ブッククラブニュース
平成28年5月号(発達年齢ブッククラブ)

また、カスってしまった!

 もしお手元に、このフレンドシップニュースの今年の1月号があれば目を通してください。なければ、ゆめやのホームページのニュースの一部閲覧の2016年1月(28年1月 一番上にあります)をお読みください。その中の段落「今年はサル年」と、その次の「夢 正夢/逆夢」をお読みください。ここで私は以下のような予測をしました。予測は毎年のことですが、昨年1月号では「何もない」と書いています。でも今年は、こう書きました。
 「では、今年はどんなことが起こるのか。干支では申(サル)ですから、雷が直撃する意味を持っています。方角は南西が危険。雷のようにストレートに上下に突き刺さる現象・・・なんでしょうね? 噴火? 首都の南西ではなく京都の南西・・・というとどこなのかな。
 私が昨年の年末に見た夢。うたた寝しているときですから短時間の夢なのでしょうが、なんとなく怖い夢でハっとしてすぐに目覚めました。どういう夢かというと、砂なのか瓦礫なのかそういうものがどんどん崩れ落ち、ズルズルと自分が落っこちていくわけです。こういう夢は怖くて目覚めるものです。周りが崩れ落ちていく・・・これはなんだろう?と思いました。土砂崩れ、岩盤崩落、いえいえ経済の落ち込みかもしれず、なんだか少しもよくわからない、あいまいな怖さでした。」

予測より対策

 そして、4月14日の・・・熊本地震、まったくひどいものです。これを書いている四月末でも、まだ震度3、4が・・・それにしても震度7に二度も見舞われるなんて中央構造線は、かなり地殻変動が進んでいるんじゃないでしょうか。震源域がどんどん広がるなんて怖いです。
 最初の地震のあとでメールをした会員は、お子さんが怖がったのでとりあえず揺れの少ないところに移動するということでした。「ご近所の方や友人を残して、自分達だけ逃げるように行ったことに罪悪感を感じています」とありましたが、そんな心配はいりません。災害は「てんでんこ」です。まず何より安全なところに逃げるのが一番大切なことです。
 そして、こういう突発的なことには「勘」で対応するよりありません。スマホを見ても「ここが安全」という答えは出てきませんからね。予測ができないので、天災に対しては瞬間的な判断力や行動力が必要となります。
 予測といえば、また今年も前述のようにいいところまで行って、すべてをつかみきれませんでした。方角と現象の様子だけでは、完璧な注意報にはなりません。2011年の1月号でも場所もわからず現象の様子だけしか書けませんでした。でも後で考えれば(2011年4月号で述べたように)あの年は辛卯ですから東北(辛卯は東北を指しますので)だとわかるはずだったのです。でもカスってしまいました。

勘・覚悟・運・・・・

 今回は方角で位置がだいたい当たったくらいのものです。熊本は「西南戦争」というくらいですからね。西南=南西、都から見れば南西の方角ですので位置特定はできないまでも、だいたいは・・・当たり。
 夢のほうは、さすが夢で、少しイメージが近づきましたが、「崩落」ということで、なんとかおおまかには予測できました・・・熊本地震はとにかく「崩落」という印象が強いですものね。古い街で地震被害もあまりなかったので、立派な屋根瓦の家が並んでいました。ペシャンコになっているのを見るとこちらも胸がつぶれそうです。
 名城造りの加藤清正がつくった熊本城も屋根瓦が落ち、石垣が崩落・・・震度7のすごさを眼のあたりにさせられました。加藤清正も大したことないな、と思っていたら、なんと、崩れたのは1960年の昭和造成の部分で昔の部分は壊れなかったそうです。昔の技術の方がすぐれていたわけですね。近代の科学技術はなんとなく信じられません。でも・・・・原発、止めたほうがいいです。原子力規制委員会など政府のゴリ押し派の意向を受けて許可を出しているだけで、実際に活断層の動きや耐震に自信もってお墨付きを出しているわけではないでしょう。これも勘ですが、この地震はちょっと異常ですからね。ひょっとすると中央構造線が北側に沈み込むことで起きる地震かもしれません。

うまく逃げることです

 予測というものはなかなかズバリと当てられないものです。気象庁の発表も冴えないものでした。科学の発達もまだまだ未熟です。発表担当者の言葉と表情を見ていると先を読めていない感じを受けます。何事も用心するよりありません。日本はいたるところに地震の被害を引き起こす活断層があります。いくら予測しても時間と場所を特定することなどできません。天災で助かるには勘と覚悟と運が必要なのです。起こったら勘を働かせてうまく逃げ、慌てないで覚悟を決めて臨み、あとは運に任すよりありません。勘と覚悟は大事ですから日ごろから心を鍛えることです。勘と覚悟で危機から脱出、・・・・どうか、運もありますように・・・。(ニュース5月号一部閲覧)

4月16日・二度目の震度7 

 熊本で被災された会員の方の無事をお祈りします。とてもふつうの地震ではないので、ゆめやとしては東日本大震災と同じ対応を取らせていただきます。4月中は配本できませんでしたが、5月初旬に宛先を確認してから送ります。
それにしても20世紀後半の安定した平和な時代とは違って21世紀の始まり前後から日本(環太平洋)は地殻変動が本格化してしまいましたね。
 北海道、東北ばかりという感じはなくなり、南も・・・南海地震、東南海地震、想定はされていますが、なかなか「いつ起こる」「どこで起こる」はわかりません。地面の下のことまで科学が完全解明できるのはいつになるのでしょうか。自然とは一筋縄ではいかないものですね。
 四月号でちょっと述べましたように、4月16日お昼頃、「原子炉時限爆弾」(2010年刊行)で福島第一の事故を巨大地震の襲来という視点から予測した広瀬隆さんが、ゆめやにご来店くださいましたので、今回の地震を含め、川内原発や伊方原発の話をいろいろお聞きすることができました。その日は熊本では未明に震度7が2度あり、本震が二回という異常な報道もされました。しかし、その日の甲府はうららかな春の日で災害の「さ」の字もありませんでしたが、熊本の悲惨な状態はなかなか実感できませんでした。東日本のときはこちらも大揺れ、計画停電で、実感どころか心がつぶれるような気がしてましたが・・・・人間は自分が共通体験しないと相手をなかなか思えないようです。
 広瀬さんの整然とした話を聞いていると、私などは文科系の人間ですから、地震、雷、火事、親父(?あれ)、津波、山崩れ、洪水・・・みんな「天罰」とか「天変地異の脅威」としか思えません。でも、さすがに広瀬さんは地震の周期から活断層の分布、プレートの相互の力関係までわかりやすく話してくださいました。なるほど、日本中いたるところに地震、噴火、断層のずれなど脅威がいっぱいです。でも、悲しいかな、私にはそういう科学的な理解が進みません。頭の悪さを恨むよりないですが・・・詳しくは最近の広瀬さんの著作を読むことで理解を深めたいと思います。

新幹線が走ると

 まあ、文科系は文科系でべつに考えます。最近の大きな地震、震災、これについては、ひじょうに興味深いシンクロがあると思いつきました。まったく何の関係もないのでしょうが、新幹線が新しく開通して営業が始まってしばらく経つと、そこで大きな地震が起こるのです。
 山陽新幹線が九州に乗り入れて「のぞみ」が博多まで行った翌々年に阪神淡路大震災が起きました。新大阪から博多まで「のぞみ」が乗り入れてすぐのことです。
 2010年に東北新幹線が東京ー新青森間全線開通した翌年3月11日に、あの東日本大震災が起こりました。そして、なんと、その翌日に九州新幹線は博多ー新鹿児島間が全通しました。そして、今回の熊本地震です。東日本大震災級の震度7が何と二回も・・・。これは偶然なのでしょうか。ただの偶然ですよねぇ。文科系人間は、こういう視点からものを考えてしまいます。二度あることは三度ありますが、四度、五度はないでしょうか。昨年、北陸新幹線が長野から延伸されて金沢までつながりました。この沿線は地震は起こらないでしょうか。

三度あることは四度ある?

 天運があるのかないのか、新幹線は走行中に地震で脱線したのは中越地震で新潟新幹線が一度。幸運に恵まれています。だから上越→金沢間は、これまでの歴史では震源がないということになりますから大丈夫かな。新潟、福井は戦後でも大地震がありました。少なくとも地震の歴史を見ると・・・・。その両脇は大きな地震があったけれど、上越から金沢までは地震がないということ。
 しかし、まん真ん中に日本最大の糸魚川・静岡構造線・・・あります。これは動くと怖い。いま、これを書いているときでも糸魚川の近くの焼山が小噴火し、五月初旬では新潟近辺で地震雲が多数みられています。
 糸魚川静岡線・・・・恐るべき活断層です。大丈夫かな。三度あることは四度ある・・・三陸大津波は何度もあったし、これからもある。日本はいたるところに危険な活断層と地震の巣があります。にもかかわらず、新潟には柏崎刈羽原発、能登には志賀原発、福井は原発銀座・・・まったく、この国の人は勇気があるというか度胸があるというか・・・・怖くないのですね。

これからも

 それから、北海道新幹線が今年からですが、これもまだ札幌まではつながっていないので、新幹線全線開通開業=地震というセオリーは、通用しない?でしょうね。どうも、奥尻島で起こった津波のように日本海沿岸での地震が危ぶまれますが、なに大丈夫でしょう。泊原発も大丈夫だ。大間原発も大丈夫だ。
 阪神大震災=山陽新幹線、東日本大震災=東北新幹線、熊本地震=九州新幹線が、たった三つ一致したにすぎないのですから・・・。

夢の・・・・

 ところで、リニア中央新幹線が、2027年の開業です。ここでは、信じられないことが行われています。と、言うのは、リニア新幹線が名古屋まで全通するときに、南アルプスを通過するのですが、全長25kmのトンネルが掘られます。悪名高きフォーッサー・マグナのド真ん中です。プレートが押し合い圧し合いしていますから、隆起がすごいのです。南アルプスの赤石山脈の山の上から海の貝の化石が見つかるくらいですよ。しかもですね。今でも年間4mmも隆起しているんです。十年で4cm、百年で40cm・・・、では山が高くなるかというとそうではなくて、崩落が頻繁に起きて山頂はほとんど高くならないのです。このほうが怖いです。
 ここにトンネルを掘ってきちんと走れるとは思わないのですが、そのあと東海大地震が起こる?・・・・、でもまあ、前述のセオリーでは全通後の地震ですから先の先の話ですがね。まだまだ先ということで安心です(?)。私など生きていないと思いますが、子どもの世代は心配ですね! 時速500kmで走るものに石が一つ当たっても・・どうなるんだろ? 何にしても限度を越えたことはしないほうがいいと思います。夢ということばは学校の先生やマスメディア、それに芸能人やスポーツ選手が大好きな言葉ですが・・・それを背景に夢の○○が行われる。
 夢のエネルギー、夢の超特急・・・どうも夢がつくものは大変な事故を起こしそうですが・・・え? なんですって・・・「そういうおまえも『ゆめ』がつくじゃあねぇか」ですって! たしかに・・・!! 開業36年・・・そろそろ、ゆめやも事故が起きるかもしれません。(新聞5月号一部閲覧)

「おはなし会」が新聞に載る!

 平成28年4月29日の山梨日日新聞にゆめやの「おはなし会」が掲載されました(左の記事)。長期間にわたって運営していただいた会員の関和美さん、広瀬文乃さん、佐野康子さん、村松智子さん・・・その他の方々には謹んでお礼申し上げます。
 とにかく最初から内容がむずかしいものだったので、聴講者が集まらないのではないか、減るのではないかと当初から危ぶんでいました。しかし、終わってみれば連続的に来た方がほとんどで、常時20名前後(部屋の定員が25名)・・・ありがたい運びになりました。
 教科書だけで頭がつくられる危険性、サブカルチャーで頭がやられてしまっている社会現象、どういう規範で子どもを成長させるかなどを「なぜ本を読まなければならないか?」という一貫したテーマで語りました。
 さらに、そこから出て来るものについて、専門家の話を通して必要な事柄を感じていただけるように対論形式で行いました。
 取り上げた問題は、自然環境、戦争、文明のあり方、物事の考え方など、これからの子どもたちに降りかかってくることばかりです。

 しっかり考えておかないと、「あれよ、あれよ」という間にとんでもない世の中になる可能性も出ています。テレビはもう死んでいるに近い情報源ですから、これからはどのように子どもたちが自分の考えを持てるかを親も教えなければなりません。出席者の中で何人もが、今年度も継続希望ということです。しっかりと大人も自分なりに本を読んで、生活や行動につなげていかないといけませんから、今年も継続したいと思います。本を買わない大人に「本を贈る運動をしよう」というノンキな話ではありません。「なぜ本を読まねばならないか」ご協力のほどお願い申し上げます。

おはなし会8回目
漱石の文明論

 対論4人目は、慶應義塾大学名誉教授・川村晃生さんをお招きして「漱石の文明論」というテーマでお話を聞きました。と、言っても文学的な話ではありませんよ。
 漱石が蒸気機関車を見て、また英国に留学して感じ取った日本の明治期の文明の発達のしかたについて述べたものから現代を考えてみようという試みです。さすがに漱石は現代に通じる文明の発展と日本人の生活について見抜いていた部分があります。
 新しいものは良いもの、科学の発達は良いこと、日本のものはダメで西洋のものが一番・・・と、教科書や出版文化で刷り込まれてきた日本人がたどった結果が追いつき追い越せの戦争だったわけです。
 川村さんは渡辺京二の「逝きし世の面影」を引きながら、「日本の古来の文化や街並み、景観が、どのように日本人の心の良い面を作ってきたか、現代の社会の行き方は性急すぎて幸福をもたらさない」というような話をされました。なるほど、3回目のおはなし会「日新館教育と明治維新」で触れたように、イザベラ・バードやタウンゼント・ハリス、ラフカディオ・ハーンは外国人の目から日本のすばらしさを書き残していますが、明治初期からの教科書や出版物はそういう意見を隠す体質を持っていて、国民の目がそらされていたことが明確になってきました。
 それは、戦後も引き継がれていて、「都合の悪いことは隠してしまう傾向はさらに強くなっている」というわけです。個人的に見ると、児童文学の世界もまったく同じで、漱石の弟子である芥川龍之介が書いた児童文学三部作「杜子春」「蜘蛛の糸」「トロッコ」ではお金の問題と人生、人間の倫理観、みずみずしい少年の感覚などが描かれています。その後、小川未明や浜田広介あたりまで引き継がれますが、あるときから日本の児童文学は食い物がテーマの絵本や低劣な楽しさなどで子どもに媚びた物語に満ち溢れ、社会のあり方や人生観、道徳観などのないものに変わってしまいました。現在のテレビのバラエティ番組に代表される五感を刺激しようとするものと同じになってしまったわけです。
 この文明の発達(速度を競う=交通機関、合理性を競う=企業や市場、利便性を競う=スマホや電化製品)が果たして日本人を幸福にするかということです。これに巻き込まれず、豊かで穏やかな生活を得るにはどうしたらいいか、それを「漱石の文明論」から今回は考えてみました。内容はレジュメになっています。いずれ詳細はHPで公開しますので、概要のみ・・・一問一答で。

なぜ本を読まなければならないか

 まずいきなり、文明論というのも、ここに聞きに来られている方々は、専門家ではございませんので、せっかくかつては国文学者だった(笑)先生をお迎えしたわけですから、当初のテーマである「なぜ本を読まなければならないか」についてお聞きしたいと思うわけです。以前、先生と話した時に「最近の学生が基本的な本を読まない。自分の考えがない。」というような話題になりました。この読まない現象と社会の風潮、あるいは政治への影響などについて手短にちょっとお話をお聞きしたいと思います。
 ひとつは学校教育が本を読む訓練をしないところに原因があります。テストは教科書の答えを覚えればいいのですが、本は、より広範囲な問題を描いています。好奇心や批判精神がないと読めません。若者が本を読まなくなっている原因には、当然SNSをはじめとしたサブカルチャーにあると思われますが、ひとつここで考えておきたいのは、「では昔の人はそれなりにしっかりした本を読んでいたかどうか」ということです。例えば、今年のセンター入試現代文はリカちゃん人形やキティちゃんについての論説文でしたが、こういうもので釣らないと文章を読む若者がいなくなるということでしょうね。

 日本の社会では教科書さえ覚えていればあとは受験応用力の問題なので本など読まなくても良いということになり、教科書が嘘を書いていてもそれを正解として覚えればいいということとなりますね。これでは自分の思考・・・・やがては自分なりの行動ですが、そういうものができないのではないか、その結果が現在の無責任な社会になっているのではないかと思うのですが・・・・いかがでしょう。

 企業の犯罪も含めて、小さな倫理崩壊から巨悪まで、いわゆる高学歴者が行っている事実があります。責任を取らないで逃げる、あるいは頭を下げて謝ればすむという感覚が社会に蔓延してきていますが、それは本を読んで人間性とか世界の意味とかを考えない人が多くなったからでしょう。で、そういう教科書=偏差値=立身出世=功利主義・・・・というものがうごめいていると思いますし、世の中はまだそれで動いている部分もあります。

 ここでですね。はなはだ失礼なのですが、先生は慶応義塾で学び、慶応義塾で教鞭をとられたわけですが、ここは言わずと知れた明治維新の立役者・福沢諭吉が開学した大学だということです。お手元の用紙にもありますが、いわゆる明治国家の指針というか理念というかを示した福沢思想があります。殖産興業・富国強兵・脱亜入欧・立身出世・功利主義・・・・ま、いろいろありますが、これが国家が経済的に離陸する原動力になったことはわかります。しかし一方で、天皇神格化や太平洋戦争に結びついていったのではないかとも考えるわけです。そのへんについて先生はどういうお考えでいるのでしょうか。

 福沢諭吉が「悪者」であることを否定しません(笑) 「学問のすすめ」は教科書によって、ある特別な部分「天は人の上に人をつくらず・・・」のところですが、よく読めば、そんなことは理想で、現実はそうではないことを書いています。ま、いろいろな合理主義で行った彼の改革路線が日本を不幸な方向に引っ張ったことは否定できないでしょう。

 例えば、芥川龍之介は最後のほうの作品で、「或る阿呆の一生」だったと思いますが、書店の二階から龍之介が下の階で書物を選んでいる書生や教師について、何もわかっていない連中、知識が知性になっていないことを嘆いているところがあります。つまり、立身出世のために知識を得ることは官僚主義というか、何も顧みず、責任をも取らない精神につながっていくと・・・・ここで、考えなければならないのは、漱石も文明論集で言っていますが、漱石も福沢もある意味、江戸時代の精神をどこかでひきずっています。それをどう考えたか・・・これが二人の相違点であり、維新・開化の見方の違いということでしょうか。また学校教育はいずれにしても福沢の路線で走り、戦後も同じだと思うのですが・・・・

 まったくそのとおりです。龍之介は漱石の弟子ですから、そのような視点で当時の立身出世や曲学阿世を見ていたのだと思います。ここで漱石の文明論に触れていくのですが、福沢と同時代の漱石は、その対極にいたと思います。そういう目で開化を見ていました。
 そんな、明治の最先端を生きた男、夏目金之助(本名)が44歳のとき、朝日新聞主催の講演旅行で語った、『現代日本の開化』という講演が、この『漱石文明論集』の劈頭に収録されています。明治44年、和歌山での講演で「すでに開化というものがいかに進歩しても、案外、その開化の賜物として我々の受ける安心の度は微弱なもので競争その他からイライラしなければならない心配を勘定に入れると、野蛮時代とそう変わりなさそうである。」と言いながらかなり皮肉に、また洞察力鋭く、明治の文明開化について語っています。
 実際、現実問題として、その延長線上にわれわれはいるわけで、エネルギー問題、環境問題、多くの財政問題など持続不可能のように見える世の中で不安をもっていきているわけです。このことが100年も前に言われていた・・・・にも関わらず、戦争を行い、人々を競争の中に陥れ、追い立てられるような世の中をつくっているのは福沢の亡霊なのではないかとさえ思えます。

 例えば、漱石は汽車(蒸気機関車)を見て、ひじょうに鋭い考察をしています。これは文明開化の賜物でもあるのですが、先生はこの漱石の観点と現在の高速交通網の発達について漱石とは違うお考えを持っていますか、それとも・・・・

 ひじょうに漱石の感覚に近いもので現代の高速移動網を見ています。そして、それが人間が作りながらも人間の手に負えないものになっていくというのを感じます。そして、原発のような、あるいはリニアのような科学者でも手に負えないものにどんどんのめりこんでいく。これも実は福沢の亡霊のようなものに、動かされているのではないかということです。

 例えば、個人的に不思議に思うことがあるのですが、江戸時代・・・・異常に車というか車輪が発達しなかったように思うのです。平安時代に牛車ができて、ごろごろ動いていたわけですが牛の車ですから速度がない、それが何百年経っても発展しないわけです。大八車くらいが関の山でした。ところが明治になって・・・・おどろくほど速く鉄道網ができ、機関車が走りはじめ、ということですが、ここでも漱石の直感は当たっていたのかいなかったのか

 とにかく日本人はそれでただただ忙しくなるわけです。意味もなく忙しくなり戦争に向かっていきます。ところが日本人は本を読みませんので、教育で音頭を取られると一斉に内発的、外発的について・・・・これは、日本人が国民の側から国家に働きかける、たとえば革命とか抵抗しないことと大きな関係があると思うのですが、その辺は・・・・近代史の結果をみれば誰にでもわかることです。

 さて、先生は国文学から環境人文学という分野を開拓しました。私は画期的なことだと思うのですが、私は日本古典などかじった程度で物も言えませんが、僧正遍照が「乙女の姿しばしとどめむ」などと坊さんらしくない画期的な色恋願望の和歌もいいとは思うのですが、寺山修司が詠んだ「命捨てるほどの祖国ありやなきや」のほうがピンと来ます。この点について先生は、知性の予言と立身出世の教育だけで生きる日本人についてどう思われますか。

 また「逝きし世の面影」を書いた渡邊京二さんが、現代のオピニオンリーダーと対談した際に、本来の日本は江戸時代から続く精神性が軸にあったが昭和30年代で消えてしまった・・・・と言っています。こういう点から見ると次の世代を生きる子供たちはかなり大変な状態になると思いますが、子どもたちに重要な影響を与えるのは、まず親です。親の考えがまず影響します。親がしっかりとした考えを持てば子どもは反抗してもきちんと行動できるようになります。
 これを社会的に見ればですね。漱石の文明論に流れているペシミズムというかアイロニーは、けっきょく本を読まないで何も心配しない日本人を皮肉っているようにも感じられます。例えば、この「原子炉時限爆弾」を書いた広瀬隆さんは3・11の数か月前に福島で第一原発、第二原発が津波で危ない!と言いましたが、誰もブレーキを掛けませんでした。漱石が日本の行き方に物申しても、殖産興業、富国強兵で儲けに目がくらんだお偉方には、軍国化は重要だったわけで、日本が列強の仲間入りするほうが国民の犠牲より大切なことだったと思われます。それはいまでも同じで原発の再稼働も時速500kmのリニアの営業も怖くないのでしょう。



(2016年5月号ニュース・新聞本文一部閲覧)

ページトップへ