ブッククラブニュース
平成23年4月号(発達年齢ブッククラブ)
入学おめでとうございます
とはかんたんに言えない春に・・・
なんとも落ち着かない春になりました。東北大震災はあまりにもヒドすぎます。甲府も大揺れはありましたが、被害がなく、さて東北のヒドい状態に我々はいったい何ができるのか・・・東北の会員のほとんどが多かれ少なかれ被災しています。こちらがふつうの生活であればあるほど、なんとなくうしろめたくなってしまうほどの惨状です。たしかに岩手、宮城の復興はかなりの速さで進んでいます。でも福島はいまだに原発の影響で不安の中。津波で家を押し流された相馬市の会員の方は放射能からも身を避けるために疎開、南相馬市の方は町ごと疎開で連絡もつきません。こんなとき「入学おめでとうございます」「お見舞い申し上げます」という言葉も空々しいものがあります。
他のブッククラブのHPを見ると儀礼的なお見舞いの言葉が並ぶだけで、復旧したら即発送の文面にすぐ変わります。言葉や心をを大切にすべき児童書関係者が、相手の心の確認もしないで本を送りつけていいのかどうか・・・震災を別世界の出来事としてしまうのはあまりにも想像力やデリカシーがないのではないか・・・そんな思いも出ています。だから、ゆめやは東北のお客さまとは連絡が取れるまで、そして状況が確認できるまで配本は行いません。今回は明るいはずの春のニュースが、とんだ年度初の記事になります。すみません。
想像力がなさすぎた
われわれは情報化社会の中で、どうも想像力を失ってしまったように思えます。だから、相手のことを考えるデリカシーも失ってしまって、何事も他人事になってしまっています。すべて映像の中のことで、その悲惨さ、寒さ、飢えが想像できない状態。ごく身近な人間関係や自然環境を考えるときでも鈍感になってしまっているのではないでしょうか。やはり、情報化と便利さは人間から「思い」を奪ってしまったように思います。被災地応援のスポーツ界や芸能界の動きもじつは、これ幸いの自己PRや売名が多く、思いが抜けていると思うのは私だけでしょうか。
福島原発の事故の対応も、まさに政府の保安院、電力会社ともに「他人事」です。あの方々は成績もよく、有名な大学を出て、それなりの地位がある人たちなのでしょうが、「思い」のカケラも感じられません。緑豊かな相馬の田園地帯が放射能で汚れていくことへの思いもなければ、そこで暮らす人たちへの想像力もないようです。
この事故を知って慄然としたことがあります。それは、まさに福島原発の事故を見抜いて書いたとしか思えない子どもの本のことです。ブッククラブで15年前から高学年男子に選書配本している本。しかし、実際に起こってみると「文学は恐ろしいほど未来を予見するものだ」と実感しました。それが、たつみや章・著『夜の神話』です。ファンタジーながら、少年と神様の交流を通して、原発の恐ろしさを描いている作品なのです。ネタバレになりますが、事故が起きてしまったからいいでしょう。
主人公の少年は、ツクヨミの神にもらったまんじゅうを食べて、屋敷神のヨネハラさんや昆虫、動物たちと会話ができるようになるのです。そのころ、お父さんが勤める原子力発電所で非常事態が発生!お父さんの同僚で少年が好きだったスイッチョさんは、制御不能となった原子炉に入り、被爆して死にます。・・・もう起こることを知って書かれたとしか思えないほど精密な描写です・・・自然への畏敬を忘れた成績優秀な役人や科学者たちは、こういう本も読んでいないでしょうね。驚くべき無責任さと他人事で語る会見の口調・・・この人たちを見ていると、放射能汚染が「夢しか語らない学校教育」と「科学万能信仰」が作り上げた結果のように思えます。
私たちはどうやら、こういう世の中の上っ面にいろいろだまされて本当の幸せを見失ってしまっていたのかもしれません。便利なことはいいこと、発展はすばらしいこと、・・・おかげで、かつて日本が誇った「安全と水はタダ」という文句は、物理的にもまったくの絵空事になってしまいました。
SFは怖いほど予見する
次は、HAHATAME配本で8年前から配本している本で、毎年ベスト5に入っていて多く読まれています。しかし、実際に起こってみると、これまた「文学は恐ろしいほど未来を予見するものだ」と思います。プレートが見事に滑り込む様子が天気図の模式で説明され、大地震の頻発とともに沈み始める日本の社会状況が描かれるものです。そればかりではありません。難民になる日本人に日本文化を守るために動き出す人々、政策的な動きやわざとデマで混乱を抑えようとする操作・・・自暴自棄のパニック、それはそれは見事に「破局(カタストロフ)までの時間」がていねいに語られています。
読後は衝撃的でしたが、読んだ当時は局地的な大地震しかイメージが浮かばず、日本沈没は「ありそうだが、ない話」としてしか捉えられませんでした。でも、まさか青森から千葉まで500kmに渡る断層が裂けてプレートが滑り込むとは!!! この調子で行けば、東海大地震で糸魚川―静岡線が割れ、日本列島が折れ曲がって沈むことは荒唐無稽なSFではなくなります。まことに作家の先見の明には脱帽です。こういうことが想像できれば、制御不能に落入ったら手の施しようがなくなる原子炉などつくれないはずですが、発展信仰しか持たない人々、とくに科学者は人類への責任も何もなく、人の幸福より自分の研究の実現にだけしか頭が働かないようです。
この人たちが振りまく嘘に騙されると福島原発の惨状が日本のいたるところで起きます。将来を生きる子どもたちが放射能を浴びないように、騙されないで実態を知ることは親として大人として重要なことだと思います。原発は地震地帯の上、皆さんの住む町の近くに必ずあるのです。
知っておきたい原発のこと
新聞の全面広告で「原子力発電はクリーンなエネルギー」が強調されてきました。テレビもそういう宣伝を流していました。でも、そんなのは原発を造りたい人の大衆洗脳のようなものです。その証拠を挙げましょう。広瀬 隆『二酸化炭素 温暖化説の崩壊』(集英社〔新書〕から・・・
ほんとうに温暖化の原因は二酸化炭素か?
日本の火力発電は全体の48%しか稼動していないとのことです。水力の利用などまったく減ってしまいました。原子力発電は全体の40%。フル回転すれば火力だけでもまかなえるのに、何で原子力が必要なのか。温室効果ガスの二酸化炭素が敵だからです。「だから二酸化炭素を出さない原発のエネルギーが必要だ!」と言うのです。これは反対する側の疑いすぎなのでしょうか?
では、なぜ冬がこんなに寒いのでしょう。温室効果ガスがそんなに邪魔をしているのか?整合性のある答えはないです。ただの周期的な温暖化かもしれません。都市化で都市周辺が高温になっているのは電気を使った生活をするビルや家庭による気温上昇です。
原発は、休むことなく電気を作り続けます。昼も夜も。しかし、夜の需要は減りますから過剰供給になるので電力会社は「深夜電力の使用はお安くしますよ」と宣伝します。
さらに作りたい人々には原発が危険きわまりないものだということが分っています。だから、決して東京や大阪の近くには作りません。辺鄙な貧しい県にばかりです。全国の原子炉数は56基で、都道府県数より多いのですが、みんな田舎の貧しい県。原発を作ると、そこの自治体には交付金が下りますから、貧しい県の首長はお金ほしさから原発を誘致するのです。「日本の技術は安全だ!」と宣伝して・・・・。ところが、1基のお金は十年くらいでなくなってしまいます。自治体は転がり込んだお金で予算規模を設定しますから、お金がなくなると予算規模を縮小しなくてはなりません。そこで2基目を作らせる。3基目を作らせるということで並んでいくわけです。その証拠に原発で原子炉が十個も二十個も並ぶところはありません。最大7個・・・なんと言っても原発の歴史はまだ五十年もないのですから。十回もお金をもらっている自治体はないので7号機までです。つまり、都会の、あの無駄な電気の使用のために田舎の貧しい県民が危険と同居で貢献しているというわけです。
作りたい人々の真の目的は分りませんが、戦後最初に原子力関係機関を立ち上げたのは中曽根康弘元首相です。ウランはプルトニウムになって備蓄されますが・・・何のために? プルトニウムは原爆の原料でしかありません。でも「ミサイルが日本にはない、飛ばせない」と言うかもしれませんが、宇宙開発のためのロケットの先っぽを核弾頭に代えればたやすく核ミサイルになります。憲法上から言えばプルトニウムの貯蔵は三原則にも憲法にも抵触するものだと思うのですが・・・・・
いったい、この国のメディアは?
ところが、テレビは脱原発、反原発の視点からほとんど物を言っていません。「まだ大丈夫だ」「すぐには健康に影響がない」という政府発表を垂れ流すだけです。「まだ大丈夫だ」ということは「いずれ大丈夫ではない」ということでもあり、「すぐには健康被害はない」というのは「やがて健康被害が出る」ということです。そういう文脈で報道する局がほとんどないのが、この国のメディア。大丈夫なら一晩でいいから、大丈夫だと言う学者や政府関係者、保安院の役人が現地に行って宿泊してほしいですね。あるいは、報道関係者が現地取材を数日間してみること。放射能を甘く見て、頭は経済のことばかり、この事態は収束まで百年以上かかることがわかっているのでしょうか。脱原発、反原発の論調はまったくありません。責任の追及も。それは東電を財界がバックアップしているから配慮があるのかもしれませんが、東電株が下がるのを怖れて損失がないように工作している企業もスポンサーなので、いろいろ言えないのでしょうか。そうとすれば報道人としてはモラルがなさすぎです。ひどい番組にいたっては、「原発が使えないことで日本経済への影響が懸念される。電力の備蓄が電気自動車の電池でできるので販売増を期待したい」・・・・電池に備蓄する電力はどこから取ってくるのじゃ!といいたくなる。それほど、この国の経済至上主義者は頭が悪いのです。電気自動車が実用化したら、これまた原発がいくらあってもたりません。こういう市場経済だけで考えている人は多く、おそらく「福島県の県民の一部が放射能の影響で死ぬよりは、日本経済の発展のほうが大切」と思っているのではないでしょうか。
日本経済も国民の生活も減速させていかないと、原発の数を減らすことは出来ないのに、経済でしか物が考えられないメディアがあるということは「命の軽視がある」という世の中になったということだと思うのです。とにかく、原発を減らす方向に、今後、国民運動が起きないと、この国の人々は「すべてを政府とメディアにゆだねて唯々諾々のお人よしの国民」と世界から見られるだけです。ところがですね。永年のメディアの報道だけで、つまり情報だけで頭を作ってきた多くの人々はことの重大ささえ分らず考えません。(新聞一部閲覧)
入園おめでとうございます
甲府では肌寒い日がずっと続き、ゆめやの桜はまったく咲く気配がありません。まるで、東北大震災の犠牲者を気遣って咲かないでいるのか・・・落ち着かない日々が続いています。震災の目を覆うばかりの被害、手遅れ気味の原発の不安・・・まだまだ蕾も固くて花が咲くどころの話ではないようで、とても花見に浮かれる気分ではありません。でも時間が経てば、子どもは成長する・・・春、入園のお子さんを持つ会員の皆様には入園おめでとうございますの祝詞をお伝え申し上げます。絵本専門店ゆめや
通信できなかった
先月13日現在、福島、宮城、岩手、青森のお客様とまったく連絡がつきませんでしたが、半月ほどして先月末には宮城・福島の一部を除いて多くの会員と連絡がつきました。ほっとしました。
この甲府でも信じられないほど大きく長い揺れを経験し、まさかそれが500kmも離れた震源とは予想もつきませんでした。こちらでも余震も頻繁で、ふつうの地震でないことは感じられましたが、報道を見て、聞いて、そのあまりの惨状に胸がつぶれる思いです。
12〜13日には宮城、福島の会員のみなさんに電話をかけましたが、まったく通じず、メールがつながっている方にはメールで、青森、岩手、宮城、福島の会員の方々にはアナログですがハガキを出しました。通信事情が悪すぎて16日現在ではまったく返信がありませんでしたが、だんだん連絡がつくにつれ、さらに被害のひどさをお聞きすることができました。連絡のつかない方は無事に避難されていると思いますが、ご家族の状況の確認もできませんので一段落したら(当分はムリでしょうが)どうか「無事だったこと」を御知らせください。
美しいものを支えねば・・・
私どもとしては悲惨な状態にじっと耐えている人々を見て何もしないでいるわけにはいきません。ゆめやでも救援物資の送付や募金を行いました。作家の杉山亮さんが本を送る活動を呼びかけていましたので、私も協力することにしました。会員の中にもそういう志の方が何人もいて一緒に送付しています。ご協力ありがとうございます。小さい力ですが、それぞれが、それぞれの力に応じて何かすることが大切かと思います。
東北では、これほどの大混乱が起きても、誰も配給の列の横入りをするわけでもなく、整然と順番を待っています。物が少なくても怒る人はいません。何よりここでは「略奪」ひとつなく、「自警団」も不要なのです。この美しいものを同じ国の人間として支えたいと思います。
人間はいつまでも飢えや不足を我慢できるものではありません。いくら東北でも戦後の個人主義教育の影響やサブカル文化で頭が壊れた人もいるでしょう。そういう人たちが動き出さない前に最低限の物資を送らねばならないと思います。個人では限度がありますが、がんばります。みなさんも個人的にがんばってください。
風が吹くとき
現在、福島原発が危機的状態になっていますので、落ち着かないです。爆発したらチェルノブイリです。その可能性は大きいのにあわてている人がいません。これは福島一県の問題ではなく、日本全体の問題・・・・というより世界規模の問題です。それなのになぜか担当者たちは他人事です。いったい、この脳天気な集団は何なのでしょうか。
案の定、電力会社も原子力安全院も対策がないまま放射能が漏れはじめました。「絶対安全!」と豪語していたのですよ!・・・漏れ出したら安全もなにもないのでしょう。正確な情報を流さないところに無責任さも感じます。
東京大学などの原子力関係の学者は「想定外の地震」を強調しますが、これは人災です。被曝は「殺傷」です。科学者の保証など、こんなものです。こんな危険なものが「想定外」のために操作できないというのは信じられないほどのバカさ加減です。それでも、想定外なら「しかたがない」とでもいうのでしょうか。それにしても、このあまりにもノンキな対応はいったい?!
福島原発の20km圏から30km圏へ避難する人たち・・・中性子線の怖さも放射能の怖さも知らないで、ただ言うなりに避難させられる人々・・・ガスマスクをした自衛隊員から測定器を当てられている姿を見ると、「さむがりやのサンタ」で、おなじみのレイモンド・ブリックスの絵本「風が吹くとき」のおじいさんとおばあさんを思い出します。放射能の防ぎ方を政府から教えられて、それを守り、放射能を浴びてだんだん毛が抜けて、衰弱して死んでいく・・・読む者が愕然とするほど悲しい結末です。正確な情報を流さない政府やメディア、責任感も危機管理能力もない人たちが恐ろしいものをいじる怖さ・・・この国の醜い部分の結果が出てきたのではないでしょうか。
それにしても原子力学者の無力さと異常な冷静さ、事態の深刻さが何も分っていない電力会社、他人事のように状況を説明する原子力保安院の役人・・・・この人たちはトンデモナイ高給取りで、やってきたことと言えば「原発は安全」「電化生活の推進」と国民を騙してきたことです。もちろん、黒幕はいるでしょうが、「風がふくとき」放射能が舞い上がり、やがて海も陸も死んでいく・・・マザーグースの歌がそのまんま。怖いです。最悪のシナリオを何と日本が演じてしまった!
人間の力など小さいもの
今回の地震の揺れと津波の大きさは、人間の力がいかに無力かも教えました。巨額な防災公共事業で守ろうとした町や田園が一気にやられてしまった・・・恐ろしいほどの自然の猛威です。
でも、そういうことは史上何度もあったわけですが、放射能の影響は津波以上に怖いもので長い時間の間にさまざまな悲惨な現象を生みます。これは科学万能を過信して、科学で何でも処理できると思い込んだあげくのはての悲劇なのだと思います。なぜ制御できないものをつくってしまったのか・・・その背後には便利さを求めた私たちもいます。便利さのすべては電気を使って実現できているわけで、50m置きに並ぶ自動販売機、1億7000万台といわれるケータイの充電、都市の異常な夜間照明、コンビニやショッピングセンターの長すぎる営業時間・・・・リニアや電気自動車が走り始めれば原発があと50基は必要になるかもしれません。原発は巨大地震がどこでも起こる地面の上にあります。その原発が制御不能になれば福島原発事故の再現は日本中で起こるわけです。われわれは便利さが電気とイコールであることをもっともっと知らねばと思います。
ところが多くの人は便利さ=電気とは思っていません。平気でテレビショッピングの電化製品を買い続け、たしかに新聞やテレビは原発を「安全、安心のエネルギー」としました。「オール電化は便利で文化的な生活だ」と宣伝してきましたが、その裏には私たちや子どもたちの命を危うくする放射能の危険が同居していたわけです。原子力政策や電力会社の宣伝にだまされていたと言っても過言ではないでしょう。同じような騙しは学校教育を通しても行われている可能性があります。
プロメテウスの火
物には必ず両面があります。インターネットの良い面と悪い面・・・でも良い面ばかり強調して推し進めてきたのが、この社会。人間性を変えたかもしれない悪い部分はあまり問題視されません。しかし、原子力の平和利用の名の下に原発があっても、所詮、恐ろしい「プロメテウスの火」であることには間違いありません。この火を燃やしてしまった現代のプロメテウスは、どういう罰を受けるのか・・・。自民党の原子力政策が取るべき責任は大きいです。
丸の内南口の日本石油(株)の前に立つプロメテウス像の下には「希望」と刻まれています。これは原子力保安院か東電の社屋の前に立てるべきです。人類に火を与えたプロメテウスは永遠の苦しみを受けるのですから・・・それにしても、なんと皮肉な「希望」の文字でしょうか。おそらく、これはパンドラの箱の故事から来ているのでしょうが、箱からあらゆる邪悪なものが出てきたあとで、希望という最悪のものが出てくるということを意味するのではないか・・・放射能で汚染された大地を、それでも生きなければならないのが「希望」なのです。
このような状況(二度目の被曝国)になって、まだ「便利な生活のために原発は必要だ」という人はいないでしょうが、もし、今後、脱原発の運動が起きないとしたら「日本人は便利さと経済発展のためなら命もいらないバカな国民だ」と世界中から言われることでしょう。
想定も予測も無力
年頭に、この夢新聞紙上で今年一年の状況のおおまかな予測をしましたが、こんな大きな災害が起こるとは予測できませんでした。ある本を読んで書いたのですが、人間の予測力などこんなものです。以下は平成23年一月号の就学児向けの夢新聞の文。HPの一部閲覧二十三年一月でご覧になることができます。以下、原文のまま。バックナンバーをお持ちの方は、次の記事をお探しください。
「さて、今年は卯年。いよいよ卯年の予測です。ウサギ年は「飛躍」とか「跳躍」の年だとか言われますが、それは真っ赤な目ではなく、真っ赤な嘘。ウサギから連想した思い違いにすぎません。
干支では「卯」の字は「門を押し開く」という字形で、行き着くところまで来た状態が門を押し開いて「矛盾や闘争や犠牲を噴出する意味を持つ」といわれています。変わるべき状態をそのままにしておくと、こうしたことが起こる確率が高くなります。「辛」の字は噴き出すエネルギーや力を表していますから、飛び出たらさらに危険が増します。怖いのはこの字が「殺傷」を含んでいる年だということです。大きな犠牲を伴う殺傷が起きなければいいのですが・・・・。しかし、実際にはまったく、こうした危険が配慮されずに、このまま行くことでしょう。」
想像力がないと・・・・
ご一読のように、まったく地震や原発事故を予測できなかったです。年末は雑念が入りすぎて、「矛盾や闘争や犠牲を噴出する意味」が海上保安庁の映像流出ニュースのために政治的・軍事的な事件になるのかしら?と思ってしまいました。門を押し開く力が、まさか500kmを動かすプレートの力だったとは・・・!人間の頭の外、つまり「想定外」はいつでもどこでも現実の中にあります。
「辛」が示すエネルギーの飛び出しが、まさか原発の放射能だなんて予測もつきませんでした。でも本には「殺傷」とあったのです。自然災害の地震や津波なら「死傷」ですものね。意味不明でした。読み取れなかった! 人間の予測力なんてこのていどのものです。
しかし、起こってみれば、なるほど、本はきちんと予測している・・・怖い話です。
科学力では地震の揺れ予告は10秒前くらいしかできません。やはり、想像力を働かせないと予測をしぼっていくことはできません。
ところで、気になるのは「実際にはまったく、こうした危険が配慮されずに、このまま行く」という予測です。原発の危険が配慮されずに、脱原発の運動が起きないということでしょうか。実際、統一地方選ではあろうことか原発銀座の福井でも原発推進派の知事が再選されました。原子力政策を推進してきた自民党の圧勝です。この国の国民は振り返ることがまったくできずに、すぐ昔のことを忘れてしまうのでしょうか。それなら一回目の被曝は66年前ですから、忘れて当たり前なのかもしれません。それとも、それでも豊かさと便利さが欲しいのでしょうか。想像力がなさすぎです。
変わるべきときなのに
たしかに、いまの社会の中軸の世代はバブル世代で「便利と豊かさ」が大好きな人たちです。さらに都会に住む若い世代は、便利、豊かは当たり前・・・ケータイとコンビニがなければ生きて行かれない世代です。さらに、この人たちと年金で金満な老人たちが電化生活を推し進めてきたのは一目瞭然ですよね。そして、この期に及んでも彼らは便利さ=電気ということがわからず「イケイケどんどん」なのです。朝まで放映しつづけるテレビ、計画停電がない首都、50m置きに並ぶ自販機、一日中やっているコンビニ、ファミレス・・・どこかおかしい。たった一日で三万人が死んでいるのに、この無関心と経済のことばかり考える社会はおかしいです。
本来は、この震災は転換点だと思うのです。日本人がおごった生活から、どのくらい無駄をしない生活に切り替えていかれるか。
四月七日の大きな余震で、青森、岩手の原発3箇所が外部電源を喪失するという事態が起きました。「福島を想定外というなら想定内で知らしめてやろうじゃないか」という受け取り方もできます。そして、四月十一日の福島浜通りを集中攻撃する大きな余震、その数の多さ・・・・これは大地の神が、便利さと豊かさのシンボルである電気の供給源を狙い撃ちして、「これでも目が覚めないか!」と騒いでいるようにも感じます。しかし、こういうことにも多く人が無関心・・・生活を変える気は経済界も産業界も一般人もありません。
無関心と先を見ない問題
まさか・・・とは思いますが、スポーツや芸能界をはじめとする救援フィーバーや相変わらず電気製品を売り込みをするキャンペーンを見ていると「この国は、頭がおかしくなってしまった!」と感じざるをえないのです。被災者の気持ちなどお構いなしに助けたい!助けたいの大合唱。
「実際にはまったく、こうした危険が配慮されずに、このまま行く」・・・放射能が舞い始めているのに、こんなにノンキにやっていていいのかなと思います。すぐには影響はなくても、いずれ漁業、農業、深刻な打撃がやってきます。ケータイ電話がなくても生きられますが、魚や野菜がなくては生きられません。それなのに、この国は危機に無関心で浮かれている。都会の野球場は客でいっぱい。しようもない芸能人のコンサートも客がいっぱい。そういうなかで、政府が、またぞろ頭の悪い復興策です。津波が来ても大丈夫の建築高層化、放射能対策の土壌改良策・・・表土5cmを剥がして土を入れ換えて畑を作り直し、放射能で汚染された水は太平洋に流して薄めれば、いずれ大丈夫。科学の力で何でもできる・・・みんな、そう信じているのでしょうか。「こりゃ先があぶないぞ!」そう感じているのは変わり者の私だけなのでしょうか。(ニュース一部閲覧)
(2011年4月号ニュース・新聞本文一部閲覧)