ブッククラブニュース
平成22年11月号新聞一部閲覧

こういうふうに入って来る!

 山梨日日新聞連載の「すくすこ」という子育てページに「アラフォーママがいく」という欄があり、ここに毎週コラムが出る。子育てに奮闘するアラフォーママの気持ちがよく出た文が掲載されていて、おもしろい。長いので全文紹介できないが、私の感想付きで、かいつまんでみる。先週のコラムは、子育てにサブカルチャーが入って来る「生活の隙間」と「拙劣なものだと分っていながら暮らしのなかに導入せざるを得ない」母親のやるせない気持ちがうまく表されている名文だった。
 「ついにアンパンマンのDVDを買ってしまった。あの丸顔の虜(とりこ)になっている息子に『実はヤツは動き、闘うのだ』と教え、喜ばせたい気持ちが3割、その間、家事ができるという誘惑が7割である。
 来月2歳の息子は私が洗うそばから食器をシンクにガシャン、包丁を持てばまな板に手を出し、電子レンジのボタンを押してカラ焼き・・・お手伝いのつもりと微笑むが、こちらにも生活がある」
・・・・そう、食事の支度はいまや女性にとって一大労働。この気持ちはわかる、わかる。仕事を持っていて外から帰ってきて、一休みもできずに食事の支度・・・家族を食べさせないわけにはいかない。誰も手伝ってくれなければ、こりゃあもう一大ストレスとなる。

育児の方針はあったが・・・

  「私には崇高な育児方針があった。アンパンマンなどのキャラクターの洋服を着せないこと。テレビやゲームには極力近づけないこと(子どもの好みなど親が操れると思っていた)。テレビのつけ放しには反対だ。テレビに子守させるのはよくない、という育児書のおっしゃるとおりだと思っていた。」・・・・・子どもを持つと多くの親には育児方針が出る。子どもをおかしな大人にしたくないものね。でも守らねば、実行せねば、政党のマニュフェストや首相の約束と同じで掛け声だけ、方針を立てただけになってしまうよねぇ。
 ところが、 「私はアンパンマンのDVDを買ってしまったわけだ。案の定、息子は画面を見て立ち尽くす。自分以外に子守り役がいない場合、母親はどうやったら子守り以外のことができるんでしょう?」・・ほんと、そうだよ。保育園に預ければアンパンのビデオが回っているし、部屋はアンパンマンだらけ。ギャルママの子も着ているから、そういうもので気を引きたいのはわかるけど・・・園もなぁ。
  「私が一緒に楽しんだら誰が息子の夕食を作るの? テレビに子守りをさせて私がしたいのは家族のための家事なのだ。趣味とか不倫じゃないんですよ。責められる覚えはないわ!」・・・まあまあ、逆ギレはよくないですがね。グチは出さないとストレスがたまる。でも、父親はどこにいるんじゃ! 相変わらず父は外、母は内ではないでしょうが、父が子育て手伝わないのは問題ですよ。私なんか夜泣きする娘を背負って朝の四時まで立って歩いてた。

その先はジブリ・・・なるほど

  「勝手に逆ギレしたが最後、ラクである。そしてラクしたが最後、もうDVDなしに毎日が過ごせない。朝9時、外に出たいとグズる息子に『アンパンマン見よう』。夕方6時、外で遊びたい息子に『アンパンマン見よう』。親の都合と勝手のものだが、少しは勝手でもしなければやっていられない。」・・・おうおう、開き直りか。でも同情しますよ。母親だけに押し付けられた育児は、けっきょく、どこかで開き直らなければ鬱病になってしまう。
  「大人向けのワイドショーやニュースを見る暇もなく、『しまじろう』に『おかあさんといっしょ』そして『アンパンマン』 ぼんやりと『こっちにおいで!』とスタジオ・ジブリの巨大な手が招いているのが見える昨今である。行きたい、そっちへ!」・・・すごい、すべてをお見通しだ。あなたは偉い!
 これは、何が良くて、何が悪いかをよく分っているお母さんだ。その先がジブリだなんて! サブカルチャーに浜って行く典型的なパターンとなれの果てまでご存知だ。これだけ自覚しているということは 「アンパンマンのDVDを買ってしまった」というのもコラムを書く上での嘘で、実際は買ってはいないな・・・と思った。こういう逆説で文を書ける人はすごい! 敬服。
 世間一般のバカ親は危機意識などまったくなく、キャラグッズで固めて子育てしている。それにしても、サブカルが心と生活の隙間から入る瞬間を描いたこのコラム、お見事です。孤独に、しかし、まじめに子を育てている母親への応援歌みたいなものですよ。これ、読んだら「よし、私も孤独にガンバルぞ。アンパンマンに子守りをさせないで!」という親も増える。
 私はマジメすぎて、こういう表現ができない。どうしても攻撃型の文になってしまう。やはり、困惑する気持ちを出したくないという男性原理があるからだろう。方針を表明したら、実行しなければみっともないという下手な矜持があるので、状況によってコロコロと変わる自分を文章で表現するなんて、とてもとても「みっともない」ことで・・・やはり、これは、このお母さんの勝ちである。
 私のマジメすぎる見解「この母親のように最初は確固たる方針を立てるが、現実に流されて行ってしまうのが、多くの家庭の子育て。前述のように、これは政治も同じで、言ったことが状況の変化でコロコロ変わる。ならば、言わなければいいのだが、ついつい、現実と出会う前には理想論が口から飛び出る。『言ったことを平気で覆すのは女性の特徴だ』と言った人がいるが、とんでもない。男の総理大臣もやるのだから女性の特徴ではなく、方針と実際の大違いは現代人の特徴なのだ。言った責任も取らず、腹も切らない。そりゃ、あなた、「基地は最低でも沖縄県外」と言っておいて、平気で「しかたなかった」・・・これに比べれば、「アンパンマンは与えたくない」と言って「状況が状況だからしかたがない」くらいは許される範囲である。しかし、子どもや国民がダメになっていく前に、親も政治家も、このお母さんのような先見がほしいですよね。

似たようなことは連続する

 飛行機事故は連続するというが、確かに一機ヘリコプターが落ちたら続けて落ちた。耐用年数が切れているから同じような事故が起こるという説もあるが、人間が主役の社会でも同じような事件が短期間に連続する。これも人間自身に耐用年数が来ていて、壊れ始めているからだろうか。
 学校の授業で刺激的な出題を出した教師が短期間に相次いだ。まず、愛知・岡崎で「子どもが18人います。一日に3人ずつ殺します。何日で殺せるでしょう」という割り算の問題が出た。次に山梨・韮崎の小学校の道徳の授業中に、「身代金目的誘拐の脅迫文に似せた文書を新聞の切り抜き文字で児童に作らせていた」ことが発覚、また、埼玉・入間市で「キス」「ハグ」などと書かれた「セクハラサイコロ」を使い、罰則として児童にキスをしたり抱きついたりしていた教諭が出た。愛知・東海市の高校では「校長を殺害した教諭を実名の選択肢で答えさせる問題」が出題され、話題になった。極めつけは東京・杉並の小学校で「3人姉妹の長女が自殺して、葬式が行われた。葬儀に参列した男子を次女と三女が好きになってしまった。葬式後、次女がこの男子に会うにはどうしたらいいか?」と出題し、正解は「妹を殺せば葬式でまた会える」・・・なんともはや、これはいったい?である。
 これらの多くは30代の若い教師だが、セクハラサイコロはなんと定年間近の59歳のベテラン教師・・・一番壊れている感じがするが、子どもに接する人々が、こういう倫理基準でいるというのは怖いものがある。

やはりサブカルの影響はあるな

 識者のコメントを読むと「子どもたちの気持ちが授業に向かなくなっているから、教師は子どもを引き付けるために工夫する。これからも起こるだろう。」とあった。なるほどね。より刺激的なものでないと反応しなくなっている子どもに問題があるわけか。もちろん、この現象は、ゆめやがずっとずっと、このニュースで述べてきた。サブカルチャーの影響を受ければ「頭は幼稚になり、より刺激的なものでないと反応しなくなる」「一番著しく起こるのは倫理崩壊」・・・と何十回も書いてきた。「またか、ウンザリ!」という人も多いだろう。それでも、もうかれこれ三十年も言っている。ニュース新聞のバックナンバーをひっくり返してみてください。極端に言えば記事の50%はサブカル批判、サブカル注意なのだ。
 三十年。ニンテンドーのファミコンが出て三十年。サブカルは、それ以前からあるので、つまりは大人も影響を受けて来ているわけだ。上記の事件の分析をしてみれば、そのことが分る。「バトル・ロワイヤル」や「名探偵コナン」を下敷きとした低級なドラマやゲームの影響を受けた出題内容である。教師の頭もサブカルに漬かっている。東京・杉並の出題など、かつて流行ったホラー問題の「まんま」でヒネリもない頭の悪さ、つまりは、子どもばかりではなく大人もサブカルチャーで脳内汚染されていて、モラルハザードが始まっているわけだ。倫理崩壊の特徴は、「周辺や相手のことを少しも考えずに、思ったことを言ったり、やったりする」というものである。依存も起こる。罪の意識も希薄になる。制度や社会構造が規制緩和でゆるやかになり、生活に緊張感がなくなって自由が勝手につながると、倫理崩壊は爆発的に始まる。

ハザードはいたるところで

 こういった非常識な事件は特別な人種が引き起こすものではない。ネットの進化でネットショッピング、オンラインゲームにハマっている人は子どもだけではなく大人も多い。これは誰も規制しないので、いわば野放しになっているわけで、同じような非常識なこと、異常な事件は、いたるところでこれからも起きるだろう。教師の問題作成がひどいくらいは、まだいいほうなのである。いまや倫理的に崩壊した少年少女が結婚?して、子どもをつくり、その子どもがまた同じ道を歩むという悪の連鎖さえ二十数年前から始まっているのである。
 そんな中でいったいオピニオンリーダーたちは何を言っているのだろうか。表現の自由という錦の御旗を立てて、ドラマやゲームは作られ、それを遮るものはない。これを、そうした悪の連鎖から生まれた子どもを筆頭に、ふつうの家庭の子どももケータイやネット、マンガやキャラグッズを通して汚染されていくのに・・・・御気楽に「自由」だことの「権利」だことのゴタクを並べている。これでは何か起こらないほうが不思議と言うものである。
 映画、テレビのドラマ、ネット、ゲームの世界で子どもたちは、大人になるまでに何回、殺人シーンを見て育つか。アメリカでは5000回という統計が出ているが、日本も同じようなものだろう。自由と言う名のもとに垂れ流しされる「悪」・・・ハザードが広がらないわけはない。ひょっとするとオピニオンリーダーたちはゲームの内容のヒドさ、アダルトサイトの中身の凄さを知らないのかもしれない。こうしたサブカルが生活へ浸透してきているのを、もう止められない。その後の崩壊も止められない。二十年くらい前なら止められたが・・・流れに任せて誰も止めようとはしなかった。自由が良くて、規制は嫌だったのだからしかたがない。これは誰が何と言おうと止められない。

子どもに悪いものは大人にも悪い

 タバコや酒は子どもに悪影響を及ぼすから禁止されている。当然、麻薬も覚せい剤もだ。ところが、過激(アダルト)なマンガ雑誌、アニメDVD、アダルトサイトは規制がない。そのうちに麻薬を吸っている教師や生徒の事件が起きるかもしれないが、過激なサブカルで引き起こされた精神病の事件は原因にフタをせずにいつも特別な個人が引き起こしたものとして処理されてしまうのだ。誰もその犯罪行動や異常行為の根元にサブカルチャーの影響が大きいことに触れない。
 タバコや酒は子どもは飲めない。当然、麻薬や覚せい剤も。しかし、大人は、やっても大丈夫なのだろうか。タバコも酒もわずかながらでも社会的に害を引き起こしているものである、タバコはわずかな煙の害だが、それでも伏流煙などで周囲に肺ガンを引き起こすという。タバコは吸いながら運転しても罰せられないが、酒は刑事罰が下る。麻薬や覚せい剤は吸っただけで犯罪だ。つまり子どもにいけないとされているものは大人にもよくないものなのである。サブカルチャーの影響を受けて起きている事件は、子どものうちからサブカル漬けになった人間が引き起こしているものだ。ささいな事件かもしれないが、教師たちが起こした「問題」の問題は、その背後を見ていると、この社会全体が冒された病気の一部が見えただけ・・・そんな気がしてくる。



(2010年11月号ニュース・新聞本文一部閲覧)



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