ブッククラブニュース
令和4年
6月号新聞一部閲覧 追加分

配本の意味と読み聞かせ②

1歳前後

 ある有名な保育月刊誌に助産婦の方が「赤ちゃんと絵本」という連載コーナーで「絵本の読み聞かせはいつから始めればいいか」という文を書いていた。いわく、「いつからでもよい」・・・おなかにいるときからでもよい、赤ちゃんの体に聞いてもらえればよい、読み聞かせの目的は早期教育でも情操教育でも親子の触れ合いでもなんでもよい、読む体勢も大人の都合で行儀やしつけなどを考えずになんでもいいから読んで楽しめればよい・・・が、羅列されていました。

なんでもありでいいのか!

 まさに彼女の論調は「なんでもあり」で、否定も禁止もなにもない、耳障りの良い意見ばかりが並んでいます。これを読んだ読者は、「ああ、どうでもいいんだな」「なんでもいいんだな」と安心することでしょうが、何をしてもいいと言うなら、それは意見でもガイドでもなんでもない。まったく辟易します。
 すべてを肯定する、このような意見が、いま世の中には満ち溢れています。おそらく「いいね!」「いいね」を要求するSNSの影響でしょうけどね。攻撃や批判はされたくないし。
 「なにをしてもいいのよ」「自由にどれでも」・・・誰からも何も言われない安全な言い分なら叩かれることもないわけで、私はこういう意見を今一番警戒しなければいけないと思うのです。
 では、その自由でなんでもありの結果、子どもたちは、いや若者や大人たちはどうなってしまったのか・・・・この人は、それを考えたことがあるのかないのか。問いかけたくなります。
 「いないいないばあ」を5歳児に読み聞かせてもいいのか、「かぞえてみよう」を1歳児に読み聞かせていいのか・・・飛び回っている子どもにひたすら読み聞かせをするのか?・・・このいい加減な自由論がどうもメリハリのない人間や学級崩壊をつくりだしているように思うのですが・・・・世の中は、あきらかに、そっちのおかしな方向かっています。

ヒトが文化の獲得を始めた時期

 赤ちゃんはその同じ時期に何を?するべきだろうか。
 前回、生後10ケ月は哺乳類から直立猿人になる時期と述べました。ここが人類なら「文化を獲得していく出発点」になるのですから、なんでもいい、自由でいいという方向性の無視はちょっと問題なのです。赤ちゃんは相手の見極めから、対話方法を考え、身振り手振りで意思疎通を始める時期です。1歳前後の子どもも、しぐさや動作を真似ることから始めます。当然、「いないいいないばあ」をはじめ、上記絵本のような「もの真似から始まる動作絵本」が必要になるときです。
 ところが、親と言うものは、いえ、世間もですが、成長に不釣り合いのものをどんどん与えて、どういう方向に育つかなどは無視ですから現代は怖いものがあります。
 ある祖父母が店に入ってきて「2歳くらいの子が読む本はないか」というので出すと、「ちょっとむずかしそう・・・」なんて言っているので、「お孫さんはおいくつですか?」というと、「1歳になったばかり」と言うのです。とかく、ジジババ(親も)は、年齢が上の先行きのものを与えたがる傾向が強いです。子どもは好奇心があるので見ることは見るでしょうが、まずわからないレベルとなる。幼児の一年の差は、そりゃあとても大きいものがあるのですが、ジジババはバカになっていますから、とんでもない選び方をしてしまうわけです。この傾向は進学熱に浮かされている親のようなもので、いますべきことをさせないで、他より一歩先、その先の先をやらせたり、与えたりする・・・・この1歳前後はとくに重要な時期なんですけどね。

私の好きだった絵本 ② ゆびくん

 五味太郎・作 岩崎書店
 ブッククラブが始まって以来、ずっと配本してきた本だが数年前に絶版とこの本は、2歳前半の子(男女関係なく)に設定して選書したもの。子どもの指が人格をもって話したり、動いたりするものだ。対話もする。さまざまな場面でいろいろなおもしろいやりとりの展開を見せてくれるのは、五味太郎さんならではのもの人気があったが、どういうわけか絶版になってしまった。残念。
 2歳前半の子は、自分の世界(一人称)が一番で二人称は親くらいのものである。そこに三人称的に「自分の体の一部(指)」が話をしてくるというのは、子どもにとって自分でもあり、他者でもある親密感のある指で・・・やがて広がっていく人間関係の一番最初の世界が描かれていく。まさに2歳児には適切このうえない絵本だった。自分の指と対話する子どもも多く、物語に入っていくにも適したものだったが、なぜ、消えてしまったのだろう。消えるべきクズ本はいくらでもあるのに・・・。まったく心残りである。でも、消えるも残るも世相を反映したものだ。いくら残念がっても世相からみればミミズのたわごとにしか聞こえないかもしれない。

自分で考える力??

②大学に行く意味 ある進学ルート・1

 最近、ニュースのコメンテーターやネットで意見を言う識者の所属大学の名を見ると、私が知らない大学が多いので不思議に思った。そこで調べると2021年に日本には国立86、公立94、私立615…約800校の大学があった。アイウエオ順だと、愛国学園大学〜LEC東京リーガルマインド大学まで795校だ。ほとんどが名を知らない学校だが、この少子化に!こんなにたくさんの大学がいつできたのだろう!と思ってしまう。難関大学は競争も激しいが、この数は誰でも入れる大学数で、選ばなければ(笑)全入と言ってもさしつかえないだろう。
 こうなると勉強をしなくても進学できるルートも出てくる。「机を捨てていいから一日中サッカーなり野球なりをしろ」という考え方がプロスポーツに関わる人々の一部にあることにも驚いたが、頭がすっからかんでもスポーツ枠で大学も入れてくれるらしい。お子さんが勉強が嫌いだったらまずこの手もあります(笑)ね。
 義務教育の段階から、勉強かスポーツかの二者択一をする。そして、スポーツを選んで勉強をまったくさせない親や、しようとしない子どもが存在することも事実。親が好きなスポーツを子どもに習わせ、幼児の大会やジュニア大会で入賞でもすると「ウチの子は、これを職業にする」と、勉強などそっちのけ宣言の親に悩まされている学校の先生も少なくないだろう。スポーツでも芸能でも成功者など一握りなのだが、勉強しないで育った子が成功しないと悲劇である。

国も応援・・・・!!

 さらにすごいのは勉強をしなくても学校の部活動で実績を上げれば大学に進学できるというルートがあることだ。それを進めているのはほかならぬ知名度を上げるためにスポーツを利用する大学の側。少子化で人集めの手段がスポーツというわけである。ここでも考える力を養う基礎はできなさそうだ。
 大学入試で、スポーツ選手優遇の配慮は70年以上前にあったから、少子化、大学数拡大でスポーツ推薦はものすごい数になっているだろう。そして、なんと、これを国が後押ししている。「教育改革第三次答申」で「青少年のスポーツ活動の振興を図るため、入学者選抜や就職の際にそれらの活動が積極的に評価されるよう配慮する」というおどろきの奨励話もある。この結果、多くの大学が、スポーツで実績を挙げた高校生を、学力などなくても入学できる枠を設けたという。こういう学生たちは、大学の講義には無関心で、、練習の疲れや講義内容など聞く耳はなく、ただ眠気との戦い。多くの場合は眠気に負けるから(笑)、各大学でこの時期に行う通常の試験は大変らしい。答案用紙に「○○部です。よろしくお願いします」と書かせて試験通過となることもあるだろう。これでは、この国の将来は気合とガッツだけの若者に託されることになりそうだ。やばい。
 来店受け取りの方にお知らせ
 コロナの影響もあり配本の受け取りが滞る方が出てきています。3ケ月は取り置きしていますが、それ以後はご連絡がない限りストックできません。
 たまると読むのも大変になって、また貯めてしまうという悪循環が起きます。やはり、コンスタントにこなしていくことが読書力を上げる一番の方法だと思います。
 忙しい時代でともすると時間に追われますが、できれば毎月受け取り、あるいはまとめて、2ケ月に一度でお受け取りになることをお薦めいたします。

読書・・・時間が経ってわかること

 何度も読むことでわかることはある。一度読んだだけではわかった感じがするだけでもある。速読の友人がいるが、読んだ後話すと要点だけつまんでいるという人も多いようだ。
 よく中学年くらいの会員から「次から次へと読んでしまって、一度読むともう読まないものが多い。図書館から借りてきても次から次で・・・」というお便りがある。これに対して私は、「乱読期だから、良い本であろうと悪い本であろうとどんどん読む時期があるので、読んでさえいればあまり気にすることはない」というようなことを言う。
 この時期は、世界の広さを知る時期で、まずは好奇心から何でも読んでかまわないと思う。低劣なものも読まなければ、良いもの、すぐれたものの価値もわからないし、一度読んだだけでは内容もテーマもそうたやすくとらえられないから、時間が経って「ああ、あれはそういうことだったのか!と思えればそれでいい。

鴎外の別の一面・・・

 そういうことはたくさんある。先日、映画監督・森達也のノンフィクションのようなフィクション小説「千代田区一番一号のラビリンス」という本を読んでいた。これは、上皇夫妻が、皇居地下のトンネルを通って銀座をぶらつくところから始まるのだが、読むうちに森鴎外がつくった東京の地下の地図を思い出してしまった。いま考えてみれば、東京の地図を私的につくるなど陸軍省が許すはずもない(軍事機密)のだが、実際に鴎外はつくっている。鴎外は文学作品から天皇の諡(おくりな)の研究までした幅広い教養人で、いろいろ読んだが、この東京の地下の地図(下水道や井戸、上水の位置らしきものが描かれている)については私は流し読みだった。参考に引っ張り出してきて読んでみたら、何と彼がドイツに留学した理由は感染症から都市を守る方法の研究であることが分かった。多くの人は「舞姫」で、ドイツ女性と恋に落ちたエピソードから、彼の留学を知っているだけだと思うが、彼は軍医総監にまでなった人で、じつはミュンヘンで下水道の研究をし、コッホの疫学よりミュンヘンの医師ペッテンコーファーの下水道完備を称賛していたことでわかる。
 江戸の町にはすでに地下水路(下水?)が完備していて、感染症を防いでいたのではないか。これについて鴎外が下水道整備の建白書を出した事実は確認できなかったが、読んでおけば、このようにいろいろ事実はつながる。考える材料にはなる。なるほど下水道完備の都市はコロナ死者が少ない。

「本とともに過ごしてきて」

 千葉県船橋市 Sさん 中一・小3のお嬢さん方
 気づいたときに2歳を過ぎ、なんとか頼み込んで暫定会員が認められた長女。それから読み聞かせが日課となりました。私自身が幼少期に良い本に触れて成長してきた記憶がないので、娘たちには本を人生の糧のひとつとして、深みのある人間になってもらいたいと思っていました。
 時には主人公の名を娘の名にして喜ばせたり、文中の歌の場面ではその日の気分で曲調を変えたりしました。「からすのぱんやさん」「だるまちゃんとてんぐちゃん」「あさえとちいさいいもうと」「てぶくろ」「11ぴきのねこふくろのなか」・・・たくさんの本の中からものの見方、人間関係、人と他の生き物への敬意を学びました。
 この春、娘は中学生になり、修了証書が届きました。ゆめやのニュースが子育ての指南書の私としては少し切なくもありました。現在の娘の趣味も読書で休み時間を利用してどうしたら一人で図書室に行けるか、と、真剣に考えているようです。そんな姿を見て、ゆめやさんが10年間娘の成長に合わせた素晴らしい本の数々を送り続けてくださったからこそ、今の本好きの娘がいるのだと実感します。感謝してもしきれません。今、娘は良本に飢えています。嬉しい悩みです。小3の次女も姉同様に本好きです。引き続き、これからもどうぞよろしくお願いいたします。最後にゆめやさん御夫妻のますますのご健勝とご多幸を心よりお祈り申し上げます。
《ゆめやより》長いおつきあいになっています。ありがとうございます。心のこもったお言葉もありがとうございます。お子さんが本をよく読んで、それなりの効果が上がるというのは、こちらとしてももっともうれしいことでもです。一般ではなかなか本を読み続けられる子は多くはいません。いても、流行りのラノベとかダウンロード漫画、基本的な本や古典などは読めないのです。まだ、下のお子さんとのおつきあいありますね。鈴木さんとも長くなりそうですね。

【お嬢さんからもお便りが】

 私は二歳のときから毎月ゆめやさんが選んだ本を読んできました。いつも、家で本を読んでいたことを覚えています。ゆめやさんのおかげで、だんだん読めるページ数が増えていきました。私は送られてきた本の中で、とくに「夏の庭・The Friends」と「チョコレート工場の秘密」が好きです。「チョコレート工場の秘密」は、こんな工場にいってみたいなと思い、読書感想文を書いたことがあります。「夏の庭」はたくさんのことを私に考えさせてくれる本で、「いま生きている人と時間を大切にしようと、読んでいて痛感しました。
 私は四年生のときから塾に通っていて、長文の物語文を読むことが多くありました。たくさん本を読んでいたおかげで集中して問題を解くことができました。物語文に限らず、「ていねいに読む」ということは説明文や算数でも役に立ちました。
 気が付くと、本を読むことは習慣になっていました。たくさんの本を読んだことで知識も増えました。これからもたくさんの本を読み、自分の世界を広げていきます。 (S・Sさん、中1)
《ゆめやから》
 おたよりありがとうございました。中学生になってもたくさんいろいろな分野の読書を続けてくださいね。いずれ、それは大きなものになって体の中で育ち始めると思います。「夏の庭」はこれから大人になっていくときに持っていなければならない大切な何かを教えてくれています。「チョコレート工場の秘密」も出発点は大きな比喩にはなっていますが、家族や老齢化の問題ですね。これからの世の中を明るくするヒントがどこかにあるかもしれません。ぜひ、いろいろ読んで、新しい何かをつくることを始めてください。

本は世につれ、世は本につれ・・・・?

 会員の方のおたよりは常に読んでいるが、その中にはいろいろな世の中の変化が描かれたものも多い。例えば、先日来たおたよりにこんなものがありました。
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 「・・・ゆめやさんから来たニュースを読んで、思い出したことが…3月に幼稚園の役員仕事で家に園のママさん達が来た際に「絵本とかこんなにあるの?うちはKindleだから本はないよ」「紙の本は場所を取るから電子でいいよね」、「一回しか読まないのに絵本って高いよね」という会話が繰り広げられ、絶句したと同時に悲しくなってしまいました。
 もちろん、我が家と同じように読み聞かせをしているお友達もいますが、世間一般の流れはこうなのかな、と。『赤い目のドラゴン』のような絵本が絶版になってしまうのも、こういう時代の流れを表しているのでしょうか。デジタル化されるのは仕方がないのかもしれないですが、良い絵本・良い出版社がなくなってしまうのは、どうにか食い止められないものかと、焦りを覚えます。・・・」 (横浜のOさんのおたよりから)
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五反百姓の習性

 日本人の性質の特徴は、「どの時代でも世の中の流れにうまく乗ることが一番と思っている」ことだと思います。本は世につれ、世はデジタルにつられ・・・・(笑)。
 これを昔は「五反百姓の習性」と言いました。
 隣が苗を植えたら自分のところも田植えをする、隣が水を抜いたら自分の田んぼも水を減らす。隣が稲刈りを始めたら翌日に自分も刈り入れる・・・・。これはいまも日本社会で続く「うまくやる技術」。進学熱が高まれば自分も。ゲームが流行れば自分も。つまり、あらゆる分野の流行に乗ることです。そうすれば、心配ないと思い込む。このために流行や新しい動きにだけは敏感です・・・新時代の「五反百姓」は流行を耳や目(スマホ)で集めて、みんなと同じになることで安心します。流行を早く作り出す人や乗り遅れまいとする人は時代の先端を行くと思われるので、何事も流行りものにはどんどん手を出すということになりますね。

思考より耳寄りな話を重視

 良いか・悪いかではなく、他の人より先を行くか行かないか・・・早い話、「あそこのラーメン屋が流行っている」「あの服が流行ファション」から始まり、なんでもかんでも流行りに、くっついていく習性。危ないですねぇ。
 こうなれば、子どもの教育なども全部流行りすたりで決めていく。子どものことは、世間の噂、インフルエンサーの意見・・・すべて横一線で進む。その傾向は、常に「楽で便利な方」に流れる。当然、お金がないと流行は追えないので、頭の中はお金を求めること、より安くあげることにしか行かない。
 この行きつく先がどうなるか…Kindleで育った子は? 親の声ではなく声優の声で育つとどうなるか…ちゃんと絵本の読み聞かせで本に囲まれて育つ子は? 起こる結果(子どもの成長)はすべて「自己責任」なんですが・・・。上のコメントに出て来た母親たちの考えが「良い本、すぐれた出版社をつぶす」ことは事実ですが、個人的には「どうぞ、それが良いと思われるならやってください!」と思っています。これからは、子育て格差が生まれる時代なんですから。

子どもの成育環境を用意する親としない親

 ふつう親は子どもの将来を見据えて、生育期にその環境を整える。おもちゃをそれなりにそろえるのも準備、youtubeを見せるためにスマホを2台にするのも環境整備(笑)。読み聞かせの本をそろえるのも環境整備・・・・さまざまな成育のための環境整備を行う。もちろん、ほっぽりだしですべて外部依存する親もいる、あるいはひどい場合は基本中の基本・食事も準備しないで餓死させたりするが、ふつうの親は良かれ悪しかれ、それなりの環境整備をする。
 問題は、親の価値観の相違で、それによって整備方法が上記のように大きく違う。
 数年前、近所に住む子どもの母親が、突然店に入ってきて、「子どもの国語の力がつく本はないか!」と言う。そんな本があればこちらがほしい。そこの子は赤ん坊のころから知っているが本など買ったことはないのだろう。本と言えば、お定まりのテレビアニメ関連の本くらいで、あとは漫画の流れだ。「国語のテストで、どうも問題意味もわからないらしい」と言う。まさか、「読み聞かせもしなかったからでしょう」とはさすがに言えないので、「子どもさんが読める本から読んでいくより方法はないですね」と逃げた。もちろん1冊も買っていく気はなく、相談だけである。日頃ろくに顔を合わせることもない近隣人が急に来たのはよほど切羽つまっていたのかもしれない。本を国語力の増強としか見ていない親も親だが、本など読まなくても自分が生活できているのだから子どもも不要だろうと思う人々はけっこう多いのではないか。子どもの環境の整備など考えていないのは一目瞭然である。そういう人にとっては本棚いっぱいの本がある家庭など「無駄な買い物をして!」と思うくらいであろう。
 ブッククラブの会員の家庭は、すくなくとも読み聞かせや読書のための本をそろえている。これは,そういう価値観の家庭だからだ。文化とは無駄の集積である。教養だって、ある人から見れば無駄な知識だろう。しかし、人間を高めるうえで必須であることは多くの人が認めることである。

時間を取りもどす

②子どもがつぶれないような時間割

 十年くらい前から親の世代の子育て感が大きく変わったのを感じています。その代表は「お稽古事」や「進学熱」です。熱というくらいで、熱に浮かされると何よりそれしか見えなくなるので困ったものだと思いますが、子どもから重要な時間や余裕を奪っているのは事実です。この傾向は学歴社会に応じて、うまく上に行かれるよう、子どもの進路も合わせていこうという試みです。
 親の世代の変化が大きいです。
 これは、ある時期から小学校から良い学校へ受験させて学歴を確保しようという動きが出たことでした。昔、高卒で就職して給与格差に苦しんだ親が、自分の子に学歴を確保するために必死になっていた時代があります。大卒でないと収入が低くなるということで。
 その延長線上に、この「お稽古事」「進学熱」現象が起きているわけです。それは企業社会が学歴優先で給与の高低が学歴で決めていたからかもしれません。現在は、高卒の親たちが必死になって自分の子に学歴をつけさせた時代の次の時代の「学歴主義」の動きです。

子どもが追い込まれている状態

 もうひとつの原因は、公立学校の地盤沈下があります。授業にならないような学級崩壊や不登校の増加があれば、親はあわてます。公立では親たちの意識もバラバラなので、授業外で子どもに能力をつけたい親が増えていくのもわからないではありません。でも、それは、子どもからますます時間を奪っていくということですね。
 すぐに「成長の時代」が終わる
 まったく個人的な考えですが、この学歴主義・能力主義的な動きは「もう時代遅れ」だと思ってます。なにより世の中がどんどんおかしくなっていって、能力がある人や技能を持った人が企業の成果主義や実績評価の中で息苦しくなって、つぶれていく時代が来ると思うのです。もう一部では起きてますよね。学歴尊重主義は、そういう古い時代の考え方です。
 時代が続かなければ無意味な「熱」にすぎません。次の変化の時代を見据えている人たちは、そういう知識集積主義や学歴絶対主義から離れた教育を望み始めています。どうしたら「つぶれない大人」になることができるか。現代の親は、そういうことまで考えないと子どもの安全を確保できないのです。訓練で時間を奪うのではなく、次の時代を生き延びられるように、もう少し、「子どもが自分で考えて生きていく余裕と力の育成時間を与えたい」と思うのですが・・・。一度、ヘッセの「車輪の下」を読めば、少しは子どもへの過度な「熱」は冷めると思うのですが・・・・。

長い長い会員の話④

 甲府の中央に店があったころ、よく高校生が立ち寄ってくれました。女子が多かったのですが、甲府南高校の通学路だったので南高の生徒が多かったように思います。
 30数年前に、二人の男子高校生と一人の女子高校生がよくやって来て、店内でいろいろな話に花を咲かせていました。男子は大久保君、佐藤君、女子は清水さんで、三人はとても仲が良さそうでした。
 大久保君は理数科でしたので私はゆめやのPCを診てもらったり、ソフトの選び方を相談したり、もう30年は付き合ってます。佐藤君も同じです。その後、佐藤君はなんと清水さんと結婚して私たちをびっくりさせした。清水さんは本好きから司書になり結婚後も続けています。当然、大久保君も結婚し、双方お子さんができ、そのお子さんたちのブッククラブのおつきあいも十数年、現在に至ってます。青春時代から壮年になるまでのおつきあい・・・いいもんですね。かれらのお子さんたちがもう大学生ですから、長い長い時間も経っているわけです。

あっという間の長い時間

 左の写真は旧・店舗ですが、真ん中のテーブル席でいろんな話をしたことが思い出されます。
 思えばもう30年が経っています。30年という月日は長いようですが、過ぎてみれば短いもの。高校生だった彼らのお子さんがもう大学生・社会人なんですからね。
 こちらの大学を出て、アメリカの大学でコンピュータの勉強をしたとか、電子関係の企業で働きたいとか・・・・本にたずさわりたいとか・・・3人とも、その思いを叶えました。佐藤君と大久保君はいまだにツーリングをしたり、相変わらずの仲の良さを見せてくれますので、見ているとうらやましくなります。かれらの人生の歩みを見ると、長い人間関係はかけがえのないものを生むな、と思います。
 ゆめやのPCが不調になって連絡すると、東京からバイクを飛ばしてやってきてくれる・・・・こんな、粋なはからいが生まれていた店と客の関係です。ありがたいことでした。
 かれらのお子さんたちが、読んだ本のどれかから何をつかみ取り、また新しい人生を踏み出していると思うと、この商売をやっていてよかったなぁ・・・・と、つくづく思います。(増ページ一部閲覧)



(2022年6月号ニュース・新聞本文一部閲覧) 追加分



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