ブッククラブニュース
令和3年
10月号(発達年齢ブッククラブ)

来店受け取りのお客様へ

コロナ対応について

 感染者激減。ふしぎなウイルスですね。これでは「ウイルスはなかった!」「ただの風邪だ!」という意見も出るくらいの増減。山梨も激減ですが、感染者が少ないことが逆に首都圏からの息抜き観光の場所となり、県外ナンバーの車がひっきりなしに走っています。また一か月後の数字が怖いです。まあ、あまり気を緩めずに冬を迎えるということでしょうか。
 ご来店の際は、マスクをつけて御来店ください。
 ①お子様のマスクは強制しません。
 ②マスク着用はお顔が判別できないので、ぜひお名前をお願いします。
 ③土曜日は混雑するため飲み物サービスは中止します。
 ④通常日も密になったら、飲み物サービスは中止いたします。
 ⑤次の来客があったら、恐縮ですが入れ替わってください。
 ⑥念のため毎回テーブル消毒・換気もしますが気になさらないでください。
 ⑦恐れ入りますが、混雑したらぜひ新しいお客様に席をお譲りください。
 ⑧事前にご連絡いただけば、2〜3ケ月分は用意できます。
 受け取り可能時間(10:30am〜18:00pm 10月1日から)
発送切り替えも可
 発送も可能です。その際は県外会員と同じく3ケ月一括発送になります。
 ご利用ください。発送のご相談は メールでも受けつけます。
 お振り替えは郵便ATMか銀行振込のどちらかをご利用ください。
 ご理解のうえご協力ください。ゆめや店主 10月10日

読み聞かせいろいろ
⑥2歳ー3

 2歳になると言葉の理解が飛躍的に進んで、会話がスムースにできるようになると言いましたが、このほかに、天才的能力を発揮し始めることもあります。それは、数度読み聞かせただけで、ページを開くとそこの文をよどみなく、しゃべったり、かなり長いフレーズを暗記して話すこと、まるで字が読めているかのような力を見せてくれるのです。
 親は、「この子は天才だ!」と思います。我が家でもそうでした。「ゆびくん」や「おおきなかぶ」を暗記してましたので、「歯ブラシはどこ?」「孫はどれ?」「カブの葉っぱは?」というとパッと指さします。ちゃんとハブラシの形、孫の姿、葉っぱの部分を指し示しました。ついこの間までボヤーンとして、ただ聞いていただけの子が、これをやり始めれば親は「天才だ!」と思います。
 これは不思議でおもしろい現象でしたが、ある本を読んで、なるほどそういうことか!とで「天才」を発揮するのか!と思わざるを得ませんでした。それは、人間がおそらく後天的に獲得した形質なんだと思います。人類誕生期から、自然環境や周囲の環境の中をどう生きていくかの知恵でもります。

生きていく能力

 太古の昔から人類社会には過酷な生存競争があり、飢餓や戦争、病気や事故で赤ん坊の親が死んでしまうことは多々ありました。このとき残された子は誰かに育ててもらうわけですが、かわいくなかったり、バカっぽかったりしたら拾ってもらえません。そこで赤ん坊は見るからに、あどけない表情を見せ、少し多くなった子は「私は優秀なのだ!」を示して、拾ってくれる人の関心を買うというわけです。
 なるほど、新生児の眠る表情は天使のようで育てたくなります。二歳児は「こんな賢い子なら役に立つだろう」と拾う人に思い込ませる力を発揮するというわけです。生きていくときにみんながブッダやイエスではありませんから、どうしたら育ててもらうかの媚態なのかもしれませんね。
 現代では、そのくらいの月齢の子を虐待死させる大人も多いのですが、それは人ではなく人の姿をした鬼でしょう。みんなが困窮の中で生き抜くためには子どもを捨てたり、間引いたりしたこともあった人類史です。そのなかを生き抜くために備わったすごい力、生まれて二年で、会話が可能になるというのもその生命力の成果なのでしょう。
 過酷な生存競争を生き抜くための「かわいらしさ」「おどろかせるほどの能力」・・・どの子もみんな持っている天賦の才能です。
 ただ、この能力は持って生まれた天才的能力では決してなくて、一時期限定で表現される力でもあります。これをうまく使って騙す早期教育屋さんもいますので気をつけねばね。何か教材を試すと、上記の能力を一時的に発揮しますから親は教材の成果だと思い込んでしまうのがツケ目。まったく一時的なものですよ。
 その証拠にウチの娘・・・いまや天才どころか普通も普通過ぎて評価は一切できません。(笑)

絵本・いろいろ ⑤
ウケねらいの絵本批判

 今回は取り上げた絵本の表紙やタイトルを表示できない。なぜなら、個人的には否定したくなる絵本だからだ。なぜ表示できないかというと、今の時代は否定=悪という風潮があり、表示でもしたら「個人攻撃」と取られる。だからとりあえず「いいね」「いいね」を言っていればすむという世の中、これでは良いものは生まれにくくなるのだが・・・世の中の流れがそうなのだからしかたがない。
 数年前、ある図書館で、児童文学作家が講演をしたのだが、そのサブ講演で私も連なったことがある。その方は、児童書の作法、つまりどういう児童向けの本をつくればいいのかを語り、私は私で一時代前の未明、芥川、広介の作品について語ることとなっていた。ところが、本講演の児童文学作家の先生は「どうしたら子どもにウケる本をつくれるかの方法」を実演も交えて話し始めたのである。私にすれば「おい、おい・・・」「そうじゃないだろう!」である。
 そういう本は、われわれ専門店業界ではクズ本であって、店頭に置けば恥ずかしい代物だ。なにしろ選書を命にしているのだからです。ところが、世間の子どもの好奇心はテレビやゲームで作られるから、勢い、作家たちはそういう好奇心を満たすウケ狙いの本づくりを目指す人もいるのだろう。まずは売れる本ということだが、「そりゃあまずいだろう」というのが私の率直な意見である。子どもが喜べは何でもいいというのは悲しい。
 で、その本講演のあと、それとなく、「ちゃんとした本はこういうもので・・・」と私は話し始めた。おそらく作家の方はイラッとしたことだろう。でも私はその人から金一封も飴玉ひとつもらっていないのでなんと思われようが言いたいことは言ってしまった。まあ、世間知らずのゆめや。暴走はする(笑)。
 あとで、ここの館長がこう述べていた。「未明らの作品は、児童文学では日本を代表するもので、図書館に見えている方々は、とうぜん読んでいると思ったが、意外にそうではないことを知り、残念だった。」「しかし、長谷川さんの話は、それはそれは鋭い切り口で、現在、童話を書いている私は、叱咤激励を受けたような気持ちにもなった。話の中で、現代の作品に横行するテーマが人間の持つ問題や哲学的なものには触れず、感覚的に楽しいものに終始していたら、これはもう思考のレベルがダウンだと思う。」と、食べ物や子どもの喜ぶネタ、ウケ流行本に対して話してくれたのは私への助け船でありがたかった。
 考えてもみよ。大傑作「ぐりとぐら」も戦後の食べ物が少ない時代にみんながカステラを作るという話で一世風靡したものである。スイーツがあふれる現代。いつまでも食い物で子どもの心を釣ることができるわけもないが、実際にはまだまだ「〇〇さんのハンバ−グ」「パティシエがつくる〇○なスイーツ」でも喜ぶ子どもがまだまだいるから始末が悪い。
 まあ、流行を追う有名人にはとてもかなわないが、今回は、そういうものに石の一つでも投げてやろうという子どもじみた抵抗でもあった(笑)。

秋の日のヴィオロンの・・・ひたぶるに

 まったくコロナはふしぎですね。急に感染者激減。このまま減り続けるとは思えませんが、だからと言って、ただの風邪ではないでしょう。風邪は、ふつう夏は少なくなるものです。
 欧米でかなりの死者が出たので、初めのうちは何もわからなくて、みんなビビっていたのだと思います。去年の今頃は、ウイルスがビニールの上で何時間も生きているとか、エアロゾル感染ではなく飛沫感染だとか、いろいろ不安をあおることが言われていました。科学・医学が進んだのにわからないことが多すぎでした。未知のものがやってくると、人って混乱していろいろなことを言い始めます。デマも多くなり、その意味では少しも進歩していません。まあ、罹(かか)らない方がいいし、人に伝染さないことも大切。まだまだわからないことは多いですが、いずれ、終息はやってきます。
 7月号で書きましたが、疫病騒ぎの後は治安が乱れます。実際、7月以降も、おかしな事件、残虐なことが起こっていますよね。うらみもないのに人を刺すとか、騒音に怒った人を警察官が射殺するとか、小さな子どもに熱湯をかけるとか胸が潰れるような事件が起きています。「落ち着け!」と言いたいですね。
 秋は、息抜きに自然の中に出かけましょう。人込みやコンクリート・ジャングルでは、なかなか心の落ち着きは取り戻せませんからね。とくに子どもには自然がいちばん、電話は2番、3時のおやつは文明堂。

アンケート御回答お礼

 9月号にアンケートをお願いしましたが、思いのほかたくさんの方々から回答が寄せられています。新生児・乳児のときに不用だったもの、あまり使わなかったものを上げてもらうものですが、メールで、あるいは振替用紙通信欄、ハガキなどで思いのほかたくさんの方々からご回答いただいでいます。まだ月末まで受け付けますので、ぜひ記憶が残っていたらお寄せください。
 回答をよせていただいて、びっくりしたことがありました。小中学生のお母さま方が、ずいぶんしっかりと記憶していて、「あれは使わなかった!」「これはタンスの肥しになった。」など鮮明な記憶で書いていただけたのです。深く考えたのかな?と思って、店頭で来店客にお願いしてみましたが、こちらも多くの方が、あまり時間をかけずにスラスラと書いてくださっていました。子どもが生まれたときの記憶を鮮明に覚えている方が多いのです。そういうもんかなぁ、さすが母親だなぁ!と思いましたが、ふとあることを思いだしました。

夫たちよ! 出産時には手伝わないと、あとで大変だよ!!

 私の従兄は歳がずっと私より上の世代なのですが、その奥さんが何かにつけて、「出産のときにそばにいてくれなかった」「頼んだものを買ってこなかった」と驚くほど細かな記憶で従兄への不満をもらすのです。
 「一人で産院に荷物を運んだ」「出産当日も帰宅は午前様で病室に来なかった」・・・・とグチ、不満を口にされ続けていました。
 従兄はモーレツ・サラリーマン世代で、仕事ばかりしていて、つきあい麻雀で午前様はあたりまえ。しかし、奥さんにとって子どもを産んだとき、育てているときにそばにいてくれなかった記憶が強く残っていて、80歳になっても、なにかにつけて旦那批判の時に、同じ言葉が噴出するのです。
 女性にとって出産時の記憶は、「恐ろしいほど鮮やかに長く残るんだなぁ」と思わざるをえませんでした。他のことはコロコロ忘れるのに、出産時のことは信じられないほど細かく覚えているのです。50年間も記憶し、80歳になっても言われたら、これは笑うよりないのですが、おそらく女性特有の防御本能がつくりだしたものなのでしょう。これを学習したので、私は、出産時、育児期は自営業と言うこともあって完全サポートはできました。いつまでも言われたくはないので(笑)。

台風去って秋晴れに・・・

 最近の台風や大雨予報はおおげさで、「記録史上最大」とか「かつて経験したことのない」とか脅すような文句が多いです。そのくせ、空振りも多く、昔のように大きな被害が出ません。
 「いや、被害は出てますよ」という人もいますが、熱海の土石流にしても球磨川の洪水にしても岡山や広島の住宅地災害にしても無理な開発をしたところに人が住んで起きた被害です。これは地震や津波とは違います。住宅には無理だというようなところに宅地がひしめいていたらこれは災害になるでしょう。よく考えれば人災ともいえるものではないでしょうか。被害を想定できたら無理はしないはずですが、住宅をたてていけないようなところに、ですからね。
 気象庁が、おおげさに騒ぎ立てる理由は、どうも他に何か狙いがありそうです。
 まあ、人間というのは欲が先立つと後のことはまったく考えずに「イケイケドンドン」で押しまくります。そして、結果、自然の猛威にやられる。「なに!大丈夫だ。被害なんか起きっこない。」「万全の対策を立てているんだから事故が起きるわけない。」と物事を始めます。ところが原発事故も土石流災害も起きますから、脳天気な開発主義以外のなにものでもないのですけどね。そして、自然の猛威で大変なことになる。失敗しても誰も責任を取りませんからね、またやる。この間の青森の震度5強・・・一瞬、六ケ所村の核燃料貯蔵施設が大丈夫かと思いました。あそこがやられたら地球規模の災害になりますのでね。でも、夢や希望で建設を煽る。地震と言えば10月7日の東京直下の震度5強の地震、怖かったです。甲府も大揺れ。

夢や希望といえば・・・

 スポーツなど典型的な例ですね。いまやスポーツは産業で、アスリートは金メダルやトロフィーをもらえばその後の人生が保証されるという夢と希望が満載です。ところが、成功者は千人に一人もいないくらいで、あとはスポーツ産業の使い捨て人材。
 Sportはもともと「余暇を楽しむ」というラテン語から来ていますが、いまは金儲けのためのスポーツです。楽しむどころか、多くは儲け事業で人材使い捨て。マスコミはヒーローだけを取り上げて煽り立てますが、人生を棒に振ってしまった人は成功者の何万倍もいることでしょう。夢を持って努力すれば必ず成功するというサクセス・ストーリーで、一部を称賛するだけです。挫折者・失敗者には見向きもしません。この煽り立て、高揚感だけを求める風潮はなんなんでしょう。多くの人は真面目に地味に生きているわけですが、ヒーロー、ヒロインだけを求める風潮がある。指導者たちは、選手が挫折しても見捨てるだけなのですが・・・。

学校?

 そういえば、「夢」と「希望」という言葉は「努力」や「実行」という言葉と対になって学校でも語られることが多いような気がします。でも、人間は全員が成功するわけはないのですから、イケイケドンドンでは脱落者も多い。
 言い続けていた人々は、成功しなかった人たちのフォローは、どうするのでしょう。おそらく誰もしませんね。「成功しないのは本人の努力が足りなかった」ということで終わり。指導する側が立身出世幻想に惑わされていて、生活や人生が楽しめない状態になっているような感じがします。「夢」や「希望」をいう人って、けっこう無責任だし、自己責任を押し付ける人が多いですよね。明るい雰囲気を手っ取り早く表現できる言葉でもありますが、言いっぱなしであとのフォローがないのはなんとも教育的ではないです。でも、それは大手を振ってまかり通っていますね。
 実際、夢と希望の圧力で学校内部でも生徒たちの心の崩壊が始まってます。学校というところは基本的な学力をつけるのにとてもいいシステムだと思うのですが、やはり、上昇志向を煽り過ぎなのかもしれません。そんなことより、いかにしてまっとうな人間になるか、どれだけ自分の努力が通用するか・・・もっと地に足を付けたことを教える側面があってもいいと思うのです。おそらく史上最初の「希望」は「パンドラの箱」伝説からだと思います。箱からは邪悪なものが出てくるのですが、最後に「希望」が出てきます。うようよ邪悪なものがはびこっている中で「希望」が!というのはドラマではかっこいいでしょうが、現実では疲労するばかりです。「希望」は、そういう邪悪にずっと耐えさせて、我慢を強いる言葉ですからね。その前に邪悪なものを出さない努力、邪悪なものをつぶす方法を教えた方がよくはないでしょうか。
 「自由」という実体のないものを振りかざした結果、世の中全体で社会規範が薄くなり、非倫理的行動まで容認される傾向が出ていますよね。罪を犯しても逃げ切れば問題ないとか、儲けのためなら詐欺的なことをしてもかまわないという動きが顕著になっています。このままで行けば治安も悪くなり、それはやがて政策や国際的な状況へも影響してきます。

天気予報と気候変動

 「周囲と強調的関係を結ぶことを求める日本ではなく、私は自由に好きなことができるアメリカに行った」と述べたのは気候変動モデルの開発でノーベル物理学賞を与えられた真鍋叔郎さんです。これは鋭い意見です。
 気候変動モデルというのは先の先の先を予測するもので、かなりの「心配性」でないと考えられないものでしょう(笑)。
 天気予報とは当たりはずれだけで行くもの。日本人は先見性を無視することが多く、目先のことだけにしか目が届きません。
 真鍋さんの受賞にマスコミは狂ったように「日本人がノーベル賞」と騒ぎ立てて、これでは、まさにニッポン・チャチャチャです。そして、真鍋さんが最初に言った「自由に好きなことができるアメリカに行った」に、まったく触れません。日本ではだめだからアメリカ人になってまで自分の研究をしようとしたと思うのです。もちろん気候変動モデルを市場原理主義の国がひとつの免罪符として利用しようという背景もあったでしょう。
 五輪報道でもがっかりでしたが・・・・日本のマスコミはもうダメですね。。つまり、状況も何も考えずにイケイケドンドンなんです。コワい! この人は日本人ではなくなっているのに「日本チャチャチャ!」「日本人すごい!」です。
 これじゃ、自分の研究を達成したい学者は外国に逃げるのは自然の流れでしょう。先を読む人、学者や見識のある人を嫌う国では、まともなことはできませんものね。いつまでも上の顔色をうかがい、空気を読むことが仕事のような社会はやがて沈没していくよりありません。
 まじめに目立たずにやる人たちで支えられてきた世の中ですが、まじめさを評価しないで儲けだけ追い求める国とジャパンドリームにうつつを抜かす国民ではあぶない。株暴落ひとつで、近いうちに、またバブル崩壊が起こるでしょう。暗い未来も考える必要があるのに、子どもを追い立てていく社会の行き方、変えられるかな、変えられないだろうなぁ。

考える力⑤ レベルの問題

 日本人の大人は、かなり会話をするほうだとは思う。それは対人のおしゃべりでもSNSの会話でもそうだが、猛烈にしゃべっている。しかし、特定の人々を除いて、考えてしゃべっているというより反射的に話しているとしか思えないことが多い。
 それらは週刊誌的な話題、テレビのバラエティー的な言葉が乱れ飛ぶだけで、その言葉の向こうに話している人の考えや感じ方が見えないということだ。多くのテレビ番組のコメンテーターやMCのコメントは考えているかのようでもどこかでウケ狙いだったり、視聴者を意識して言葉をうまく操ってごまかしているようにしか見えない。これを、おそらく無意識に一般人も真似てしまうのだろう。その結果、底の浅い日常会話となり、シリアスな話題より、おもしろおかしい話題に比重が置かれてしまうのだろう。
 人間というものは世の中の流れに呼応して、いいね、いいね、となってしまう存在でもある。
 一方、きちんと真面目に考えている特定の人は、話しているとその人の考えが見えてくる(そんなの特定な人だけでなく誰だってそうだろう、という人もいるだろうが、じつは考えのレベルが違うのだ)。その水準を上げるのがそれなりの読書であり、情報収集だと思うが、それがこの国ではうまく機能していない。あるいは逆のことが行われているように思える。

おたより+本とともに過ごしてきて

 東京都世田谷区 田村さん お子さん(小6)
 前回の夢新聞で、将門の首塚のお話が載っており、懐かしくなりました。私は首塚の横にある会社に勤めておりましたので、身近な心霊スポット?!でした。
 夢新聞の写真では近代的になった首塚の写真でしたが私が知るころは大手町のビル群にポツンと鬱蒼とした木々の奥に小さな祠がある感じでした。会社では祠に背を向けてはいけないとか見下ろしてはいけないなど将門様の怒りに触れないような席の配置になっていたと記憶しています。
 《ゆめやより》すごいなぁ。やはり将門にかかわるそういう言い伝えは流布していたんですね。将門さま、あなおそろし、です。あのあと、私も将門について調べてみたのですが、平安時代から戦後まで祟り続けるというのもすごい話でした。

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 ご縁があり「ゆめや」さんを紹介していただき早10年以上となり驚いています。ゆめやさんはキャラクターやゲームに疎い私の感覚とぴったり。夢新聞の毒舌も楽しく拝見しています。娘は母と同じくキャラクターにもゲームにも興味がなく、本が好きな6年生となりました。そんな娘にどの本が好きだったのか聞いてみると「さむがりやのサンタ」と「よい子への道」だそうです。この本に共通しているのはセリフが少ないので話を読み手が考えねばならぬこと。私としては読むのに苦労した本です。毎日のように寝る前に持ってきていました。そのたびにサンタさんの声色を変えたり、適当に擬声語を入れたり工夫をしながら読んでいました。それが楽しかったのですね!苦労の甲斐がありました!今では私が買ってきた本を先取りして読んでしまうほど本が好きになりました。本好きのきっかけを作ってくださった「ゆめや」さんに感謝しております。ありがとうございました。
 《ゆめやより》 まったく子どもの成長は速いです。長い間、ご利用いただき・・・でも、あっと言う間でもありました。私は、すべてのサブカルが悪いとは思いませんが、影響は大きいと思っています。なし崩し・依存になるので、批判しているわけですが、だまっていても入り込むものですから、害については述べています。鈍感な親も多くなってますから。ここまで読めれば大人の本が射程距離どころか、すでに手にしてますよね。すてきな大人になることを期待してます。

これだけネット世界になると

 つまり、本を読んで自分の内部で消化した人と世間的な知識と話術だけで話している人の違いである。その中間に本の内容を受け売りしているだけの人もいるが・・・。
 こういうことはSNSが作り出した世界の影響を受け続けている人々にとって、ある意味恐るべき結果なのだが、自分が考える力よりネットに頼り、SNSで安心するという傾向に肌寒いものを感じるのは私だけだろうか。
 若い人と話していて最近痛切に感じるのは、対人関係にものすごく気を使っていて、自分の意見を出さない、あるいは持たないでいることである。
 もちろん、考えが出ないのはまともな本をろくに読んでいないのかもしれないが、これでは、会話を交わすことによって相手から考えを受け取ったり知識を吸収することもできないだろう。
 識字率だけ高めた教育の結果だと思うが、考え方や社会規範まで教えた江戸時代の藩校のほうがはるかに高い教養が身についたと思わざるをえない。
 悪事を働く政治家や官僚は高学歴だが、かれらに考える力はないのだろう。考える力は、何が正しいか悪いかを考えることにまでつながるからである。(10月号ニュース・新聞 一部閲覧)



(2021年10月号ニュース・新聞本文一部閲覧)

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