ブッククラブニュース
令和2年
1月号(発達年齢ブッククラブ)

本年もよろしくお願いします

 多くの会員から今年も早々に年賀状をたくさんいただきました。心よりお礼を申し上げます。会員の皆様にとって本年が良い年になりますようにお祈り申し上げます。
 さすがに時代を反映して、喪中欠礼ハガキも倍増していますし、若い親御さんの中には年賀状を出す習慣もなくなっています。でも、さすがに会員の方々の心配りはすごいなと実感します。こういうことがお子さんの成育にも良い影響を無意識に与えるのでしょうね。子どもは親のすることをちゃんと見てますから。実際、会員の中で小学生くらいのお子さんになると手書きの年賀状が何通もゆめや宛に届きます。添え書きのかわいらしい文も目立ちます。
 店内壁面に貼りだした年賀状には、会員の皆様の豊かで余裕のある生活が100mm×148mmのサイズに切り取られています。合理性や利便性に負けず、手間暇かけるとひょんなところで子どもへの良い影響が出てくるものですね。きっと、出すときに、こういうものをお父さんやお母さんが手間をかけてつくっているんだという感慨はあると思います。

ここで、ゆめやの年賀状も

 楽しそうな子どもたちの笑顔、お父さん、お母さんのまなざし・・・もらったこちらも見ていていいものだなぁと感じ入りますね。写真年賀状は遠方の方もいつも会っている方もさらに距離を縮めてくれます。店頭展示は2月節分までですので、年賀状を見ながら温かいお茶でも飲んで、今年の抱負を話し合いましょう。「昨年は良い年でしたか?」「今年はどんな希望をもって一年をお過ごしになりますか?」・・なんてね。
 実際、最初の開業日(今年は1月4日)にはゆめやでは、いつもはコーヒーなどのお茶を出していますが、毎年、最初の営業日には「おしるこ」を出します。
 やはり、話がいろいろはずみますね。以前は、お茶を飲みながらゆっくりといろいろなことを会員の方々と話す時間が持てました。そういう何気ないことで人間のつながりはできていくのですが、最近は受け取りに来たお客さんにお茶を出そうとすると「急いでいるので・・・」「子どもを迎えに行かないと・・・」「仕事の合間なので・・・」と断られることも多くなりました。さっと受け取って、さっと帰る・・・まあ、頑張って生活している感はありますけどね。なんとなく素っ気なく、当然、つながり感は薄くなります。人間というのはつまらないことの蓄積で人間関係をつくっているようなものですから、合理的に時間換算をしての生活では孤独になったり人間疎外が起きたりするのでしょう。まさにエンデが描いた灰色男(時間泥棒)に追い立てられている状態ですが・・・どこまで続くのでしょう。
 すべてをスマホで済ます時代・・・会話を交わす時間さえもったいなくなっている時代、そして、それを見ている子どもはどうなっていくのか。ここでも子どもは親を見て育ち、親の真似をしていきます。たしかに年賀状など無用の長物かも知れません。でも、人と人をつなぐ一つの手段であることは否定できないでしょう。

暖かいお正月です

 今年の甲府のお正月は少しも寒くなかったです。山国で風が強いのに冷たくも寒くもない。ここまで異常だと、逆に暖かいのにゾッとします。あきらかに温暖化です。
 でもまあ、何はともあれお正月はゆったり楽しくです。我が家のお雑煮は鶏ガラのすまし汁。お餅は角餅で、シイタケ、野菜が入った簡素なものです。各地でいろいろ違うようですが、やはり子どものころからの家庭の味が舌に記憶されているからでしょうか。これが一番。これも舌を通して子どもに伝わっていくものです。
 帰省して、ご実家の懐かしい正月料理を味わった方もいるのではないでしょうか。日本には家族が集まる機会がたくさんありますね。それが大きな一体感をつくっていると思うのですが、最近は孤独な老人も増え、お正月も保育園に預けられている子も多くなっているようです。いったい何が美しい国なのか・・・。せめて顔を合わせておせちを食べたいものです。

今年はどうなるのか??

 温暖化で人類の危機が騒がれているのに消費、消費、そして大消費である戦争まで起こりそうです。欲に駆られた政治が悪いと下の下まで欲に駆られて悪くなりますね。子どもを取り巻く教育環境は悪くなる一方、学校もメディアもほとんど何も言いません。何もしないままで・・・どうなるのか。「世の中心配性」の私は、これでは子どもは忙しすぎて、大人になった時には大変なことに!と思い、またバブルのときのように浮かれていて、国の借金1052兆にもなって、だいじょうぶかな!?と思います。8年前は880兆だったのに。流れには逆らわない多くの人々・・・行きつくとこまで行くんでしょうかね。それとも、どこかで気が付くのかなぁ。世界中のトップがおかしな人間や信用できない欲張りばかりなんですからね。あるとき「あッ!」ということになるのかならないのか、それが怖いです。子どもたちが大きくなってから生きる時代はかなり大変でしょうね。

庚子の年とは

 干支というのは意外におおまかに指し示してくれることが多いので参考にしていますが、庚子というのは暗い動きや停滞してきた状態にようやく灯がともる、あるいは新しい芽が出てくる年らしいです。まだまだ。その灯や芽が消されたり、潰されたりする可能性の大きな時期ですが、大きな変革の前の、いわば夜明けのような時期なのでしょうね。
 どうも今年は大きな天変地異をともないそうです。去年は大きな地震はないと言いましたが、今年はあるかもしれません。どことは言えないのですが、「子(ね)」は北(京都が起点)を示す干支です。でも北は東日本大震災があったので、また北というのは・・・ちょっとね、うーん。占い師にでも聞かないとわかりませんかね(笑)。文献ではここまでです。
 で、想像をたくましくすると、どうも北海道東岸部じゃないかと。真北ですから。東北はまだエネルギーが放出されて補充はできていないでしょう。またあったら日本沈没です。
 でも、東京直下もかなり時間オーバーになってますし、東南海も危ない。中央構造線も軋んでいるとなるとどこで起きてもおかしくはないですけどね。
 干支を信じれば、真北。状況から見て次にヤバイのは四国沖、あと日本海の空白域も不気味ですね。島根・鳥取・福井あたり。天変地異と人間活動はリンクしてますから、台風や地震は人間社会の悪化と表裏一体で起きます。
 干支・庚子の年は、それが表れ始める年なんです。いずれにしろ、いままでの汚れ切ったものや悪行の原因を断ち切らないと世の中はよくならないと明確に出ています。まだこの段階で、世の中が大変動しないところが安心ですが、悪い状態がダラダラ続くと、どんどん乱れます。うまく処理していっても二年後くらいには(2022年・壬寅)大混乱、大波乱になりますから、なんとか良い方向に舵を切るためにも身の回りから悪い欲を断ちたいものです。できるかな、この腐りきった日本で。

社会は混乱へ?

 世間で言われているようにオリンピックの後はかなり大変になるでしょう。そりゃあ、ばかげた出費をしているので、回収できなければ経済は狂います。そのための気構えもしなければならないでしょうね。来年は「辛丑(かのとうし)」で、エネルギーは出てきますが、無理に伸びようとすると傷だらけになる年です。その前に足元を固めておけということでしょうか。
 千年前にも同じようなことがありました。律令制に綻びが出てきて、世の中が来誰てくるのです。犯罪が起き、地方の勢力が反発しはじめ、大変な時代、前九年の役という内乱のような社会変動です。太郎義家という源氏の若武者が庚子の年に奥州・安倍氏と戦い、二年後の壬寅の年に九年続いた戦いが終わります。後三年の役も起きて混乱は続きますが・・・そんな時代に似ているのかもね。巻き込まれないことです。

大変化が始まる

 良い、悪いは別として、おそらく急速にシステムが変化します。ついて行かれない人、先に進んでも行く先を見失う人が混乱を引き起こしていくでしょう。混血や他文化との融合も急速に広がるので価値観の違いや見かけの違いでさまざまなトラブルも起こってきます。当然、それを整理する法律は効き目がなくなり、司法もいたるところで限界になります。政治はなにより信頼できなくなります。反知性が前面に出て、信用できない社会になっていきます。
 上から下までダマシ、ウソ、残虐な行為が横行してますからね。
 まずは、信じられない速さで起きる事件や事故に巻き込まれないこと。不可抗力ということもありますが、気をつければ避けられることも多いのです。それを子どもにも身に着けさせることでしょう。
 「そんなこと言ったって、どう身に着けさせるの?」と言うかもしれませんが、「周りと同じことをしていれば安全」という時代は終わりつつあります。危険を察知したり、世の中の先を見るのは『想像力』です。その力を持っているのが文学・物語です(我田引水ではありません)。

科学を妄信してはいけない

 近年の科学者は文学を読まなかったためにMad Scienceを作り出してしまいました。寺田寅彦のような科学者はもういないのです。最近のノーベル賞受賞者はみんな薬品会社や医学関係と結びついて、金を得るために人間に幸福を生み出さないようなものばかりつくっているではありませんか。科学が非人間的なものを作り出しているのは、人間を考えない科学者が無意味なもの、害になるものを生み出すからです。これは例を挙げなくてもわかるでしょう。発達したぶん、脅威も大きくなります。原発やAI兵器でわかりますね。
 人間の幸福は科学の進歩では達成できません。利便性で心を壊さないよう今年はぜひ気を付けてお過ごしください。(ニュース一部閲覧)

年賀状をありがとうございました

 年頭の御挨拶を新聞でするのは恐縮ですが、老夫婦ふたりの零細店。年末、年始は大忙し。皆様への年賀状まで手が回らず、この新年ご挨拶も紙上の年賀状で御勘弁ください。その代わり皆様の年賀状は今月いっぱい全点を店頭展示させていただきしっかりと拝見させていただきます。
 さて、今年の年始は晴天に恵まれ、清々しい年の初めになりました。こういうさわやかな気持ちで年賀状を読む。これまた楽しいものがあります。いただいた年賀状の多くは写真入り。年賀状の数の四倍から五倍の笑顔の数が目に飛び込んできます。上の写真からも感じられるように、子どもの笑顔やお母さんやお父さん方の微笑は見る私たちの心をおだやかにしてくれます。「ああ、娘達がこのくらいのときには私たちも・・・」なんて回顧もあります。皆さんの笑顔を見ていると悲惨な事件や残酷な現実はテレビの中だけ、新聞の上だけというような気がしてきます。
 伝わってくるのは、暖かい雰囲気の家族の様子・・・世の中の実情から見ると、ひじょうに恵まれた家庭で育っているお子さんたちが見えてきます。

急速に変わる成育環境

 「幼少期に家庭や家族に恵まれて育った人には悪い人がいない」という言葉を信じたくなります。以前は一億総中流社会で、みんな同じような家庭だったのでピンとこなかったのですが、いまや絵本の読み聞かせをし、子どもに読書の余裕を与えるのは「上層階級」になってしまいました。
 いまやアベノミクスのおかげで、乳児保育から長時間保育までがあたりまえになり、人々は金を稼ぐことしか頭になくなっています。この結果ももう出始めています。家庭の暖かさを知らない子どもがたらい回し状態の保育の中でどういう人間性をはぐくんでいくか・・・
 まだ、それならいい方で、離婚や虐待、放任や過保護の中で年賀状には、すでにお子さんが大学生、あるいは社会人、また結婚した、出産したなどという方からのものも多いのです。最近は入会者が、かつての会員で、孫に配本という方が半数近くになっています。やはり、それなりの結果が出ています。これだけいろいろなご家庭を長く見てきていますと、「成育環境によってどういう人間ができるか」が何となく見えてくるのです。人間は長い年月をかけてみてみないとどうなるのかはわかりません。おかんしな子育てで、おかしな人間をつくらないよう気を入れて生活したいものです。

年賀状から

 12月号ニュースで言葉が通じない話をバベルの塔の例を挙げて話したら、ある会員の年賀状に言葉が通じない例があげてあった。年賀はがきを版画でつくろうと思って文具店に「ゴム版は、ありますか?」と言うと「ゴム版て何ですか?」と言われたそうだ。・・・びっくりぽんだが、私も最近、自分の話が通じているのかどうか疑問を持ち始めた。もちろん話し相手は外国人ではない。日本人の大人・・・よし、一度、ゴム版を買いに行ってみよう。

40年目

 (左の写真:開業当時のゆめや 1980)
 考えてみれば、今年は2020年。ゆめやも開業40年目に入ります。40年間で会員はおよそ1万人ちょっと(少ないでしょ。かつて名古屋のメルヘンハウスは最盛期には1年で3万人も会員がいたそうです、長崎の童話館など数十万人の会員を出してます)・・・ゆめやの会員数はトホホの数字ですが、内心ではあまりそう思っていません。なぜなら、多くの会員と十年以上は付き合い、卒業したあとも何十年も交流が続いているからです。
 ゆめやブッククラブの会員は少なくても、赤ちゃんのころから気を入れて読み聞かせた方ばかりです。当然、その思いは、お子さんが巣立ってもそのころのことを美しい記憶にして生活しているのでもわかります。いまだに来る年賀状の文面から、その思いは痛いほど伝わってきます。
この40年は日本は大変化の時代でもありました。そういう中で、いろいろな家族、いろいろな変化も見させてもらいました。もちろん、好ましい結果ばかりではなく、おやおやと思う結果もあれば、ああ大変だなぁと思う変化もあります。でも会員の大半は豊かで余裕のある人生を送っている方が多いですね。

50作目

 その大変化の半世紀・・・この変化を上手に写し取った映画を、今年のお正月に観てきました。
 有名な「男はつらいよ」シリーズの50作目「お帰り寅さん」です。
 このシリーズは時代の変化に合わせて、すべてのものがリアルタイム(当時の)で描かれます。電車から湯沸かしポットまでが、すべてその時代の物。変化は物だけでなく、人の生活まで写し取っていきます。
 50年という歳月を映し続けてきた、すごいシリーズでもあります。
 50作目は、主人公の寅さんは、当然、回想の形で出てくるのですが、それが、かつてのギスギスしていない日本人の生活を生き生きと描き出してくれているのです。デジタルリマスター版なので、現在の実写に比べても遜色のない映像で語りかけてきます。私は、この50本の映画をすべて見てきました。第一作は東京・飯田橋の佳作座という映画館でした。そのときのことは鮮明に覚えています。まだ東京に高層ビルが数本しかなかった頃でした。
 もちろん、この50作分の変化を体験している人は60歳以上の人であり、比較ができるのは70歳以上の観客でしょう。50年=半世紀の変化は大きいです。いずれ、みなさんも実感しますよ。

引き換えに得たものは・・・

 主人公は女子高生の娘がいる甥の満男です。ところが妻は早くして亡くなっている設定。出会った初恋の女性はバリバリと世界を股にかけて歩いている、あのイズミちゃんです。オランダ在住らしく、なんとイズミ・ブルーナという名になっているのは笑えました。うさこちゃんの世界に一瞬スリップ。でも、このイズミちゃんの親たちがじつに暗い生活をしている。老々離婚、独居老人、介護などが一気に噴出しています。不良少年やあくせく働いている人々も映し出されます。なんとか「とらや」のさくら夫婦はふつうですが、おどろくほど年老いてしまい、「とらや」には手すりや老人用小物がいっぱいです。あの昭和40年代、50年代の明るい寅さん映画ではなくなっている現実・・・見ていて、「ああ、日本は便利さ、豊かさと引き換えに大事なものを失ってしまったなぁ」と思わざるを得ないのです。
 そして、その合間に出てくる、なぜかホッとするセリフを吐いてくれる寅さんに「良かった時代のノスタルジー」まで感じてしまいます。ディズニー映画の夢や希望に満ちたありもしない幻想ではなく、まだ人々が世知辛く生きていなかった時代の幸福感のようなものが伝わってくるというわけです。あのころは「不安」がなかった!

日本はつらいよ

 しかし、現実はキビシイ。「それでも心を失わないで、まっとうに生きていきなさいよ!」と映画は締めくくりますが、たった30年、40年で、この国は生活様式どころか人の気持ちまで変わってしまったことがよくわかります。老婆心(老爺心か・笑)ながら、これから育っていく子どもたちの未来を心配せざるを得ません。「なんとか人の心の分かる穏やかな大人たちで子どもの成長の周辺を固めないといけないな」と思います。
 文科政策ひとつ見ても、とても子どもため、人のためを考えたものではないものになっています。これでは言うことを聞く奴隷をつくるようなもの。人を競争させて、どんどん狭い心の人間を製造して行ったら、この国は終わります。学校の先生はもはや批判も何もしない沈黙する羊に変わっています。どこからも「道徳科で子どもの評価評価をするなんて!」「母国語を形作る時に英語を教えてチャンポンな言語力ができる恐れがある!」「プログラミングが人格形成の何の役に立つのか!」という声が教師の側から上がらないのです。テレビもネットも底の浅いネタしか振ってくれません。そんなことでは言葉を失ったとき、子どもも大人も心も失ってしまいますね。心して人と接しないと・・・・心は育まれません。なんとかしないと、2020年、オリンピックに浮かれている時ではないのです。(新聞・一部閲覧)

閑話休題

 12月号ニュースで言葉が通じない話をバベルの塔の例を挙げて話したら、会員の堀井さんからの年賀状に言葉が通じない例があげてあった。
 年賀はがきを版画でつくろうと思って文具店に「ゴム版は、ありますか?」と訊くと「ゴム版て何ですか?」と言われたそうだ。・・・びっくりぽんだが、私も最近、自分の話が通じているのかどうか疑問を持ち始めた。
 読書会で「本は書かないのですか?」と言われたので「私みたいなものが本など出したら洛陽の紙価が低くなりますよ」とひねってみた。すると誰も、この言葉を知らなかった。言葉の共通性と言う意味でも、日本人はある時点から大きく変質してしまったように思う。もちろん話し相手は外国人ではない。日本人の大人・・・しかし、そういう人たちも私に偉そうに言っても「こういう言葉は知らんだろう!」というかもしれない。
 「洛陽の紙価なんて言われてもメンブレだよね。じじいの言葉はションボイよ。いかにもわからんだろうというドヤ顔でさ。みているとイラオコだぜ。そのうちメンヘラになっても知らんぜ。もっと若者にはヌクモリティを持って接してもらわんとな」
 ゴム版も知らない奴らには言われたくないが、よし、私も一度、ゴム版を買いに行ってみようか。



(2020年1月号ニュース・新聞本文一部閲覧)

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