ブッククラブニュース
平成29年4月号新聞一部閲覧 追加分

「読書格差」が起きている!?

 例えば、今年の4月16日の新聞で文科省が読み聞かせの活動支援策を打ち出したことが報じられました。
 その背景には「貧困家庭では子どもへの読み聞かせがなかなか行われず、読書格差が起きているので、なんとかしたい」という実情があるようです。
 しかし、この事前調査の統計が、ひじょうに面白い。年収920万円の家庭では83%が子どもに読み聞かせをしていて、年収が350万円以下だと64%にとどまっている、ということですので大変・・・(?)・・・でも私に言わせれば、年収が350万円でも6割以上が読み聞かせをしている方が驚く。この高い数字が事実とすれば、「読書格差」など起きてはいないと思われるのです。たしかにブッククラブのお客さまを見ていると低収入の方はほとんどいない。それでも読書挫折が起こるのは収入の問題ではなく他に原因からです。お稽古事させすぎとかスマホを持たせたとか、SNSやゲーム依存になったとか、スポーツを始めたからとか、受験勉強や塾の勉強が負担になっているとか・・・ある意味、お金を必要とするものの影響なのです。つまり豊かさがもたらした読書挫折、読書格差。それでもブッククラブ内では小6まで続く子が60%もいます。今後は低くなるでしょうが、裕福な家庭でも60%以下なのですから貧困家庭の63%というのはすごい数値です。これは十分本を読んでいる状態。もっとも本によりますがね。アニメもマンガも本の形をしていれば本です。でも、昔(といっても20年くらい前)は、低収入でも良い本を読み聞かせをしていた時がありました。

働き方改革が必要

 低収入の家庭でも中程度の収入の家庭でも、いま共稼ぎがほとんどで、親が子どもに接する時間は激減しています。乳幼児保育、長時間保育となっているから保育園に迎えに行って夕飯を支度し、入浴させて寝かすのに追われている家庭は多いことでしょうね。読み聞かせなどなかなかできない。以前はまったくなかったことですが、最近、ブッククラブ内部でも「週に1、2回しか読み聞かせができていない。」「配本が溜まってしまう。」というつぶやきが聞こえてきます。高年齢の子どもの会員ではありません。2〜3歳の子の家庭です。こんなことは以前はなかった。寝る前には毎日1,2冊以上というのがふつうの会員の家庭だったからです。
 外働きで子どもの成長のプロセズも見られなくなっているのだから、これはもう子育てにおいては非常事態であるわけですね。十年くらい前に、お母さん方たちの集まりで「なぜ出産前後からの育児休暇を3年、4年と延長する方向に運動をしないのか。逆に0歳児保育、長時間保育の方向を求めているのは子どもを育てるより働いていた方が楽ということなのですか。」と言ったら嫌な顔をされたし、ある母親から「それではローンやクレジットをどう払えばいいのですか!?」と食い下がられたことがある。どう考えても私の問題提起とその母親の食い下がりには大きなズレがあるが、外部委託の保育では、読み聞かせの効果はまず出ず、なんと言っても家庭での読み聞かせが、読書の下地になるのだから格差は生まれる。この読書格差はかなり前から起きていて高収入・低収入ということが原因ではないような気がすます。まず時間的余裕が家庭になくなってしまったというのが最大の原因でしょう。

生活格差が人格格差を生む

 もっとも上述の文科省の活動支援といっても気を入れて対策を組んでいるわけではありません。だいたい、その支援総額がたった3700万円。3700万円で何ができる、という話です。全地方自治体で分ければ100万円以下。数県の自治体に与えても1自治体700万円前後。これでは本もそろえられない。誰かがうまく吸収して簡単にどこかに消えてしまう予算額ということは、効果などどうでもよい政策的なポーズにすぎないということでもあります。よくある話です。
 こんなことより家や車などを追い求める生活からもっと余裕のある生活に切り替えないと読書格差どころか人格格差が出てしまうのではないかと思われます。考えても見ましょう。東大法学部を出るにはかなりの経済力がいります。では、そこを出て末は博士か大臣かということになるが、大臣になって原発自主避難者に「自己責任」という人も出てくるのです。原発は国策で、べつにそこの住民が爆発させて放射能をまき散らしたわけではない。住民に責任などあるわけがない。こういうことを見ていると、収入の高い家庭で育って成績をきわめて上り詰めても、物事がまったくわからない頭の悪さが出てきてしまうということでしょうね。ためしにこの大臣にどういう本を読んできて、どういう本に影響を受けたかを尋ねてみればいいです。まずロクな本は読んでいないだろうし、もし読んでいたらカルト宗教などに頭を向けることはないでしょう。
 この時代では、余裕のある生活へ切り替えろ!といっても現実には、すべてが金まみれにされてしまっている社会だからむずかしいのです。本を読む余裕がなくて人格や頭の良さを求める気持ちは捨てるなら、子どもを塾漬けにして大学に入れ、人生の偏差値競争に追いやれば中にはごく稀に「位」や「収入」高くなるケースも出てきます。しかし、多くはそうはいかず、自分の頭で物事が考えられないという状態が起こります。もう起こっている。
 どうすればいいのか。それには今のところ本を読むよりほかに手だてがありません。言っておきますが学校が進める読書推進運動での本ではないですよ。こんなものでは自分の考えも何もつくれない。だいいち学校は中学になると手のひらを返したように読書推進運動などしなくなる。受験勉強だけしていればいいのです。では、本に向けるには?

考えの幅を広げるには本で・・・

 読み聞かせをブッククラブでは生後十か月から始めています。これまでの統計?では、問題なく6歳くらいまで子どもは本が好きになり、「読んで!」とねだり、子どもによっては自分で読み始めます。ところがわずかな人数だが4歳か5歳くらいで読み聞かせ挫折をしてしまう家庭もあります。原因は二つ考えられます。親が忙しくて読み聞かせをしてやれなくなるのがまず第一原因。読み聞かせがなくなれば子どもは本が読めないから「おはなし」の魅力を見出すことができない。もうひとつの原因は2〜3歳のときにテレビやDVDでキャラクターアニメや戦隊ものなどの洗礼を受け、絵本や読み聞かせ、語りに目も耳も向かなくなってしまうというものです。
 最近はスマホで0歳、1歳の子どもをあやす親が出てきていますから、この二番目の原因での読み聞かせや読書の挫折はもっと低年齢から起こるでしょう。親に恵まれた子と親に恵まれなかった子の差は大きいのですが、多くの親は「自分の子どもをどういう大人にするか」についてほとんど考えていないと思われます。自分の子をどう育てたいのか、何にしたいのか・・・一握りの有名人を目指すのか・・・。
 考えがなければ、時代の流れに乗り、流行りの子育てで・・・ということになります。お稽古事をさせて、英語を習わせて、学習塾へやり、そのうちに能力のある大人になるだろうという安直な考えで、・・・そこで、お金が必要となり働く。これも「女性の権利や地位の向上」という初めはジェンダーフリーを標榜した教育の結果です。子どもを見失うことなど考えずに学校で洗脳された「自由・解放」などという言葉に騙されて、社会人生活になだれ込んでいく。けっきょく「労働力がほしいだけ」の政府の方針に乗せられているだけのことなのかもしれないですよね。

子どもを何にしたいのか?

 では、親としては、「子どもをどういう人間にしたいのか」・・・最近の親を見ていると、テレビの影響は大きく、いわゆる芸能やスポーツで人気のある人をモデルにしているように思えます。
 世の中には多くの人から好かれているように見える人がいます。たとえば、バラエティ番組の司会者だったり、派手なプレーで人気のあるスポーツ選手だったりする。もちろん、多くはメディアがつくりだしている虚像にすぎないのですが、こういう人々が「子育てのモデル」になっていることがあるのではないでしょうか。誰からも好かれる個性や人格・・・、カッコが良くて、明朗活発、社交的で、表現力のある人たちが持つ才能に多くの人が惹かれて、自分の子もそうなってほしいと願うわけです。わからないでもないですが、こういう人気の高い人物たちの実態が大したものではないことは、そう深く考えなくてもわかることでしょう。そこで私は「なぜ、有名人が子育ての目標になるのか」を知りたくて、親たちにいろいろ聞いてみました。するとその答えは二極分化。一方はその芸能人・スポーツ選手・有名人らの「知性」「社交性」「外見の魅力」といった生まれ持った個性を評価。他方は「親しみが湧く」「人に対する謙虚さ」「前向な努力」を挙げるのですが圧倒的に前者が多い。日常の研鑽で手に入れられる力を備えている人を挙げる人は少ないのです
 親しみやすく、謙虚で、前向きな人たちは、我欲や感情をコントロールする知能が高いことがわかっています。ある調査機関が百万人以上を対象に調べた結果では、こういう後天的な能力が高い人たちは、好かれるだけではなく実際に人間関係を高める力があることも明らかになっています。仕事の力がある人のうち九割は処理能力が高く、世の中に対応する力も大きかったという結果が出ています。こういう力は努力次第で伸ばすことができる。つまり努力すれば、誰からも好かれる人になれるわけだから、現実的なのですが、これまた多くの人は夢だけ見て努力はなかなかしない。だから安直にテレビで見た好感度の高い人間を子育ての標準にするのですが、他方では努力をした結果を評価する人も少ないがいるので。ここに期待です。

親の分析

 で、その二極分化した親をさらに分析してみると、前者はまず読書経験がないという特徴があります。後者は、書籍を読む習慣がある。生き方、子どもの育て方などを見ていると、この違いはひじょうに大きいことがわかります。もちろん、前者の数の方が圧倒的に多いことは言うまでもないのですが・・・・。
 読み聞かせに関するアンケートでも、本を読まない親は読み聞かせへの関心が少なく、本を読んできた親は読み聞かせヘの関心が高いことが報告されています。しかし、現代における問題は「本がどういうものであるか」をきちんと認識しておかないと、本、本、本と叫んでも受け取る方がどういうふうに受け取るかわからない状態が出ます。マンガも漫画本というくらいで本。アニメ本も本、ライトノベルも本、写真集も本・・・すももももももももももももにもいろいろあります(これではわからない→李も桃、桃も桃、桃にもいろいろあります)で、本にもいろろいろあります。もし本が多様な作家、思想家らの考えを知る手段とするなら、マンガやアニメ、ライトノベルからでも考えを受け取ることができるでしょう。
 しかし、やはりそれでは安直な「考え」しか受け取れないことが多い。マンガなどの単純な思考形式をコピペするだけの考えではなんともおぼつかない考えとなります。真実を知るように心がけないと自分の考えは生まれない。
 さらに言えるのは隠された事実、隠された本質がサブカルチャーからは探せないという問題点もあります。では、どうしましょうか!ということになりますが・・・・。隠されたものを知らねば時流に流されるだけ。と、なれば、「隠されたものを知りましょう!」ということになる。どういうふうにするか、それには多様な、その筋の本を読んでいかねば一朝一夕で「考えが成る」ということはないわけです。で、その本をなぜ読むか、どう考えるかをシリーズで書いていこうと思います。今回はまず「なぜ本を読まねばならないか」からです。(新聞4月号一部閲覧)

「なぜ本を読まねばならないか?」

 サザンオールスターズ(c) Peace & Hi-lite 歌詞1・2番にこんなフレーズがある。

 ♪・・・何気なく観たニュースでお隣の人が怒ってた 今までどんなに話してもそれぞれの主張は変わらない教科書は現代史をやる前に時間切れ そこが一番知りたいのに何でそうなっちゃうの? 希望の苗を植えていこうよ 地上に愛を育てようよ 未来に平和の花咲くまでは…憂欝・絵空事かな?お伽噺かな?
 ♪・・・互いの幸せ願うことなど歴史を照らし合わせて 助け合えたらいいじゃない硬い拳を振り上げても心開かない都合のいい大義名分(かいしゃく)で争いを仕掛けて 裸の王様が牛耳る世は…狂気 20世紀で懲りたはずでしょう? くすぶる火種が燃え上がるだけ・・・・
 これが2014年の紅白歌合戦番外編で歌われました。ところが物議をかもしました。ある女性週刊誌は、この歌詞が「反日」的であるとし、桑田氏がポケットから紫綬褒章を出したことで「不敬」だというそしりを受けたのです。皇室記事を書いている女性週刊誌が論駁したわけですが、その後ろに、この歌の思想を嫌う別な政治的意図が働いていた可能性は否定できません。
 ところで、いま私が問題にしたいのは、歌詞内の教科書は現代史をやる前に時間切れ そこが一番知りたいのに何でそうなっちゃうの? という部分でした。この疑問には週刊誌もその背後の黒幕も誰も答えていません。
 では、まず、その答えを先に考えますと、(1)ほんとうに時間がなかった (2)近代史の解釈は多様にされるので学校が教えることはない (3)意図的に時間切れにしている (4)現代に直接つながる問題のある要素が多い・・・などです。
 私の、この歌詞が疑問を出したものに対する見解、つまり答えの例は(3)と(4)です。これについて、今後数回にわたってさまざまな本を読んだ結果・出た答えをお話します。第一回は、この1)「なぜ本を読まなければならないか」で、その後は、2)「近代文化の結果がサブカルチャー」 3)「日新館教育と明治維新」 4)「普通の人間を育てるひとつの方法」などのテーマで考えていきたいと思います。

小学校2年・時間に関する問題

 小学2年のときの担任が私に出した問いは「一日は何時間ですか」でした。それに対する私の答えはこうでした。「一日は24時間ちょっとです。」そうしたら「なんです!そのちょっととは!」24時間でしょ。」と叱られました。
 実業之日本社版 「なぜだろうなぜかしら 2年上」1953年版・・・これを私は読んでいました。そこには
 「・・・4年に一度うるう年があるのは、一年の長さが365日ではなく少し長いからです。一年はせいかくには365.2422日です。この0.2422日を4ばいするとだいたい一日になります。これを4年に一回、二月のさいごの日にして、時間を合わせます。これをうるう年といいます。・・・・」
 このシリーズはほんとうに長い間出版されていて私が読んだのは1953年ですから、すでに60年以上も前の本です。いまでは細々と低学年だけが出ています。他は絶版になっています。いわゆる豆知識の収蔵品のようなもので、知識の幅を広げるのにはとても参考になりました。
 しかし、私は頭ごなしに先生に叱られ、小学校二年の頭では逆算して「ちょっと」を割り出すことができなかったのでシッポを巻いて引きさがりました。でも、いま考えれば一日は「24時間ちょっと」ですよね。

小学校5年・野口英世に関する問題

 小学校5年夏・読後感想文の問題で、「野口英世」を書きました。クラスで二人選ばれたのですが、その感想文の末尾に私は、次のような結論「・・・ぼくは、とてもこんなりっぱな人になれるとは思いません。」と書きました。先生から、書き直すように指導が入り、書き直されました。当然、書き直す模範例は「ぼくも、こういうりっぱな人になりたいと思います」・・・そして、私は先生が指示した言葉通りの末尾に変えたのです。
 伝記というものは主人公のすばらしい行動や実績が描かれます。伝記作者というのは、主人公の業績を美化して、人間性も立派なものにしていきます。ところが、人間ですから異常な部分もあれば、卑劣な人もいるわけで、すべてを美しく見ることができません。後日、井出孫六の「アトラス伝説」所収・「非英雄伝」で読んでみると、野口英世は「N博士」と書かれていますが、あきらかに事実に近い話として私に迫ってきました。野口英世の金使いの荒さ、約束を守らない人品、女癖の悪い放蕩な生き方、そして権力にすり寄って行く姿が描かれています。
 井出孫六。非英雄伝の(二)(三)に描かれた野口英世像は納得のいく分析がされています。意外に軽薄で不真面目なのです。そのときに、「五年生の時に、この本を読んでいればよかった」と今でも後悔してます。もちろん、小学生が読んでも理解できない内容です。でも私の理解力が優れていて、この本を読んでいれば、「先生に屈服しなくてすんだのに・・・・」と思うのです。そして、真実を知ることができたのに・・・・と。
 つまり立志伝中の人物は、伝記作者で大きく描かれるので、誰もが英雄視してしまうのです。でも、よく調べればそうではないことが多いのです。バラク・オバマの伝記は、ノーベル平和賞をもらうくらい平和を熱望した大統領で歴代大統領ができなかった軍縮を抑えたとありますが、アフガニスタン、イラク、シリア・・・次々に戦争を起こしています。別の側面から見れば普通のアメリカ大統領です。騙されないで真実を見るためには多角的に本を読む必要があるわけです。
 しかし、この「アトラス伝説」を読んで小学校五年のときの感想文の末尾を書き直させられたことを大人になってから後悔しました。「書き直さなければよかった!」と思ったのです。しかし小学生に学校の先生に抵抗する力はありません。そして、学校は真実の追求より、見た目を美しくすることも教えます。

中学1年・正負の数に関する問題

 なぜマイナスにマイナスをかけるとプラスになるのかがわからなかったので、数学担当の先生に聞いたのですが、納得のいく答えが得られず、「そういうものだと覚えることだ」と言われました。後年、高校生になってから、小堀憲著・「大数学者」を読んで、素数の意味や対数などを知ったときは正負の数が便宜上必要な計測数学であることや、考え方を変えればブラックホールの問題にまでいくことがわかりました。
 つまり、私の数学の先生に対する質問は無意味だったというわけです。学校では、こちらが何もわからないで質問をすると、うまくごまかされれてしまう可能性が高いのです。もし、さらに私が小学校4年で、この「大数学者」を読んでいたら話は違ったものになったと思います。この中で、ガウスの解いた連続する和算を知っていたら小学校の時でも応用で来たと思われますから、まったく残念でした。学校では教えない計算法です。教科書は一つの解法を教えるということだけで、ひたすら問題に対して一つの答えを出せばいいというになっています。しかし、多くの子どもは教科書の答えや解法が絶対と思ってしまうものだということです。当然、大人になっても正解はひとつと思い込んでしまいます。しかし、人生に答えがないように数学も答えは多様なのです。その証拠に一次方程式は解はひとつですが、高次になると解は多くなったり、群や範囲とあいまいになり、五次方程式は解がないのです。

高校1年・「遡れば矛盾」いう問題

 高校1年の時に日本史の次のような箇所で、質問をしたことがあります。
 文字の伝来が4世紀。応神天皇のときに百済から王仁博士が論語と千字文を持ってきたと言うところでした。しかし、その周辺には次のようなよく知られた記述があります。
 (1) 西暦57年 倭国王、後漢に遣使。光武帝、倭国王に「漢倭奴国王印」を印綬。
 (2) 西暦239年 卑弥呼、魏に国書をもたらす。
 (3) 4世紀半ば、応神天皇二十年己酉に文字伝来
 (3)の原文はこうです。(又、科賜百濟國、若有賢人者、貢上。故受命以貢上人名、和邇吉師。即論語十卷・千字文一卷、并十一卷、付是人即貢進。〔此和邇吉師者、文首等祖〕)・・・・日本書紀。・・・この意味は・・・
 「天皇はまた百済国に『もし賢人がいるのであれば、献上せよ』と仰せになった。それで、その命を受けて〔百済が〕献上した人の名は和邇吉師(わにきし)という。『論語』十巻と『千字文』一巻、合わせて十一巻を、この人に附けて献上した。〔この和邇吉師が文首の博士である〕」という記述です。
 そこで私は東大を出ているという日本史担当の教師に質問をしました。
 「4世紀に文字が伝来したのに3世紀に卑弥呼が送ったと言う国書は誰が書いたのか?」これに対して先生は、「中国人の通訳が書いたのだろう」と言いましたので、私は反論しました。「1世紀に漢倭奴国王がもらった印はハンコなのだから、何か文を書いて、自分の名を書いて、その上にハンコを押すのではないか」・・・こういうと、「そんなことは試験に出ないから、考える必要はない!」と言われて、おしまいでした。

教科書は真実を隠すという問題。
731部隊の戦争犯罪は教科書にはなかった

 現在では、森村誠一の著書によって広範囲に知られることとなりましたが、中国で日本軍の化学戦実施部隊が、実際には生体実験によって生物化学戦を研究していたことがわかります。  この生体実験の実験データは敗戦でアメリカ軍と取引され、米軍に渡す代わりに731部隊員は全員戦犯から解除されることになったわけです。ですから、731部隊で生体実験をした人々が、戦後大学の医学部の教授になったり、罪を感じた人たちはひっそりと生き延びていたという事実があるのです。
 アメリカにとっては生体実験データは価値のあるもので取引になりえる材料だったわけです。このために、731部隊関係者はGHQと交渉して、データを渡す代わりに、裁判などされないことを約束させたという事実が明るみに出ました。裏ではかなりひどいことが行われ、国民には真実が知らされないのが歴史であり、隠す一端を担っているのが教科書です。森村誠一・「悪魔の飽食」光文社 新書は角川書店から発刊・・・第一部、第二部、第三部、悪魔の飽食ノート、ノーモア悪魔の飽食の五部連作となっていますが、教科書では、これらの歴史的事実がほとんど触れられません。
 このような、政府、政権に都合の悪い事実はいろいろ隠されます。それが長い間、太平洋戦争を挟んでも続いてきたというわけです。

どこから歴史が歪められ始めたか

 この事実の隠ぺいで代表的なものは戊辰戦争です。私たちは戊辰戦争という名は知っていてもどういう戦争であったかよく知らされていません。これは明治政府が教科書で事実を書くとひじょうにまずいことになるので、内容が伝わらないようにしたからです。ですから教科書では、鳥羽伏見の戦い、五稜郭の戦いなどでお茶が濁され、もっとも熾烈な戦いだった、北越と会津の戦争はほとんど触れられていません。
 戊辰戦争は1868年に行われた薩長軍と奥羽越同盟軍の戦争です。多くの教科書では、初めの鳥羽伏見の戦いと終わりの函館五稜郭の戦いを主でにわずかに述べるだけで他の戦闘が書かれません。
 北越戦争、会津戦争、白石同盟という言葉を皆さんは知っているでしょうか。教わった記憶はありますか。なぜ、ほとんど教えないか・・・これは、官軍=明治政府にとってひじょうに都合の悪い内容の戦争だったので鳥羽伏見の戦い=戊辰戦争として、その戦争は函館戦争で終わったものとして教科書には記載しただけなのです。ところが反対側の本を読むとあまりにもひどい戦争の内容なのです。これは、第三回目の「日新館教育と明治維新」でくわしくお話しいたします。
 明治維新から太平洋戦争を経て現在まで、政権本質はほとんど変わっていないので明治から今日まで教科書では事実内容は秘匿されたままとなります。それはなぜか。
 いくつかの本を読むだけで、そこでは同情的な潤色や美化が多いにしろ、教わらなかった事実が次々と明らかになります。
 早乙女貢 「日新館と白虎隊」 「会津士魂1〜13」 新人物往来社  集英社
 綱淵謙錠 「戊辰落日 上・下」 文春文庫
 明治政府は最終的には長州が政権を握った政府ですが、当然、首相の多くが長州出身者で占められ、軍部は長州閥となっています。富国強兵、殖産興業、脱亜入欧が国是となり、その間に起きたさまざまな国家にとって不都合な事件は教科書上では隠蔽されました。

隠されている事実は多い

 例えば、琉球王国について学習したでしょうか。TVドラマにもなった池上永一 「テンペスト」文芸春秋は、教科書には載らない歴史です。足尾鉱毒事件については長い間伏せられてきましたが、戦後は田中正造が教科書に掲載されました。しかし、琉球王国の併合についてはよく調べないと出てきませんし、年表でも載っていないものが多いのです。
 ところで、琉球王国は明治11年に滅んだのですが、これを記す教科書はあまりありません。あなたは知っていたでしょうか。
 また、例えば、朝鮮について明治以降の教科書はどのくらい触れているでしょうか。隣国でありながら我々は、韓流の歴史ドラマを観るまで、その民俗や風俗も知らなかったのです。たしかに古代朝鮮については百済・新羅・高句麗など丸暗記状態で覚えさせられますが、李氏朝鮮あたりから記述が少なくなり、近世にいたっては王朝があったのかなかったのかさえわからないくらいです。しかし、江戸時代の人々は知っていました。朝鮮通信使が下関から江戸まで行列を作ってやってくるのですから、多くの人が朝鮮の人々の服や持ち物を実際に見ていたのです。ところが明治維新以後はどういうわけか朝鮮蔑視政策が取られて、隣国の文化は消されました。
 消された歴史・・・・朝鮮ばかりではなく、我が国の歴史もまた教えられないで終わる部分が多くあるのです。
 これは、じつは古代から始まっています。例えば井沢元彦「逆説の日本史」小学館 梅原猛「隠された十字架」新潮社など無数に、見方によってはそれが事実ではないかと思われるものがたくさんあります。一番隠されているのは「神話」と言われる「古事記」「日本書紀」でしょうが、これらは常に政権側に都合よく解釈され、使われてきてしまいました。教科書でつくられた「常識」でなく、多様に本を読むと見えてくる事実や現実があるのです。だから本を読まないと隠されたまま、騙されたままになるということを言いたいのです。

現代の特徴を予測した百年前の本

 《百年前に書かれた現在の時代の特徴の予想》があります。
オスヴァルト・シュペングラーという高校教師が書いた本ですが、アーノルド・トインビーなどの高名な歴史学者に大きな影響を与えた「西洋の没落」という本です。そこには、現代を表現してこのような記述があります。ふつうの読書力では、ここで表された事柄はよくわからないでしょう。これについては、後でわかりやすく解説します。ただ、現代をこう表現していますので、例として挙げておきましょう。

 世界都市な文明の出現。魂の形成力の消滅。生命自体が疑問となる。非宗教的な、また非形而上学的な世界都市の倫理的・実用的な傾向。唯物的世界観。すなわち科学、功利性、幸福の崇拝の支配。
 内的形式なき現存。慣習、奢侈、スポーツ、神経刺激としての世界都市芸術。象徴的な内容もなく、急速に変化する流行(復活、勝手気ままな発明や声明、剽竊)。「近代芸術」。芸術が「問題」となる。世界都市意識を形成し、これを刺激しようとする試み。音楽、建築、絵画の単なる工芸への変化。今や本質的に大都市的な特性を具えた民族体は解体して無形式の大衆となる。世界都市と田舎。第四階級(大衆)無機的、世界主義。貨幣の支配(民主主義の支配)。経済力は政治的形式及び権利に滲透する。


 以上のように、この本はひじょうにむずかしい歴史哲学の本ですが、百年後の現在を20世紀初頭当時に、上の記述のような言葉で表現していて、これが、ほとんど当たっているのです。この内容については言葉がむずかしいので、後日説明しますが、剽窃というのはコピペのことで、「神経刺激としての世界都市芸術」というのはポップアートやテーマパーク的な芸術です。「世界主義」はグローバリズムのことでしょう。

教科書は決まった答えしかない

 教科書の「常識」から事実や真実を探るにはいろいろな方法がありますが、やはり本が最適であると考えます。しかし、本と言ってもいくらでもマガイものの本はあり、さらには教科書以上に私たちをダマす本も多いのです。アニメだって本になります。マンガもまた本です。その中からどうしたら、真実を探す参考になる本を選ぶのか・・・それには先人の知恵やすぐれた作家の本を読みながら、例えば、冒頭のサザンの歌にあるように隠された戦後史を暴く本もまたいくつも探すことができます。
 孫崎亨「戦後史の正体」創元社 白井聡「永続敗戦論」太田出版 広瀬隆「持丸長者」 奥泉光「東京自叙伝」などが、歴史の隠された部分を描いています。さらに各分野で多くの真実を描き出そうとする試みが本の中でなされていますので、それを見つけ出していくのはみなさんの読書力でもあります。決まった答えを一定量覚えれば成績は良くなります。成績が良ければ立身出世の糸口となります。しかし、現実を見ると東大法学部を出た大臣が暴言を吐いたり、東大経済学部を出た官僚が嘘をつきまくる・・・という姿が見えてきます。当然、成績が良くても頭が悪いということになります。やはり、世にたけるより、良い人間を目指す方がいいと思われますが・・・。どうなんでしょうか。

本を読む以前の問題

 本は多様な表現や言葉のレベルで書かれているために、なかなか読みこなすのがむずかしいのです。おそらく上の「西洋の没落」の記述も意味がすぐに分かる人は少ないと思われます。それは、教科書のレベルでしか本が読めていない経験から、それ以上の本へ進めないという問題があるからです。考えてもみてください。
 このために子どものころから多様、多種の本がとりあえず読めるようにすることなのですが、学校教育が邪魔をして読ませない状態も出てきます。親も明治政府が定着させた立身出世主義や学歴主義にとらわれて、「まあ読書はさておいて、学校のお勉強が大事」と刷り込まれた考え方で子どもを育てていきます。ほんとうは、刷り込まれた嘘の世界でなく、すぐれた本が導き出す真実の部分・・・この辺のことを考えて行かないと、読書のほんとうの意味は希薄になっていくと思われます。そこで、お薦めしたいのは、読書がいかに世界を広げ、人間関係を広げるかをまず知るために読む本もガイドブックとしてあるということです。例えば「ヘッセの読書術」ですが、これは真実を見つけ出すために読んでおかねばならぬ本のガイドブックになっています。この本の中身は、ある程度の読書力を必要としますが、「読書の世界の魅力はわかるのではないか」と思います。まずは諸問題に関心や好奇心を持てば、中身はしだいにわかってきます。そういう子ども、そういう人間を多くしたいと思うのです。読み聞かせは子どもをより良い、またすぐれた人にするための第一歩ですが、読み聞かせの先は読書・・・自分の子どもに拙劣なマガイ物の本を読ませたくないのは、まともな親の共通する気持ちだと思います。(つづく)・とてもここまでスクロールして読んだ人はいないでしょう。ネットの読み方なんてそんなものです、考えながら読まない。長いものは読めない。見出しだけ見て分かったような感じになる・・・こうして人はみなバカになっていく。それでいいのです。ここまで読んだ人はほんとうにご苦労様でした。(おはなしの会の要旨一部閲覧)



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