ブッククラブニュース
令和2年
2月号(発達年齢ブッククラブ)

長いようで短く短いようで長い

 山国甲府では冬は毎日零下の日が続きます。いちばん寒いのは節分のときで、節分の行事に町に出る時の寒さと言ったら、そりゃあハンパではないのです。北国では零下20度にもなりますが、甲府は風が強いからマイナス数度でもマイナス10度くらいに感じます。二月十日にはマイナス7度ありました。夏には40度になるところですから、寒暖差は大きいです。マイナス7度の夜はほんとに寒いです。
 「てぶくろ」を道に落とすとカエルからイノシシ、キツネまで入ってくるような寒さなんです。ところが、今年の冬は暖かすぎ。お正月が終わり、寒の入りでも何と日中気温12度とか、すごいときは15度。氷点下の夜になる日がほとんどありませんでした。それでも風邪が流行り、コロナウイルスが近づいてくる感じもある。発生源はねずみだというから「ねずみのおいしゃさま」は往診で大忙しだろうなと思ったりします。
 さらに、世の中にはウイルス以上に蔓延しているものがあります。嘘と言い逃れが満ちてきて悪いことをしても捕まらないうえ、国民のふところから金を吸い上げる鬼まで出ていますから、退治する必要が出てきました。そろそろ「ももたろう」の出番なのですが、まだ知恵(サル)も勇気(キジ)も誠実さ(イヌ)もついてきていないようで、鬼退治はまだかな?というところ。子どもたちまで巻き込まれるような大きな変動が起きなければいいなと思います。今年は先月も書いたように何となくアブナイ年なんです。早くも半世紀のしわ寄せが出てきますから・・・。
 半世紀といえば、経験をしてみると、たしかにアッと言う間に過ぎるものです。みなさんが40歳としたら30年後がとても先に見えるでしょうが、なんてことはない・・・アッと言う間に過ぎますよ。そして、昨日のことのように鮮明に30年前や50年前のことを思い出すでしょう。「あのころ、うちの息子はソリスベリが怖くて」とか。「うちの娘は節分の鬼を見て、ひきつけを起こした」とかね。「いい時代があったな」と思う一瞬です。私も鮮やかな記憶がたくさんあります。

こんな時代に40年も

 40年も小さな店でやってくると、出会ったお客様、おつきあいした日々のことをよく思い出します。最近はかつて会員で配本を受けていたお子さんが結婚して、子どもができ、またブッククラブに入ってくる例がほんとうに多くなりました。再会という楽しみが増えています。
 1980年の2月・・・節分の日はものすごく寒くてエアコンのない我が家ではストーブをガンガンつけて、本の整理に追われていたことも鮮明な思い出。記憶と言うのは累積的にたまるものではなく、ランダムに蓄えられる感じですね。翌月、開店しなければならなかったので、準備が大変だったからかな。そして、それから39年経ち、まだ同じ仕事をやっています。こういうふうに長い間続けてこられたのも、すべて会員の皆さんのおかげとしか言いようがないのです。だから私は「おじいさんのランプ」のように退職がないのです。トホホ。
 ゆめやは図書館や公共施設の指定業者にはなったことがなく、右から左に流す仕事で利益を得たことが一度もありません。プログラムをつくって、梱包して届ける・・・これを40年間、続けてきました。それだけしかしてこなかったけれど、多くの個人会員の皆様に支えられてきたのは、ほんとうにありがたいことです。

どんな時代になるのかな

 たくさんあった書店が21世紀に入ると津波に押し流されるようにひとつまたひとつと消えていきました。政治の世界を見ているとバカとアホウの絡み合いで、なんだか末期症状ですね。当然、文科政策でもこの影響は大きく表れてきて、教育、学校の影響は大きいですから、だんだん人間が劣化してくるでしょう。個人の力ではとても支えきれません。世の中はフェイクばかりでまじめに稼ぐ人や人の良い人は住みに押しやられて、出てくるのはバカやウソつきばかりです。♪・・・嘘云うアホウと つくアホウ 同じアホなら つかなきゃそんそん・・・という阿波踊り状態になってきました。
 昔の歌手が歌った歌で「傷だらけの人生」というのもありました。
 ♪生まれた土地は荒れ放題、今の世の中、右も左も真っ暗闇じゃございませんか。何から何まで真っ暗闇よ、スジの通らぬことばかり、右を向いても左を見てもバカとアホウの絡み合い、・・・まさにその通り。
 本も読まない、字も読めない政治家による知性を嫌う政策の中で書店がどこまで踏ん張れるか、いや本屋ばかりではない。地方から生活に必要な仕事がどんどん消えています。それをエサにして太る大魚。どこかから「スイミー」が現れて大きな悪い魚を追い払ってくれるかどうか。でも多くの人々は今が良ければいいという沈黙の日々です。子どもの未来を考えない、このため真っ当な商売は消え、半分バクチのような荒稼ぎや目先の儲け仕事ばかりに邁進している世の中、なんだか一年後の危なさを感じます。株でも落ち込めばすぐに連鎖して壊れる経済。個人営業の「からすのぱんやさん」が生き残れるのはお客さまの信頼をどのくらい勝ち取れるかということですが、生き残れるかな。でも、やれるかぎりはやろうと思います。よろしくご支援のほどお願い申し上げます。

東風吹かば匂いおこせよ梅の花

 昨秋亡くなった中村哲さん、予感があったんだろうね。「日本人が狙われるようになる」と数年前から言っていた。だが、それでも続けた。すごいね。根性が違うのか、信じるものが違うのか・・・。肝が据わっていた。みんなが「キリスト教信者」とか「儒教を学んでいた」というが、かんたんに言えば、男一匹・任侠だ。
 まあ、そりゃそうだ。これはまさに「花と龍」。この小説は、火野葦平が書いた本だが、火野は中村の母の兄つまり「叔父さん」。彼の親父が「花と龍」の主人公「玉井金五郎」である。北九州の若松を舞台に沖仲士の組合を作って壮絶な戦いを始めた男の中の男である。その娘が哲さんの母。これは思想信条より血です。

血筋

 危険な国で井戸を掘り、水路をつくり、医療活動を展開した。ものすごい馬力だが、どう考えても祖父の血が入っているとしか思えない。火野も熱い作家だった。戦後日本人の心を解き放つ作品を次々に生み出した。当然、その妹も同じ鉄火肌だったことだろう。血は時代を越えて国境を越えてさまざまな形で花開く。
 しかし、同じようなDNAでも頭の出来や欲の出し方で、まったく人生が違ってくるのが世の中というもの。
 哲さんが「日本人も危なくなる」と言ったのが数年前、つまり安倍政権が日本の国の形を変え始めたときだ。安倍首相は言わずと知れた妖怪・岸信介の娘の息子・同じ孫でも真逆の血。同じ三代でも、違いの凄さが際立つ。あの悲惨な敗戦を引き起こした明治以来の流れである。
 この中間を生きるのがわれわれ庶民です。上を目指せば金と欲、下を支えりゃ平と凡・・・・どうして、こうも差が出るか。いろいろな血が流れているが、任侠の子は任侠道へ。売国奴の子は売国道へ。われわれは、こちらが立たねばあちらも立たぬ、まるで蝙蝠のように、あっちに行ったりこっちに来たり。コウモリの血?

「〜さん」と呼ばれたヒーロー

 こういう立派な人を「哲さん」と馴れ馴れしく呼ぶのは不遜だが、われわれは高倉健を「健さん」と呼んでいた世代。こういう一種のアウトローには敬意を込めて「さん」と呼ぶ。もっとも健さんは文化勲章をもらっちまったからアウトローではなくなったけどね。今ではただの「高倉健」だけど、これも医者と役者の違いかもしれぬ。
 哲さんの祖父は理不尽な裏切りや悪辣な妨害と戦い、その激闘を息子が描き、孫は過酷な世界で人助けにいそしんだ。すべて世のため、人のため・・・。
 だが、われわれは庶民。家と車のローンに追われ、子どもを食わすだけで精一杯。世に貢献など毛ほどもできないけどね。ともすれば、銭・金・物のご時世によろよろよろと負けていく。あげくのはては目立たぬ生活が一番と負け犬の遠吠え。なんとなくさみしいね。これでは最近の若者のようでお金には弱く、ひっそりとゲームでもしているよりない。

義と理が廃れば・・・

 玉井金五郎の背中の刺青は、昇り龍が菊の花を咥えた絵だったという。龍は菊を食いちぎって、こう言う。「白刃が何本降ろうが湧こうが玉井金五郎は生きるのだ!」すごいねぇ。こういう血が中村さんには流れている。
 中村哲さんの生き方を心に刻まねばと思う。まるで70年代に逆戻った感じ。ヒーローである。
 あのころのスターはなんといってもヤクザ映画の俳優だった。左翼の学生もファンだったくらいである。断トツのヒーローは高倉健だったが、その後ろや脇で動く菅原文太もいたね。今でも映画は好きで観に行くが、一九六〇年代の学生時代、じつによく観た・・・ひまさえあれば映画館にいた。・・・東映ヤクザ映画全盛で、下宿から近い上野、浅草、銀座、飯田橋・・・振り返れば、まあまあよく観て回ったものだ。
  東映ヤクザ映画は初めのころはシナリオもチャチな仕返しものばかりで、おもしろくなかった。しかし、しだいに主人公によってパターンが決まり始め、高倉健が仕返しにいくときは雨が降る、鶴田浩二では風が吹き、池部良では雪が降るなど様式美として完成していくようになった。いわゆる「昭和残侠伝シリーズ」で、映画史に残る傑作も出た。人々への映画の影響も大きかった。
 六〇年安保闘争から七〇年まで、人々の心の中にはアメリカに追従する日本政府への不満が満ちていて、多くの若者が反権力の気持ちを持っていた。だから、この任侠路線は大成功で、映画館には人が溢れた。ヒーローたちは、みなアウトローで、「金や名誉など、あっしにはかかわりのねぇことでござんす」というかっこよさが売り物。どうやら、これが、私にも影響して、体の隅々、頭のてっぺんまで染みわたったったらしい。ところが今や、映画は愛だ!恋だ! 暴力だ! けだものごっこがまかり通る時代である。
 ただ、あの当時の映画や小説は、ほんのキッカケで、たんなる起爆剤。たいていは受け継いだ血が世代を越えて同じように炸裂する、つまり、DNAがほとばしるというわけだ。私の父や祖父はヤクザではなかったが、職人という世界でアウトサイダーを押し通した。私の祖父には観音菩薩の総刺青があり、おそらく生き方がもっとも過激だったのは、くしくも井戸掘り職人だった、この祖父だろう。当然ながら私の父も私もどこかで、この無鉄砲な血は受け継いでいる。こんな時代、儲かりもしない本屋を40年も続けるのはバカといわれてもしかたがない。中村さんのような生き方はできなかったが因数分解すれば、同じ因数があるのかもしれない。

花と龍

 ところで、その任侠映画の歴史に残る傑作といえば、前述の「花と龍」だ。火野葦平の原作だが、前述のごとく火野の父は「花と龍」の主人公「玉井金五郎」である。北九州の若松を舞台に沖仲士の組合を作って壮絶な戦いを始めた人だ。その父を実録で描いた火野葦平の妹は、ペシャワール会の中村哲の母でもある。中村哲といえば危険極まりないアフガニスタンで井戸を掘り、アフガン人のために医療活動を展開するものすごい馬力の人物だ。どう考えても祖父のDNAが入っているとしか考えられない。火野葦平も熱い作家で、戦後日本人の心を解放する作品を次々に生み出していった。となれば、当然、その妹も同じ血が流れる鉄火肌だったのではないか。血は時代を越えて国境を越えてさまざまな形で花開く。
 しかし、同じようなDNAといっても頭の出来や意志の出し方によって、まったく人生が違ってくるのが世の中というもの。中村哲先生は私と同年齢だし、火野葦平は私の父と同じ明治四〇年生まれ。その父・玉井金五郎も私の祖父といくらも違わない。しかし、世の中への出方が雲と泥ほど違う。一方は理不尽な裏切りや悪辣な妨害と戦いを始め、その激闘を息子が描き、孫は過酷な世界で無駄とも思える作業にいそしむ。世のため、人のため・・・。ところが、私のDNAは仕事は真面目にこなすものの、なかなか世の中に貢献できない。ともすれば、銭・金・物のご時世に負けそうになる。社会悪、巨悪と戦う力も小さすぎる。つまり、初めから器がちがうのだ。遺伝子にも格差がある。なぜ、こうも人の人生は個人個人で大きく変わってしまうのだろう。

バカが生み出す巨悪

 「花と龍」を読んでいて感じるのは、情熱のもって行き方が、まったく違うということだ。私も、玉井や火野、中村の血と同じく金と権力におもねることはなかったが、なかなか小さな商いでは巨悪と戦うまではいかない。「選んだ仕事が悪かった」というところだろうか。本屋という商売そのものが私の血をうまく炸裂させることができずに、ごくふつうの生き方をさせてしまったともいえるだろう。残念無念。
 玉井金五郎の刺青は昇り龍に菊の花だったという。私の祖父の刺青は人の良い観音菩薩で、私は私で、幼いころから一人息子で育てられた「花と蝶」、長じては花も咥えられないタダの「タツノオトシゴ」になってしまった。文字通り、仕事を立てねばならぬ。どこかでひっくり返したい人生だが。もう遅い。次の代、その次の代の血に期待を寄せる時期に来てしまった。老いるということは悲しいね。
 日本の多くの老人が老齢化、貧困化の波の中で、じっと羊たちの沈黙を守りつづける。子供世代、孫世代のことを思うより、「いまの年金暮らしが壊れないでほしい」という身の守り方。
 でも、この時代、そんなこと言ってると、ガラガラポンが始まるかもしれない。いや、五輪後だとは言われているが、どうも感じでは株の暴落や政治的混乱はお祭りムードを乗り越えてガラガラポン状態への扉が開く可能性さえ出て来た。
 とにかく頭の悪い人間が欲を掻き始めたのだから、これはもうとどまるところを知らぬ流れになるだろう。流れを止めることなどできないが、せめて一個の人間として悪行はしたくないものだ。すべてが終わったあとで悪人は社会や歴史が断罪する。老いてもきちんと生きないと後代の示しにならない。

最後になってわかる人間性

 あの日のヤクザ映画のヒーローも時間が過ぎれば老いていった。高倉健が文化勲章を受け取ったというのもウケた。たとえ、「くれる」と言っても「ヤクザ映画で身を立てたこの身。アッシにゃあかかわりのないことでござんす。」と断ると思ったが、驚いたことに受け取った。そして世の中とは少しも戦わずに消えていった。
 ♪・・・遠賀土手行きゃ 雁が鳴く、 喧嘩ばくちに明けくれて、ゴンゾ稼業と 呼ばれていても 胸にいだいた 夢ひとつ(「花と龍」唄・高倉健)・・・どうした健さん!胸に抱いた夢一つは! 文化勲章なんかもらっちゃって、どこに夢を捨てたんだ、と思ったりする。
 ところが、後ろでチョロチョロしていた菅原文太は文化勲章も何ももらわなかったが、逆に政治に物申し、原発に反対し、環境問題を憂い、自ら韮崎市で有機農業まで始めた。人間とは、ほんとうにわからないものである。彼は安倍政権を前にして「政治の役割は二つある。一つは、国民を飢えさせないこと。もう一つは、これが最も大事です。絶対に戦争しないこと」と叫んだ。すごい! やはり安倍政権に挑んだ文部官僚・前川喜平さん。この人の祖父は村上春樹「ノルウェイの森」第二章に出てくる学生寮・和敬塾を自費で創建した起業家である。血だね。みんな健さんが捨てた「夢一つ」を持っている。私もまた、余命短いといえども、まだちょっと何かができるかもしれないと思った。

飛梅

 ♪一掛け二掛け三掛けて 商売仕掛けて日が暮れて、店のベンチに腰下ろし、はるか世間を眺むれば、この世はつらい事ばかり。
 片手に伝票、本を持ち、ゆめやのジイさん、どこ行くの?
 「神や仏がいなさって 悪を罰して下さる」と、小さいときに聞きました。大きくなって日が暮れて、それはたんなる慰めと 心の奥で知りました。・・・現実と言うのはキビシイ。夢や希望では乗り越えられないものがある。
 やさしさ頼りに生きてはきたが やさしさだけでは生きては行けぬ。というわけ。残りの日数(ひかず)で何かができる? 何ができるのだろう。残りの日数は少ない。初心に戻ってもう一度、戦い始めてみましょうか。というところかな。最後の段階で戦う。ま、任侠道の行きつく先かな。カジノバクチが成長戦略? 教育の名で半導体を売りさばく・・・そんな畜生道には落ちないぞ。
 東風吹かば匂い起こせよ梅の花 主なしとて春な忘れそ・・・春になったら怨霊となって飛んできて、この国の悪者を倒してくだされや。微力ながら、一票くらいは投じたいと思いますのでね。思いを新たにするために、今月、北九州の若松や門司に行ってみた。ついでに大宰府にも行った。飛梅は満開だった。見ていると、どうも飛んでいきそうだ。どこに飛ぶのかな、関門海峡を越えて山口4区、下関かな。それとも東京の永田町かな。道真の怨霊は、雷となって次々と政権中枢の藤原一族を倒した。♯飛梅 ♯大宰府 ♯菅原道真 ♯花と龍(新聞一部閲覧)



(2020年2月号ニュース・新聞本文一部閲覧)

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