ブッククラブニュース
平成29年5月号(発達年齢ブッククラブ)

影響や結果が出てきた?

 年度初めは一番忙しい時期ですが、今年は大変でした。年度替えの仕事が終わりません。ほとんどが配本の変更。「読めなくなっているのでグレードを下げて!」「読まないから本が溜まる」・・・これまでになかった事例が見え隠れします。4年生くらいで「お手上げ」という例も多いです。
 こういうマイナス要因を記事にすることは商売上タブーなのですが、ゆめやは「嘘をつかない」「ごまかさない」が信条、実情の報告はします。毎年三月、就学児段階での会員数の6〜7割が卒業します(これは10%くらいの振れ幅があります(だいたい多くて7割台、少なくて6割台くらいでした)が、来年は、おそらく5割を維持できないでしょう。
 いまや、子どもが(おそらく大人も)、「短文しか読めない、書けない」という状態です。かんたんに言えば本が読めない、作文が書けないのです。この原因は、三、四十年前から始まったマンガやアニメのようなサブカルチャーが原因ですが、近年はLINEやツイッターなどのSNSで、読みも書きも短文。本が読めない状況は加速しています。さらにお稽古事、スポーツ、塾などで読書の余裕もなくなっています。これは世の中が、そういう傾向を強めているので、とても一般庶民は日常見たり聞いたりすることで影響を受け、とうてい長文を読み、書くことができなる結果を生みます。

来た!見た!勝った!

 短文しか読めないと文の理解が感覚的になります。有名なカエサルの言葉「来た、見た、勝った」、これはツイッターの元祖のようなものですが、聞いた人、読んだ人は「どのように来たか、何を見たのか、どういうふうに勝ったのか」などはわかりません。「ふうん、行ったのか。見たのか。勝ったのか!」と思うだけで、そこから想像力も働かず、何もわからないのにわかったようになるだけ。
 短文しか読めない書けないというのは、このように、まず「理屈」がわからなくなり、論理がうまれませんので、やがては乱雑な言動・行動にもつながります。これは必ず「反知性(説明や解説を無視して短く言って終わる)」というじつに無責任な風潮もつくっていきます。
  大人たちの言葉や行動を見ていても「知性のない言葉」「熟考しない行い」が多いですね。前回も述べた東大法学部出身の大臣でも短絡的な言葉しか発せない、一橋大学経済学部を出ている大臣でも条文説明ひとつできない。成績は良いが頭が悪いという典型で、上が上なら下も下、わけのわからん事件も多くなっています。 
 つまり、短文での情報処理や伝達によってヒドいことが世の中を覆い始めたわけです。短文しか読めない、書けない、言えないという反知性は、当然のことながらゲームやテレビ、ネットなどでの情報処理で育まれたのでしょう。もちろんケータイ、スマホやコンビニでの応対など便利な生活も言葉を不要なものとしました。買い物に行ってしゃべらなくてもいい、友人同士で議論や話し合いをしない・・・親子も他人もふくめて世代間の会話がない、・・・マンガやテレビから言葉を受けて感じ取るだけで論理的に考えない、次から次の情報を「知った、見た、感じた」で、やりすごすのは危ない話なのです。しかし、気が付かないうちに私たちは、その影響を受け、いつのまにか知性を捨て、何事も塾考しないで生活し始めているというわけです。

2時間ドラマ

 かつて、テレビドラマでは2時間ものが人気でしたが、30分も観られない人が増えているといいます。いまや2時間ドラマはものすごい低視聴率。短い時間の番組でもカチャカチャ、ザッピングする人も多いようです。しっかりと最後まで見る人もいないので、番組構成もアッチに飛び、コッチに飛ぶ落ち着きのないものになってきています。これって、スマホの影響は大きいでしょうね。
 インスタントラーメンが3分でできたときは、みんなすごいと思いましたが、最近は1分も待てない人が増えているということです。企業は利益を増すためにさらに便利にするので、また人から言葉が消えていきます。やはりラーメンができるまで、ラーメン屋のおやじと話したり、店員のネエちゃん、オバちゃんと会話をするところから始める必要がありそうですが、ここ数十年の懸念し続けてきた悪影響の結果が出てきています。かんたんには解消しないでしょうね。
 さて、みなさん、ここまで読めましたか? それともパパっと流して「うん、わかった!」となっていますか?
 ゆめやのHPの文章は誰もが流し読み(読むなら流し読みでもいいのですが、じつは読ませないようにひたすら長く書いているのです・笑)しかしません。(ニュース一部閲覧)

裕福な家庭/貧困家庭の差は・・・

 4月16日の新聞に文科省が読み聞かせの活動支援策を打ち出したことが報じられたことは前回のニュースで書きました。記事には「貧困家庭では子どもへの読み聞かせがなかなか行われず、読書格差が起きているので、なんとかしたい」というのですが、読書の格差があるように言われていましたが、私には裕福な家庭と貧困家庭でそんなに差がないと思われます。
 「年収920万円の家庭では83%が子どもに読み聞かせをしていて、年収が350万円以下だと64%にとどまっている」というのです。私に言わせれば、年収が350万円家庭が6割以上も読み聞かせをしている方が驚きです。この高い数字が事実とすれば、「読書の格差」など起きてはいません。たしかにブッククラブのお客さまを見ていると低収入の方はほとんどいません。それでも読書挫折が起こるのは収入の問題ではなく他に原因があるからではないか、ということです。「お稽古事させすぎ」とか「LINE依存」、「ゲーム依存」、「過度なスポーツ練習」とか、「塾が負担」とか・・・ある意味、お金を必要とするものの影響なのです。つまり豊かさがもたらした読書挫折、読書格差とでも言いましょうか。お金の有無だけで、読み聞かせや読書の格差は出ませんよ。
 それでもブッククラブ内では小6まで続く子が60%います。今後はどんどん低くなるでしょうが、裕福な家庭でも60%なのですから低収入家庭の63%というのは、ものすごい高い数値なんです。ただ、これだって調査内容がわからないとなんともいえません。読む本によるのです。本の形をしていれば本で、本にカウントして63%では読書格差もヘッタクレもありません。こんなものが幼児期の読み聞かせの基礎では大きくなってからとてもとても、いわゆるちゃんとした本の読書などにはつながっていきません。しかし、この傾向や風潮を止めることはもう不可能です。哀しいことですが、低きに流れるのを見ているよりありません。

時間と余裕がない

 でも、昔(といっても30年くらい前)は、低収入家庭でも良い本を読み聞かせしていました。時間的余裕があったのです。たとえば、「ぐりとぐら」が1冊480円の時代でしたが、多くの家庭が月に1000円の絵本を買い与えるのが大変だった時代だったのです。「もりのなか」も同じ値段でしたが、「960円の配本が高い!」という家庭がけっこうありました。それでも他を削ってでも買い与えている家がけっこういたのです。山梨県は現在は、高収入家庭といっても共稼ぎがほとんどで、親が子どもに接する時間は激減しています。乳児保育、長時間保育の実状は、保育園に迎えに行って夕飯を支度し、入浴させて寝かすのに追われている・・・そんな家庭が多いのです。当然、読み聞かせなどなかなかできない。
 以前はまったくなかったことですが、最近、ブッククラブ内部でも「週に1、2回しか読み聞かせができない。」「子どもがすぐ寝てしまう!」「1冊読むのが精一杯!」というつぶやきが聞こえてきます。2〜3歳の子の家庭ですよ。こんなことは以前はなかった。寝る前には毎日2冊以上というのがふつうの会員の家庭だったのです。
 親が忙しすぎで、子どもの成長のプロセスもなかなか見られなくなっているのだから、これはもう子育てにおいては非常事態であるわけですね。
 十年くらい前に、お母さん方たちの集まりで「なぜ出産前後からの育児休暇を3年、4年と延長する方向に運動をしないのか。0歳児保育、長時間保育の方向を望んでいるのは子どもを育てるより働いていた方が楽ということなのでしょうかね。」と言ったら嫌な顔をされました。あるお母さんは血相を変えて「それではローンやクレジットをどう払えばいいのですか!」と食い下がってきました。私の問題提起とそのお母さんの食い下がりにはどう考えても大きなズレがありますが、外部委託の保育では、読み聞かせの効果はまず出ません。なんといっても家庭での読み聞かせが、読書の下地になるのですから格差が生まれるのはあたりまえのことです。
 この読書格差はかなり前から起きているもので、高収入・低収入が問題ではないような気がします。まず時間的余裕が家庭になくなってしまったというのが最大の原因でしょう。で、笑えたのが文科省の支援対策・・・その費用、なんとたった3700万円。全国対象ですよ! 47都道府県で一県あたり100万円もない。よくもまあ「支援対策」などといえます。「何ができる!」というよりは「する気はない」のでしょうね。
 このように、家とか車などに釣られて生活を犠牲にしていると労働力がひたすらほしい政権が、みんなが何も考えられないでいる裏でいろいろな悪だくみをして、近未来にとんでもなく悲惨な生活を強いそうです。(新聞一部閲覧)



(2017年5月号ニュース・新聞本文一部閲覧)

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