ブッククラブニュース
平成27年5月号(発達年齢ブッククラブ)

華氏451度

 レイ・ブラッドベリが書いたSFで「華氏451度」というのがある。有名なSFだから読んだ方も多いと思う。華氏451度というのは、ふつう用いられている計測温度の摂氏にすれば約232度、つまり紙が燃え上がる温度である。
 小説のあらすじは、こうだ。ある国家が国民に映像と音声だけのメディアだけを使うように強制して、本や書類などを燃やすことを始める。いわば、未来版、西洋版の「焚書坑儒(ふんしょこうじゅ=秦の始皇帝が自分の政策に反対する儒学者たちの書物を焼き払った事件)」で、本を読んではいけない! 紙に書かれたものを読んではいけない!という社会になるわけである。当然、そのきまりを破る者が出て来るから、世の中は完全な監視社会となる。どこもかしこも監視カメラ、盗聴装置・・・そういう中で人々は読むということをしなくり、映像と音声だけの生活をさせられ、しだいに思考力と記憶力を失っていく。
 おもしろいもので、こういう媒体だけになると、つい数年前にあったことも覚えていられなくなり、物を考えることもしなくなる。書物はファイアマンという本を燃やす仕事をする政府機関員によってどんどん燃やされて行く。やがて、国民はみんな愚民になり・・・という話だが、ブラッドベリが、この本を書いたのはもう半世紀以上も昔の話で、私は二十歳ぐらいのときに読んだが、ジャンルはSFで、まだまだ政治も世の中も健康だった。当時としては遠い未来の物語という印象が残っている。

一億総白痴化

 そのころ、「テレビを見ているとバカになる=一億総白痴化」という流行語を生みだした評論家(大宅壮一)もいた。しかし、ケータイ電話もなければパソコンもない時代で、あるのはテレビと映画くらいなもの。国民が総白痴化、愚民化するなど誰も思ってもいなかった。老人も若者もよく議論していた。子どもはひたすら外で遊んでいた。それから50年・・・・テレビから漫画、電子ゲーム、ケータイ、スマホ・・・人と会話を交わさなくていい「沈黙の社会」になった。その間、半世紀。
 さて、50年経ってからの話しだ。つい数年前のことだが、東北大加齢医学研究所・川島教授の脳科学研究グループが、「子どものテレビの長時間視聴が言語と行動に関わる大脳の前頭葉に悪影響を与える」と研究成果を発表した。当然、このことは、テレビは報道しない。前からテレビが子どもの読書能力や注意力を低下させることは確認されていたが、それが脳画像解析と追跡調査で科学的に明らかにされたわけだ。いまや中高校生のスマホの平均視聴時間は2時間半。最大は16時間という子も。脳への悪影響は前から言われていたが「深く考えたり、前のことが忘れられる」というブラッドベリや大宅壮一の予想は、ついに当たっていたしまったと言える時代になった。
 しかし、人間というものは、便利と思えるものにどんどんのめり込み、自分を劣化させる存在であることがここで証明されたというわけである。これからの子ども(大人も)、スマホ、ケータイにのめり込み、LINE、ツイッターの落とし穴にはまり、政権がもくろむ世の中の劣化を受け入れて、悲劇をまた繰り返すわけだ。あらゆるものに便利な面と自分たちをダメにする面があることがわからないのが「人間」というものだろう。新しいものに乗せられて、やがて哀しき時代かな・・・ということになる。

焚書坑儒

 人と人が話をするというのは、知識のやりとりではなく、お互いの考えを言ったり聞いたりすることである。考えとは、想像力や思いを込める力だ。知識量を競ったり、些末(さまつ)な知識をスマホで調べて述べ合うことではない。
 しかし、当たり障りのない、つまり考えのない会話だけで終っていれば、それで焚書は終わり、もう本が伝えることは耳にも目にも入らない。そうなれば、坑儒(ものをきちんという学者の弾圧)が始まるか始まらないか、の世界になってしまう。
 ちゃんとした本を読むということは、教科書を丸暗記するのとは違い、「事柄を多角的に考える」ということである。国家がひとつの答えしかない日本史を必修にしたり、メディアを使って、おバカ番組やアニメや漫画でごまかすとなると、これはもう立派な現代版「焚書坑儒」だ。相手が愚民ばかりだから為政者のやりたい放題ができるようになる。勝手な解釈でどんな言葉も意味が変えられるうえ、国民は総白痴化だから命令すれば自分の子が徴兵されることも想像できない。まさに羊たちの沈黙である。
 現代ではIT化で本は影をひそめ、多くの人々が映像と音声だけの思考力と記憶力を失う生活を始めている。さあ焚書は終わり、次の坑儒(まともな人を土の中に生き埋めにする)が始まるか始まらないか。相手の言葉を封じることが始まったら坑儒である。「華氏451度」では、少女に教えられたファイアマンが自分が燃やそうとして集めた本を読んで抵抗を始めるが、日本人はいくら政権が強引なことをやっても先のことを見る想像力もなければ、過去を良い例にして考えることもないから、そのファイアマンのような人間は少ないだろう。ほんとどが自らは何もせず、してくれるのを待ってる国民である。
 いま、町の書店から重要な本は消えている。いまこそ悪辣な勢力に対して想像力で戦うことが必要なのだが、周囲の和を重んじて、がんじがらめになってしまっている、現代の日本人では無理かもしれない。(ニュース5月号一部閲覧)

鼻唄三丁矢筈斬り

 アーサー・ビナードさんの講演会を聞きに行った。ビナードさんとは、昨秋も一度、個人的な伝達事項があり、お会いして話したことがあるが、私よりはるかに日本語が上手な人で、その表現の多様さ、語彙の豊富さにおどろいたことがある。そりゃあ、相手は詩人、作家である。言葉にかけては専門家だ。・・・それにしても、この複雑な日本語をわずか二十数年で極められるというのは特殊才能だとつくづく思った。才能だけならたくさんの人が持っているが、極めるということはむずかしい。
 その秋の日は暮れやすく話は長くできなかったが、翌日は広島で講演があるので「これから行く」ということだった。「東京から明日の朝の新幹線ですか?」と言うと「いま、講演でリニア新幹線を批判したわけで、それを押し進めているJR東海の電車には乗らない。これから夜行バスで行く。」・・・「★▽☆■!!!」・・・さすが詩人、思想家! 徹底している。
 で、今回は、第五福竜丸(ビキニ環礁の水爆実験で放射能を浴びたマグロ漁船)事件をテーマした甲府のミュージカルに原作のベンシャーンの絵本「ここが家だ」に言葉をつけたビナードさんが来たわけだ。ちなみに新宿・甲府間はJR東日本管内である。
 今回の講演では、放射能のことを取り上げた。放射能の怖さをどう表現したかというと上のタイトルにある「鼻唄三丁矢筈斬り(はなうたさんちょうやはずぎり)」である。剣の達人に妖刀で斬られると斬られたことがわからず、「鼻唄を歌いながら三丁ばかり歩いて行くと突然体が割れて死ぬ」というもの。ビナードさんは、「この言葉を知っているか?」と会場に問いかけた。

妖刀・村正

 『知ってる! それは落語でよく使われていた。私の一番好きな噺家・圓生の噺で!』と落語好きな私は思った。すると、場内の高校生が「ワンピースのブルックが使う技。」と答えた。私は???である。ビナードさんは「そうそう、ブルックが使う技が矢筈斬りで、矢筈とは弓に矢をつがえるときに矢の後ろに刻まれた切り込みのことだよ」と説明する。「そこに刃物を当てると矢がスーっと半分に割れる」・・・放射能も浴びたときはすぐ死なないが、妖刀で斬られたようにやがてスパッと命が割れる・・・ということらしい。どうも怖い話ですね。
 妖刀で有名なのは刀鍛冶・村正がつくったもので、持った者は人が斬りたくなるという。これは村正が刀を鍛えるときに、いつも「斬れろ!斬れろ!」と念じていたからだ。里見八犬伝の村雨丸も妖刀。人斬り・白井権八の刀も妖刀・村正。名工・正宗がつくった刀は切れ味は良いが、人を殺したくはならないということだ。
 と、いうことは、原爆や水爆も村正の刀と同じで持つと使いたくなる国が出てくるというわけか。でも、妖刀があれば人斬りも出るように世界でも米・露・英・仏・中・印・パキスタン・北朝鮮・イスラエル・・・けっこう「斬れろ!斬れろ!」と鍛えた妖刀を持つ人斬り国家がある。こういう人斬り爆弾は、電力会社の原子炉から出るプルトニウムからかんたんに製造できるし、宇宙開発の名目で製造するロケットの先っぽに仕込めば大陸間弾道弾(核ミサイル)になる。
 話の中でビナードさんは、アメリカの核開発に容赦ない批判を浴びせ、無線を発しないで帰国した第五福竜丸の久保山愛吉さんの機知を讃えた。無線を発すれば居場所がわかり、核実験を隠蔽したい米軍に撃沈された可能性が高いからだ。漁船の一隻くらい消えても国際問題にはならない。

ちゃんと検査はしているのかね?

 もちろん、放射能は核実験の場に落ちてくるもので、外部被ばくでも放射線量が高ければ、その場で「矢筈斬り」になる。死の灰を浴びた第五福竜丸の久保山さんは半年後に40歳で亡くなった。しかし、内部被ばくは時間がかかる。「鼻唄三丁・・・」ということだ。
 先月カナダ沖の太平洋岸でセシウム137が検出された。これは福島第一原発の汚染水が流れたか、建屋爆発時に浮遊したセシウムが海流で運ばれたものだろう。黒潮で運ばれたなら、当然、宮城沖、三陸沖、根室沖を通ってカナダに達すると推測するのが普通だろう。では、三陸沖の魚介類、海藻類には放射能はないのだろうか。その後、計測しているという話は報道から聞こえない。食物に含まれれば、あたりまえのことだが内部被ばくが始まる。どうして、この国は(いやどの国も)都合の悪いことを隠蔽するのだろう。国が国民を守るというのは大嘘で、誰かが国の顔をしながら後ろで得になること、儲かることをしているのだと思う。ビナードさんは、アメリカがそういうことを繰り返してきたことをビナードさんは実例を挙げて教えてくれた。
 こういうことを言うビナードさんは、反米アメリカ人? それに共鳴できる私は反日日本人? いやいや、それは国側からの呼び方で、私たちは、ただただ国家に「矢筈斬り」にされたくない「国際人」なのであります。いままた、長州藩の末裔が日本を危機に陥れようと画策していますが、さて、この日本では、それによってものすごい右傾化が進んでいます。いまや反日日本人、国際人はマイノリティなのでしょうか。ま、いずれ長州藩の末裔がまた日本を危機に陥れて〃歴史を二度繰り返さないように祈るばかりです。(新聞五月号一部閲覧)



(2015年5月号ニュース・新聞本文一部閲覧)

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