ブッククラブニュース
平成24年11月号(発達年齢ブッククラブ)

むかし、むかし

 昔、まだ人が狩猟や採集で生活をしていたころ、すでに物語を語る人がいました。ストーリーテラーと呼ばれる人で、日本では「語り部」などという名があります。一日が終わると焚き火を囲んで、語り部が「おはなし」をするのですが・・・こんなことをするのは動物の中でも人間だけでしょう。
 人は、生きていくために狩猟や農耕で食物を確保して栄養を摂り、体を維持します。タンパク質、脂肪、炭水化物、ビタミン、ミネラルなどは生きていくうえで大切な栄養なので、狩猟や採集は重要でした。
 太古の昔はスーパーマーケットも薬屋もないので、生きるためのエネルギーとして、獣を獲り、魚を取り、木の実や野菜を集め、食べていかなくてはなりません。獣の肉だけ食べていれば病気になる、魚を食べないと活力が出ない、野菜も食べないとどこかがおかしくなる・・・・経験の中で多くの人がバランスよくいろいろ食べ、子孫を産んできたと思われます。

心の栄養

 では、これだけでいいかというと、そうではないのです。人は体の維持だけでは生きていくことができない動物で、心の維持もまた必要です。そして、心の成長にも栄養が必要です。その栄養とは何か!・・・これが「おはなし」です。人間が、たとえ、くだらない話でも話そのものが好きなのは、どこかで「心の維持のために話が栄養だ」と感じるからでしょう。体と同じく心の栄養もバランスが良くないと健康な心で生きていくことができません。狩猟や採集が必要なように会話や読書が必要なのです。言葉が心をつくるからです。
 大昔から、語り部は、「昔々、あるところに・・・」と、さまざまな話をみんなに聞かせていたと思います。そのとき、聞き手は語られる言葉からさまざまなことを想像して、イメージを作り上げ、やがて現実にぶちあたっときに壊れない心を作っていったのではないでしょうか。これは、まさに、みなさんのお子さんが生まれてまだ一年も経たないうちから、語りかけや読み聞かせを受けて、いろいろな想像を高めていくのと似ています。つまり、さまざまな「おはなし」は、太古の昔から人間の心を作る大事な栄養素なのでしょう。

現実と戦う力の源

 お話は、現実の世界を生きていくうえでの精神の力や勇気を与えてくれるものにもなります。物語を聞くこと・読むことは、実際には存在しない世界を想像することで体験できないことを体験する「精神の旅行」です。現実に触れることも大切ですが、幼いころから自分の頭の中でさまざまな思考のパターンを作るのも重要で、これは生きる上で大きな力になります。昨年、「大学を出て就職できなかったというだけで、300人以上の若者が自殺した」と報道されましたが、彼らは幼いときに「おはなし」を体験したのでしょうか。小さい時からお勉強ばかりしていたのではないでしょうか。
 ところで、体の栄養はバランスよく摂ることも必要ですが、質の良いものを選ばないと病気になります。粗悪な脂肪やたんぱく質の摂取は何らかの病気を引き起こしますし、偏った摂取やミネラルやビタミンの不足も病気の元です。これは、心も同じでしょう。語られれば何でも「おはなし」になりますが、質の低い物語やお話は、心の病を引き起こす可能性もあるのです。最近のテレビ番組の「おはなし」や芸人のトークは心を壊す質の低い栄養であります。こんなものばかり聞いていれば頭は鈍感になり、

人と人をつなぐ心へ

 子どもたち(大人でも)に、いじめ・自殺など異常なことが起こっていますが、これも質の低い物語で育った結果が出ているのかもしれません。テレビやビデオ(ゲーム)などは、画面を追うだけで受け身となりますから、想像する暇もなく、自分の頭で考える力を失いがちです。しかし、絵本や児童書は絵は動きませんし、絵がないものさえありますが、逆に想像する力を要求してきます。これが心に栄養を与えるわけです。と、いうよりは、頭の発達に不可欠な想像力を高める栄養になるわけですね。
 テレビやビデオはスイッチを入れて見ますが、読み聞かせはスイッチがありません。語ってくれる人の存在が必要です。そして、聞くことは、その人とのつながりを持つことでもあります。また、本を読むこともスイッチを入れて読み始めるのではなく、読もうとする力、世界に対する好奇心などが読書の原動力となります。テレビの視聴のように受け身では本は読めないのです。大昔、長老は語ることで、人々にまとまりをつくってきたのでしょう。家庭でも同じです。読み聞かせは人と人をつなぐ出発点です。(ニュース十一月号一部閲覧)

ライト・ダウン

 11月3日の文化の日は、甲府はライトダウンの日である。夜8時から9時まで無駄な灯りを消して「星空を見よう」という試みが行われる。もう十四年も続いている。これを企画した県立科学館の高橋真理子さんや跡部浩一さんに誘われて、ゆめやも当初からライトダウンに参加しているので、今年も夜8時に消灯した。もっともゆめやの消灯は、冬時間では夕方6時で、7時には駐車場も庭も照明を落とすので、8時にはいつも真っ暗だ。
 ゆめやはちょうど二十年前の平成4年の11月に甲府の中心街から現在地に移転した。なぜか。原因はバブル。中心街で深夜飲食店が乱立し、ものすごい勢いで夜間の照明(ネオンサインや看板灯)が増えて行ったからである。真夜中でも真昼のような街は大声を上げて騒ぐ酔客でうるさくなり、生活していくのが困難になった。絵本屋があること自体、場違いな街になってしまった。もちろん星空も見えなくなった。

再び銀河が見えるときが・・・

 40年前は、甲府の中心街でも天の川を見ることができた。夏は物干し台に寝そべってヴェガとアルタイルとデネヴを探した。晩秋には二階の窓から冬銀河を眺めることもできた。
 それが1980年代後半から光害でまったく星が見えなくなってしまったのである。これがゆめやが中心街から転居した原因のひとつ。現在地は、標高が中心街より高い所で、周囲に街灯が少ないので、おどろくほど星空が見える。だから、さまざまな天体ショーを見ることもできる。
 まず2000年11月の獅子座流星群。これは流星痕という大きな光の尾が凄かった。庭に敷いた寝袋の中で、家族で見たことも楽しい思い出だ。ヘールボップ彗星は、ひじょうに明るく、しかも毎晩見ることができて感動が続いた。この間のオリオン座の三ッ星を横切る流星群もよく見えた。すべて、周囲が暗いから見えるのである。

熱い思いは人を動かす

 甲府のライトダウンは、高橋さんや跡部さんが星空をよみがえらせようとしていたが、最初のうちはなかなか協賛してくれる企業がなかったという。高橋さんは現在もBC会員であり、跡部さんは過去において長くBC会員だった方でもあり、娘の担任の先生でもあった。ブッククラブには、そのような志を強く抱いている方も多く、やはり「本の力」でつながる関係はすばらしいとも感じる。
 そして、その方々の熱き想いは、いま地道で継続的な活動によって花開いている。昨年は、原発事故で計画停電が行われたために、この十五年でライトダウンの成果が一番あったと思う。ゆめやから甲府の市街は一望だからよく見て取れる。たしかに去年は、かなり暗かった。
 今年も、以前に比べて確実に節電が行われているので、さらに星空がはっきりと見えるようになっている。バブルの馬鹿騒ぎで栄えた中心街も今は閑古鳥が鳴き、深夜飲食店も激減した。まさに平家物語の「盛者必衰の理」だ。この衰退をなんとかしようと行政はリニア新幹線を呼び込んでいるが、一時間に5本走ると27万kwの電力が使われ、営業運転には原発二基分くらいの電力が必要となる。これも「おごれる者も久しからず」となるはずで・・・子どもたちへの負担は増加する。
 だが、多くの人が電力やエネルギーのことを考えて少しずつ出来ることから始めればライトダウンの時だけではなく、星を見つめることのできる余裕も戻ってくるはずだ。

深く考える原点は自然を見つめることから

 中学生で星空を見ている子が全体の10%に満たない現代、都会の子はさらに夜空を見ていないかもしれない。大人でさえ星を見上げる余裕がなくなっている。私は、夜空を含めて、暗闇や風の音や気温の変化など体感できる「闇」を子どもたちは知る必要があると思う。星空を見つめているうちに不思議な感覚にとらわれた経験はないだろうか。何かとてつもない大きなもの(意志)を感じる体験はなかっただろうか。それは、ひょとすると人生や世界を深く考える原点になると思うのだ。あまりにも明るくなった夜を過ごすうちに、何も感じない鈍感な心になっていく恐ろしさ。闇があった時代には少なかった恐ろしい異常犯罪も、夜が明るくなった時代には激増している。
 ハイビジョンが映し出す星ではなく、プラネタリウムが見せる星座でもなく、CGが描き出す宇宙空間でもなく、ただ単純に夜空にある星を見る・・・これが今、大人にも子どもにも必要なことのように思える。(11月号新聞一部閲覧)



(2012年11月号ニュース・新聞本文一部閲覧)

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