ブッククラブニュース
平成20年1月分

あけましておめでとうございます

2008年1月号一部閲覧01

笑顔を増やすために

2008年1月号一部閲覧02

今年はネズミ年。干支でいえば戊子(つちのえ・ね)。「戊」は植物が茂りすぎた状態、「子」はもちろんネズミで増えすぎた状態を表すと言います。あらゆるものが複雑に絡み合い、不要なもの、無意味なものが増え続けていることを考えると、なるほど戊子そのものの状態という感じがします。
本来のあるべき姿からはかけ離れた状況が世の中に出回りすぎました。インターネットから溢れる情報や物はまさしくそれそのもの。市場に出てくる物も多くは不要ないずれゴミになるようなものばかりです。儲けよう、たくさん売ろう、という合言葉のもとに始まった市場原理主義が限界に達しているような状態ですよね。「明日のエコでは間に合わない!」というCMがあります。「温暖化だから焚き火をしてはいけません」と回覧板が回ります。焚き火でヤキイモを焼いて食べるときの子どもたちの笑顔が、これで消えます。戦闘機が一回飛べば焚き火が出す二酸化炭素より大量なのに、それをやめろ!という回覧板は回りません。「今日のエコでも間に合わない」かもしれないのに、多くの人は「わかっちゃいるけどやめられない」状態に陥っているのかもしれませんね。
ほんとうに必要なもの、重要なものには目が向かず、何となく便利、なんとなくオシャレ・・・ということで買わされたり、与えられたりしている生活を見ると、「なるほど戊子なんだなぁ。」と思います。科学も進歩しているように見えるけれど、実は方向を見誤った異常な進歩のような気がします。ロボットがお茶を運んだり、車が事故を未然に感知する・・・なるほど進歩だけれど、それが人間にとって必要なことなのかどうか。科学の暴走が始まったのは1970年代くらいからだと思いますが、この時期に本屋で思想や哲学の棚がなくなっていったことと無関連ではないでしょう。

単純で自然なことを

私は、単純で自然なことが笑顔を生むと思っています。例えば、ゆめやにはずーっと長い間、木のパズルやおもちゃが置いてありますが、毎回来る子どもが、この単純なものでじゅうぶん遊ぶのです。完成すると笑顔がこぼれます。こういうことは大人もそうだと思います。複雑で不自然なことばかりやっていると頭がおかしくなり、いつか包丁を振り回したり、銃を乱射することになりかねません。
豊かなことが自然なことではないことに気がつけば、もう少し周囲に茂った葉っぱを切り落とし、日当たりをよくすることができるはずです。そうしないと木は成長しません。こんなことは針葉樹を植えればすぐわかることですが・・・。物を大量に与えることが子どもの幸せな成長につながるかどうか。私は、これまでにたくさんのものを与えられて育った子で悲しい結果になっっている例をいくつも見てきましたが、いまや必要なもの、生きるうえで重要なものをきちんと選んで与える時代になっていると思うのです。そうすれば子どもの笑顔は絶えることがないでしょう。楽しくない子ども時代を過した人は、楽しくない人生を生きる可能性が高いのです。

衝撃的だった「小皇帝の涙」

 2008年1月号一部閲覧03
先日、放映されたNHKの「激流中国」という番組を見た方も多いと思います。副題が「小皇帝の涙」・・・小皇帝とは一人っ子政策で生まれた子どもたちです。猛烈な詰め込み教育をされていました。勝ち組になるためには学歴が必要だということです。遊べず、学校から帰れば、またお勉強。わが国で、あそこまで子どもを追い込む教育をしたら虐待と取られて問題が起きるでしょう。行き過ぎで「ゆとり教育」ということになった経緯もありますしね。でも、小皇帝たちは反抗の涙を浮かべながらも親の言うことを聞かなければなりませんでした。笑顔はまったくありません。涙、涙、涙・・・見ていてかわいそうになりました。私は、勉強も含めて楽しいことがなければまともな成長はないと思っています。詰め込んだ結果は、日本では社会現象の一部にもう出ていますが、もちろん、中国の結果はまだ出ていません。あと数年後、中国では青少年の事件が多発するでしょうね。笑顔を奪った結果は悲惨なものです。年賀状に溢れる笑顔の数々を見ながら、日本はまだまだ捨てたものではないという気がしています。多くの子どもが笑っている、未来を見ている。日本の「戊子」・・・不必要なものは捨て、笑顔を増やしたいですね。 (ゆめやのニュース2008年一月号一部閲覧)


2008年1月号一部閲覧04

平成もあっと言う間に二十年。おそろしいほどのスピードで過ぎてしまいましたね。平成生まれが、大人の世界に仲間入りする時期になるなんて、私にはついこの間まで想像もできませんでしたが、実際にかつてのBCの会員が大学生になって顔を見せてくれると成長のすざまじさを感じます。さらに隔世の感があるのは、昨年あたりから、かつてのBC会員だった子が何と子どもさんを連れて新たにBCを始めるという現象が起き始めました。紹介者が「母親(つまりお母さんのお母さん」という不思議さを見ると、「ほんとうに長い時間が経ってしまったのだ!」と思わざるをえません。

どうする日本

明治以来の歴史を顧みない教育と時間に追われる生活習慣の日本では、一世代ごとに共通の言葉が消えていきます。若いお母さんと話していて、私には周知の事実だと思っていた常識が、「生まれていないから知らない」「そういうもんなんですか」という反応で、ここのところ激増。こういう変化を見ていると「いったい、どこまでBCが続けられるのだろうか」と感じます。
時折、「ここまでゲームを与えないで来ました。」「最近、ゆめやさんはゲームやケータイのことを何も書きませんが・・・」と自分の生き方を応援してくれるように話す方もいて、まだまだすべてが怒涛のように崩れ去っていないのだ、と思うこともあります。 「囲い込み」で生きている日本人の社会では、物事の良し悪しを判断しないで、みんながすることが良いこと、みんながしないことが悪いことという決め方です。だから、「ゲームを与えて良いか、アニメを見せて良いか」などという質問には、「こういう時代ですからね。しようがないと判断したら与えてもいいんじゃないですか。個人責任ということで・・・。」と答えることは多いのです。内心は「悪いと思ったら与えなきゃいいじゃねぇか」と思いますが、回りの目を気にする人には「免罪符」がほしいのでしょう。
ただ、かつて読み聞かせを受け、読書体験が豊富な子たちといろいろな話をすると話が通じることもあるのです。通じるというより、逆に新しい考え方を教えてもらうこともあります。やはり読書は人を豊かにするなぁ、と、つくづく感じるわけです。ここでもまた、まだまだすべてが崩れ去っていないのだ、と思います。

どうなる日本

考えてみれば世の中は私の思惑とは正反対の方向に進んでしまいました。いまや「ゲームは異常性格をつくる」「サブカルチャーは頭を大人にしない」と言ったところで、「何、言ってるの?」という時代になっています。学校の先生ですらゲームやPCで育った世代、平気でそういう話題を教室で口にする時代なのです。
でも、前述のようにすべてがすべて日本の大変化に呑み込まれているわけではない・・・・それを知るたびに「もう少しヤセガマンを続けてみようかな」という気持ちになります。でも、まだどうしようもない時代は続きます。

どうもならないか

今年の干支は「戊子」・・・ただネズミ年だからといって、子どもがどんどん生まれ少子化が解消するという時期ではないのです。たしかに、六十年前の昭和二十三年のネズミ年はそういう年でした。未曾有の出産ブームでした。
しかし、易によると今年の干支「戊子」は、茂りすぎた樹木の枝を切らないとその後の成長ができないという意味を示しています。環境問題も教育問題も福祉問題もあまりに複雑に枝葉を伸ばしすぎたので、ここで伸びた枝や葉を切ってすっきりしなければならない時期なんです。少子化が経済を減速させ、複雑な教育システムを簡素化する必要があるのですが、おそらくこの六十年で得た豊かさを追い続けるのが流れでしょう。老いた枝葉だけは茂り、若葉はなかなか育たなくなります。何十年も前のスタープレーヤーが、いつまでも監督になっていて若手が育たない状態と同じですね。ただ、この刷新ができるかどうか。政府は相変わらず「経済成長と環境対策」という矛盾した二つを並べ、教育も学力を高めれば社会性の高い人間ができるという矛盾した二つを掲げています。平行して行なえば、とうてい枝葉を切ることができません。

気づいて来てはいるが・・・・

 

2008年1月号一部閲覧06
NHKで放映された「激流中国・小皇帝の涙」を見ましたか? 日本人にとってはおどろくべき教育の光景が映し出されていました。宿題の山で遊ぶ暇もなく、学校は成績の良い子を指導者のモデルにしようとする。学歴がないと成功しない社会を描いていました。親たちの叱咤激励、競争主義。しかし、あれでは、口のうまい人間や賄賂を贈る人間が一番成功することになってしまいます。知識を詰め込まれて、成績主義で来た人間がダメになっているのは日本がお手本なのに・・・・。そのうち日本と同じような青少年の精神病的な事件が続発することになるでしょう。中国は大きな国なので反乱につながるかもしれません。これも急速な高度成長が生み出した矛盾です。
一方、韓国のTV局が放映した「儒教」四回シリーズは、別の視点でグローバル化を越えて新しい基準を求めようとする試みでした。グローバル化によって壊された社会を過去の知恵から再構築しようというものです。韓国も過度な受験戦争の中で「礼」や「信」や「義」が失われてきているからでしょう。さて、気づいては来ているもののどうなるか・・・市場原理と成長の限界をどう読むか。競争が日本の小皇帝たちの涙を誘わないように家庭こそ子どもを守る側に立ちたいものです。


(平成20年1月新聞一部閲覧)

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