ブッククラブニュース
平成24年3月号新聞一部閲覧 追加分

読み聞かせのポイント
F(最終回)6歳から小学校低学年では

6歳では内容的に高度な本を読み聞かせることで・・・・

 「5歳ともなれば、読み聞かせで何も注意する必要がない」のですから、6歳以降はさらに問題がなくなる・・・と思われることでしょう。でも、ひとつ注意しておくことがあります。6歳になると字が読める子が増加します。たしかに、3歳くらいで字を教え込んで、子どもが覚えると鬼の首でも取ったかのように「ウチの子は字が読めます!」と鼻息の高くなる親がいることも事実です。「ウチの子は字が読めるから!」と本を勝手に読ませている親もいます。それを聞いて、少しも字を覚えない我が子に不安のまなざしを向ける親もいるかもしれません。 でも、心配することはありません。2〜3歳では特定のものに記憶力が高まることは前にも述べました。しかし、字を読むことと本を読むことはまったく別物で、では早く字を覚えたからと言って、小学校へ入ってからどんどん読書が進むかというとそんなことはないのです。3歳、4歳で字が読めても配本されている本が読める子はほとんどいません。字を追っているだけのことです。そういうことを6歳でやれば内容を読み取ることもできないで、楽な字の読める漫画などに傾いてしまうのはよくある例です。

字を覚えるということ

 字を覚えるということは、約束事を覚えるということですが、幼児のうちは約束事よりもっと大きな想像力を使う世界で遊ばせたいものです。なぜなら、それが一人で本を読む原動力になるからです。想像力がなければ本は読めません。 いわゆる一人読み読書というのは、小学校中学年で本格的になりますが、一般的にはその学年レベルの本を月に一冊も読めない子がほとんどなのです。嘘だと思ったら学校の先生に聞いてみてください。そういう子たちだって早いうちから字は読めたのですが・・・・ね。 ですから、ブッククラブでは6歳段階では内容的に深いものがあるものを選書しています。まだ読み聞かせでいいのです。これは聞いて耳から高度な内容とテーマを感じ取る力を高めるためです。ここで、本が楽しめる子になれば、小学校中学年の読書は楽しいものになります。急がば回ることかもしれません。

一年生になったら

 学校に入ると、どんどん本を読むと思っている方がいるかもしれません。自分の子どものころの記憶はなくなっているのです(笑)。でも、実際にはなかなか本を読むようにはならず、その時期に応じた本を自分で読むのはさらに大変です。多くは、マンガに流れます。マンガは、吹き出しが主なので、こりゃあもう会話をするのと同じでかんたん。おしゃべり言葉は誰にでもわかりますからね。ところが、文章語はそうはいきません。文そのもには緊張感がありますし、読むには持久力が必要です。字を読むことと文を読むこと、マンガを読むことと物語を読むことはちがうわけです。物語だって、ピンからキリまであり、物語だからいいということはないですが、とにかくきちんとした本を読むには、それなりの力が必要なのです。 ですから、6歳ではふつうの読み聞かせで問題ないですが、学校に入ったら、「じょじょに一人で読めるようにもって行く」ことを親が意識して、回数を減らすことです。そして、一人読みができるように配本では4・5歳レベルのものを読むように進めるのが良いでしょう。ゆめやの配本では小学校低学年の一人読みの本のレベルは3歳後半から4歳のものに相当します。このへんが読めれば十分といえます。知ってますよね。「おおきなかぶ」は配本では2歳ですが、教科書では一年生で出てきますよ。読み聞かせと一人読みの大きな差です。

きちんとした本が一人読みできるように

 一年生の配本では文章量を6歳のときより短くしたものが基本配本では入ります。これは一人読みを意識しているかです。あとは、難易度に応じて、調整しながら別コースからプラスすれば読書力はついてきます。 小学校中学年の配本は、もう読み聞かせなどできません。文章量も長いですし、この段階で一人で読む力がつかなければ、高度な読書に進んでいくのは無理となります。うまく一人読みに移行できないと多くは、そのレベルで終わってしまいますので、なんとか低学年で上手に次に移ってもらうために以下のことを目安にしてください。 6歳段階では、配本レベルのものをこれまでと同じように読みきかせる。 字の読める5・6歳の子には3〜5歳くらいの本を読ませる。音読でも黙読でもかまいません。音読で読めたらほめてあげましょう。お母さんへの読み聞かせという形をとってもいいですね。 一年生になったら、まず数回読んであげて、あとは一人で読むというふうにすれば、ストーリーが頭に入っているので、読み進めは、たやすくなります。読み聞かせの回数は意識的に減らしていってください。二年生の半ばくらいで配本レベルの本が  一人読みに移行できれば問題なく、中・高学年の本を楽しむことができます。 配本の方向は、赤ちゃんのときから同じ方向・・・つまり、高度な読書ができることを目指しています。くれぐれも、「ずっと読み聞かせで・・・」などという流れにハマらず、年齢に応じて、そのグレードの本が楽しめるようにお子さんの環境を整えてくださいね。

たとえば・・・

 バージニア・リー・バートン「せいめいのれきし」やピータースピアの「せかいのひとびと」は中学年に入る本ですが、これは絵本仕立てです。それなのに中学年一人読み用・・・開いてみればわかりますが、内容的にはむずかしい本です。いくら字が読めてもとても幼児には読めないものです。では、これらよりはるかに厚い本・・・「いやいやえん」とか「エルマーのぼうけん」これは、内容が長くても読み聞かせでじゅうぶんいける本です。もちろん、一人読みでも可能ですが・・・・それなりの年齢対応はあります。  年齢対応(幼児期には月齢対応)にこだわるのは、目的が高度な読書だからです。競馬新聞でも女性週刊誌でも字が読めれば読めます。ところが字が読めてもドストエフスキーや芥川龍之介、ホメロスや漱石、トルストイや吉川英治は読めない人がたくさんいるのです。  この読書への可能性は読み聞かせをいつまでもしていたのでは無理です。読み聞かせボランティアのおばさんたちは、こういう読書の可能性などはまったく考えていないため、平気でどこででも誰にでも読み聞かせをしますが、果たして子どもが本を読むことを真剣に考えているのか・・・・それともただ自分が光りたい場をつくっているだけなのか。  考えてみれば、彼女たちにとって「子どもの本は易しいもの」で、「自分でもわかるもの」で、そういう活動はなんとなく子どもため、世の中のためになっていると錯覚できるのではないでしょうか。その証拠に、こういう運動をしているおばさんたちは、いま世間を覆う子どもの正常な成長にとって阻害となるもの・・。アニメ、マンガ、ゲーム・・・など電子社会を背景にした一儲けをたくらむ企業のことなどまったく考えずに、ただひたすら「読み聞かせ」「読み聞かせ」です。ま、言ってもわからない親や大人には言ったところで反感しか買いませんので、このくらいにして、子どもがきちんと読書ができるために自明のことをやっていきましょう。(ニュース三月号 シリーズ最終回・一部閲覧)

読書する基礎をつくる六歳の選書

 では、その第一歩となる6歳〜7歳の選書はとても重要になってくるわけです。6歳になると、いわゆる長い物語の読み聞かせができるようになります。これは、数年後(8歳くらいから)の一人読み読書へ入る過程の重要な要素といえるでしょう。例えば、長い物語としては、前述のように、男の子には「いやいやえん」(福音館書店)、「おしいれのぼうけん」(童心社)など、女の子には「ダンプえんちょうやっつけた」(童心社)をあげることができます。 これは、たしかに長い! しかし、ここまで読み聞かせを受けてきた子にとっては、けっして長い物語ではなく、じゅうぶんに聞くことが出来る長さのものであります。読み聞かせる方にとっては一苦労の長さだが、聞いている方にとっては何のことはない長さ・・・ここに読み聞かせの問題点も生じる理由が出てきます。  小学校では、本を読まない子どもに何とか本を与えようという試みがなされるが、そのほとんどが成功しないのは、どこまでも「読み聞かせでなんとかしよう」とするからではないかとも思われます。

小学生では読書を念頭に

 読書推進運動をする人たちは、「子どもはほんとうは本が好きで、三年生でも五年生でも読み聞かせれば聞く」といいますが、果たしてそうでしょうか。たしかに物語は誰でも好きですが、いつまでも受身で聞くことはおすすめできません。これについては、五月号の本文で「向かうからやってくるもの」と「こちらから踏み込んでいく」物語の本質について書こうと思っています。たとえば古典文学は自分で読むことで物語の中に入っていくわけですが、アンパンマンとか多くのアニメ、テレビ媒体などは何の働きかけをしなくても向こうから来てくれて演じてくれるので見ているほう、読んでいるほうは楽なのです。ま、テレビと同じ受動態です。聞くことは楽なのです。読み聞かせおばさんは、さらに気を入れて演じますから、まさにアンパンマンと同じ。子どもはさらに受動態となります。しかし、読み聞かせではいつまでたっても読む力は育たない。6歳のこの辺で長い物語の読み聞かせ体験をしておけば、一人読みへの移行がたやすくなっていくので、ここは押さえないといけません。  もちろん、この時期には長いものばかり与えていてはうまくないことはあたりまえです。子どもはまだ、すべてを長いもので乗り切れるほど(楽しめるほど)持久力が育っていないからです。それなりに時期に対応した本、社会性や世の中の多様性を描いた物語絵本も側面的に与えることが大切です。配本ではそういうものをバランスよく入れてあります。「町のねずみといなかのねずみ」、「ちいさいおうち」などのテーマが深いものも6歳段階でじゅうぶん対応できる本です。こういう本はブッククラブ配本では個別に適切に配分して組み入れています。 この時期になれば、大人でも解決できない矛盾や社会批判が主題となる絵本からも何かを感じ取る力が育ってくるからで、もちろん、大人が期待するような論理的把握はできませんが、感じ取る力はじゅうぶん育っているはずです。(言っておきますが、それには乳児期からの積み重ねが必要ですよ。いきなり6歳の子を誰でも捕まえてきて実行したところで、そりゃあ無理というものです)。ここでは、楽しめるタイプの本、「ガブリエリザちゃん」(文化出版局)のように荒唐無稽で楽しく、かつ何でも世の中に存在する価値があるというテーマの本も必要だし、子どもにとってもおもしろいですから加えるべきです。女の子には「もりのかくれんぼう」のような夢幻的で、想像力を広げる本もおすすめしたいです。もちろん、基本配本では確実に6歳で入っていますからご安心ください。

年齢対応も季節対応も

 また日本というでは最初に本を与えるときに季節に対応させることも重要です。季節感は、日本人の細やかな感性を育てるのにとても重要なものだからです。本から受けた感覚で季節感を感じ取る力も敏感になるからです。 こういうふうに発達段階に応じて絵本を与えれば、かなりの確率で読書に移行できますが、現代ではこの方向を妨げるさまざまな媒体も多いのです。家庭では、なるべく、こうしたサブカルチャーを子どもから遠ざけることを行ってもらいたいと思います。とくに入り込みやすいのが幼稚園の後半、小学校の低学年です。園や学校が子どもの遊びの情報交換の場であることは、昔も今も変りませんが、そうしないと、いつまでたっても頭が大人にならないし、性格異常まで引き起こすことにつながりかねないのです。

多様な分野を・・・

 多様な分野の物語を楽しむということは表現語彙が増えるばかりでなく、他人とコミュニケーションを交わすうえで大きな必要条件です。なぜなら、年齢差や個性差を上手に埋めていくにはコミュニケーションの力が要求されるからですね。近年、この力が消失して小学生段階でさまざまな問題が起きるようになっていますね。やはり、言葉は心も作る重要な要素だと思わざるをえません。 6歳ともなれば、会話は大人並みになるし、意識も完全に外に向いてきます。自分対社会で人間の関係を捉えることができるようにもなります。もちろん、過保護やサブカル漬けでは、とてもそのような発達は望めませんが、そういう状態になれば、選書も高度なものに移ることができるはずで、6歳後半(就学前)ではいろいろなテーマのものを幅広く与えたいと思っています。たまには哀しい物語もいいと思います。いくつか配本では入れてあります。

本を越える人格形成の手段は・・・

 また、例えば、がまくんとかえるくんが登場するシリーズの中の「ふたりはきょうも」(文化出版局)。これは比較的長い話ですが、相互の関係、世の中、そこで使われる機知を知るには最適の本でもあります。また逆に短いフレーズで構成されてはいるものの友達というものがどういうものであるかを深く考えさせてくれる「ともだち」(小学館)も読んでもらいたい一冊ですね。 こういうのが読み聞かせをして聞き入ることができれば、もはや文が長い、短いは選書の基準ではなくなってくる年齢であることがわかります。じゅうぶんに長いものを聞く力が育ってきているわけです。 さらに冬季限定?としてトルストイの「くつやのまるちん」(至光社)も薦めたい一冊ですね。絶対的な存在を学びにくい日本的な生活環境のなかでは、こういう本は一読しておきたいものであります。また、命への思いを強く描いた「おおはくちょうのそら」(リブリオ出版)、少し高度な内容だが不条理について語る「手ぶくろを買いに」なども就学前の寒い夜に読み聞かせたい物語です。

さまざまな本を・・・

 6歳は感受性や理解力が進むので、上記はほんの数例ですが、人間の身体の構造、食などの科学絵本「たべもののたび」(童心社)「ちのはなし」(福音館書店)など物語以外の絵本も重要になってくる時期です。 また、一方では、すぐれた日本語の修辞技法と感性を知っておくために「歌の絵本」(講談社)を最初のものとしてお薦めしたいです。小さいうちに綺麗な言葉に触れておけば、最近の歌の刺激的な歌詞に抵抗感や拒否感を持つようになるかもしれないからです。最近の歌の歌詞はひどいものですからね。AKB48の「♪・・・ちょっと道をあけなよ。らっぱっぱのお通りだぜ・・・・」こういう歌は情感も何もあったもんじゃないです。こんな歌で育つ子はかわいそうですが、聞かせるバカ親もいるわけで、そういう家庭の子は大人になってもけっきょくはそれなりの人間にしかならないでしょう・・・・。 最後に挙げるのは「くんちゃんのはじめてのがっこう」(ペンギン社)。これは初めて学校に上がる子どもの不安感を払拭する絵本です。今月読む本です。きっと、子どもが安心して学校にいくことができるでしょう(とは、断言できない哀しい状況もあります。安心して学校に入ったら、先生やクラスが崩壊していたなどという話はザラにありますからね。)。「ピーターのとおいみち」(講談社)も同じ内容のものでお薦めなのですが・・・・はたして、学校は、こういう本を読んで入ってきた子に安心を与え、学級崩壊を引き起こしているダメ家庭の子、サブカル漬けの子をなんとか抑制できるのでしょうか。(三月号新聞一部閲覧)



(2012年3月号ニュース・新聞本文一部閲覧) 追加分



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