ブッククラブニュース
平成22年2月号新聞一部閲覧
鬼が出た!
あっと言う間にお正月も終わり、二月になりました。甲府は思いのほか寒い冬となりました。と、言っても日本列島は長く、いやいやブッククラブには南半球の人もいますから、寒いのは甲府以北だけかもしれません。年末年始も毎夜マイナス。大寒からこっちマイナスの夜ばかりでした。ひどいときには7度、8度・・・水道が凍りました。甲府は節分のときが一番寒いような気がします。まだまだ春は遠いです。でも、春の来ない冬はないわけで、その意味では寒さも経験しておかねばならないというわけです。
二月三日・・・甲府の中心部にある大神宮さんのお祭りでは大規模に夜店が出ます。子どもを連れてお参りに行くと鬼がいっぱい出てきます。大人の鬼、子どもの鬼、赤い鬼、青い鬼・・・寒風に耐えて歩きながらダルマを買ったり、エンギを買ったり、「切山椒」というお餅を食べたり、節分行事は我が家の楽しい記憶がたくさん残っています。おそば屋さんでおそばを食べていたら突然入ってきた鬼に大泣きした上の娘、夜店の人波を見て「お父さんより背の高い人がいるのを初めて知った」という下の娘・・・行事にまつわる子どもとの記憶はかなり大人になっても残るものですね。そういう「共にいる」記憶を旧友しながら親も子も成長していくのだと思います。良い記憶は良い人生をつくると思いますし、記憶の共有は親と子の絆のもとになるのではないでしょうか。
今年も甲府の節分市と大神宮詣は寒い風の吹く夜となりました。日ごろは中心街の陥没で日暮れともなると人出がなくなるのですが、この夜だけは昔の活気を取り戻したかのようにたくさんの人が現れます。
まわりには鬼はいない
こういう風景の中には誰を見ても悪い人に見えるような人が見当たりません。夜店を歩く親子も若者も恋人たちも売る人も買う人も大人も子どもも・・・。鬼に追いかけられてキャアキャア言っている子どもたちの無邪気なこと、無邪気なこと、それを見ている大人たちの穏やかなまなざし、この風景を見ているのはいいもんですね。現代のお祭りは、人間のおだやかで楽しい面を見せてくれる行事です。
そんな人々の表情の観察に今年もマイナス6度の夜の節分を歩きました。それでも、行き交う人の中にはこんな田舎の町でも厚化粧のギャルやストリート系のだらしないファッションの中・高校生も見かけます。さすがに渋谷・原宿の百鬼夜行とは違って「姫ロリ」や「小悪魔」は見かけませんがね・・・。でも覚醒剤や窃盗などはとても連想できない若者の姿です。
でも、こういう観察していて、いつも思うのですね。「実際に見る人々には悪い人も恐ろしい人もいないのに、なぜ新聞やテレビにはトンデモなく悪い人が毎日たくさん登場するのだろう?」と・・・。昨日も信号待ちの人へ突っ込んだ盗難車、しかもひき逃げの外国人がいました。今日は得体の知れぬお金を何百億も集めて何かしようとする老人、千葉大園芸学部の女子大生を殺した強盗。その大学を出て英国人女性を殺した男。赤ちゃんを誘拐した中学生男子もいました。虐待もまだまだ減りません。そういえば、あの人間技とは思えない島根のバラバラ殺人はまだ捕まっていませんよね。今日の新聞紙上だけでも凶悪な人を十一人も数えられるのですから、どのくらいこの国には悪人がいるのでしょう。
でも、それでも、節分で鬼にキャアキャア言っている子たちが、大人になって凶悪になるとは、とても思えません。夜店で縁起物を買いながら笑いさざめく人たち、笑顔で売る人たち・・・この人たちが急に鬼になるとは思えません。周りの人々はみんな福福しい人たちなのです。あなたの近所にもいないでしょう。このおじさんは老人の家に押し入ってわずかなお金を取るために殺人をする人ではないか、このおばさんは結婚詐欺を次々として相手を殺していく人ではないか・・・そんな疑念を持つような人はまったくいないはずなのです。でも、メディアの中にはそんな鬼がいます。いったい、どこから人は鬼になるのか? あるいは誰もが鬼になる要素を持っているのか? 不思議です。やはり、育ってきた環境、親の接し方で、「人は人間にもなれば鬼にもなる」のでしょうね。
鬼を出さないために
以前、「私は幼児・児童虐待のことについてブッククラブのニュースでは一切触れませんので、そのつもりで・・・」と述べたことがあります。それはそうでしょう。絵本を買い与えて、読み聞かせをしようとする親が子どもを虐待するわけがないのです。せっかく授かった子どもを他人の手にゆだねて楽をしようという親が絵本の読み聞かせをするわけもありません。そういう親に「児童虐待」の情報も解説も不要だと思います。必要なのは、ふつうの家庭を襲ってくる子どもを鬼に変えてしまうかもしれないものについて、だと思います。家庭を異常にしてしまう可能性を持つ傾向についても知らせなければならないでしょう。メディアから流れる情報はトレンドに媚びたものでしかなくなっています。子育てについても「なんとなくGDPアップという国の指針を受けて、少しも子どもの立場に立っていない報道をしている」と感じるのは私だけでしょうか。まあ、それならまだ良いほうで、テレビなどはシッチャカメッチャカの末期的症状を示していますがね。
節分の街から帰宅の途中、ゆめやの近くにある児童相談所の電気は夜九時でも煌々と付いていました。預けられている子で満杯だという話も聞いています。ゆめやに来る子どもたちや壁面一杯に飾られた写真年賀状の中の家族の肖像を見ていると、どう考えても世間を騒がす「鬼」がいるとは思えないのですが・・・。恐ろしい鬼たちは、私達の周囲ではなく、いつまでも新聞の上、テレビの向こう側にいてほしいものです。鬼は外で、福は内です。(2月号ニュース一部閲覧)
皇帝からもらった花の種
いやはや寒がりやのゆめやにとって年末からの夜の寒さはたまりません。この時期は夜中までしなければならない仕事が多くて大変です。年間のスケジュールで動くゆめやは年末から新年度の準備をしなくてはなりませんからね。もともと怠け者ですから努力や苦労はしたくないのですが、生きるためにはしかたがない(笑)というところがでます。すべてを二人でやるのはきついのですが、人を雇ったら営業しないほうがいい仕事なので、まぁ、グチはこぼさず今年もがんばらねば、と思います。新年度もよろしくお願いいたします。
こういう時期には余計な仕事が重なることもけっこうあります。たとえば年末に送られてくる去年一年間に発行された児童書のリストからベストスリーを選ぶ作業。平凡社の「別冊・太陽」で毎年恒例で行われ、児童書関係者の選んだ本がランキングで示されたものが三月に発行されます。でも選ぶのは大変なんです。一年間、新刊に目を通して、「これは良い!」と思うものをピックアップしておかないと、いきなりでは無理です。とにかく一年間に出版される絵本は二千冊くらい。もちろん、ぜんぶに目を通すことなど不可能ですから、特別のテクニックと勘を働かせて秀作をしぼっていきます。その締め切りが一月十日でした。今年はベスト3のトップに「皇帝からもらった花のたね」(デミ・作/徳間書店)という本を選びました。
なぜ花は咲かなかったのか
どういう本かと言うと、こんな内容です。皇帝が世継ぎにする子をみんなの中から選ぶのです。それには「花をきれいに咲かせることができた子から選ぶ」という条件を出すのです。その中に花を育てるのが上手なピンという子がいて、もらった種を鉢で育てはじめるのです。でも、水をやっても肥料をやっても芽が出ません。他の子どもたちの鉢にはきれいな花が咲き始め、いよいよ皇帝にお見せする日がやってくるのですが、ピンは芽も出ない鉢を持っていかなければなりませんでした。花のない鉢を見て皇帝はピンに尋ねます。「おまえの花はどうして咲かないのだ?」ピンは正直に「いくら水や肥料をやって世話をしても、どうしても芽が出ないのです。」と答えるよりありませんでした。ところが皇帝は何とこのピンを世継ぎに選ぶのです。どうしてか?
(本の紹介で話を最後まで書くのはルール違反ですが)皇帝が子どもたちに配った種は火で焼いて芽が出ないようにしてあったのです。つまり、どんなに一生懸命に育てても芽も出ず、花も咲かないものだったわけですね。では、ピンはともかく、なぜ他の子どもたちの花は咲いたのでしょう。当然、それは親たちが咲く種と交換したのです。そして立派な花が咲くように育てるのを手伝ったのです。でも、そういう中で育つと、決断力や責任を果たす力が身に付きません。嘘を言ったり、ごまかしたら人は信用しなくなります。そんな人が皇帝になったら国は乱れますよね。だから皇帝は正直なピンを世継ぎに選んだのでしょう。
子どもが出す成果を先回りして手助けする・・・苦労や努力を経験させない・・・親心というものが見かけの成功を狙うことに費やされてしまったようです。お金があると物がかんたんに買えてしまうのです。物は所有できますが、それにくっついているもの(考え方や経験、努力や苦労)は所有できなくなります。しかし、これは現代では子育てのなかで平然と行われていることです。また、それを学校や組織が要求していることもあります。評価を悪くされるのを恐れて親は子どものすることに介入するわけですね。医者にしたいがゆえに裏口入学させるなどということは、かなり前から行われていましたし、子どもが熟練するまで待てない親はゴマンといます。小学生くらいになったら、親は子どもの先回りをして何もしないことですが、いまや受験についてまわる親、大学の入学式、卒業式にまで出しゃばる親がいます。これでは子どもはいつまでたっても大人になりません。大人にならないどころか、自分では何もしない人間になってしまう可能性も大きいです。最近の若者を見ていて思うのは自分から何もしない人が多いということです。職を失ったら、なぜ自分で仕事をつくろうとしないのでしょうか。みんな誰かにしてもらう習性がつきすぎです。自分でスキルを高めて、自分で何かをする充実感をなぜ求めないのでしょう。それも、これも子どものときから親が先回りをして、最短距離ばかり走らせてしまった結果なのではないかと思います。
たしかに少子化の時代では子どもは大切な存在です。問題はどのように大切に育てるか。先回りして安全に生きられるように保護ばかりするか、それとも経験すべきことは嫌なことでも苦労が伴うことでもさせるか、・・・・たしかに、むずかしい問題です。でもね。親は子どもより先に死ぬのがふつうですから、いつまでもバックアップできません。鳩山首相のように親に無尽蔵にお金があれば援助でも何でもできますが、ふつうの親はできない! 過保護ではなく、すぐに咲いてしまう花でなく、いつか花の咲く子を育てたいです。(2月号新聞一部閲覧)
(2010年2月号ニュース・新聞本文一部閲覧)