまうことさえあります。
 うまい話には嘘があります。おいしいことをいう人には気を付けましょう。この国はトップからして、美しくない国を造っているようです。
 世の中は冬の状態ですが、自然界では時間が経てば春になります。人間界の悪事、狂気、動乱、混乱などは、すべてきちんと意識して、批判力を持てば消えてなくなるものです。それがなかなかできない疾風怒涛、ここはひとつ意識を高め、きちんとおかしいものはおかしい!ということを言い続けなければいけないと思います。
 さて、まだ冬は続く・・・みなさんも風邪、インフルエンザ、ノロウイルスなどに気を付けてくださいね。手を洗いましょう。ついでに良い本を読むことで心も洗ってみましょう。手を洗えば汚れはなくなり、心を洗えば穢れもなくなります。本年もよろしくお願いいたします。 (ニュース1月号一部閲覧)

謹賀新年2018

天気晴朗なれど気温低し・・・

 今年のお正月は天候に恵まれましたが、甲府はかなり朝晩が寒いです。氷点下4度〜5度でした。これは、おそらく大寒までどんどん下がっていくでしょう。マイナス10度近くまで下がりそうです。
 でも、毎日、窓から四方の山を見ていますと、やはり異常気象は感じます。寒いのに雪が降らない。南アルプスを見ると例年より雪が少なく、白根三山とか鳳凰、甲斐駒あたりは上半分は真っ白ですが、下はそうでもない。とにかく3000mを越えた山しか白くなりません。
 櫛形山とか甘利山、大菩薩や御坂山系の山々はまったく雪をかぶっていません。ある種の乾燥気候になっているのでしょう。富士山も真っ白ではなく山肌が見えるところもあります。こんなんい寒いのに雪が降らない。温暖化というのは原発を進めたい人が言い出したというのもあながち嘘ではないようで、逆に寒冷化というか極端な気象になる異常が進んできたのではないでしょうか。

私はコタツで丸くなる

 さむがりやのゆめやとしては、こういうときはコタツで丸くなっていたいのですが、とても休めず元日から仕事です。最近はコタツがないので猫もコタツで丸くなることはしないようです。元日からお仕事では、ブラックなゆめやかもしれませんが、すべてを夫婦二人でやるとなると気楽にお正月を楽しむわけにもいきません。
 とにかく趣味の分野も含めて業務でも本を読まねばなりませんから、どうしても寝床とかコタツ・・・我が家は空調の暖房がないので、コタツかストーブなんです。多くの家はオール電化の暖房とかエコキュートなどのセントラルヒーティングを使っているのでしょうが、あれの室外機の回転音は近所迷惑なんです。低周波のブーンブーンというモーター回転の音が意外に遠くまで響き、不快な騒音になっています。回転音は外に向けて放たれるので、その家は聞こえないのですが、隣近所は大迷惑です。冬は、この問題がかなり大きいですね。私は、四六時中聞こえる、この回転音の洪水の中で人間が神経をやられて異常になることもあると思っています。

初詣はパス!

 気象だけでなく、人間や宗教もかなり腐敗して異常になっているようで例の事件もまあまあすごい話。私はテレビをまったく見ないので、フレンドシップニュースにも書いたように生の情報源からですが、お賽銭が身に入るばかりではなく、同じ金属でも刀が身に入ると痛いでしょうね。斬った人も斬られた人も収入金額を聞いてビックリもので、わずかな利益で本を売るのがバカバカしくなりました。
 宗教団体は敷地が広いので駐車場などで一ヵ月何百万も、お賽銭や礼金などの収入は税金がかかりませんから、うらやましいほどお金が入り、いくらでも使えるそうです。もちろん、田舎の神社仏閣では逆に収入が限定してきて苦しいという話も聞きます。ここでも、あのバブルのときのように都会と地方の差が表れてきたようです。あのときも金が世の中を狂わせ始めましたよね。でも、まあ、世の中は「真面目な人」で持っていますから・・・なんとかなるかな。それにしても子どもには見せたくない事件が次々に起こっていますねぇ。年末、正月、関係なく・・・。むかしの日本は、安全と水はタダ!という言葉があったくらい穏やかな国でしたが、いまや安全は政治腐敗が脅かし、水は民営化でヤバイことに。金目当ての売国が大手を振っています。

もし「杜子春」を読んでいたら

 こういう事件の関係者だけでなく、多くの大人、とくに政治家や企業家が芥川龍之介の「杜子春」「蜘蛛の糸」「トロッコ」を読んでいたらと思います。不労所得で金を得て、飲み食いで友人を得ようとしても金が尽きれば友人は去って行く。自分だけが助かろうとして人を見捨てる言葉を一言でも吐けば地獄に落ちていく・・・という恐ろしさがわかるのですが・・・・。
 でも、きっと、あの年齢(五十〜六十歳代)なら、たとえ読んでも「なにを非現実なことを言っているか! 大事なものは金なんだよ。」と、うそぶいて、人間関係など大切にしないことでしょう。本は読む時期が重要なのです。「マンガならわかる!」と言って幼い時期に漫画化されたものを読んでもテーマが心には落ちません。大人になると経験が邪魔して、やはり心に落ちません。この三部作は小学校高学年から高校生くらいまでのものです。読んで知っただけにすぎないこととテーマが心に落ちるということは全然ちがいます。「論語読みの論語知らず」と同じ、論語を丸暗記しても人格と関係がないのといっしょです。

文が読めない=文の意味もわからない

 マンガはすべて会話語で書かれているという問題があります。それは一貫した物語を読み聞かされてきた幼児にはあるコマから次はどのコマの話になるか当初はわかりませんが、すぐにわかるようになる・・・これが怖いのです。コマ割りものは多くは漫画ですが、これに慣れてしまうと大変です。なぜならアニメ動画からマンガ、友人間のメール、LINEなど成人するまで「吹出し」に書かれたしゃべり言葉ばかり読んでいくことになります。しゃべり言葉は論理性がありませんから、言葉を読んでも論理的に考える力が生まれません。
 このため短文でも文が示す微妙な意味の違いが分からず、同じものだと思い込んでしまうのです。ですから、たまにコマ割りもいいのですが、すべてコマ割りで行くとしゃべり言葉しかわからなくなり、書き言葉の意味が取れなくなる大問題が起きます。子どもをそうはさせたくないですよね。

受動態・能動態で意味が変わる

 左は文が読めないことがわかったテストの一例ですが、主語が受動態になると意味が変わると言うことが中高校生の多くが理解できないのです。たった2行の文ですが能動態と受動態になっていて、主語が変わると、文意が読み取れない生徒がものすごく多くなっているのです。こんなことはかつてありませんでした。
解説しましょう。
 「幕府は、1639年、ポルトガル人を追放し、大名には沿岸の警備を命じた」(これは能動態の文)・・・。
 「1639年、ポルトガル人は追放され、幕府は大名から沿岸の警備を命じられた」(こっちが受動態の文)・・・完全に意味が違います。
 内容は中高校生向きの言葉を使った文ですが、やさしい単語を使えば小学生だってわかる構文です。変えてみましょうか。
 「継母はヘンゼルとグレーテルを追い出し、父親に探さないように言った。」
 「ヘンゼルとグレーテルは追い出され、父親は継母から彼らを探すように言われた。」・・・まったく違う意味であることはわかるでしょう。
 これが、読み取れないのは書き言葉を読む習慣が少なかったからです。この国は漫画文化を誇っていますが、じつは漫画では深くはわからないわけで、山ほど読んでもケシ粒ほどしか理解できないでしょう。

例えば漫画化された名作は?

 いま、吉野源三郎の「君たちはどう生きるか」が漫画化で話題です。右の写真のもっとも左が原作のもの、真ん中が漫画、右がリメーク版の梨木香歩さんのもの・・・なのですが、真ん中を読んでも感覚的には心を打たれて納得したような感じに最初はなります。
 原作は冗漫な感じがしますので、一回読んだのでは当然全容とテーマはわかりません。二度、三度読まねばならないのですが、現代の若者は文章語に弱いので、まず放り投げることでしょう。
 そこでお薦めが右の梨木香歩版(高学年で選書)ですが、原作とは微妙に違うものでもあります。真ん中の漫画本の内容は半年もすれば心の底にも残っていないでしょう。
 左右の本は深く沈み込みます。マンガはわかったような感じになるだけで、じつはすぐに忘れてしまうものなのです。ですから、やはり書き言葉は重要なのです。読むうえでも自分が書くうえでも。
 それに漫画の多くはルビが振ってあります。ある意味漢字の読みを知るうえでは有効な手法ですが、漫画ばかり読んでいると、正確に漢字が読めなくなるのです。とくに漫画があまり使わない漢字は読んでいない人にとっては困ったことになります。「云々」を「デンデン」と読んだり、「未曾有」を「ミゾユウ」と読んだりします。これは恥ずかしい話です。マンガをすべて攻撃しているわけではありません。すぐれた漫画もありますが、それらは本のなかのOne of themであって、それが文化のすべてを代表したら文化は死ぬでしょう。
 つまり「漫画などで読んだつもり、わかったつもりにならないでね。」ということを言いたいわけです。あらゆる名作は作家の生の「心に落ちる書き言葉」でつづられているもので、しゃべり言葉だけというものはありません。 さあ、今年もしっかりと書き言葉を読んでみましょうね。(新聞1月号 一部閲覧)



(2018年1月号ニュース・新聞本文一部閲覧)

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