ブッククラブニュース
令和4年
7月号(発達年齢ブッククラブ)

2022年8月の予定

8月の休業日は日曜・月曜、祝祭日、臨時休業はありません。お盆休みを8月14〜16日までいただきます。
 ※9月30日までは夏時間の午前10時30分〜午後6時30分
 受け取りの方で午後6時30分以降に来てしまった方は電話かピンポンで呼び出してください。店を開けます・・・・。
 【コロナ対応について】
 7月はひじょうに感染者が増え始めましたが、たいしたことのない風邪状態なので、マスクもつけずにいらっしゃってもかまいません。軽症・無発症が多く、弱毒化は進んでいるようです。ワクチンの成果ではなくウイルス自体が終息に向かっているのだと思います。ウイルスも人を殺しつくしたら自分も生きられないので、5波、6波あたりから収束に向かうのが普通です。今回は7波ですから終息は今年いっぱいかと思われます。お子様のマスクはまったく強制しません。定期的に換気はしますが、蒸し暑くなってきていますのでクーラーもかけます。
発送会員の方に
 郵便振替の際に ATM でお支払いをお願いしていますが、手数料こちら持ちにも かかわらず、日本郵便は振り替え手数料を取ります。ちょっとひどい。で、手数料軽減 の方法として「ゆうちょ銀行」の口座をお持ちの方は、ゆうちょ銀行から振替口座「絵本 専門店ゆめや」00400-6-7649 に直接振り替えると手数料が軽減されます。通信 はできませんが、ご連絡やお便りはメールでもかまいません。この方法も試してみてください。
 ゆめや店主 7月10日

暑中お見舞い申し上げます

 なんと6月に梅雨が明けたと思ったら40度になるような猛暑。いよいよ自然も目に見えるかたちで狂い始めたような感じがします。昨年7月号 で「疫病流行った後は治安が悪くなる」と言いましたが、やはり、春ごろから信じられないような事件・事故が起こっています。怖いのは、それに慣れてしまっている私たちの頭ですね。
 さらなる異常は、平気でおかしなことを言ってはばからない人が出てきていることです。酔っぱらいや受け狙い芸人ならともかく、政治家とか教育者とか、本来、まともなことを言わねばならん人が、とんでもない発言をするというのも人間が壊れてきているからでしょうか。
 こういう現象が、底辺ではひき逃げとか煽り運転、詐欺や虐待などの暴力につながっているのでしょう。法律が守られない社会は安全ではないのですが、なんと言っても平気で上の人から法律破りをやってますからね。上の人は力で逃げ切ります。悪いことをしても逃げられる社会は危ないです。まあ、悪いことをすれば天網恢恢疎にして洩らさずで天罰は覿面なんですが、小さい事件事故は怖いですね。子どもを巻き込む事件・事故も増えてます。これも暑さのせいだけではないでしょう。要注意ですね。
 でも、そうはいうものの、この暑い夏、コロナでたまったストレスをどこか発散をしないと、こちらまで心をやられますから、海や山、イベントなどをなんとか楽しむ方法を見つけたいものです。自然との楽しみは昨年7月号に書きま したが、今回は室内での楽しみ方です。

原画展やってます

 絵本の原画を観に行く・・・・ たとえば、今年の夏、山梨県立美術館では絵 本の原画展が一か月以上行われます。7月16日から8月28日まで・・・・夏休み全カバー「はじめてのキャンプ」で知られた林明子さん、「ぞうくんのさんぽ」で有名な「なかのひろた か」さんなどの原画50点が並びます。原画はきれいですよ。宮城県立博物館所蔵のものですが、「はじめてのおつかい」は 仙台在住の筒井頼子さんのものなので、その関係で収蔵されたのかも。
 この50年に出版された話題作ばかりの展示ですが、生き残っていて、いまだに出版されているのは、なんとたった15点しかないそうです。あとは絶版・・・時代の移り変わりを感じますね。だんだんアニメ絵本に押されて名作が消えていきます。さびしいですね。

いい時代もありました

 「はじめてのおつかい」は?・・・・ なんでもそうですが、本も時代の流れによって流行り廃りが起こります。 良い時代には良い本が生まれます。
 「はじめてのおつかい」は、当初から人気のある本でした。筒井さん+林さんの出世作でしょうね。 ところが、三十数年前、アメリカに赴任したブッククラブの会員から「アメリカでは、こんな小さい子を一人で買い物に行かせたら親が罰せられます」と言ってきました。当時は、ウチの娘たちも4歳くらいで、一人で買い物に行かせていくのはあたりまえでしたので、「すごいな!」と思っただけでしたが、いまは日本もアメリカと同じ状態です。
 それだけ世の中が悪くなったということでしょうね。まだ絵本「はじめてのおつかい」は健在ですが、やがて誰かアメリカ人と同じことを言い始めたら絶版になるかも、です。
 こういう移り変わりを見られたり、印刷された絵本の絵と原画の違いを見られるのは、展示会のときだけです。山梨県の会員はもとより近県の会員にも見てもらいたい原画展です。バルビゾン派(ミレーなど)の収蔵も充実の美術館ですから、ぜひ。

山梨には高原・湖・・・名勝はたくさん

 山梨には自然は数え切れないほど美しい場所があります。キャンプがてらに・・・どうかお出かけください。山梨は東京圏、名古屋圏からかなり訪れやすい場所です。
 高山もあれば高原も湖もかなりあります。キャンプ場も数えられないくらいありますから、いい空気を吸って子どもを遊ばせるには、かなり、適した地域です。
 八ヶ岳周辺には絵本美術館がたくさんありま すし、その周辺にはレジャー施設も多いので、壮大なアルプスの風景を見て、絵本美術館で原画を見ることもできます。
 富士見高原リゾートや富士見パノラマリゾートなどは、風景、遊び、その他の見学などができる夏向きの施設です。標高が高いから涼しいですよ。

配本の意味と読み聞かせ

③ 1歳前半

 1歳前後まで反応がぼんやりしていた子どもも1歳を過ぎると、本の流れに強い関心が出始めます。もちろん、絵柄や登場する動・植物、図形などが認識対象ですが、じつは耳からかなり大量の言 葉が入ってじょじょにわかり始めるころで、ここは読み聞かせで、も っとも大切な時期です。
 なにしろ、平面に描かれたものをなんで あるか認識して、しかも話のスジの流れをわかるようになるのです から半年前には表情もあまりなくボヤっとしていたときとは大違いです。
 もちろん個人差があり、しっかり本に目を向ける子もいれば、かなり散漫であっちこっちに気が行く子もいますが、1歳半になればほとんどの子が本そのものの流れを落ち着いて楽しめるようになります。
 この発達の速さはある意味おどろくべきことですが、1歳半までの表現言語(発語)は「ママ」「パパ」「わんわん」「ブーブー」など同音の繰り返していどのものしかありません。
 でも、聞いて覚える理解言語(頭でわかっている言葉)は時間とともに増え、1歳半では100語以上はあると言われています。と、言うことは、言語獲得のスタート期間なのですから母語の語りかけは、とても重要というわけです。
 原始人も最初は喃語のようなムニャムニャした言葉を発していたでしょう。それ が会話として成立していくには何十世代もかかったわけですが、赤ちゃんは生ま れてからおよそ2年で、会話が可能になるわけで、これはものすごいスピードで人類の進化のおさらいをするようにできているわけです。
 1歳半までの読み聞かせの定着が1歳後半の会話可能時期に大きく反映します。2歳代になれば周囲の人との会話が自由になるわけですから、もっとも重要なのは1歳代に耳から入る言葉でしょう。
 1歳児の絵本はむずかしい言葉はありませんので、どのような補い方でもいいのでいろいろな言葉が耳に入るように読み聞かせてください。半分は親と子の会話ですね。すぐに原始人から縄文・弥生人になる時期がやってきます(笑)。

私の好きだった絵本 ③

にんじんのたね(旧名・ぼくのにんじん) こぐま社

 ゆめやが開店した年(1980年)に「ぼくのにんじん」という名で出た本で、その後装丁が変わって「にんじんのたね」という題になった。
 2歳半の男の子に配本していたから、現在30歳代のおとうさん会員は読んだことがあるかもしれない。先日、お孫さんへの配本を頼まれて手持ちリストを送っても らったが、そのなかにちゃんとあった! 「2歳半でぜひ読み聞かせてください!」と伝えたので、お母さんが、そのころ読んでくれることを期待したい。
 話はひじょうに単純で、にんじんの種をもらった主人公の子どもがそれを植える というものだ。この話はけっこう子どもの好奇心をくすぐるもので、種が作物になると いうことへのおどろきもだが、育ててみたいという気持ちも持ち上がってくるのだろ う。当時、配本した時にお母さんたちから「にんじんの種を買って植えてみました」と いうおたよりが、いくつも来たのを思い出した。クロケット・ジョンソンの絵がかわいら しい。こういう本が絶版になってしまうのはまったく惜しいことです。

天変地異や社会変化が起こる感じ

 変な終わり方の梅雨のあとの台風、まだ先に天候異変がありそうな感じです ね。この時期は水害が多いので、そのあとは猛暑・・・トホホの夏になりそうなゆめやです。ちなみに7月4日のゆめやの温度計が左。玄関先では40度!
 甲府はハンパなく暑いですから。40度越えがないことをひたすら祈ってます。でもまあ、夏は夏、お子さんたちと楽しい体験から何かを考えること ができればいいと期待しています。
 さて、七月は選挙があり、みなさんがこれを読むころには大勢は決まっていると 思います。かなり世の中が変化したので、選挙に行く若い人もあ まりいないようで、強引な政策集団が圧勝でしょうね。 でも、猛きものもついには・・・で、最近のこの国を見ていると いたるところで衰退していく現象が見られます。それでも、まだ 「Japan as No.1」の時代を忘れられずに、無理をして大国であろうとしてますよね。危険な感じです。150年前、日本の人口は3,330万人だったのです。人口が増えた時代の方が戦争が起きて大変でした。

おどろきの「楽で便利主義」

 先日、山梨の地方紙が「若者はなぜ投票に行かないか」のアンケートを大学生から取っていました。行かないのは「何も変わらないから」が主な理由ですが、「スマホで投票ができれば投票する」という意見が多かったのには愕然としました。若いのに投票所に行き、字を書くのも面倒という体力・気力のなさ。その結果、徴兵令が出て、戦争に駆り出されるということも想像できないのかもしれません。楽で便利の大きなツケが回ってきそうです。「そんなこと起きるわけないじゃん」と思っているのでしょうが、そんなこと、起こるのです。公約や選挙運動中の発言で、おかしなことを言っている政治家がいます。あるいは、頭の中スッカラカンの芸能人が人気だけで候補者にさせられてます。
 この連中は上が「戦争!」と言えば「はい!」という人々。ところが、少しもメディアは批判しない、報道しない。何か言うと力のある政党は「公平性に欠ける」という反論をします。選挙前にマスコミがおかしな発言をする人物を批判して、それが選挙に影響を与えたとしても、一体何が悪いのでしょうか?

「TN君の伝記」をもう一度

 「公平性を欠く」というより不都合なことが表に出ないようにしているとしか思えないですよね。テレビ局も、もう無茶苦茶な感覚になってます。選挙が終わったあとで「〇〇無双」なんて番組をやっても、意味がない。ここまで「面白ければ何でもいい」が浸透したら後が怖いなぁと感じました。異常な状態です。これでは学ぶ意味はなくなります。子どもたちはやがて大人になります。そのとき「おかしいこと」は「おかしい!」と言えねば!!!
 低劣な政治家たちが行う民主主義の破壊は、やがて世の中を異常な形で崩壊させてしまうでしょう。それは子どもたちの未来に大きな翳りをなげかけます。この国では明治の中頃に、中江兆民らが自由民権運動のような初期の民主主義を掲げましたが(福音館書店・TN君の伝記。なだいなだ・作 参照)
 けっきょく薩長を中心とした藩閥の強権政治の中で潰されました。

目先を楽で便利なものに向けられ

 子どもたちは何を学んで大人になるのか・・・学ぶ目的は「安心して生きられる世の中で充実した人生を送ること」だと思うのですがなかなかそれがむずかしくなっています。
 すべて儲けるための大人たちに何かしてもらうのではなく、自分でなにかしていくことを学んでいくのですが、どうもそうではなくなっています。自分でなにかする権利を手放したら、エサで釣られて生きるよりありません。命令されたら、命までスリ減らして我 慢しなければなりません。大きな不安をつくらず、子どもがきちんと楽しく生きられる世の中をつくるのが政治家ですが、お金儲けに奔走する政治家は儲かれば、屁理屈を言って再稼働でも戦争でもやりかねませんからね。平気で差別し、支配して自分の言い なりにしたいのが政治家の体質でもあります。彼等はまともな考えは学んでいませんから、ひどいこともできます。

上に立つ人は本を読みなさい

 たとえば、ロシアのプーチン大統領がトルストイの「戦争と平和」、「人は何によって生きるか」、あるいはドストエフスキーの「罪と罰」を読んでいたら、無謀な侵攻はできなかったでしょう。
 同じことは字があまり読めなかった安倍晋三・元総理も漱石や鴎外、芥川や新美南吉を読んでいたら、金と軍備に執着する政治は行えなかったでしょう。
 学ぶということは技術や知識だけではなく、考えを学ばねば暗く、酷い人生になる可能性が多いのです。いま、タブレット学習の画面の奥に、そういう「考え」は秘められているのでしょうか。

時間を取りもどす ③ 時間泥棒

 子育てする上での親の考えや価値観は、「子どもが大人になって困らないように、それなりの力をつける」というのが一般的なことだと思ってま す。これはいつの時代でも変わりなく、自然なことですが、その内容になると「ちょっと違うな」と思わざるを得ないことも多いです。
 お稽古事でも次から次へと月月火水木金金でやらせたら、これはもう時間の消耗以外の何ものでもないでしょう。ひとつをやるなら「熟達」につながるかもしれませんが、いろとりどりにやったら何もできないことに なりかねません。レオナルド・ダ・ヴィンチはたしかに天才なのですが、彼はお稽古事で才能を身につけたのではなく、物事への好奇心が強い うえに多方面で好奇心を満たす才能があったのだと思うのです。
 現代では、お稽古事や学習も市場原理で成り立っていますから、そういう企業はうまいことを言って 客をかき集め、インフルエンサーなどが焚きつけて金儲けをしようとたくらんでいます。いわば、数字を 操る「灰色男」のようなもので、これにひっかかったらヒマや余裕をかすめ取る時間泥棒に重要な「子ども時間」を売りつけてしまうようなものです。たしかに、子どもの中には上達したり、成績がよくなる子もいますが、全部が全部ということはなく、多くは得るものが少ないまま大人になってしまいます。

情報を真に受けない

 いまや立身出世も学歴尊重も温かみのない企業や組織の中で人を潰す考え方になりつつあるのを 皆さんも感じておられると思います。
 インフルエンサーの多くは「こうすれば得だ」「合理的だ」「Time is money!」を連呼しますが、子どもの成長には無駄で、無意味なことや時間がとても必要なのです。人間は、嫌なことをずっと我慢して続けられる動物ではありません。好きなこと、関心があることなら 我慢してやれますが、そうでない場合は心に病を持ちかねないのです。
 この「訓練」が遊ぶことであり、それは学ぶことにもつながります。鍛えられることと習うことにはどこ かに限界が出てしまいますから、時間を気にせずに生きることは大切な生き方だと思います。物事への関心を持ち続けられれば、おそらく納得のいく生活が得られるのではないでしょうか。「本当の意味」で遊ぶこと(現代的な「遊び」とは違う)ができれば、やがてそれが生き方の軸になります。時間泥棒にダマされないで楽しく何かをする・・・・夏は、子どもにそういうことができる環境をたくさん与えてくれています。だから、そのために夏休み(塾に縛り付けられれば短いですが)は長いのです

自分で考える力 ③ 大学へ行く意味

ある進学ルート 2

 現在、八十歳から九十歳くらいの帝国大学出の方と話をしていると、専門以外の教養話のレベルの高さにおどろくことがある。もちろん大学生だったころは、この国でもエリートと呼ばれた頭脳をもつ数少ない人々だったと思うが、この教養がハンパでない知識の集積になっている。
 先日、そういう九十歳のお医者様(現役)と話をしていると(こちらは医学の知識がないから医学関係では太刀打ちできないので)、ジュールベルヌや吉川英治、司馬遼太郎などに話題を振り向けると、挙げる本のほとんどを読んでいて、次から次へ話がつながる。まったく圧倒されるばかりだ。知っているだけではなく、考えに高い人格も感じる。
 たまたま、私は司馬遼太郎の「峠」を原作とした映画「最後のサムライ」というのを観たので、 この話題に切り替えると当然、この「峠」は読んでいて、「あれは明治絶賛の司馬としては 異色の作品で・・・」などと感想を言う。この映画の主人公は官軍とガットリング銃で戦った長岡藩の河井継之助だが、なんと、この先生は「この本を読んで!」と「河井継之助傳」という800ページもある本を貸してくれた。旧仮名遣いで文語の本、私の頭で読むのは大変だ。世の中には、こういう偉ぶらない「頭脳市民」もいるのである。
 さほどの受験勉強もせずに旧帝大に入れるのだから、漱石や鴎外並みの頭脳なのだろう。そういう人は、黙っていても目指す道を進んで、世の中のために悠々と働いていると いうわけだ。こういう人たちは大学に行く意味がじゅうぶんあると言わざるをえない。
 (7月号一部閲覧)



(2022年7月号ニュース・新聞本文一部閲覧)

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