ブッククラブニュース
平成28年4月号(発達年齢ブッククラブ)

熊本の地震で

 被災された熊本のブッククラブの会員の方々の安全と健康をお祈りいたします。これまでに経験したことのないような地震の頻発に驚いています。九州全域の会員の方には一番確実な連絡方法のハガキで安否確認をしましたので、連絡のついた方からはメールやお電話で状況を教えていただきなんだか大変なときなのに連絡までいただいて申し訳ない思いでした。熊本市の方からはすぐに15日にメールをいただきました。ものすごい揺れだったそうですが、その夜中にもっとすごい揺れが来ました。また、東区(震源の益城町に近い)の会員の方など揺れに耐えることが大変だったでしょう。なんだか、それ以後も、ずっと大きな地震が熊本地方を中心に起きています。それも広範囲に震源が広がっているのを見ると、これは「ただの地震ではないな」と思います。大きな自然災害、人災につながらなければいいのですが・・・。
 現会員ではありませんが、熊本には以前から熊本果実連の方がたくさんブッククラブに入っておられました。どうされているか心配です。もし、このHPを見ていたら、いつでもかまいませんのでお便りください。
 また熊本県在住の現会員の今回の配本については東日本大震災のときと同じような対応を致します。

それにしても・・・

 それにしても20世紀後半の安定した平和な時代とは違って21世紀の始まり前後から日本(環太平洋)は地殻変動が本格化してしまいましたね。これについては、ひじょうに興味深いシンクロがあります。まったく何の関係もないのでしょうが、新幹線が新しく敷設されて営業が始まってしばらく経つと、そこで大きな地震が起こるのです。
 山陽新幹線が九州に乗り入れて「のぞみ」が博多まで行った翌々年に阪神淡路大震災が起きました。2010年に東北新幹線が東京ー青森間全線開通した翌年3月11日に、あの東日本大震災が起こりました。そして、なんと、その翌日に九州新幹線は博多ー鹿児島間が全通しました。そして、今回の頻発地震です。震度は東日本大震災級の震度7が何と二回も・・・。これは偶然なのでしょうか。偶然ですよねぇ。
 二度あることは三度ありますが、四度、五度はないでしょう。昨年、北陸新幹線が長野から延伸されて金沢までつながりました。この沿線は地震は起こらないはずなのです。少なくとも歴史を見ると・・・・。その両脇の新潟地震、福井地震はあるけれど、上越から金沢まではこれまで地震がない。しかし、どまんなかに糸魚川があります。糸魚川静岡構造線・・・恐るべき活断層です。大丈夫かな。それから、北海道新幹線が今年からですが、これも札幌まではつながっていないので、新幹線敷設=地震というセオリーは、まだ通用しない?でしょうか。どうも、奥尻島で起こった津波のように日本海沿岸での地震が危ぶまれます。
 東日本大震災=東北新幹線、阪神大震災=山陽新幹線、熊本地震=九州新幹線というのは、たった三つの偶然の一致にすぎないと思いたいですね。

まあねぇ、自然は怖いですよ

 ところで、リニア中央新幹線が2027年の開業です。ここでは、信じられないことが行われています。と、言うのは、リニア新幹線が名古屋まで全通するときに、南アルプスを通過するのですが、ここに全長25kmのトンネルが掘られます。ここは糸魚川静岡線、悪名高きフォーッサーマグマのど真ん中です。プレートが押し合い圧し合いしていますから、隆起がすごいのです。南アルプス赤石山脈の山の上から海の貝の化石が見つかるくらいですよ。しかもですね。年間4mmも今でも隆起しているんです。4mmですよ。十年で4cm、百年で40cm・・・、では山が高くなるかというとそうではなくて、崩落現象が頻繁に起きて山頂はほとんど高くならないのです。このほうが怖いです。
 ここにトンネルを掘ってきちんと走れるとは思わないのですが、まず掘る時に大事故、掘りぬいても大事故が起こる可能性が高いのです。そのあと東海大地震が起こっても・・・・、でもまあ、前述のセオリーでは全通後の地震のですから先の先の話ですがね。まだまだ先ということで安心です(?)。私など生きていないと思いますが、子どもの世代は、ね。心配! その前に日本が財政的にパンクする危険性の方が高いと思われますから、事故は気にする必要はないかな。国のディフォールトの心配のほうが先かもしれません。なにしろただでさえ、明治以来、公共事業となると気違い沙汰の金を使いますから・・・困ったものですね。
 私は、この国の野党が無用な公共事業に批判の矢を放たないのは、自分たちもやりたいからじゃないかな?などと思ったりします。儲かる人も出ますからね。それに失敗しても責任はとらなくていい。机の前で、マスコミに向かって「すみませんでした!」と謝れば、それにて一件落着の国なのです。そのあと市中引き回しのうえ、打ち首、獄門などということはまったくないのです。
 でもリニアの事故はすごいと思いますよ。500km/hで走るものに石が一つ当たっても・・どうなるんだろ?

それにしても・・・

 4月末で熊本地震は1000回を越えました。まだ震度4が起きています。どうして鹿児島川内原発を停止させないのでしょう(4月24日時点)。川内原発は地震が頻発する熊本地方、阿蘇地方、湯布院や別府がある中央構造線の西端にあります。当然、活断層が走っています。日奈久活断層の延長線上です。中央構造線は、東は南アルプスの西側から始まり、岐阜、和歌山、奈良、徳島北部、伊予灘を通って大分・熊本、鹿児島に至る日本で最大級の構造線です。この線上に昨年九月から再稼働の川内原発、今年稼働予定の伊方原発があります。まったく危ない話です。
 目が熊本地方にばかり行きますが、注意深く見ていると、ふだん地震がない奈良や和歌山、徳島北部、伊予灘で微弱な地震動が見られます。やはり構造的な地震でしょうね。小松左京「日本沈没」では、この中央構造線で日本が沈み込んでいく様子が描かれています。文学は予見するのです。なにごとも・・・科学者は「文学は非論理だ」バカにしますが、なになに非論理は科学の方で、先も見通さずどんどん進めて、事故が起これば想定外です。進んだ後、理屈付けするのは論理的とは言えないでしょう。

次世代のことなどどうでも・・・

 さて、震源がだんだん両方の原発に近づいているのに政府も原子力規制委員会も「影響がない」と言って停止させません。ふしぎな話ですね。福島事故があったのに何を考えているのか庶民にはわかりません。しかもこの状態に「川内原発を止めると、原発が大事故を起こす」だとか、「熊本県の被災地が停電になって被災者が苦しむ」といったわけのわからない悪質なデマがインターネット上に流されています。「東京に原発を」「原子炉時限爆弾」の著者・広瀬隆さんが「トンデモナイ」と述べていますが、ひどいデマ。どうしても稼働させたい連中が流しているのでしょうね。
 たまたま熊本で震度7が起きた4月16日に広瀬隆さん(写真)が、ゆめやにご来店くださいまして、いろいろお話を聞かせていただきました。
 「昨年8月まで川内原発は動いていなかったのですよ。それでも九州全土の電源が確保されていたではないですか。九州電力の電力網は、22万ボルト送電線を活用して送電できなければ、九州電力は原発を運転する電力会社の資格がない、ということになります。11万ボルトと、6万ボルトの送電網もあるので、まったく問題ありません。中国地方(中国電力)から九州に556万kWも送ることができるように関門海峡の電力ケーブルもあります。」と言っておられました。そういうむずかしい電力事情は私にはわかりませんが、この国のエライ人たちは、危険性など論外でゴリ押しの稼働を進めています。
 事故が起こってからではもちろん遅いのです。いま止めたって誰も文句を言わないでしょうに止めないのです。事故が起きなくても停止させたことに誰も文句はいわないと思うのですが・・・この国の政府は国民の危険より、原発を動かすほうが重要だと思っているようです。国民の70%が原発に反対しているのに、まったくねぇ。
 これでは足尾鉱毒事件を無視した明治政府と変わりがありません。電力は原発がなくても足りているのだという認識すらないようです。それにしても川内、伊方・・・この熊本地震で危なくなっているところが再稼働とは! この政府、いまが良ければ次世代のことなどどうでもいいのでしょうかね。このままでは、子どもたちがかわいそうな国なっていくでしょうね。

入園おめでとうございます

 ゆめやのある山梨は人口が少ないぶん、待機児童はほとんどいませんので、あまり混乱がなく入園式です。今年もゆめやの近くの幼稚園、保育園、子ども園では四月の第二週に入園式がありました。昨年の統計で、甲府は47都道府県の県庁所在地でもっとも人口が少ない都市になりましたから、国会で騒がれているような待機児童の心配はまったくありませんでした。前述の原発稼働と同じく目先の儲けだけを考えているアベノミクスですから、母親も労働力としか見ていないのでしょう。
 山梨の女性は働き者ですから、目先に住宅や車など豊かな生活をぶるさげられると子どもは乳児からでも預けて働く習性が強いのです。でも、山梨は県全体でも人口は80万人。園の数はほとんど減りませんので、希望の園にどんどん入れます。
 あまり巨大な園よりはある程度の園児数で運営しているほうが目が行き届いて充実した園生活が送れそうです。幼稚園は午後すぐに帰宅なので、家庭で過ごす時間も多くなりますが、乳児で朝早くから夜7時ころまで預けられる子もたくさんいます。大丈夫なんでしょうかね。思春期になって親子の絆が薄くなっていき、極端な場合は反社会的な行動に走ってしまう子も出てくるかもしれません。実際、もう起きていますよね。因果関係が報道されないだけの話ですが・・・・。そんなことまでしても経済成長が必要なのでしょうか。
 人口が少なくなるというのは、ある意味、とても良いことだと思うのです。まず事件事故がなくなって治安が良い感じになります。じっさい、山梨ではあまり際立った大きな事故、おかしな事件が起きていません。子どもにはまず安全が第一。大人もですが・・・ね。

あわてることはない

 人口減を心配する人が多いのですが、増えたものは必ず減るわけで、増えるときには増えるときの準備、減るときには減る準備をすれば問題ないのですが・・・準備もせず「増やせ!増やせ!」と妙にあわてている人がいます。山梨県立文学館には、「楢山節考」、「笛吹川」で有名な小説家・深沢七郎の「人口が減ると平和になる」という大きな色紙が飾られています。山梨は明治時代の初期では今の半分以下だったのですから、何も人口が減るのを心配することはないのす。園児が一人の園などあるわけもないのですからね。
 そんなことより親が子どもと触れ合う時間を増やさないと子どもが大変なことになります。ちいさいうちはかわいいものですが、思春期から乳幼児期の成育環境の結果が出てきます。
 人口が減るのを危惧している人々は、ただひたすら労働力の減少=経済成長の低迷の心配だけです。老人が働き、忙しく時間に追われる人が働けば、企業活動でも事件・事故が増えてくるでしょうから、それが航空機や新幹線(何よりも原発などですが)の事故につながらないことを祈るばかりです。
 まずは子どもを育てる・・・静かな安心できる時間、例えば読み聞かせる時間があって、眠りにつく・・・こういう子どもにとって成長の根本になるような余裕は必要だと思うのです。それをアベ政治は奪い去ろうとしています。子どものいない人間には子どもの成長などどうでもよいのかもしれませんが、自己肯定感をもって育たないと、まっとうな人間にはなれないと思うのです。なにもあわてることはない。時間はじゅうぶんにあるのです。せっかく、子どもというものが、余裕とかゆったり感を教えてくれているのに、大人が「やれ習い事をさせねば・・・」「人より秀でさせたい」「早く教えれば、早く覚える・・・」と子どもたちを忙しさの中に追い込んでいます。
 子どもは、まずは楽しいことが大好きで、親は「この子がしたいというもので、英会話を・・」とか「サッカーを」とか言いますが、じつは子どもは、第一印象で好き嫌いですから、長続きするかしないかは別問題。いやいやながらの強制は長続きという過酷な環境に追い込むだけの話なのです。
 黙っていても、この国は小学校、中学、高校と慌ただしく子どもを追い回す教育をしています。いまが花ですよ。

楽しいことがまず大事

 園に通うころが一番楽しい時期です。子どもも親もくったくなく過ごせます。朝、お母さんと離れたくなくて泣く子もいるでしょう。最初はおともだちとうまくいかないで悩む子もいるでしょう。でも、みんな時間が経てば問題ではなくなります。大丈夫・・・それも成長のひとつ。
 なにをしてもかわいい時期ですから、とにかく毎日を楽しんでもらいたいですね。小さいころの楽しい体験は、成長にとても大きな役割を果たしていることに気がつきます。大丈夫です。心配ない。親が思うほど子どもは弱くありません。親が子どもを弱くしてしまうことのほうが多いのですから、ここは大きな気持ちで見守ることが親の仕事でしょう。
 楽しい一年になるように親は後ろから支えましょう。ゆめやは今年度もおもしろく楽しい本を配本していきます。園やお子さんの様子を教えてくださいね。

さて、今年度は・・・ゆめやは・・・

 絵本を楽しむことは毎年の活動の基本ですが、今年度は、それ以外のこと、読み聞かせの外側の企画も立てたいと思いました。先日、児童書作家でストーリーテラーの杉山亮さんと、落語の話をしていて、政治家たちの失言や芸能人・スポーツ選手のモラリティの低さに触れて、けっきょく足りないものは頭の中に「自分のものがたりを持たないことだ」という結論が出ました。自分のきちんとした物語がないから「おかしなことを言ったり」、「したりする」わけです。物語とは、自分の論理です。
 昔の政治家や人の上に立つ人は、教科書の丸暗記ではない、自分の物語で生きようとしていましたから、そうそう失言、暴言は言いません。信念から出る言葉、つかりは物語をつくっていく言葉を使います。これは人生をきちんと生きるうで大切なことだと思います。ですから、子どもたちにはきちんとした物語を聞かせ、絵を見せて想像力をかきたてることを軸に何かをしたいと思います。乞うご期待というところですね。
 当然、親もいろいろな問題を考えていかなければなりませんので、昨年度から始めた「おはなし会」は、「交流編」という形で、参加された方々からの問題提起、困った状況、切実な悩みなどを出していただき、それを話し合う会も随時開催ということとなります。(ニュース四月号一部閲覧)

ものがたりライブ・8デイズ (夏)

 上記、杉山さんのお話イベントについては名古屋から関東近辺の会員にチラシを4月号ニュースに同封します。ニュースにも掲載しましたのでぜひ、語り、話、噺のおもしろさを味わってください。楽しめること100%保証します。
 ・・・で、杉山さんは夏に東京で、おはなしのライブをしますから、時間を作ってお子さんもみなさんもいっしょに聞きに行きませんか。東京都とその近県の会員には、左のような案内をお送りします。今月のニュースに入れます。きっと、今回もどっと笑えるネタ満載です。
 場所は、渋谷区代々木2-12-3 プーク人形劇場。7月31日 8月1,9,10,11,12,13,14日開催です。5歳以上1000円、中学生以上2000円・・・これは格安です。
 この国には大人と子供が一緒に物語を聞いて楽しむ習慣がありません。講談や落語は子どもには無ずかしい。子どもでもわかるストーリーテリングがほしいところです。そして、大人も子どもと笑える話・・・なかなかあるものではありません。聞きに行きましょう
 ゆめやの「おはなし会」では、最終回に川邉修作先生の落語が演じられました。ここでひとつびっくりしたことがあるのです。かなり年配の方・・・私より年上の方ですが、落語を聞いたことがないというのです。演題は有名な「千早振る」でしたが、内容も知らなければ、笑いのツボもわからなかったそうです。これは文化の危機です。
 そうならないように微力でもひとつ何かをしていくよりないな、と思いました。

猿の絵と河童の絵

 連休の青葉の中で、本物の絵を見るのは気持ちも心も洗われる感じがします。八ヶ岳の南麓で、まず「薮内正幸美術館」で、猿の絵を見る・・・ご承知のようにブッククラブ配本の一番最初は生後十か月で故・薮内さんの「どうぶつのおやこ」です。その中のいくつかの絵が展示されていますよ。館長の竜太さんは正幸さんの息子さんです。ていねいに説明してくれます。7月12日までやっています。
 サントリー白州蒸留所の近くですから、ここの見学と一緒も楽しいですね。でも飲酒運転には気を付けて。なにより、この辺の青葉は美しいです。空気も水も澄んでいます。

 で、さらに運転して原村の八ヶ岳小さな絵本美術館・・・ここではチェコにいるという河童を描いた絵本の原画が展示されています。ヨセフ・ラダの美しい絵がたくさん展示されます。これは4月23日〜6月26日までです

「小川未明とその周辺」 (5/29)

 小川未明の「赤い蝋燭と人魚」を中心に浜田広介の「泣いた赤鬼」、村岡花子の「赤毛のアン」、芥川龍之介の児童文学三部作「蜘蛛の糸」「トロッコ」「杜子春」などを取り上げ、小川未明以前と以後を比較して私が話します。その前に日本児童文芸家協会の山本省三さんの講演があります。場所は大月市立図書館 午後1時半〜。
詳細は、日本児童文芸家協会のホームページをご覧ください。左のポスターがある部分です。
 私が話した内容は6月号が7月号ニュースで、おおまかなものをお知らせします。
 これに関連して夏から昨年一年やった「おはなし会」第二部も考えています。関心のあるお母さん方は「おはなし会」実行連にご参加ください。とにかく、何とかいろいろ考えないと、これからの社会・・・大人も子どもも危ないです。この政権は危険な政権です。昔の大日本国憲法の時代に、この国を戻そうというのですから・・・。そのへんも考えながら小川未明・・・とくに「赤い蝋燭と人魚」のすごさを語ろうと思います。

入学おめでとうございます!?

 ゆめやのある地域は比較的狭い地域に3つも4つも小学校があります。以前は入学式ともなると車でごった返しました。しかし、さすが少子化・・・入学式の日も道は閑散としています。世の中ではたくさんのものが急激に変わっています。何もかもが梨くずしになっていき、なんでもありの世界・・・あきらかに昔と違う世の中になっていくでしょう。これから、その中を子どもたちは泳いでいかなければなりません。こうならないように、この30年間、いろいろ考えて言ってきましたが、多くの人が「これでよい!」と思っているのなら、日本は民主主義の国なので、これ以上言うことは無駄なことなのかもしれません。
 もはや、個人で言うこと、書くことは、もう世の中のため、人のためではなく、「自分はそっち側の人間ではないよ」という存在証明のメッセージに変わっていくのでしょうね。

その変化は・・・

 ご来店のお客さまで、新入学のお母さん方と話していると、たくさんの不安の言葉を聞きます。新しい世界に子どもを置くのですから当然心配です。今日も山梨県の小学校では少女二年間誘拐の事件を受けて、名札を見えないようにする注意が回されました。学校の外側も怖いですね。
 さらに、以前と違って、学校を信用できなくなるような事件、先生を信頼できないような事故がわれわれの頭の中に情報としてインプットされていますから、当然不安はますます広がります。
 多くは心配することもないのでしょうが、かつて学級崩壊と言われていた状態が、日常化しているところもあります。
 友人関係も以前とは違ってきています。なにしろ0歳から長時間預けられて「追いつめられた自立」を経験してきた子どもたちが多いのです。幼児のうちからゲームや漫画だけ育つ子もいます。自己主張は強く、生き抜くために「言ったが勝ち」「やったが勝ち」になっている子も多くなっているが事実で、そういうことが、すぐに問題を引き起こします。
 以前は、学校でいろいろな体験をしているうちに中・高学年になれば自分を抑える力が出て控え目になっていったものですが、いまは、幼児期に親がしつけないので、何が良いモデルなのかわからない子も多いのです。親自身が「言ったが勝ち」「やったが勝ち」を教えていることさえあるのですから、家庭も劣化しているといえるでしょう。

学校も・・・

 いま、学校の先生は、ひとつ注意しても親やマスコミから「体罰」と言われるので、ある意味、手も足も出ない状態になっています。先生方もつらいところでしょうねえ。言葉でやさしく指導していくしかないわけです。これは大変です。身勝手な子どもも出てきていますしね。もっとスゴいのは、「先生は怒れない・叱れない」とわかっている子がいるということです。もちろん、そういうふうに親が言っているのでしょう。体罰も困るけれど、こういう子どもの中に暴走する子がいたらもっと大変ですよね。クラスがかき回されて物事が進まなくなることもあります。小さいころ絵本を一冊も読み聞かされなかった子も多いことでしょう。家庭の味を知らない子も増えているのでしょう。自分を抑えられない子、相手のことを考えられない子・・・・そんな子が家庭の崩壊とともに増産されています。
 そういう中で、お子さんを入学させることになれば、やはり不安に思うことでしょう。親ならあたりまえのことです。みんなが守る共通の「社会規範」が薄れてきたのですから、これは子どもだけではなく大人(親たち)にも起こっている現象です。そのなかで、どうするか。

巻き込まれない兵法

 名案はないですが、しっかりとした考えを私たちが持ち、「起こる問題をのらりくらりと避けながら巻き込まれないようにする」という消極的な方法がいいと思うのです。
 ブッククラブの会員のお子さんでも、あまり評判のよくない地域の小学校に入り、中学もさらに評判の悪い中学に行った子を何人か知っています。
 みんな見るからにおとなしくて、自己主張をほとんどしない子です。多くの親は、評判の悪い地域の学校を嫌って私立小学校や私立中学に子どもを入れますが、朱に交わっても赤くならない子がけっこういるのです。家庭の価値観がしっかりしているのか、ある種の強さを身に着けてきたのか、けっきょくはDNAなのかわかりません。
 でも、その子たちの読書は「風の如く素早く」、店に来ても「静かなること林のごとし」で、話をすれば「侵略すること火のごとく」いろいろなことに関心を持った話ができる・・・でも目立たないのです。きっと何があっても「動かざること山のごとし」で泰然としているからなのでしょう。これは、その子の兵法でもありますね。
 その子のお父さんやお母さんを見ていると、まるで無意識に子どもの遺伝子を信じているかのようにトレンドに流されないのです。きっと自分の子は「戦える強さ」があると信じているのだと思います。そして、おそらく、そのお父さん、お母さんご自身も周囲には迎合しないで自分の生き方をしているのだと思います。
 妙に学校情報、受験情報に詳しい親もいますが(SNSやママトモから得るのでしょうが)、そういうものに惑わされて学校を出たあとで、その子が社会的に弱くなってしまったら元も子もありません。学校情報、受験情報に詳しい親ほど時流に流されていて、肝心かなめの自分の子どもを見ていないことが多いのです。
 たしかに、子どもが成長するとき適切な環境は必要ですが、競争ばかりでは骨抜きになってしまうので、しっかりとした自分の考えを持てる子に育てたいものです。それに教科書なんかいくら覚えても実力にはつながりません。

どこかに逃げ場をつくる

 さて、今年入学の子のことです。入学したての子どもは、どこかで緊張していますので、問題が起こると過敏に反応することもあります。だから「大丈夫なんだ」という安心感を与えることが大事だと思います。まさに、3月配本した「くんちゃんのはじめてのがっこう」の先生がくんちゃんに「心配なんかしなくてもいいんだよ」ということを言ってくれるように、親が緊張したり、心配したりしなくていいんだという必要があります。当然、それは家庭のしごとです。子どもにほんとうの安心感を与えるのは親しかいないでしょう。あまり周りに頼らないで、親は毅然としているほうが子どもにとってはいいと思います。
 そして、時間を作って、きれいな風景を見に行くとか、その中で、ふだんはできない遊びをするとか、おもしろそうな劇や映画を見たり、親と子で遊べる場所に行ったり、これは仲良くしている子がいれば、その子の家族といっしょにどこかに遊びに行けば、もっともっとリラックスできます。♪学校なんて・・・タララららららぁ・・・なんですから。

最後は子どもが決めますが・・・

 子どもが「支え」を感じ取れば、自分を肯定する感覚が強まってくるでしょう。「親の見栄で動いているのではない」、「親の期待で何かを目指しているのではない」・・・「僕(私)は僕(私)なのだ、という気持ちになれればいいのではないでしょうか。ねずみの「フレデリック」のように。
 よりよい道を選択するのはたしかに親の役目だと思います。道はいずれ分岐点に差し掛かりますが、はじめのうち(子どもが小さいうち)は、親が選択するのでしょうが、最終的に「どちらに行くか」は、子どもが決めることです。そこまでは、そばで支えてやればいいわけです。
 中途半端な焦りでいろいろやると、大人になってからも支えなければならなくなってきますよ。ひきこもったらさせるのは大変です。
 情報化の時代は、学校情報、受験情報から始まって、多くの情報が親に向かって飛んできて、何が何だかわからなくて、押し流されてしまいます。「そんなことはない!」という人がいるかもしれませんが、学校の選択もそうそうたいしたものではありませんよ。学歴が助けてくれるなら少女誘拐は大卒だから助けてくれる?、そうは問屋が卸しません。偉い政治家になってもあっせん収賄をすれば、大臣だって大学の卒業証書は助けてくれません。ただの紙切れです。
 どういう人生を生きていくか・・・親は子どもが良い人生を選択できるようにBack Upしたいものです。入学は分岐点の前にある出発点・・・だから、そこに立ったことで祝福されると思うのです。
 さあ、いろいろな世界、いろいろな人を観察する旅に出てみましょう。入学、おめでとう。(新聞4月号一部閲覧)



(2016年4月号ニュース・新聞本文一部閲覧)

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