ブッククラブニュース
平成25年10月号新聞一部閲覧 追加分

ゆめやが読み解く昔話
G うさぎとかめ

 ウサギにのろい歩みをバカにされたカメは、かけっこしてどちらが勝つかの勝負を挑んだ。当然、ウサギは速く走る。予想通りウサギはどんどん先へ行き、カメにはウサギの姿が見えなくなってしまった。ウサギはカメが追いついてこないことを確認して一休み。居眠りを始める。その間にのろいながらもカメは休まずに進み、ウサギが目を覚ましたときに見たものは、山のふもとのゴールに入っていたカメの姿だった。
 誰もが知っている昔話だが、原話はイソップがつくったと言われている。ブッククラブでは4歳後半から5歳にかけてブライアン・ワイルドスミスの美しい絵で、ラ・フォンテーヌの文のものが配本される。
 この話、じつにありそうな話で、教訓は「油断大敵」である。どんなに能力のある者でも油断すると真面目な者に出し抜かれるというものである。このような設定は読む側にとっては真面目さの肯定だから快感のあるものとなる。「半沢直樹」がTVドラマで有名になったが、(じつは見ていないのでニュースなどから類推して)油断すると半沢の不屈の闘争心でしてやられる、なるほど「油断大敵」はドラマチックなものを描く必要条件かもしれない。復讐劇は昔から人気がある劇だ。
 ただ、私はイソップという人物が奴隷の身分で「お話」を武器に自由民になったという経歴だから、イソップ寓話は貴族(支配階級)におもねったものであるような気がしている。「ダンナ・・・油断していると真面目な奴にやられますよ」・・・と。
 これは、「アリとキリギリス」「カラスとキツネ」などにも共通したもので、必ず真面目な者が評価されるのだが、現実にはズルイ奴が勝つことのほうが多い。最たる話は「金の斧」で、正直者が認められる話だが、現実には多くが「落としたのは金の斧です」と言うだろう。真面目、正直・・・これは人間として大切なことだが、支配者にとって支配しやすい性質でもある。ウサギやキリギリスやキツネは支配する側にとっては都合が良くない存在である。それなら「真面目で正直な人間が得をする」という宣伝をしたほうが支配しやすくなる。イソップは、そのへんのことがわかっていた寓話作者だった。そういう話を作れば貴族からは評価される。実際、彼は話術ひとつで自由の身となった。
 話は変るが、アメリカの黒人民話で「リーマスじいやの話」という寓話集がある。このなかに同じような「うさぎとかめ」の競争の話があるが、これはイソップと違って真面目なカメではなく平気でウサギをだますカメの話である。この方が、能力のある者を出し抜く庶民の知恵や抵抗する意識のようなものがあっておもしろい。一度、読んでみてください。
 【教訓・真面目さ、正直さは大切だが、上の者に利用されないように気を付けなくてはいけない】

読み聞かせのゆくえ (3)

 現在、幼児の会員になっている方は、わからないかもしれないが、(2)で述べたように、このニュースを通じて、かなりサブカルチャー(アニメや漫画、ゲームやコスプレ・・・)の問題を論じてきた。1980年からのニュースの、おそらく60%はサブカルチャーについての記事だと思う。なぜかというと、そういうものに子どもを漬けておくと、軽くてもオタク的な性向、重ければ精神病的な要素が出てきてしまうからだ。共通して起こる現象は、「頭が大人にならない」というものである。つまり、頭がどこかで成長を止めてしまって幼稚なまま大人になるということである。いい歳をしてディズニーランド大好きおばさん、しょうもないアニメフィギアを集めるおじさん・・・が、いるのを皆さんも知っているだろう・・・でもまだ、これは良い方なのだ。
 まっただ中にいると気が付かないかもしれないが、現代の日本はまさに「幼稚」が満ち溢れた状態である。ゆるキャラから始まって、何もかもがアニメ化、ゲーム化している。行政までそんなもので町おこしをしようという幼稚さだ。この背後では、当然、インターネットから生み出されたさまざまなサブカルチャーが黙視できない事件まで引き起こしている。非常識な動画や画像を投稿する、通信機器を使ってイジめる、ストーカー行為や殺人予告、破壊予告のメール・・・こういうことは真っ当な大人がすることではない。このような枚挙のいとまがない事件の山は、すべてサブカルチャーの影響を受けた人間たちの仕業である。事件を起こさないまでも引きこもり、鬱的傾向・・・ふつうでは考えられない生活を送る人々も出てきている。
 ところが、このサブカルチャーの影響があって起きた事件なのに、警察も心理学者も社会学者も犯人が過去において、つまり成長過程で、どのようなサブカルチャーにを浸食されていたかを研究も追求もしない。虐待もイジメも・・・極端にいえば就職してすぐ辞める現象もすべてサブカルチャーにあるというのに、研究も分析もしない。これでは、何もよくならない。
 世の中は当たり前のようにサブカル礼賛だ。幼稚園ではバス待ちも時間にアンパンマンなどのビデオアニメを流し、学校は電子黒板を、あるいはタブレットを授業に取り込む。アニメを使えば理解が速いとか子どもにウケるとかいう理由で使う。すでに漫画やアニメ関連のグッズは、子どもたちの日常生活に満ち溢れていて、影響を受けない子などいないくらいなので、これから異常な事件はますます多くなるだろう。
 そこで、私は、子どもが、この世の中の傾向に立ち向かうのには何がいいか考えた。外遊びもいい。体験はすべての基礎になる。しかし、想像力がなければ外遊び経験も生きては来ない。そこで読み聞かせが必要だと思った。読み聞かせが読書に繋がる早道。すぐれた本を読めば、どうしたら不幸を避けられるか、何が危険か、よい人に恵まれるにはどうしたらいいか、が読み取れる。それを生きていくうえで生かすことができる。自分の考えもできて来るので、風潮に流されない人間にもなれる。嘘で固められようとしている世の中で本物を見つけ出す力もつくだろう。つまり、生きていくうえで被害に遭わないための知恵をつけるのである。30年前、私はそれを「読み聞かせのゆくえにしたい」と思った。

読み聞かせでの参考意見 C 2歳

絵本タイムはいつがいいか?

 以前はほとんどなかったお便りですが、「読み聞かせの時間」に対する相談が最近増えてきています。一般的には1歳代は子どもが本を持ってきたときに時刻には関係なく読んであげればいいのですが、2歳くらいになると動きが活発になり、昼間はなかなかそういう時間が取れなくなります。ですから、絵本タイムは夜、寝る前などにシフトしてきます。夕食を食べたあと、あるいはお風呂から出た後、眠る前・・・などでいいと思います。
 「読み聞かせているうちに寝てしまうばあいは・・・?」と心配される方もいますが、夜の絵本タイムは就寝儀式(おやすみなさい)と同じようなもので、寝てしまってもいいのです。眠くなると、現実と絵本の世界の区別がつかなくなり、絵本の世界に入りやすいとも言われています。半分、夢を見ているような状態はじょじょに物語絵本に入って行く2歳代では、逆に効果的なことだと言われています。私は寝る前の読み聞かせをおすすめします。

読み方はどうするか?

 1歳代では、アドリブも多用して、臨機応変に読み聞かせるのがふつうです。声色を変えたり、パフォーマンスを入れたりするのも子どもの気を引き付けるためには重要です。1歳半くらいまでは、読み聞かせがなかなか定着しない子もいますからそのような演技で読むことは必要でしょう。
 しかし、多くの子は遅くとも1歳半くらいで、絵本というものが内容的におもしろいものだと感じ取ります。当然、お母さん(お父さん)が相手をしてくれるものが絵本であることがわかり、自分から持ち出してくるでしょう。そういうときは「忙しいから後でね。」はやめて、その場で読んであげることです。
 1歳半から2歳代で気を付けることは、忙しさを理由にアニメのDVDやテレビでお茶を濁さないことです。与えてみればわかりますが、1歳半ともなれば、こういうアニメに自分が働きかけても向こうが反応しないことがわかり、漠然と見ているだけの姿勢が身についてしまいます。ここが生身の人間とは違うところで、子どもはどんどん無反応になってしまうでしょう。やはり親の息遣いが感じられる身近さで、ゆったりと語り掛けることがいろいろな意味で重要だと思います。

2歳になったら

 配本では、2歳代はひとつの切り替え時期です。前半では会話語(しゃべり言葉)の本が多いですが(たとえば「ゆびくん」「ちいさなたまねぎさん」)、そういうしゃべり言葉のものは、演技を入れてもいいです。しかし、「おおきなかぶ」や「もりのなか」のような文章語(書き言葉)の本は、ごくふつうにアドリブなどは絶対入れず、パフォマンスも加えずに読んでください。物語絵本とはそういうもので、言葉から想像する力を身につけてもらいたいのです。どこかの読み聞かせおばさんのように派手な読み聞かせはまったく不要です。

低学年の読書 A

 低学年のきちんとした読書が重要なのは、やはりこの時期にさまざまな影響が降りかかってくるからである。親は「字が読めるのだから子どもに自分で本を読むようにさせたい」と思う。だから読めば何でもいいということになる。何でもいいわけがない。
 学校に入れば友人との情報交換が頻繁になるから、アニメ、漫画・・・さまざまな粗悪な情報が入ってくる。さらには学校図書館が貸し出し競争をするから、冊数さえこなせばということで、レベルの低い赤ちゃん絵本のようなものまで借り出す。
 お稽古事やスポーツ練習で疲れれば、きちんとした読書より手軽に読める軽い本のほうがいいということにもなる。ゲームやそのほかのサブカルチャーも関心が高まるだろう。子どもの好奇心をくすぐるものも数多くなっている。子どもの習熟速度は速いので、親が知らぬうちにゲームアプリをダウンロードして、高額な請求が来ることもある子もいる。
 このように低学年はさまざまな誘惑があるので、なかなかきちんとした本に向えなくなることも起こる。もちろん、私はブッククラブの子は質の高い読み聞かせを受けているから、上記のようなことも一過性で終わり、多くの子が中学年の配本に取り組めると思っている。実際、90%近くは中学年の本を読むようになる。
 だから@で述べたPointを参考に読書グレードが落ちないようにしてもらいたい。読書グレードを落とさなければ、中学年、高学年の本はたやすく読めるようになる。7歳の壁を越えるコツは、できるかぎり上で述べた周囲の影響を避けて、一定の読書グレードを保つことだと思う。それから、ある一定量が読みこなせる力もつけたいところだ。ブッククラブ会員で7歳にもなれば月に一冊読むのも大変という子はいないと思うが、毎日、一定の読む時間を設けたり、月に5冊くらいは読み込む習慣をつけないと、本格的な物語を読む力はつかない。

学校図書館について@
不思議なことも・・・

 年間通して「学校図書館のやり方」に疑問を持つ会員のお便りが来る。大別すると@蔵書の問題A貸し出し競争の問題B子どもたちの間の流行の問題などが上位3つである。
 これまで夢新聞では、朝読書や貸し出し競争などを批判してきた。子どもたちの競争心を煽って借り出させようという姑息な方法。でも、一方、学校図書館司書の方々に実情を聞くにつけ、やはりずっと上の方の読書推進運動が学校図書館のあり方に大きな影響を与えていることがわかってきた。お役所が指示して、学校はその末端で言うことを聞かねばならないわけだ。朝読書や読書コンテストが始まったのは学級崩壊や少年事件が頻発していた十数年前である。かんたんに言えば生徒を落ち着かせるためだけの施策で、読書の質を高めたり、高度な読書にガイドしていくものではなかった。読む本は自由というのがすごいでしょ。赤ちゃん絵本であろうが何であろうが・・・中には漫画でも良いというところさえある。もっとも学校図書館にはかなりの量のマンガが置いてある。
 それに、だいたい制限時間が10分というのも問題だ。10分で読めるきちんとした本などない。成果が報道されることもあるが、「???」という感じである。クラスが落ち着く状態は生まれたかもしれないが、読書が高度化したという話は聞かない。ゆとり教育が見直されて、詰め込みが始まった今、これからの読書の状態はどういう方向に行くのだろうか。読書は個人的な体験・・・管理されてするものではないのだが。やはり、家で読書しましょう。それが一番頭に入る。落ち着いて読める。貸し出し競争にはいい加減でいいから適当に付き合っておけばいいと思う。

読書がガイドできる仕組みはあるのだろうか・・・

 子どもはいつの時代も遊びをつくる。そしてすぐ周囲の仲間に伝えていく。しかし、この三十年間、歴史上かつてなかった遊び道具が子どもたちの間で流行し、いまも進化しつづけている。高学年で自分用のスマホを持っている子さえ出てきた。ところが、学校も読書推進運動の人々も読書ボランティアの方々も、そして図書館司書の多くも、この現象に目をつぶり、何も言わない。一番、読書を阻害しているサブカル関連の遊びに誰も警告や注意をしないのである。PCもスマホもゲームアプリはあるし、アダルトサイトへもアクセスできる。漫画も読める。こういうものへのリテラシーを教え、読書を良い方向にガイドできる人はいるのか? 読書の方向を示したり、読書の邪魔をするものについて批判することは実行されているのかいないのか。現代では、大切なことだと思うのだが・・・あまり見かけない

すみません! ちょっと間違っていました

 7月号の新聞本文「老人にもいろいろいる・・・旅の絵本日本篇」で加古里子さんと安野光雅さんのことに触れました。そこで、安野さんが8ページわたって原発のことを批判し、加古さんはインタビューで「自分の本で原発問題についてもっと詳しく書いておけば......、」と残念そうに話していたことにも及びました。
 ところが調べたら、加古さんは、すでに21年前に『がくしゃもめをむくあそび』の中で、原発の危険性に触れていたのです。これはまったくの私のミスでした。終戦からひと月後、加古さんの大学で原子力の講義があり、「兵器はもちろんだけど、それ以外の可能性が非常にある」と教ったそうです。これで夢をふくらましてクラスの半分が原子力の研究に入ったということ。勤めた研究所の原子力課で加古さんも勉強しましたが、しばらくすると研究しようとしていた優秀な連中が、「下手したら自分も放射能を受けて子どももつくれなくなる」と辞めていったのです。加古さんには、以前、3回にわたって、電力会社から「子ども向けにいかに原発がいいか描いてほしい」という話がありました。でもさすがに加古さん。「お役に立つならいつでもお受けします。でも技術的に未完成のところは完成されたのか、原発でつくる電気がいかに安いかがはっきりしないと書けないのでデータをください」と頼みました。返事はなかったといいます。それで書かなかったそうです。書けなかったではなく書かなかった! さすが加古さんですね。
 それからもう一つ。母の友のバックナンバーを読んでいたら2007年版に以下のように随筆があった。以前、「夜の神話(たつみや章)」「神の火(高村薫)」のことを書いて、すでに予想、予告している女性たちがいると述べたが、この記事は見逃していました。なるほどと思うことが多いし、中山千夏さんらしい文章なので全文掲載します。

揺れる想定

中山千夏 2007年10月号の「母の友」(福音館書店)

 ある時、気がついたら原発があった。すでに全電力の二十%以上を原発が占めている、ということだった。そのころから、原発反対運動が、少なくとも私の目にもよく見えるようになった。けれども、もうできちゃってて、後戻りは難しい。それをタテに推進派はさらに原発を推し進めてきた。
 既成事実の横車でしょう、こういうの。別に内緒で始めたわけじゃない、目配りしなかったオマエが悪い、とは言わせない。ちょっとそこまで買い物に、という話じゃないんだよ。ひとつ間違えば取り返しのつかない大惨事を引き起こす、そんなことをする話なんだよ。しずしずと始めないで、大声で喧伝してからにしてほしかった。
 「みなさ〜ん、聞いてくださ〜い、これ、危ないんです〜ものすごく。だけどやりたいんです〜どうしても。やってもいい?」。
 それでもさ、誠心誠意、安全第一で運転しているのなら、まだ許せる。だけど、とてもそうは見えない。「るっせーな、あんたら電気使いたいんだろ、作ってやってんだから、黙って使ってろよ」。国も会社もそういう姿勢だとしか思えない。
 報道によると、今回の中越沖地震で、東電柏崎刈羽原発では、放射能汚染された水の海への流出、火災など、五十件を越えるトラブルが発生した。なんでも地震の「揺れの加速度」が設計時の「想定を上回った」とか。ンなもんケチるな! 多めに想定しろよ、多めに。それでも「自動停止したので問題ない」と原子力安全委員会の鈴木委員長は言った。呆れたもんだ、と思っていたら、なんのなんの、まだまだ。設置してあった地震計97台のうち、63台から本震のデータが消えた。計器が古くて記憶容量が足りず、余震のデータが先のデータを上書きしてしまったんだって。情けない、最新でやってよ、最新で。
 あまりのことに、もしやと思ったのだろう、毎日新聞が地震時の火災対策について調査した。地震による火災は、ただの火災と違う。消防車はかんたんに来られないし、消火作業も地震被害のなかでしなければならない。このたびの東電の火災でも、消防車の到着は遅れ、消火作業に当たった社員は四人しかいなかった。それで2時間も燃え続けた。
 調査の結果、「原発を持つ国内の電力会社すべて(十杜)で、地震に伴って火災が発生した場合の具体的対応を定めていないこと」がわかった。「各社とも火災発生時に外部の消防隊がこないケースは想定していない」し、「地震にともなう火災に注目した訓練」をしていたのは、東電福島第二原発だけだった。北海道電力にいたっては、地震による原発事故発生を想定した訓練すらしていない。その理由がすごい。「原発は十分な耐震性が確保されていることが前提で、地震による大きなトラブルや事故は発生しないことになっている。そうした訓練は想定しようがない」。
 正しい。原発における大事故は規模が違う。あったら一巻の終り。「想定」するも虚しいものなのだ。正しいが詭弁(きべん)だ。今回現に起きたのは地震による数々の小事故だった。それに備えようとしない傲慢が、想定外の大事故を呼ぶのである。(なかやまちなつ/作家)
 こういう文章が3・11以前に書ける力はスゴイ。そして、・・・この文章が指摘したことが実際に起こってしまったのです。起こってしまった事故が何も収束していないのに、東京でオリンピック? 原発を輸出する? 気が触れたんじゃないかと思いますが、何が解決したと言うのでしょう。だいたい、去年、東京直下型地震の起きる割合が、この十年内で75%という数字が発表されたばかりじゃない! それに出回っている魚や野菜・・・ほんとうに大丈夫なのかな。福島沖に汚染水が流れ出したのは、今年7月ではないでしょ! もう二年も前からですよ。意図的かどうか知らないけれど、海水の放射能濃度なんかは測っていませんよね。と、いうことは三陸沖の海底にも放射能は行っている可能性も大きいわけです。それに廃炉は何一つ進んだわけじゃないでしょ。ところが、政府はもちろん原子力規制庁も四国の伊方原発を手始めに次々に再稼働を認める動きを加速しています。大多数が反対しているものが強引に行われる! 民主主義の国とは思えません。大きなツヅラに何でも詰め込もうとする経団連、政府、与党・・・欲に駆られて電力が欲しいだけなのだろうけれど、いずれツヅラの中から大変なものが出て来るんでしょうね。・・・・どうするんでしょう、子どもたちの未来を・・・・。



(2013年10月号ニュース・新聞本文一部閲覧) 追加分



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